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子3人、離婚しました。
2012 急性骨髄性白血病M1
化学療法で寛解維持

「うつ」おしゃべりの会にて

2013年08月31日 | 健康・通院・白血病関連
メンタルクリニックに通院した際、各種パンフレットの中に「うつのおしゃべり会」いうものがありました。
社会福祉協議会の一室でうつ病またはその家族・経験者などが集まってざっくばらんに話す場を設けていますよ、というものです。

うつ病に関して自分は、薬は飲んではいるものの、一般的に症状として挙げられているようなことはほとんどなく
順調な日常生活を送っていると、自分では思っています。
ただ、イライラしたり、それがたまると感情のコントロールが出来なくなるということがあるので
もう一歩、もう一歩、踏み出したい心境なんですよね。

主催者はボランティアの一個人で、うつ病経験者の男性。50代後半かと思われますが、
ゆったりと皆さんの話を、相槌をうちながら聞いています。

私も初めて参加ということもあり産後から現在までの概要と今の気持ちを話しました。
(もちろん、皆が会話しているのを聴いているだけでもOKなのですが。)


なんてことはない、ただ、それだけの会なんですが、
こういう会が、もっと早くにあったらよかったなあ。
いや、私が気づかなかっただけかもしれないんですけどね。


そしてこの後、予想していなかった話題が飛び込んできたのです。


会の終わりに、私よりは年上かと思われる女性が私にこういいました。

「私ね、弟が、白血病だったんです。
すでに自分はうつに陥っていて、寛解した弟は体に良いからと気功をはじめて、
姉さんも、もうすこしよくなったら一緒にやろうと誘ってくれて、
それから私も少しずつ良くなって・・・。そんなことを思い出しました・・・。」

帰り道も駅までご一緒すると、
私が部屋に入ってきたとき、パッと明るい感じがしたんですって。
そんな印象もあったものだから、弟のことを思い出させてもらえてよかった、
と、話しだしたのです。

話の流れから聞き取ってどうやら弟さんは亡くなられているようでした。
弟はそういう病気なのにうつ病の自分をいつも気に留めてくれていた。
それが嬉しかったんだろうし、彼女の大切な思い出なのだろうなと思いました。
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スカイツリー

2013年08月29日 | 家族(+猫)
長男(小5)学校でバケツ稲をやっています。
長女の時より稲穂が多くで感動



来月のシルバーウィーク、というんですか?
その頃の連休を利用して私の父母も誘って、
スカイツリーに登る&上野散策を計画していました。
スカイツリーのチケットが2ヶ月前から予約開始と知ったので7月に予約していました。

主人は高いところが好きではないのか興味がないのか、「夕食で一杯やるなら行ってもいいけど…」なーんて冷めた返事。
こりゃあご飯食べる頃に登場して帰っちゃいそうだなあ、と、そんな予感はしてはいました。

しかし、一昨日、旅行会社の予約確認メールをたまたま見つけ、主人がこの日に伊豆で旅館を予約しているとわかりました。

「これ、何?
長男と日帰りでスノーケルに行くとは聞いてたけど、
泊まるの?しかもこの日、スカイツリーの日だよ?」

と尋ねると、

「その日しか予定が組めなかったんだよ。仕方ないだろ。
長男だってスカイツリーよりも海がいいって言ってたぜ
てか何でそんなこと分かったんだよ、勝手に見たのかよ?」


って…
そのメアド、私のガラケーに転送するようにしてあるんだもん…
見るよね、そりゃあ。


ていうかなんでスカイツリーの日?
忘れてたのかな?
普通私に一言相談するよね?


3人を連れて登って、
アメ横で買い物したり、
大王イカを見て…楽しみにしてたのに。
私の両親だって、いつもこちらが実家に押しかけるばかりだから、
誘ったらすごく楽しみにしてたのに。


そりゃないよ。


…長男に聞いたら、
スカイツリーも楽しみではあるけど夏休みにパパとスノーケルしたのが良かったから、
海にするんだって。



いいけどさ。
長男がそうそういうならいいけどさあ。
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夏休みの宿題、終わった~!!

