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阪神間で暮らす-2

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある

2018-08-18 | いろいろ

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大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある
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現在、全国で公開中の映画『沖縄スパイ戦史』。住民を動員して行われた「スパイ戦」、強制移住によって多くの住民が犠牲になった「戦争マラリア」など、これまでほとんど知られていなかった沖縄戦の側面を、多くの人たちの証言で描き出すドキュメンタリーです。この映画を、マガ9でもおなじみのジャーナリスト・三上智恵さんとともに監督したのは、三上さんの琉球朝日放送での後輩でもある大矢英代さん。弱冠31歳という若い世代の彼女が、なぜ今「沖縄戦」を取り上げたのか。沖縄との出会い、取材の中で感じたことなど、お話をうかがいました。

責任感と悔しさ。留学先のアメリカで出会った「沖縄」

──三上智恵さんと共同監督された、沖縄戦がテーマの映画『沖縄スパイ戦史』が公開中です。大矢さんはもともと千葉のご出身ですが、沖縄とのかかわりはどこから始まったのですか。

大矢 大学3年生のとき、アメリカのカリフォルニア大学に留学したんです。そこで、アメリカ人外交官が特別講師を務めるあるワークショップに参加したのがきっかけでした。彼は対日政策を専門にしている外交官だったのですが、私を見て「今日は日本人留学生がいるから」といって、沖縄にある米軍基地についての話を始めたんですね。
 それまで私は沖縄に行ったこともなかったし、正直なところ基地の問題にもそれほど関心があったわけではありません。国連職員や難民キャンプでのボランティアにあこがれたりと、国内よりも海外にばかり目が向いていた時期でした。それでも、その外交官の話には、「おかしい」と感じることがたくさんあったんです。

──どんなことですか?

大矢 「米軍基地があることで、沖縄は経済的に助けられている」とか「米軍は沖縄の人々とフレンドリーな関係を築いていて、住民はみんな米軍に対してウェルカムだ」とか……。沖縄で米兵による事件が多発していることや、基地建設に反対する県民大会が開かれていることは知っていましたから、それはおかしいんじゃないかと思って、授業が終わった後に講師のところへ行ってそう伝えたんです。
 そうしたら、彼は鼻で笑って「いいかい、沖縄に米軍基地があることはグッド・ディール(いい取引)なんだよ」。北朝鮮や中国のような「クレイジーなやつら」が攻めてきたときに、日本人のかわりに米兵が死んでくれるんだから、というんです。
 それに対して、私はうまく言い返すことができませんでした。

──おかしい、とは思っても……。

大矢 そうです。沖縄に行ったこともなければ、そこに住む人たちの声を自分の耳で聞いたこともない。地元の人たちの抱える不条理を、自分の言葉で伝えることができなかった。そのことがとても悔しかったんです。
 同時に、「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね。そういう責任感と、うまく言い返せなかった悔しさと、二つの思いを抱えたまま留学生活を終えることになりました。




「戦争マラリア」って何? 「知りたい」思いに突き動かされて

──初めて沖縄に行かれたのは、その後ですか。

大矢 大学院に進学してからです。留学からの帰国後、どうしたら私は一番人の役に立てるだろうと考えた末に、もともと話したり書いたりするのが好きだったこともあって、ジャーナリストを目指そうと思うようになりました。それで、まずはスキルを身に付けるために東京の大学院に進学して。もちろん、ずっと「沖縄」は頭の中にあったので、1年生の夏のインターンシップ先に八重山毎日新聞を選んだんです。

──石垣島に本社のある地域新聞社ですね。

大矢 そうなんです。実は私、本当に沖縄のことを知らなくて……最初に社に行ったときに、「どんな記事を書きたいですか」と聞かれたので、「米軍基地の取材がしたいです」と答えてしまって。周りの方たちに大笑いされました(笑)。

──そうですよね。石垣島には、というか八重山諸島には米軍基地が……

大矢 そう、ないんです(笑)。「何しに来たの」、って笑われるところからインターンシップがスタートしました。

──でも、そこで「戦争マラリア」の問題に出会われた。

大矢 ちょうど、8月15日を向こうで迎えたのですが、朝刊の一面を見てびっくりしたんです。千葉で生まれ育った私にしてみれば、8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。
 「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で「強制疎開」させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で「強制疎開」なのか。住民たちがどんな体験をしたのか。記事を読んで「もっと知りたい」と思って。そこから、戦争マラリアの体験者を訪ね歩く取材を始めたんです。

