SASHIMIMAMA-since2006-

子3人、離婚しました。
2012 急性骨髄性白血病M1
化学療法で寛解維持

3.11

2015年03月11日 | 思い
3年前の5月、白血病と診断された。


4月はいろんな症状を我慢して我慢してフラフラしていたから

きっと3年前の今頃白血病細胞は増殖していたにちがいない。


今こうして元気に暮らしていることを感謝しつつも、

やっぱりちょっとだけ心に傷を負ったままになっている。



4年前の3月11日、東日本大震災。


大きな被害を受けて生き延びて来られた方々の闘いは今も続いている。

心情を思えば、私の病の経験などはなくそみたいなもんだ。




テレビで、被災当時のことや避難生活を語ってくださる方がいる。

元気を取り戻して生活しているとしても心の傷は癒えないだろう。


彼らの話に、耳を傾けなければならない、と心から思った。

聞いてくれる人がいるということだけでも救われるのであれば

傾聴する、(メディアを通してだけだとしても)ことが

今の私には唯一できることかもしれない。



そんな風に思ったのは


ちょうど「マッサン」で、終戦の頃の話をやっていることもあり

戦争体験を語った祖母のことを思い出していたからだ。



70年前の3月10日、東京大空襲。

私の祖母は赤ん坊だった叔父をおぶって墨田区の戦火の中を逃げ惑った挙句

貯水池に飛び込んだ。このまま死ぬのだと思ったそうだ。

泣き叫ぶ背中の赤ん坊の泣き声を聞いて我に返り

人の手を借り貯水池から這い上がり、赤ん坊とともに生きていくこととなった。

祖父は出征していなかったので空襲の中で消火活動をしており行方不明のままである。

私の父は疎開していたので空襲にはあっておらず、今の私がいる。


この話は、私がものごころついた時から祖母が20年前に亡くなるまで

何回も何回も何回も聞かされた。

子供だった頃は「またその話~?」と逃げ出したこともあった。


若い世代に伝えようとか戦争はいけないとかいう趣旨ではなく、

おそらく自分のこの恐ろしい経験を話さずにはいられなかったのだろう。

祖母が50年ほど抱えてきた心の傷はとてつもなく大きく深かったのだ。



あの頃に戻れるなら祖母の話をもう一度聞いてあげたい。



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