2013年08月27日 | 家族(+猫)
うちの子供らの学校は、小学校が昨日から、中学は今日から始まりました。
3人揃いもそろって、「自由研究」「理科実験」の宿題が残ってしまってたので、昨日(提出日)の朝まで手伝っておりました。

長女が小学校に入ったとき、親は助言をする程度でいいもんだと思っていたので
9月の授業参観時の宿題掲示を見て周りのお子様方の工作がすばらしかったり、
とくに理科や社会の調べで模造紙2枚3枚にびっしり書いてあったりすると、

「これ・・・どこまで自分でやったんだろ?絶対、親が手伝ってるよなあ?」
と毎度毎度思っていました。自分は両親に手伝ってもらった覚えがないもので(゜.゜)

それで長女4年生の夏休み前、担任との面談で先生に質問してみました。
毎年すばらしい研究発表・史跡探報があるけれど、みなさん子供だけでまとめあげているのか?と。

その男性担任は、
「小学生、とくに中学年くらいまでは、お母さん時間の許す限りどんどん手伝って一緒に仕上げまでやってください。
お母さんがどう教えたらよいかわからないのと一緒で子供だってわからないんです。
一緒に考えて、相談しながら作り上げてやってください。それを毎年繰り返して親の助けを借りたとしても
きちんと仕上げることの積み重ねで高学年になってくれば自分一人でもかなりのアイデアを出せるようになります。
そういうことを小学生のうちに体験し中学へとつながっていくんです。」
と、いう内容のことを話してくれた。

なるほど、それもそうだなあ・・・。

それ以来「母、手伝う」を実践。最初に工作にするか調べものレポートにするかは子供に決めさせて
一緒に図書館に行ってネタを探したりどうまとめ仕上げていくか、見ていくようになりました。


ここで去年の話になりますが・・・、
ようやく自分も慣れてきた昨年は、ご承知のとおり入院で、宿題一切を手伝うことが出来ませんでした。
仕方がないので上の二人には腹をくくって自分でやれと、放ってみました。
いつもは無関心な主人もこの時ばかりは協力したそうです。

けれど入学したばかりの次女は、「わかんな~い、わかんな~い」でどうしたものかと思い、
長女が低学年の時に通っていた絵画教室で行ったものを長女指導のもとにやらせることにしました。
「100円ショップの麦わら帽子に夏らしい絵をアクリル絵の具で描く」
というものです。その作品がこれ↓↓

(左は5年位前の長女の作品。これを参考に次女が右を作成!)

お姉ちゃんのと比べると、いささか地味ですが、次女なりに一生懸命考えたらしく
「頭のところは太陽で、つばの何も塗ってないところは砂浜なんだよ!」と教えてくれました。
これを見て担任の先生は
「よくがんばりましたねえ、このような立派なものをお持ちになるとは思いませんでした。」
と褒めてくれました。


今年は一緒に出来るな、と思ってはいたものの、私がボケーボケーとしていたので、
全宿題のスケジューリングも自由研究を手伝うということも一切しませんでした。
最終3日になって3人とも慌てて「後は自由研究だ!!」と始めだしましたよ・・・。

長男の模造紙レポートはただ書いただけって感じだったので
「ここに地図かいたら?」「タイトル目立たないなあ」「この項目は赤で囲もう」
「ここはもう少し調べて箇条書きで加えようね」「右端は揃えないと見た目が悪いよ」
などなど・・・登校日前日の夜はダメだし、朝は早起きでもう勝手に色塗ったりアンダーライン引いたり!!

はー、なんか燃えたな~!!

無関心でいると親の出る幕なんて大きくなるにつれどんどんなくなっていくけれど、
こうして首つっこんでるとそれなりに子供も楽しそうに付き合ってくれるものなんだね。


2年前に考えていたこと・・・。

子供が全員小学生になったらパートをどんどんやって、
お金をどんどん貯めて、教育や自分のこと、夫婦の将来(・・・老後ともいう;)に備えなくちゃって
がむしゃらになっていた。次女が年長の秋から仕事初めたから幼稚園への送迎も大変。
けれど学校と家庭以外に職場という自分の居場所が出来たことは喜びとなり仕事もやりがいはあったのですが
現在のようなゆったりとした時間は全くなかった。

9月に外来に行って問題がなければ、少しずつ、働いて行こうかとも考えています。
ただ、まだ心身ともにジャンプできる準備が伴っていないようにもおもうので
そこは慎重に慎重に・・・・。

今は夏休みの余韻を味わおう。9月になったら授業参観と保護者会。
どんどん涼しくなってゆく。いい季節がやってくる。
ゆっくりゆっくり、やろう。

今のゆったりした自分は来年の自分への貯金なんだよねえ。
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ふぁぃ(´∇`)と/~~