──いかがでしたか。

大矢 お会いすることはできても、なかなか話していただけないことが多かったです。「もう終わったことだから」「なんでいまさら話さなきゃいけないの」という感じで。それでも何人もお話をお聞きすることはできたし、「疎開」先の土地にいっしょに行かせてもらったりもしました。でも、それぞれの人の人生そのものに迫るといったような、深い取材ができたわけではなかった。
 それもあって、インターンシップが終わって東京に帰ってからも「戦争マラリア」のことはずっと心に引っかかっていました。「インターンシップどうだった?」と誰かに聞かれて「戦争マラリアの取材をね……」という話をしても、「何それ?」となってしまう。
 あれだけたくさんの人たちが亡くなった、八重山の人たちにとってものすごく大きな出来事だったのに、東京ではまったく知られていない。考えてみれば1カ月前までの私もそうだった。この、「見えない壁」みたいなものはなんだろうと思いました。単なる私たちの無知なのか、それとも誰かが意図的に「知らさない」ようにしてきた結果なのか……。
 そういうことをずっと考えた末に、この「戦争マラリア」を私の大学院生活のテーマにしよう、そのドキュメンタリー映像を卒業制作にしよう、と決めたんです。

──そのときには、文章ではなくて映像をやりたい、と思われていたのですか。

大矢 3週間新聞記者をやってみて文才の無さに気が付いたというのもありますが(笑)、これからいついなくなってしまうか分からない戦争体験者の肉声を伝え残すには、映像という手段が一番いいと思いました。
 それに、映像って、作り手自身の姿もそこに投影されると思っていて。私は、戦争マラリアの問題を見つめる23歳の自分自身を問う手段として、映像を選んだということだと思います。


波照間で見えた「ジャーナリストとしての原点」

──それで、また沖縄に行って取材を?

大矢 もっと取材をしよう、と思ったときに考えたのが、東京と沖縄を行ったり来たりする形ではやれないな、ということでした。私自身がもし体験者だったら、遠くから突然来た人に自分の傷口を開いて話をしたのに、その人はすぐ帰ってしまってその後自分が話したことがどうなったのかもわからない……というのはつらいだろうな、と思ったんです。
 それで、ちょうど学生で時間もあったし、1年間休学して、現地に住み込んでしっかり人間関係をつくりながら取材しよう、と決めたんです。それで、向かった先が波照間島でした。

──石垣島からも高速船で約1時間の、「日本最南端の有人島」ですね。インターンシップ先は石垣島だったのに、どうしてまた波照間へ?

大矢 戦争マラリアの被害が一番大きかった島だというのが一つ。そして、こちらが本当の理由なんですが、インターンシップ中に波照間に遊びに行ったときに出会った、あるおばあちゃんに惚れ込んでしまったんです。
 たまたま島を散策していたときに知り合って、家におじゃまして夕飯をごちそうになったりしたんですが、実はそのおばあちゃんもまた戦争マラリアの被害者だったんですね。家族11人のうち、彼女と妹を除く9人が犠牲になったという人でした。

──『沖縄スパイ戦史』にも証言者の一人として登場されていますね。

大矢 そうです。浦仲のおばあというんですが、彼女の話を聞いているうちに、顔に刻まれた皺とか、澄んだ瞳とか、その何もかもにすっかり惚れてしまって。彼女のいる波照間に住みたい、と思ったんですね。
 それで、事前におばあに手紙を出して「家に泊まらせてもらえないか」とお願いしたら、浦仲のおじいのほうから「いいよ、おいで」という返事が来たので、意気揚々と向かいました。でも、浦仲の家の門を開けて「来たよー」と声をかけたら、出てきたおばあが私を見て言った言葉は「あんた誰ねー」でした……。

──え?

大矢 夏に会ったことも、一緒に夕食を食べたことも、もう完全に忘れ去られていて。じゃあ、おじいの手紙は? と聞いたら「誰か分からなかったけど、どこかの子どもが波照間に来たいっていうから、いいよって書いたんだよー。ああ、あれがあんたねー」……。改めて「はじめまして」から始めて、無事に泊まらせてもらいました(笑)。

──大変な出だしですね(笑)。じゃあ、その浦仲家に泊めてもらいながら取材を?

