阪神間で暮らす-2

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

I am not Abe.   日韓負担!?非核化費用は天文学的金額か  トランプに言われたまま?

2018-06-14 | 日記




 世界に対し、安倍首相がやっていることが本当の日本の姿じゃないと思い、 『 I am not Abe、 』 と声をあげる、Yuriko & Maeharaも追加だな。



   2017年都議選票前日の7月1日、安倍首相の「ホームグラウンド」とも言われているJR秋葉原駅前で、安倍首相は都議選初の街頭演説を行った。同駅前には日の丸の小旗を振る自民党の支援者が集まったが、聴衆の一部からは「安倍辞めろ」「安倍帰れ」などのコールが発生。声は次第に広がり日の丸の小旗を持った人達も「帰れ」「帰れ」とコールした、これに対して首相は「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と怒りを露わにした。いつも国会で率先してヤジを飛ばしているのに! 
   
そして聴衆を指差しながら一際大声で言い放ったのが
   「こんな人たちに負けるわけにはいかない」




  2017年2月17日の衆議院予算委員会において、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれは、もう私は総理大臣も、そりゃもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」


  14年の選挙の時は『来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。』 と言っていた。


  元官僚の古賀茂明氏は氏の著書「国家の暴走」に安倍首相の事を
  「この人物は、いとも簡単に、しかも堂々と、嘘をつける人間なのだ。」 と書いている。


 安倍政権が進めるアメリカのためのTPP批准に反対します。


  忘れていませんよ、12年の選挙時に貼られたポスター、どうなっているでしょう。
  言っている事とやっていることがさかさま。安倍自民は単にアメリカの隷属政党。

  「日本を耕す自民党」と言うのは外資に対し日本から搾取しやすいようにする。事か?
  「ウソつかない。」自体が嘘



  TPP、ISD条項で日本の国家主権は破壊されコングロマリットの餌食に
  

  農業だけじゃないよ、食料、医療、特許、環境、労働、投資、衛生植物検疫、越境サービス など21分野

  自民党が2012年暮れの衆議院選挙で公約したTPPに関して、自民党のウェッブをチェックしよう。

   
 拡大すると
   



 安倍政権の進めるアメリカのための戦争法施行および帝国憲法への改憲に反対します。



 〈あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。世界によって自分が変えられないようにするためである〉ガンジー

 〈一番こわいものはテロリストでも大不況でもなく、いつの間にか私たちがいろいろなことに疑問を持つのをやめ、気づいた時には声すら自由に出せない社会が作られてしまうことの方かもしれません〉アメリカで医療破産したある女性(堤未果、ルポ貧困大国アメリカⅡより)




 06/14(木)

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米朝会談でトランプ骨抜き 恐るべし金正恩“ジジ殺し”テク  【日刊ゲンダイ】

 史上初の米朝首脳会談を制するのはトランプ大統領か、金正恩朝鮮労働党委員長か――。世界の注目を集める中、シンガポールで開かれた、12日の会談。フタを開けてみれば、勝者は金正恩委員長だったというのが、現地で取材した報道陣の一致した見方だ。

 通訳だけを同席させたトップ会談、拡大会談、ワーキングランチを経て、2人は「シンガポール共同声明」に署名。南北首脳会談での板門店宣言を再確認し、「朝鮮半島の完全非核化」を約束。トランプ大統領は北朝鮮の体制保証を確約する一方、米朝がつばぜり合いを続けてきた「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」の文言は明記されなかった。

 トランプ大統領と金正恩委員長が初めて顔を合わせた瞬間、勝負あったといっていい。はにかみ笑顔を浮かべた金正恩委員長から「ナイス・トゥー・ミーチュー、ミスタープレジデント」と声をかけられたトランプ大統領は破顔。「金委員長の真剣度は最初の1分で分かる」と吹かしていたが、ほんの1秒で骨抜きにされてしまったようだ。拡大会談中はテーブル越しに何度も握手を求め、大統領専用車「ビースト」の車内を見せるシーンもあった。単独会見では金正恩委員長を「頭がいい」「才能がある」「性格が良い」「誠実で、大胆かつ生産的な人物」と全方位的にベタ褒めだった。金正恩委員長が神経をとがらせる米韓合同軍事演習を中止する意向も表明した。