2013年08月23日 | 家族(+猫)
お姉ちゃん がんばれ
がんばれ お姉ちゃん

いや
がんばらなくていい

かたのちから

ぬいていけ!
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かくちかこに、なりたーい!!と叫ぶあまちゃん好き42才

2013年08月18日 | 思い
今日、いろいろ良い方向に向いたらこの写真で笑いを取りたかったのに最下部の理由欄の理由で更新をあきらめようとしたけれど、やっぱりあきらめきれずにガラケーで頑張って更新してみました。

今日、私は結局南極ガミガミ教育法になってしまいやっぱり尾木ママのようになるには100年かけてもまだ遠いと思いました。

今日、初めてツイッターにフォローをくれた方から大分励ましていただいたのになかなか返事が出来なくてごめんなさい、と言いたかった。見てますかー!

それでは理由欄に入ります。(メールでツイートしたものと同じです♪)


【理由】
今日は何かと忙しいのに子供たちがこっそりネットをやっててまじおこになってしまったのでこっそりWifiのルータひっこぬいて隠してしまったことをすっかり忘れてた

0時前になり娘が明日イトマンだから絶対起こしてと言われ、だったらもっと早く言え早く寝ろ、と言ったら逆切れされてこっちも激おこぷんぷんまる化

ようやく寝てやっとのことでPCに辿り着いたらネットに繋がらなくてルーターの件を思い出した。ルーターは旦那と長男がぐっすり眠っている部屋だからもう入れずあきらめましたあなたのことは

私はガラケーではメールしかしないことにしてるので細かいことが出来ませんが、決して身体をこわしたわけではありません。夜が明けるのを楽しみに寝ます。おやすみなさい~(-ω-)zzZ 
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懐かしい仲間に会って

2013年08月14日 | 健康・通院・白血病関連
おはようございます。

自然に目が覚めました。

たぶん、夢は見てなかったんじゃないかなあ。


昨日の事が、自然に思い出されて、優しいきもちになりました。


昨日、高校の同好会のみんなで20ン年ぶりの、楽しい宴でした。


お盆で仕事ない人が多いので、喫茶店で集合。

大分大人になった皆が、昔よく喫茶店めぐりしたよね、って

飲み物はアルコールになってるけど、おっきなパフェたべる男子いたりして!


19時をまわると、居酒屋に場所変えて、仕事帰りのメンバーも続々と。

サプライズで顧問の先生も呼んだのよ!!
先生、来てくれて、ありがとう!!


フォークギター持込みとたぶん歌いますから、って店にはお願いしておきました。

しばらくすると、私と反対側の遠い方から、懐かしい音と声。


当時よく歌ってたのをコード拾いながら、でもすごい。ちゃんと、覚えてるよ~せんぱーい!

エレキのリードでも始まってしまえば勝手に指が動くのね!
よくそんな速く指がうごきますな~(◎o◎)


なんだか話なんかほとんどしなかったような…( ̄○ ̄;)

話したいからギターはもしその気になったらちょっとだけ、
ってコトでカラオケ屋はやめたんですがね(」゜□゜)」



最初は、東北から里帰りする女子がいるのでもし2人だとしても飲みに行こうと言ってたのが

学年女子会に昇格し日付決めて、
来れる人は参加してね~って、男子と先輩たちに広めていったんだよ。


なんか気が付いたら20人になってた(≧ε≦)


幹事って、あ、あたしか?

そうか、あたしかー(・◇・)?


全部パソコンで用は済むので何も苦労ないし、

会費あつめやら細かいことはみんなが気が付いて手伝ってくれたし、


話のネタとか場の空気とか何の心配もないし、


なんもしてねぇんですけど、ありがとう、ありがとう、ってみんなから言われてしもうた!



冒頭の東北の友達が帰ったあとメールに書いていたんですが、


「あたし達、こんな良い仲間達に囲まれていたんだね(*^o^*)」


そうよそうよ


ほんとうにそうよ。


病後だってへーき!


忘れっぽくたってへーき!