大矢 そうです。でも行ったのが12月だったので、最初の3〜4カ月は毎日サトウキビ刈りを手伝っていました。1日8時間、ひたすら体を動かすんですけど、すっごくつらかったです(笑)。
 ただ、そうやって浦仲のおじいおばあや島の人たちと一緒に働いて、話をする中で、見えてきたことがあります。戦争マラリアって、蔓延したのは1945年の3月から夏にかけてなんですが、それで「終わった」わけではないんですよね。マラリアで家族を亡くしたために学校に行かずに働かなくてはならなくなったとか、目指していた夢が叶わなかったとか、一人ひとりの人生に後々まで影響しているんです。

──「戦争マラリア」があったことによって、命が助かった人たちのその後の人生もまた大きく変わってしまったわけですね。

大矢 そうです。島に行く前は、戦争マラリアばかりを見ていたんですが、1年間島で過ごしたことで、そこから続いてきた人々の人生が見えるようになったというか。単に「戦争体験者」という枠でくくるのでなく、まずは島に生きてきた一人の人間としての人生を描きたい、と思うようになりました。その分、撮った映像も豊かになった気がしています。

──波照間の言葉も学ばれたとか。

大矢 波照間のじいちゃんばあちゃん世代は、普段「ベスマムニ(“私たちの島の言葉”という意味)」という波照間島でのみ話されている言葉で会話しています。いわゆる「日本語」は日常会話ではほとんど使わない。同時に、学校で「方言札」(※)を掛けられ、苦しみながら「日本語」を習得してきた人たちです。さらに戦争マラリアのために、学校で学ぶ機会すら奪われてしまった。
 浦仲のおばあも「私は日本語がうまくできない」って今でも悲しそうに言います。最初にインタビューしたときも、一生懸命「日本語」で話そうとしてくれるんですけど、何度も「ああ、これはヤマトの言葉で何て言ったかー?」みたいになって、どうにも苦しそうなんですね。言葉に感情や記憶が乗ってこないんです。私は大学で第二外国語として韓国語を選択したのですが、もし「自分の思いを韓国語で答えろ」と言われ続けたらすごく苦しいな、それを私はおじいおばあたちに強いているんだな、と思いました。
 そのことに気付いてからは、「じゃあ、私が波照間の言葉を覚えればいいや」と思って、ばあちゃんたちの会話をひたすら聞いて、書き取って勉強しました。あと、三線と一緒に民謡を習って、歌いながら覚えたり。そういうことも、私にとって人間関係構築のための大事な時間でした。

※方言札…いわゆる「標準語」の使用を徹底させるため、学校で方言を使った生徒に罰として首から掛けさせた札のこと。東北、北海道などでも用いられたが、沖縄では特に厳しく、明治時代終わりから第二次世界大戦後まで使われていた。


──サトウキビ刈りといい、まさに生活の中で取材をした、という感じですね。話し手との距離感も違ってくるような。

大矢 そうですね。最初は、浦仲のおばあにも戦争マラリアのことは「話したくない」と言われました。「自分の家族があれだけ亡くなったのに、誰がそんなことしゃべりたいか」と。
 私自身も、そうやってつらい記憶を語ってもらうという、その人のかさぶたをはがしていくような──もしかしたら、まだかさぶたにさえなっていないのかもしれない傷口をこじ開けるような作業を、何のためにやらなきゃいけないんだろうと、ずっと悩みながらの取材でした。
 ただ、おばあや島の人たちと一緒に時間を過ごす中で、話を聞いたからには伝えるんだ、一緒にこの傷を背負って、二度と同じことが起きないための教訓にしていくんだ、と感じるようになりました。その意味で、自分のドキュメンタリストとして、ジャーナリストとしての原点をつくってくれたのは波照間島だと思っています。


つくられた「分断」を目にして、涙が止まらなかった

──その後、東京に戻られてからは?

大矢 しばらくは、ずっと編集作業をしていました。修士論文と一緒に、卒業制作として作品を出さなくてはならなかったので。周囲では就職活動の話も聞こえてきましたが、私にとっては編集作業のほうが重要だったし、「卒業してから考えればいいか」と。無事に作品は完成して卒業できたものの、進路は何も決まらないままでした(笑)。

──それが、三上智恵さんのいらした琉球朝日放送(QAB)で、記者として働くことになるわけですが……。

大矢 卒業が決まった後、ひとまず波照間の人たちに「無事に卒業できました」と報告に行こうと思って、沖縄に向かったんです。それで、那覇の空港で乗り継ぎ待ちをしていたときに、「仕事どうしようかなあ」と思いながら、スマホをいじっていて。ドキュメンタリーを、それも沖縄でつくりたいという思いはずっとあったので、「沖縄 映像 仕事」で検索してみたら、琉球朝日放送の「契約記者募集」が出てきたんですよ。三上さんとは以前、あるイベントでお会いしていましたし、「あ、これ三上さんのところだ!」と。しかも、条件が「すぐ来れる人」だったので、「これ私のことじゃん!」と思いましたね(笑)。
 それで、波照間に着いてからすぐ履歴書を出しました。ちなみに、原稿用紙2枚の作文を書かなきゃいけなかったんですが、波照間島には原稿用紙を売っているところがなくて。浦仲のおじいが出してきてくれた、古くて黄色くなったぼろぼろの原稿用紙に、「2枚しかないんだから失敗するなよ」って言われながら書いて、出しました(笑)。
 面接のときも波照間からそのまま行きましたから、背中にリュック背負って……でしたし、落とされてもしょうがないと思うんですが、無事に入社が決まったんです。QABの懐の深さには本当に、感謝ですね。