 金正恩委員長は叔父を迫撃砲で処刑し、腹違いの兄を毒殺した疑いのある残忍な独裁者だ。ところが、南北首脳会談では文在寅大統領を手玉に取り、中朝首脳会談では関係が悪化していた習近平国家主席と和解。これまでのトップ会談を振り返ると、恐るべきジジ殺しぶりを発揮している。明大講師の関修氏(心理学)は言う。

 「長幼の序を重んじる朝鮮半島文化の影響があるのかもしれませんが、金正恩委員長が親子ほど離れたトランプ大統領に対して控えめに接したのは奏功したと言えます。どんな時でも威張りたがるトランプ大統領の心をくすぐった。相手の目を見つめながらニコニコとうなずく姿も警戒心を緩ませる。金正恩委員長は男兄弟の中では末っ子だといいますから、甘え上手な一面もあるのでしょう。非常に非常にシタタカな人物です」

 もっとも、トランプ大統領も百戦錬磨のビジネスマンだ。メリットがなければテコでも動かない。

 「11月の中間選挙を控えたトランプ大統領に、金正恩委員長が“プレゼント”を用意した可能性がある。7月に平壌、9月にワシントンで首脳会談を開く計画のほか、核弾頭や核関連物質の一部をIAEA査察団の立ち会いのもとで解体、あるいは米国へ搬出するのではないか」(米韓関係筋)

 だとすれば、トランプ大統領が「何度でも会う」と言い切ったのも納得だ。

(日刊ゲンダイ特派・太刀川正樹)
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 「長幼の序」かあり得るな、でもこれまでの獰猛なまでの権力への執着、まあその裏返しなのかもしれない。
 


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日韓負担!?非核化費用は天文学的金額か  【日刊スポーツ】

 ★米朝首脳会談は1度で物事がすべて進むほど、朝鮮半島政治の複雑さと朝鮮戦争の傷痕は容易に“解決”するほど簡単ではないことを世界に思い知らせた。米国の情報によれば北朝鮮は12~60個の核兵器や、300~400カ所の核関連施設を持つといわれる。その現実の前に今回のあいまいな合意には政治的セレモニーの色彩が強いだけでなく、米朝会談の実施ありきで今後も交渉は続くことを示唆した。

 ★非核化実現の工程は合意声明にも盛り込まれず、ただただ米トランプ大統領は非核化の費用を日韓両政府に負担させる考えを強調した。早速国内では議論沸騰だ。非核化の費用はその方法によっては天文学的金額になり期間も作業開始から7、8年はかかるだろう。首相・安倍晋三は積極的平和主義をうたうが極東の平和を得るための負担は我が国の防衛費と同等の意味合いを持つはずだが、トランプに言われるとなんでも言うことを聞くのでこの法外な命令をどうさばくか注目だ。

 ★北朝鮮が暴走し核の脅威がもたらす安全保障のための国防費増額について、国民は容認してきたし政府も国難とあおってきた。では核廃棄のための予算が組まれると国防費は減額されるのか。そのデリケートな部分を、共同声明は非核化の範囲を北朝鮮とせず「朝鮮半島」としたことからもわかるように、北朝鮮が一方的に非核化しなくてもいいようにも読み取れるようにしてあいまいにさせた。在韓米軍の核撤廃と北朝鮮の核廃棄をパッケージで捉えれば、朝鮮半島に核廃絶はないかもしれない。つまり緩やかな現状維持。平和の議論の1歩ではあるが前進というにはあまりにもあいまいな入り口だ。
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 朝鮮半島の非核化、と言う事は在韓米軍も核を手放さなくてはならない、とすると米軍は韓国で保持しているであろう核を秘密裏に日本の基地に持ち込もうとするだろうし自公政権ではそれを阻止できまい、したい米隷属の外務省は無かった事にしてしまうだろう。


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シンガポール「安倍首相の推薦」NHK岩田解説委員が珍解説  【日刊ゲンダイ】

「完全な非核化に断固取り組む」。トントン拍子で進んだトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の首脳会談。会談の様子を生中継した日本のテレビ局は懐疑的な見方を示す“専門家”や記者をそろえ、「CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な廃棄)に向けた北朝鮮の明確なコミットメント(約束)を引き出せるかがカギ」「交渉術に長けたトランプは簡単には妥協しない」などとシタリ顔で解説していたが、どれも大間違いだった。

 まっ、テレビに北朝鮮情勢の分析を期待してもムリなのは分かっているが、とりわけ酷かったのがNHKだろう。中継早々、政治部の岩田明子解説委員がこう言い放ったのにはズッコケた。