出来ることは何だってやれるわ


出来ないことは手伝ってもらうわ



手足が動くかぎり
声がでるかぎり


おっきな夢なんてないけど


生きていたいな



って今ひとりしみじみ思う。


去年の今頃、首CV部分に血栓が出来てしまって

ずーっとヘパリンのシリンダー点滴と共にソロリソロリ生活してた。

死んでしまうかもというようなことはあまり考えてなかった時期で

でも、あたしいつまでこのシリンダー連れて歩くのかなあ~

いつになったら終わるのかな~って、ぼんやり考えてた。

猛暑で温まった窓に触れて外の暑さを思えば、
まあいいか、ここ涼しいしね、って部屋の人と笑って

夜になれば、
廊下の窓から花火がみえるよ、って眺めて

今日は部屋のあっち側だ、
あれがランドマークタワーだからきっと横浜のも見えるよとか
来週は目の前にあがるはずだよとか、

やってたなあ。


その時の部屋の方で、「こまめに食事採らないとリンパ腫に栄養持ってかれちゃうらしいんだ」
っていうAさんという女性がいて

色白で、スリムで、口数は少ないけど穏やかでしなやかな雰囲気のやさしい方だった。

病状の軽い人がカップめんカップめん!って売店に買いに行って食べ出したら
みんなカップめん食べたくなっちゃって

そしたらそのしなやかなAさんも、
「ふふ。私も、つられて買ってきたわ~(^-^)」
って、ちょっとはずかしそうにおやつに食べてた。


Aさんは退院していったけど
冬に再入院されて
年明けに亡くなってしまった。


そのことは自分が退院したあと、4月頃知りました。


同じ主治医だから、やさしいAさんとまた外来で会えるかなって思っていた。


残念でならないし
いつか自分もそうなるのかなって
思ってしまってた。


けどちがう。

血液疾患は何万、何百万通りもあって、
同じ型でも患者の数だけ少しずつ違っていて
さらにドクターの数だけ治療の仕方もいろいろあって

自分はそのなかの1通りの道を、進んでいくしかないわけ。


だから、元気なうちは、楽しく、がんばる。

またなんかの病気になったら、また、治療する。


それでいいの。
それでいいんだー、って感じました。



今まで縁のあった全ての方に感謝します。


ありがとう。


まだまだ暑いけど、がんばろうねぇ(o^∀^o)(o^∀^o)(o^∀^o)
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ハードフォークサクセション

2013年08月13日 | 楽しみ

今日はネコ様が元気ないので夕方から病院につれていって、(歩きで、15分くらいかな)



帰りは落雷にあってしまって、不幸中の幸い、大雨には打たれなかったんだけど


明日でかけるのでそんなこんなの準備もしていたらすっかり遅くなってしまい、

でも、なんとなく、もうちょっとだけ起きていようかなって思った。


急に、RCサクセションが聴きたくなったのでーす。

エレキ化前の、フォーク時代のが。


そういう時代があるなんて最初はしらなくて、

何か月も前だけどためしに2枚ほどアルバムを買ってみた。


「初期のRCサクセション」

「ハードフォークサクセション」


今は、ハードフォークの方を聴いてる。


これ聴いてると、エレキギターがなくても世界はどこまでも広がるんだなあ、って思う。


やっぱりメッセージ力が半端なくちがうなあ。


いったいどんな高校生だったのか。



こんな嵐のあとの夜中に聴くとますます眠れなくなってしまうよ。




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たいじゅ~

2013年08月08日 | 健康・通院・白血病関連
現実をうけとめきれずにあわてています。

たいじゅうです。

3人のおお産で増えることはなく中学生のころからキープしていたのに
37才くらいからうなぎ登りに増え始め、3.11前がマックスでした。

原発で不安傾向が強く自然に少しおちましたが、中学生からずっとかわらずにいたベスト体重から15キロ増になっていたのです。

当然服はみな着られなくなりました(;`皿´)

白血病になって唯一ラッキーだったのはその体重が9ヶ月間で20キロ落ちたことかなあ~(((゜∇゜)))

運動嫌いのわたしが普通にゴロゴロしてて20キロ減…これはすごすぎます。

食事に飽き飽きしてたし、
抗がん剤のたびに下痢ばかりしてたからなあ…( ̄○ ̄;)

それにぃ、若くて初々しいドクターが入れ替わり立ち替わりだったしねっ!じゅるっ!
…て違うか…(;`皿´)


もちろん筋力も思いっきり減ってていまだにあちこちすぐ痛くなります。


退院後、4ヶ月で4キロ戻ったので、あとは筋力だけつけてキープすれば…

と思った

のに!!


6、7、8月で増えた増えた…なんかいきなり6キロ増…p(´⌒`q)

特に7月の最終週から今日までで2キロ増。

一応言い訳がありまして…( ̄○ ̄;)

8月1日の血液検査で、私、ぜーったいに再発してるって思ってたのよ。

動悸・疲労感・鼻血も出るし風邪もすぐひくし。

だから、食べたいもの食べて少し蓄えるくらいでもいいじゃんいいじゃんて

ガンガン食べてたのよ!