──QABでの5年間で、特に印象に残っている取材はありますか。

大矢 たくさんありますが、中でも忘れられないのは、2012年の7月19日、三上さんと一緒に行った高江取材です。その日、ヘリパッド建設に反対する人たちが座り込みを続ける中で、工事資材の搬入が強行されて。私はまだ入社して2カ月で、基地がつくられようとしている現場に立つのは初めてのことでした。
 撮影していて何より悔しかったのは、資材を搬入している業者も、それを身を挺してでも止めようとする人たちも、沖縄県民同士だということです。抗議する人が「あんたもウチナンチューなのに、なんで戦争のための基地をつくるのに協力するの」と言えば、業者は「俺たちも仕事だから」という。でも、やりとりを続けるうちに、互いの言葉のイントネーションから「あれ、あんた宮古島の出身なの、俺もだよ」みたいな話も出てきたりする。基地さえなければ、分断されなくて済んだ人たちなんですよね。
 それを見ながら、なぜ同じ県民同士が、日本とアメリカという二つの政府の取り決めで沖縄に集中的につくられた米軍基地の存在によってこんなふうに分断され、踏みつけられて傷つかなくてはならないのかと、悔しくてなりませんでした。しかも、刃を振るってその「分断」を生み出しているはずの当事者たちは、誰もその現場にはいないわけで。そういう状況を初めて目の当たりにして、泣けて仕方ありませんでした。


今だからこそ、戦争体験から学ばなくてはならない

──昨年春には、QABを退社してフリーになられました。

大矢 ハードな仕事で肉体的に疲れていたというのもあるんですが……ローカル放送であるQABにいて、年々悔しさが増していたということもありました。人々が分断されているこんなひどい状況を生んでいるのは「沖縄県民」ではなくて「国民」なのに、沖縄で起こっていることを知らなくてはならないのは「沖縄県民」よりも「国民」のほうなのに、という葛藤をずっと抱いていたんです。沖縄の報道現場で学んだ者として、沖縄を離れて、より多くの無関心な人たちに伝える仕事をしなければ、という思いがありました。

──そして今回の『沖縄スパイ戦史』につながるわけですね。

大矢 もともとは三上さんに、「テレビで沖縄戦の番組をやろう」と誘っていただいたんです。ただ、結局その企画は通らなかったので、せっかくだから映画としてつくろうということになって。最初は「予算もあまりかけず、1時間くらいの短いドキュメンタリーに」と言っていたはずが、結果的にはその倍の長さになってしまいましたが(笑)。

──共同監督という形ですが、取材や編集はどのように進めたのですか。

大矢 沖縄本島の取材は主に三上さんが、波照間のほか与那国島、石垣島、あとアメリカの取材は私が担当しました。取材中はLINEなどで時々報告し合って、それぞれの自分の撮影分を粗編集したものを持ち寄ってつなげる、という形で。最初につなげてみたときは5時間くらいあったので、それを少しずつ削って今の形にしていきました。

──完成・公開した今、どんな気持ちでいますか。

大矢 波照間にいたときから「やらなきゃいけない」と思いながらもやりきれなかったことが、やっとできたという思いですね。八重山での強制移住の真相や、その背景にあった陸軍中野学校卒業生たちによる作戦、そこから見えてくる沖縄戦の知られざる秘密戦の実態……。それも自分だけの力ではなくて、誘ってくださった三上さん、製作費カンパに協力してくださった方々はじめ、いろんなご縁が積み重なってできたものだと感じています。
 そう考えると、今これをつくりなさい、と誰かに言われてできたような映画のような気がします。戦後73年経って、なんでいまさら沖縄戦の話なの、と言う人もいるでしょうが、73年経ったからこそ伝えなきゃいけないんだ、という思いをこの映画に込めたつもりです。