 「(安倍首相が)トランプ大統領との電話会談で会談場所を板門店か、シンガポールにしようかと迷ってる場面があって『シンゾーはどう思うか?』と問われた時に、シンガポールを推薦した」

 さすが“安倍親衛隊”と揶揄される岩田氏である。北朝鮮をめぐる国際情勢で「蚊帳の外」に置かれた安倍首相の存在感をアピールしたくて発言したのだろうが、さすがに無理がある。ちなみに〈初の米朝首脳会談の開催地シンガポール なぜ選ばれた?〉と題したニューズウィーク誌(5月15日付)によると、米朝会談の場がシンガポールとなったのは〈米国と北朝鮮、両方の大使館がある〉〈安全保障面で米国寄りで、会談中、米軍が最大限の警戒態勢を敷くことが可能〉――との理由だったようだ。記事には安倍首相の「ア」の字も出てこない。岩田発言にはネットでも〈フェイクだ〉と大ブーイングだった。

 NHKは、トランプ会見の途中、安倍首相の囲み会見を生中継。「拉致問題については、日本が直接しっかりと北朝鮮と向き合い、2国間で解決していかなければならないと決意をしている」との発言を報じていたが、これまで「対話による問題解決の試みは無に帰した」(昨年9月の国連総会)とふんぞり返っていた男の戯言をもっともらしく伝えてどうするのか。元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏はこう言う。

 「今のNHKは、とにかく安倍首相がやることなすこと、すべてが立派とヨイショ報道している。米朝首脳会談の立役者が安倍首相のように報じるなんてどうかしています。政府広報以上の政府広報ですよ」

 外交オンチの安倍首相なんて「お呼びじゃない」のだ。
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 もし助言を求められたら私なら日本、東京を薦めるだろう、治安はまあまあ米軍はたっぷりいる、民衆の制圧は国会前デモで慣れている、そしてトランプはすでに来て知っている、シンガポールよりいいですよ金正恩の飛行機でも到達できますよと。
 ただただ安倍支持のネトウヨを満足させるためのよいしょ解説など受信料を払っているNHK受信者は求めていない(と思うけど)のではないか。
 


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京大に琉球人など267体の遺骨返還求め提訴へ  【週刊 金曜日】

 戦前、人類学者らが沖縄の墓から持ち去った遺骨を保管している京都大学に対し、遺骨返還を求める訴えを今夏にも京都地裁に起こす動きが出てきた。琉球民族遺骨返還研究会の松島泰勝代表(龍谷大学教授)が5月20日、沖縄県内で開かれたこの問題に関するシンポジウム(琉球民族独立総合研究学会主催)で明らかにした。アイヌ民族関係の遺骨返還訴訟はあるが、琉球人遺骨では初めて。

 同研究会が返還を求めるのは、昭和初期に沖縄県今帰仁村の百按司墓から採取されたとみられる26体。琉球王朝系列の按司(地方支配者)の代々の墓とされ、子孫や関係者、沖縄県内外に支援を求める集団訴訟にする構え。松島代表は「返還要求は先住民の自己決定権行使」とし、先住民の遺骨返還の権利を規定する「国連宣言」(2007年)に則って争うという。

 百按司墓遺骨では、松島代表が17年8月、京大総長あてに遺骨返還の要望書提出と情報開示請求をしたが、京大は個別の問い合わせには応じないと返答。マスコミ取材も退ける対応をとってきた。

 「遺骨」シンポは3人が登壇。松島代表は背景にあるのは「日本の植民地主義の問題だ」と指摘。国政調査権に基づき京大の保管状況を照会した照屋寛徳衆院議員(社民)は「プラスチック製の箱にご先祖の骨を収め、怒りがわいた」。『琉球新報』の宮城隆尋記者は「先住民族の人権を侵害し続けている」と捉えた。

 奄美人の遺骨返還の最新の動きも報告された。鹿児島県奄美地方では今春、返還運動を開始。「京都大学収蔵の奄美人遺骨の返還を求める会」が遺骨を持ち去られた奄美大島、徳之島、喜界島で立ち上がり、5月18日付で国に早期返還の要望書、京大には返還要求書を送った。京大には3島計267体が保管されているとされ、3島の「求める会」を束ねる原井一郎事務局長は「琉球・アイヌ関係者と情報交換、共闘していく」と話す。