結局、違ったから良かったんですがね…(((゜∇゜)))

来週は同窓会もあるし!
ショートカットが似合うように

が ん ば る ぞ ー (≧ε≦)


最後に、、
美容室の雑誌で賀来千香子さんが表紙になってるのがあって、
ひさびさに見たというのもあるけど、
一瞬だれだかわからなかった。
メイクも髪も服もぜーんぶ
素敵だったなあ~(〃 ~∇~〃)moe~♀

めざせ~50才のステキな私!
「賀来千香子さんですか」なんてね~(^з^)間違われるくらい頑張るぅ☆Chu!!
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地毛デビューヾ(o´▽`o)ゝ♪♪

2013年08月04日 | 健康・通院・白血病関連


アンパンマンもウキウキ

最期の抗がん剤は昨年12月半ばごろで、その後、完全なツルツル頭で寒~い冬をすごしました。
もともと直毛だったのに生えてきた毛はハサミを入れてないせいか、ホワンホワンでカールしています。

前髪がまだまだ短いけれど、後ろや横はもじゃもじゃ邪魔だし、
ようやく美容師さんに切ってもらおうという気になりました。

  もし、一昨日の検査で再発だったらスポーツ刈りに・・・。  
  再発ではなかったら、大竹しのぶさん風のショートスタイルに・・(・`ω´・(-`ω´-)ウン

馴染みの美容室で脱毛についても全てお話してある方に予約をとっておきました。
血内の病院から実家経由ですぐ近く。
きさくな、40代のステキな女性が経営するヘアサロンです。

自分としては中学の時ですら前髪がこんなに短かったことはなかったので
美容師さんに「大丈夫よ!」と言われるまでは全く自信ありませんでした。

そして、結果がこれ↓




上の二人の子供は「あ、切ったんだ」、と一言。
主人も、「そういう人、いるいる、大丈夫だよ」と一言。

次女は、「ママ、かわいくなった! もうカツラ、いらないよね?カツラ、返す?返す?」
と言って私の周りをぴょんぴょん飛び跳ねたり、下から覗き込んだり。
私のウキウキした気分がわかるんでしょうかねえ。

まだ8才。可愛いですな(#^.^#)


夏目雅子 ひまわり基金 から無償でお借りしておりました。
きれいに洗ってお返ししたいと思います。 
夏目さん、ご家族のみなさま、本当にどうもありがとうございました。

OFFICIAL web site 夏目雅子ひまわり基金 http://www.himawari-kikin.com
SASHIMIMAMA 10,12,1,6月記事より ひまわり基金&カツラ等について
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外来8月1日(退院6ヶ月+1週)

2013年08月03日 | 健康・通院・白血病関連
一昨日の8月1日、退院して7か月後の血液内科外来でした。

一番心配していた「再発」については、クリアです(*^o^)乂(^-^*)
よかった~、これで9月までは普通人ですよ!!


自宅近くの擁壁の隙間から芽をだし育った"ど根性花"

血内外来が近づくにつれ、どうしても「もしも再発していたら」という不安はつきまとうもの。
高熱を出すことはなかったけれど、すぐに喉が痛くなって抗生剤のお世話になるし
なんとなく体がだるくて、家事もかなりサボっているのにすぐ疲れてしまいます。

そういうことに伴ってか、もともとの性格が悪いのか(?)
メンタルな心の浮き沈みやイライラ・怒り・泣きの爆発がいまだにあります。
これは精神科医にもかかっていて、そういうことがあって当たり前なのですよ。
そういう自分が嫌になるのも自然なことなのだから、と言ってくださいます。
とてもよく話を聞いて下さる先生です。必ず90分は待つのですが、先生は私の心のオアシス。


これは6月頃、下から見ると、こんな実がなっていました。


前回の外来から今までの間に2度の微熱+喉の痛み、足裏と掌の猛烈なかゆみとただれ(水虫ではないと判明)、鼻血が少し。
それからなんと、月のものがきたんですよ!!これにはビックリしましたΣΣ(゜д゜lll)
帯下があるなと思っていたら、その後少しずつ出血し、ちまちまと1週間。

抗がん剤でここんとこはもうすっかり殺られてしまったと思い込んでいたので衝撃でした。
ああ~~めんどうくさいもんがまたーー!!
ていうことは、更年期障害もやってくるということだね(--〆)
もしかして最近のイライラや動悸は更年期障害なのか??