──73年経ったからこそ体験を話せるという方もいるでしょうし、私たちにとっても、戦争体験についての証言を直接聞ける、本当に最後の機会にもなりつつあります。

大矢 私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います。
 「戦争体験者がいなくなる」というニュースを時々見かけますが、私はそれ自体は社会現象ではあってもニュースではないと思っています。本当に「ニュース」にすべき問題は、私たちがたくさんの人たちが語ってくれた戦争体験を、ただの「かわいそうな、つらかった記憶」にしてしまって、民衆がどんなふうに国家に利用され、捨てられてしまったのかという大事なところを学び取ってこなかったこと。だからこそ、安保法制が成立したり、沖縄に新しい基地がつくられるような、そんな状況になってしまっているのではないでしょうか。73年目を生きる私たちは、もしかしたらもう「戦前●年」を生きているかもしれない。今こそあの戦争から学ばなくてはいけないんだと思います。

──今後、取材したいテーマなどはありますか。

大矢 今年の秋からアメリカに行く予定で、最低1年は滞在したいと思っています。QAB記者時代に『テロリストは僕だった』という、イラク戦争で戦い、沖縄での基地反対運動に身を投じた元米兵を追ったドキュメンタリーをつくったので、その取材を続けたい。経済的理由から入隊した若者、ホームレス生活になってしまったり、PTSDで苦しんだりしている元兵士、軍で性暴力を受けた女性兵士……そうした人たちを、もっと丁寧に取材してきたいと思っています。

──『沖縄スパイ戦史』もそうですが、「軍隊」というものの本質が見えてくる内容になりそうですね。

大矢 そうですね。軍隊というものが「国防」の名の下にいかに兵士の人間性を破壊して機械化していくか、かかわった民衆を利用して捨てていくか、それはおそらくどこの国でも同じで。その部分を、もっと追及したいと思っています。
 波照間にいたとき、浦仲のおじい──昨年に亡くなられたのですが──にこんなことを言われたことがあります。「英代には、『学んだ者』としての責任があるんだ」。おじいやおばあの世代は、学校に行きたくても行けなかったし、行っても「国のために死ね」という軍国主義教育しか受けられなかった。本当の教育というものを自由に受けられなかった悔しさを、今も背負って生きているんだ、と。
 それに対して、私たちの世代は「自由に学ぶ」ことができる。その中で、沖縄戦を、戦争マラリアを学ぶということを決めたからには、ただ興味本位の学びで終わらせるのではなくて、「学んだ者」の責任を果たせるようにしっかりやりなさい、と言ってくれたんです。『沖縄スパイ戦史』をつくっている間、いつも心に抱いていた言葉ですが、これからもずっと心にあり続けると思います。

(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)



 『沖縄スパイ戦史』上映劇場情報


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生き残った兵士たちを監禁… 

2018-08-18 | いろいろ

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生き残った兵士たちを監禁… ミッドウェー海戦大惨敗を隠すために国がしたこと

 「あの戦争」から73年。今年4月に総務省が発表した資料によると、戦後生まれが日本の総人口の82.8パーセントを占め、「平成」生まれも25.6パーセントと4分の1を超えた。

 「戦争を知らない世代」が増えつづけていくことは、本来ならば喜ばしいことに違いない。それだけ「平和」が続いてきたということでもあるからだ。

『96歳 元海軍兵の「遺言」』の著者であり、戦争体験の語り部活動を続けている大阪市の瀧本邦慶さん(96)は、1941(昭和16)年11月、千島列島の海にうかぶ航空母艦「飛龍」の中で20歳の誕生日をむかえた。そのまま約2週間後のハワイ・真珠湾攻撃に向かい、翌42年6月のミッドウェー海戦にも身を投じた。敗戦の知らせを聞いたのは、「餓死の5分前」まで追いつめられた南太平洋の小さな島でだった……。


■17~23歳、青春時代=戦争

 瀧本さんは、1921年11月23日、香川県の農村でうまれた。そして17歳の初夏、海軍を志す。20歳の徴兵検査まで待たなかったのは、「大きくなったら兵隊さんになる。お国のために死ぬ。それこそ男子最高の名誉である」と信じていたからだ。それが当時の常識でもあった。両親も、学校の先生も、地域の人も上から下までそう思っていた。「これはおかしい」と疑問を感じるきっかけなどなかった。心の奥底はいず知らず、みんながみんな同じことを考え、同じ方向をめざしていた。子どもの戦死を親が言祝(ことほ)ぐ時代だった。

 最終階級は下士官。下っぱ兵の目で見た戦場に「かっこいい物語」は一つもなかった、とふりかえる。

 ミッドウェー海戦で沈みゆく空母飛龍からほうほうの体で逃げだしたとき、無数の戦友の死体を見た。

「手も足も頭もばらばらにちぎれている戦友の姿をようけ見ました。体がまっぷたつに壊れたもん。五つにも六つにも壊れたもん。足がなくて焼け死んどるもの。腰から下が吹き飛ばされておるもの。飛びちっている手や足。助けを求める声はありませんでした」