 (土岐直彦・ジャーナリスト、2018年6月1日号)
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 何なんだろう、京大が遺骨収集して何をするつもりなのか、一般公開しているわけでもなくさっさと返還すればいいと思うが17年8月に遺骨返還要望書を受け取りながら何もしていないように見える、山極総長にはちょっとがっかりだ、この件と言い東山通のタテカン撤去といいなんなんだろう。タテカン撤去は文科省に対する忖度じゃないかと言われているが遺骨も文科省から返還するなとでも言われているのかも。
 それとも学術的な意味で粉砕してDNAの調査をしてその後捨ててしまったので返せない、いずれ学術的意味があったとしても検査のために粉砕したとしても粉砕する前に了解を得るべきだったろう。
 


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森友問題で新疑惑 国交省が学園側の借金の一部を“保証”  【日刊ゲンダイ】

 森友学園への国有地売却問題をめぐり、新たな疑惑が浮上した。

 8億円もの大幅値引きに加え、森友の借金の一部の“保証”までしていたのだ。

 森友と国は2016年6月、大阪府豊中市の国有地を、評価額からゴミの撤去費用約8億2000万円を差し引いて約1億3400万円で売却する契約を結んだ。その4カ月後、森友は銀行との間で、建物建設資金として10億円を限度に借り入れる金銭消費貸借契約を結んだ。その際に、森友は、国が国有地売却契約を解除して小学校建設が頓挫した場合、国から返還される約1億3400万円を銀行が優先的に差し押さえられる「質権」を設定。森友と銀行は国有地を管理していた国交省大阪航空局にこれを申請し、同局の局長名で承認された。

 質権設定は不動産に担保を設定する場合と異なり、銀行にとっては貸付金をスムーズに回収できるメリットがある。森友の借金返済の一部について、国が“お墨付き”を与えた形だ。

 この問題について、共産党が12日、国会で関連資料を公表した。財務省や国交省はなぜこれほどの優遇をする必要があったのか、徹底究明が急がれる。
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 理由はただ一つ、安倍昭恵。
 打ち出の小づち、水戸黄門の印籠、これを手に入れたら何でもできた。
 

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異次元の金融緩和から5年…地方の金融機関が壊れ始めた  【日刊ゲンダイ】
 金子勝の「天下の逆襲」 立教大学大学院特任教授・慶応義塾大学名誉教授金子勝氏

 異次元の金融緩和も実施から5年が経ち、いよいよ副作用の懸念が強まってきた。

 先日、金融庁が、昨年の決算を踏まえて「福島銀行」と「島根銀行」に業務改善命令を出した。業績が悪化したためだ。いまや、どこの銀行も、日銀が導入したマイナス金利のために従来のビジネスモデルが成り立たなくなっている。利ザヤを稼げなくなっているのだ。

 メガバンクは、AIの導入による効率化を名目に大規模なリストラを実施すると発表しているが、実際はマイナス金利によって収益が低下していることが大きい。

 異次元緩和の副作用が、より深刻なのは地銀や信金、信組だ。すでに赤字が表面化している。収益を求めてシェアハウスの個人オーナーに貸し付けをしていた「スルガ銀行」は、データを改竄していた。そもそも、地域の金融機関は、地域経済が衰退しているため貸付先も少ない。

 経営が圧迫される中で、日本の金融機関は“投機的格付け”の高利回り債や個人ローンの担保証券など、海外のリスク資産をどんどん買い込んでいる。収益を確保する貸出先がないため、危険を承知しながら買っているのだろう。日銀によると、海外クレジット投資は73兆円に膨れ上がっているという。一方、貸金業法の抜け穴を使う形で、銀行窓口で個人カードローンを貸し付け、多重債務者を増やしている。

 すでに地方銀行の合併は急ピッチで進んでいるが、合併に取り残される地方銀行も出てくるだろう。取り残された地域金融機関は、破綻する恐れはゼロではない。イタリアの経済危機が引き金になるかも知れないし、株暴落が誘発するかも知れない。日本経済そのものも、2020年の東京オリンピック前に悪化する可能性もある。日本経済は爆弾を抱えているようなものだ。

 もちろん、地域金融機関が破綻しても、かつての金融危機のように、融資先企業の経営不安を次々に呼び起こすことはないだろう。大手企業だけでなく中小企業も多額の内部留保をため込んでいるからだ。しかし、日本全体がよどんでいく。