1月21日3月14日4月25日5月23日6月27日8月1日
白血球(×10^3/μL)1.31.92.41.93.92.5
ヘモグロビン(×g/dL)9.510.210.611.511.811.0
血小板(×10^4/μL)22.19.413.911.412.213.2
好中球(/μL)85013241608115531471640
WT1mRNA定量(copy/μgRN)検査せず50未満25016050未満検査中
CRP(mg/dL)0.060.060.130.145.230.36

前回の外来時は風邪をひいていたので白血球の数が高いのですがこれは風邪によるものだろうと。
今回の2500という数字が私にとては「普通ライン」なのかもしれません。


話は変わりますが、入院中は拾い読みしかしていなかった「白血病闘病記」を最近読むようになりました。

「生きること教えること」森田敏之(2004年)小学校教師AMに。生きて教壇に立つことを目標に奮起。克服。
「無菌室ふたりぼっち」今田俊(2010年) 新聞記者AML。移植後克服。同時期にAMLだった戦友は亡くなった。

・自分が多量の抗がん剤いわば毒薬を体内に取り込み、生還したところで、きっとどこかで再発はやってくる。
・骨髄移植はドナーがいたとして、前処置・GVHDを乗り越えたとしても、その後の生活が以前と同じになる可能性はあるのか。
・一緒に戦っていた患者の死をうけ、なぜ自分はいきているのだろうか、と本音をもらす。
・寛解して自宅に戻るも、何十年か先だったはずの死が間近に迫っているものとして思考してしまう。
・もうあの治療地獄・孤独な無菌室はごめんだ。
・再発したら、治療を拒否して穏やかに逝く選択はゆるされないのか。

このような心情が、どちらにも描き出されています。
今田さんのほうが、重い感じで、うちの母は読むのがつらかったと言ってました。

でも私にはわかる。どんなに暗く重い言葉でつづられていようとも、それが白血病罹患者の本音であるのです。

世間では、われわれを励ますために、いろいろな言葉を投げかけてくださいます。

「移植で治るんだもの、子供が、夫がいるんだもの、仕事があるんだもの、親より先になんてだめよ」

「助かる見込みがあるんだから」「無念に亡くなった人の分までがんばらなくちゃ」

「おかあさんは、生きているだけで、それだけでも十分、おかあさんなのよ」

私も何度も何度もそう言われました。
発症した時は自分でもそう思っていたし、前出の森田敏之先生のように、早く職場に帰るんだ!!と
それしか頭の中にはありませんでした。

退院から半年たって、家族も含めて周りは、元気になってよかったね、と声をかけてくれるし
自分でも、骨髄抑制や副作用で辛かった時のこと、忘れているときさえあります。

それでも、今回足を怪我しましたが、筋の損傷はないようなのに皮下が内出血で真っ青になってパンパンにむくんで膨れ上がっていたので、
「血小板が足りなくて中で血が止まらないのでは・・・」といらぬ心配をしてしまいました。
この数日も夜しっかり眠っているにも関わらず昼間も熟睡するほどの眠気と疲れがあり、
そんなことですらつい、「再発」に結びつけてしまっていました。


きっとまた9月の外来のときも、同じ気分になるんだろうなあ~~((笑))。


でも、もう、それはそれでしかたないね。(・へ・)
きっと白血病サバイバーはみんな同じように多少は、気にしたり悩んだりしているとは思うの。



さ~^^



夏休みもあと少し!

今年は、楽しいことしたり、懐かしい友達に、たくさん会うんだ!!

そして今年中に子供が通う小学校のすぐ近くに有料老人ホームがオープンするらしいので(まだ更地)

そこで事務でも雑用でもいいから雇ってもらって、傾聴とかレクのお手伝いさせてもらえたらな。


朝に昼に「あまちゃん」を見て元気もらってるんだ(^_-)v

私のばあいは、細ーく長ーく!! 「細巻」精神で生きてくよ! 


細いものにも巻かれてちょうだいよぉ~~~゜・:,。★\(^ω^ )人( ^ω^)ノ★,。・:・゜


誰も手をかけなくても、こんなに大きくなるんだね。
白い、大きな花を咲かせます。なんていう花だろう?


【おまけ】白血病闘病記ではないですが、これも読みやすく参考になりました。

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