■監禁、そして死地へ

 大惨敗のミッドウェー海戦から帰ってきた瀧本さんを待っていたのは、病棟への監禁だった。

 「なんでやと。罪人あつかいやないか。俺ら、そんな悪いことした覚えはないわ。そう思とりますやん。こんなばかな話はないと腹がたちました」

 理由は新聞報道で知った。「我が方の損害」として空母1隻喪失、同1隻大破という大本営発表が書かれていた。

 「びっくりですわ。大本営はこんな大うそをついておるのかと。こっちはそこに行っとったわけやから。この目で見とったわけやから。虎の子の4隻をたった1日で失ったことを知っておるわけですから」

 事実を漏らされないようにと監禁されたに違いなかった。

 それから送りこまれたトラック諸島では、戦友や部下が次々と餓死していった。

 「やせてやせて、本当に骨と皮になって、ほんで死んでいくんですよ。人間の姿ではありません」
 「1日が終わると、『ああ、きょうも生きのびたな。死なないでよかったな』と思う。われわれはいったい何のために、誰のために戦争をしているのか。もう戦争などまっぴらごめんだ」
 「このころの戦闘行為とは、ただただ生きることだけでした」

 仲間が餓死すると、近くの山に埋めにいく。穴を掘る体力などない。地面をかきむしって遺体を入れ、穴からはみでているところは土を乗せて薄くならした。それで終わり。

 「なんと申し訳ないことを死者にしたのかと思う。思うけれど、その時はそれどころじゃないんですわ。遺体の処理をしながら、あ、俺はいつやろかと、そんなことを考えながらやっとるわけです。あすは自分の番や。だから堪忍してくれと心の中で手をあわせて、ほいでかえってきた」

 それまで上官から繰りかえし聞かされたのは「貴様ら、よく聞け。いったん戦地に行ったら階級の上下は関係なしに一緒に死ぬんやぞ」ということだった。

 嘘だった。

 戦後73年となる今も瀧本さんが声に怒気と殺気を込めて語るのは、やはりトラック諸島でのできごとだ。

 木の葉を海水で煮て食らうしかない日々。餓死していく下っぱ兵たちを尻目に、非常用の備蓄食糧に手を出して食べている上官たち。どうにも我慢ならなくて瀧本さんは分隊長に食糧の開放を願いでる。

 「一発でことわられました」
 「われわれ下っぱが草を食って命をつないでいるときに、士官どもは銀飯を食べとるんですよ。銀飯ですよ、銀飯。こっちは草くうとるんや」

 みずからにも餓死が迫りくる中、瀧本さんはこう考えるしかなかった。
 
「こんなね、南のね、ちっぽけな島で骨と皮になってね、のたれ死んでね、ヤシの木の肥やしになるだけなんて、こんな死にかたは納得できない」
 「ここで死ぬことがなんで国のためか。こんなばかな話があるか。こんな死にかたがあるか。何が国のためじゃ。なんぼ戦争じゃいうても、こんな死にかたに得心できるか。敵と戦こうて死ぬならわかる。のたれ死にのどこが国のためか」

(朝日新聞大阪社会部・下地毅)
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鴻上尚史が受けた衝撃… 

2018-08-17 | いろいろ

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鴻上尚史が受けた衝撃… 特攻帰還者を幽閉した「振武寮」の驚愕の内幕とは?

 太平洋戦争末期に、特攻帰還者を幽閉する「振武寮」という施設があった。そこでは上官が帰還兵を殴打し、怒声を浴びせ、再び生きて戻ることは許されない、と思わせる精神教育が行われた。2009年に出版された『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』は、元特攻隊員が知られざる内幕を明かした、驚愕のノンフィクションだ。

 鴻上尚史さんのベストセラー『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』は、実はこの『特攻隊振武寮』からヒントを得て書かれたのだという。鴻上さんが本書から受けた衝撃とは?