 地域の金融機関は、異次元緩和に大打撃を受け始めている。黒田バズーカ砲に直撃されている格好だ。
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 身を守りために地域の銀行が合併あるいは連携しようとすると独占禁止法?的に地域での競争が無くなると待ったをかける、これじゃ高リスクの海外のリスク資産に手を出してしまうのもわかるが、これじゃ一般市民は救われない。
 
   

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高プロ対象広がる懸念 省令で規定 国会経ず変更可  【朝日新聞】

 参院で審議されている働き方改革関連法案で、労働時間の規制を緩める高度プロフェッショナル制度(高プロ)の対象が、ずるずると広がるおそれが指摘されている。具体的な対象業務は「省令」で定めるため、いったん導入されれば国会審議を経ずに変えられるからだ。過去の規制緩和で前例があり、法律家から「アリの一穴」になることへの懸念が出ている。

 高プロを適用された人は長時間労働を強いられ、過労死につながると野党は批判している。法案では、対象は「高度の専門的知識などが必要」で「働いた時間の長さと成果との関連性が通常高くない」業務とされ、具体的には成立後に厚生労働省の省令で定める。政府は金融商品の開発、デイーリング、アナリストなどを想定例に挙げる。

 「省令」は大臣が法律に基づいて出す命令だ。似たものに、閣議決定が必要な「政令」や、それらをさらに詳しく補う「告示」があり、どれも国会の審議なしで出したり変えたりできる。そのため、13日に埼玉県であった参院厚労委の地方公聴会でも、高プロの対象業務を「省令」に委ねることに疑間の声が出た。

 実際に、省令や政令の改正などで労働規制を緩める制度の対象が広げられてきた例はある。その代表的なケースが労働者派遣法だ。

 雇用を不安定にするとの批判があり、1985年の創設時は対象が政令で13業務に限定された。労働者側は「容易に拡大されうる」と懸念していたが、実際に直後の86年、96年に種類が追加。99年には法改正で原則自由化され、2003年には製造業への派遣まで解禁されて「雇用の調整弁」として定着した。08年のリーマン・ショツクでは多くの派遣労働者が職を失った。派遣で働く人は86年度の約14万人から14年度は約263万人に増えた。

 高プロと同様に労働時間規制を緩める制度で、実際に働いた時間に関わらず一定時間を働いたとみなす裁量労働制も、対象が広がってきた。87年の創設当初は今の「専門業務型」しかなく、対象も新商品開発や報道など5業務だったが、告示で追加されて19業務まで拡大。98年には、事業の企画・立案などに携わる人に広く適用できる「企画業務型」が新設された。

 どちらも、まずは政令や告示で対象を広げたあと、法改正してさらに広げられてきた。高プロは、適用者の収入も「給与の平均額の3倍を相当程度上回る水準」と法案で定めて年収1075万円以上が想定されてはいるが、将来的に法改正で緩められない保証はない。

 こうした懸念に対し、政府は、省令改正には労使代表らが参加する労働政策審議会(厚労相の諮問機関)を経る必要があるため、対象業務は恣意的には増やせないなどと説明している。だが、労働法制に詳しい塩見卓也弁護士は「そもそも高プロは、労政審では労働側の反対意見がほとんど無視されて法案化された。成立後の労政審で労働者側の意見が反映されるという説明には全く説得力がない」と指摘する。

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 上西先生が指摘されていたようにまったくのデタラメの法案提出、聞き取りはただの一人、年収1075万円とされているが、月20万円で事業終了時に835万円を支払うと言う事でも違法ではない、法令の部分に違反事項が書かれていないから法違反として訴えられない、などなど決して高度プロフェショナルのための法律ではなく、際限なく24時間残業代や超過勤務費無しに奴隷的に働かせるための法律だ。


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米軍F15、墜落から2日で飛行再開 事故原因示さず  【沖縄タイムス】

 米空軍第18航空団は13日午前7時52分、墜落事故を受けて一時中止していた嘉手納基地所属のF15戦闘機の飛行訓練を再開した。2機が離陸し、午後4時ごろまで約20機が離着陸を繰り返した。米軍は事故原因や再発防止策を示していないが、小野寺五典防衛相も飛行再開を事実上追認した。原因究明までの飛行停止を求めていた県や地元自治体は、事故からわずか2日後の再開に反発を強めている。

 翁長雄志知事は同日、「一方的に飛行を再開した米軍の姿勢は容認できず、飛行停止を求めなかった日本政府の当事者能力に疑問を持たざるを得ない」とのコメントを発表。地元の嘉手納町議会(徳里直樹議長)も墜落事故に抗議し、直ちに飛行再開を中止するよう強く求める決議案を全会一致で可決した。