*  *  *
 『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』という本を書きました。9回出撃して、9回生還した陸軍一回目の特攻隊員、佐々木友次さんに関する本でした。

 じつは、佐々木さんという存在を教えてくれたのが、この『特攻隊振武寮』でした。

 この本の中の「ところで佐々木だが、その出撃はトータルで8度に及び、周囲が死に追い立てるのをあざ笑うかの如く、ことごとく生還している」という文章に衝撃を受けた所から、僕の佐々木友次さんに対する旅は始まったのです。ですから、この本を読んでいなければ、『不死身の特攻兵』も生まれませんでした。佐々木さんの存在を教えて下さった著者の渡辺考さんには、感謝しかありません。

 2009年に出版されたこの本を手に取ったのは、特攻に出撃し、帰ってきた隊員を軟禁する『振武寮』という理不尽そのものの存在に衝撃を受けたからです。

 僕は子供の頃から、特攻隊に特に関心がありました。理解したいのにできない、という理由が大きかったと思います。どうしてそんな戦術を取らなければいけなかったのか。なぜ、終戦まで続いたのか。本当に「微笑みながら突入」したのか。分からないこと、知りたいことは山ほどありました。

 特攻関係の本はとてもたくさん出版されています。僕と同じように「特攻とはなんだったのか?」ということを知りたい人が多いのだと思います。

 多すぎてどれを読めばいいのか迷うほどですが、『振武寮』の存在は特攻の理不尽さを別な角度から照射したものだと思います。

 もう一人の著者の大貫健一郎さんが大貫妙子さんのお父様だったことで、この本はより身近な存在になりました。大貫妙子さんとは、テレビの仕事で何度か共演しました。ライブにも行きました。大貫健一郎さんの体験が、より切実なものとして僕に迫りました。

 今回、文庫化にあたり再読してみると、9回生還した佐々木友次さんと、大貫さんの発言や行動、気持ちに似た部分が多いことに気付きました。

 「死ぬことが運命ならば、生き残ることも運命ではなかろうか――」

 この本の冒頭の大貫さんの言葉です。これは、佐々木さんの「(生きて帰って来れたのは)寿命としか考えられない」という言葉に対応すると思います。

 人は自分を超えた圧倒的に大きなものに翻弄された時には、時代とか運命とか寿命とかを考えるようになるのではないか。そう思わなければ、多くの仲間が死んで、自分が生きていることに説明がつかない。あまりにも小さな偶然や出来事が、死と生を簡単に分けるという残酷な現実を知れば知るほど、無力感に抗えなくなる。そういうことかもしれません。

 操縦士であることの感想も似ています。

 激しい訓練や屈辱的な扱いを受けても、辞める奴は一人もいなかった。「大空をかけめぐる爽快感は他の何物にも代えがたく、戦闘機を自由自在に操縦できるようになったときは、ああ男に生まれてよかったと思いました」と大貫さんは書きました。

 佐々木さんは言います。「なにせ、空へ浮かんでれば何でもいいんでね」「戦場に行くのが恐ろしいとかあんまり思ったことないですよ。飛んでいればいいんです」

 お二人とも、本当に空を飛ぶことが好きなんだなと感じます。そして、空に上がれば、どんなに激しい軍隊のいじめも階級的重圧からも解放される。

 パイロットは技術職であり、プライドを持つ存在だったのだと分かります。

 そんな人達にある日、体当たりの命令が来る。その時の反応も似ています。

 大貫さんは書きます。

 「みな一様に青ざめた。冗談じゃない、そんなことできるわけないじゃないか。俺たちは戦闘機乗りを志願したわけで、戦わないで突っこんでいくなんてとんでもない」

 佐々木さんもまた「いや話にならんですよ。動揺して」と僕に語りました。1カ月の間に何人もの殉職者を出しながら、死に物狂いで急降下爆撃の訓練を続けているパイロット達に、突然、体当たりの命令を出す。それは、彼らの技術の否定であり、プライドの否定であり、存在そのものの否定でした。

 大貫さんと佐々木さんの違いは、所属した部隊の隊長が喪服に倣って黒マフラーをつけたか、「我々は爆弾を落とす。体当たりはしない」と宣言するかでした。

 また、大貫さんは一応、「志願」の形になっています。ほとんど、暗黙の空気としての「命令」ですが、形としては一応、「志願」です。戦後、指導部が強弁し続けた内実のない「志願」です。

 佐々木さんの場合、はっきりとした「命令」でした。

 飛行時間は佐々木さんの方が何倍か多いようです。結果、佐々木さんは実戦での急降下爆撃の難しさを経験します。そして大貫さんは、特攻が指導部が思っているほど簡単なことではないと気付きます。

 爆弾を落としても当たりにくいから、直接体当たりしようというのは、「航空の実際を知らないか、よくよく思慮の足らんやつだ」と、佐々木さんの上官、岩本隊長は言い放ちました。