 一方で小野寺防衛相は同日、防衛省で記者団に「米側が安全を確認し、今ある全機を確認した上での判断だと思う」と述べ、飛行再開に理解を示した。

 嘉手納基地では同日午前6時すぎ、暫定配備されているF22ステルス戦闘機も次々と離陸。F15と激しい騒音を出した。午後には、両機が空中給油輸送機KC135と共に離陸。空中給油訓練を行ったとみられる。

 嘉手納基地周辺の沖縄市と嘉手納町、北谷町でつくる「三市町連絡協議会」(会長・桑江朝千夫沖縄市長)は、第18航空団に飛行再開を抗議する方針を固めた。

 沖縄タイムスは18航空団に事故原因や再発防止策について質問しているが、13日現在で回答はない。18航空団は12日夜、報道各社へのメールなどで「今回の事故は嘉手納基地に所属するF15機全体の安全に問題があることを示すものではないと確信した」として、飛行再開を発表した。
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 防衛相は「米側が安全を確認し、今ある全機を確認した上での判断だと思う」と述べ、飛行再開に理解を示した。って何も確認していないんだね、沖縄に住んで騒音や墜落の危険の元、そのうえで防衛相は発言されたらどうだろう。







 Twitterコーナー、ご参考に

 立教大学大学院特任教授・慶應義塾大学名誉教授の金子勝氏のツイッター

 元外務省国際情報局局長の孫崎享氏のツイッター

 自由党の 小沢一郎事務所のツイッター

 社民党参議院議員 福島みずほ氏のツイッター

 東京新聞 政治部のツイッター

 東京新聞 ほっとwebのツイッター

 市民連合のツイッター

 関西市民連合のツイッター

 SADL大阪のツイッター

 上智大学 中野晃一教授のツイッター

 法政大学法学部 山口二郎教授のツイッター


 その他、こちらもどうぞ 
 
 

 

 

    
 

    
 

 

 

 

 

 



 

    
 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

    
 

    
 



 

    
 

 

    



昨日の神戸
 最低気温  18.1度(23:42) 前日差-1.8度)
 最高気温  24.8度(11:20) 前日差+0.5度)

  今朝の神戸最低気温  17.0度 (04:52)  5月上旬並み 平年より3.2度低い 
   、

今日の神戸の
   日の出     4時46分 (昨日 4時46分)
   日の入り   19時13分 (昨日19時13分)

       日の出は昨日と同じ、日の入りも昨日と同じ
夏至まで一週間

   今日の日の出から日の入りまでの時間: 14時間27分。

       

 北海道の南や東の低気圧がゆっくりと東へ移動、南の前線に低気圧が発生ゆっくりと琉球地方へ近づく、前線もゆっくりと東へ進んでいる、日本海の高気圧は動いているが停滞し日本海側の地域を覆う。
 沖縄は激しい雨、九州は曇り所により雨、四国は曇り、中国、北陸、東北は晴れ、近畿、東海は晴れから曇り、関東は曇り、北海道は曇り。
     
          
 明日の朝、琉球地方の前線に低気圧は四国沖に移動し陸に近づく、北海道付近の低気圧・前線は東へ離れる、日本海を東へ進み日本海側の地域を覆っていた高気圧は消滅、オホーツクの高気圧が薄く覆う。中国の南を東へ移動していた熱低が台湾で台風になる見込み。
 沖縄は雨、九州晴れ所により雨、四国は雨から晴れm中国、近畿は曇り時々雨、東海から東北までは曇りから雨に、北海道は曇りの予報。
     
     
     
     
 今朝は晴れ、山はすっきり、気温は上がるが湿度は低めで快適、午後には曇り、夏日。
 今日の神戸の最高気温は  25.3度、昨日より 0.5度高く 平年より 1.1度低かった、今日の最高気温は6月上旬並みだった。
 明日は曇りのち雨、朝の最低気温は 19.9度、昼の最高気温は  22.5度、夜の最低気温は  17.8度。
     


 台風は

 熱帯低気圧が南シナ海を東北東へ進んでいる。






戦争責任者の問題

2018-06-14 | いろいろ

より

*****
戦争責任者の問題 伊丹万作


 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏につとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)




底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
入力:鈴木厚司
校正:田中敬三
ファイル作成:
2006年5月5日作成
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