 作戦の理不尽さに怒り、呆れたのは二人とも同じです。

 自国の島に不時着した場合でも、飛行機を燃やし、自決せよという命令を本気で言うことの理不尽さと愚かしさ。

 生還するたびに、佐々木さんが浴びた「次は必ず死んでこい!」「どんな船でもいいから体当たりしろ!」という命令の理不尽さや愚かしさと同じです。

 命令した上官が「最後の1機で必ず私はおまえたちの後を追う」と言いながら、戦後も生き延びたのも、お二人とも同じです。

 大貫さんにこの言葉を言った司令官は95歳まで、佐々木さんの司令官は68歳まで生きました。

 特攻に出発する時に、充分な掩護も戦果確認もなかったのも同じです。「精神一到すれば何事か成らざらん」という精神論で大貫さんは押し切られましたが、佐々木さんもたった1機での特攻を求められました。

 大貫さんと佐々木さんが同じだと書いていますが、じつは、多くの特攻隊員はみんな同じだったということです。佐々木さんの方が1944年の11月から12月、大貫さんは1945年の4月ですから、状況は大貫さんの方が悪化していますが、ごく初期を除けば、特攻の実際は悪化しながらも、とても似ているのです。

 掩護機や戦果確認機を出す余裕はどんどんなくなり、出せたとしてもほんの数機、百機単位で波状攻撃して来るアメリカ軍機にはなんの意味もない編成でした。

 そして、後半、『振武寮』に入れられる大貫さんと、9回も特攻を繰り返しフィリピンの山奥に逃げ込む佐々木さんの運命ははっきりと分かれます。

 『振武寮』の倉澤清忠少佐の存在は凄まじいの一言です。戦後、復讐を恐れて80歳まで拳銃を持っていたという記述には唸りました。本人が自分のしたことの意味を知り、どんなに怯えていたのか分かります。

 同時に、インタビューのあけすけな語りに、これまた唸ります。「12、3歳から軍隊に入ってきているからマインドコントロール、洗脳しやすいわけですよ」を始めとした発言に衝撃を受けます。

 この本は、大貫さんの「特攻隊員に選ばれて、不時着するまで」と「『振武寮』に入れられた顛末とそこでの生活」、そして、もう一人の著者、渡辺考さんの丁寧な「特攻隊の歴史と実態」の3つの大切な部分によって構成されています。

 大貫さんは、「私は自分が特攻であるということは、周囲の親しい者を除いては誰にも語りませんでした」と書かれています。

 じつは、佐々木さんもずっと語ってきませんでした。若い頃に一度、長いインタビューに答えた以外は、話して欲しいという依頼をずっと断ってきたのです。

 けれど、ある時期、それはたぶん自分の寿命としての人生を意識し始めた時に、自分の歴史を語り始めました。

 大貫さんは2012年に、佐々木さんは2015年にお亡くなりになりました。よくぞ言葉を残してくれたと思います。

 大貫さんや佐々木さんの言葉をしっかりと受け止め、未来の人達に渡すことが、今を生きる日本人の責任のような気が僕はしています。

(文/作家、演出家・鴻上尚史)
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平成最後の終戦の日に「開戦神話」の「嘘」を読んだ  (抄)

2018-08-17 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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平成最後の終戦の日に「開戦神話」の「嘘」を読んだ

 平成最後の終戦の日に牧野邦昭著『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)を読んだ。戦前の日本はなぜ敗れることが分かっている英米との戦争に踏み切ったのか。それを経済学者の目で探った労作である。

 サブタイトルに「秋丸機関『幻の報告書』の謎を解く」とあり、昭和14年に陸軍省に設置された戦争経済研究班(秋丸機関)が作成した英、米、独と日本との経済力を調査分析した報告書を発掘し、これまで語られてきた「通説」を覆している。

 戦後の日本人が教えられてきた「通説」は、国際情勢に精通する海軍の主張を好戦的な陸軍が押さえ、天皇の絶対的権力を背景に精神主義を前面に打ち出し、国民を非合理な判断に導いたというものである。

 従って「悪」は軍部、とりわけ陸軍とされ、海軍の山本五十六には一定の評価を与えて戦争映画のヒーローになるが、戦前の軍部は全体として国民を騙し国家を破滅させた張本人であり、国民は被害者で軍部が加害者という図式を教えられてきた。

 そのため日本国憲法が「戦力不保持」と「交戦権の否定」を9条に2項に定めたことは広く国民の支持を得るところとなり、フーテンも長くその考えに影響されてきたが、しかし同じ敗戦国の西ドイツが朝鮮戦争の勃発で米国から再軍備を求められると軍隊を作り、しかも徴兵制を敷いたことをどう考えたら良いのか疑問に思ってきた。

 さらに冷戦が終わる1989年頃からフーテンは米国議会中継専門テレビ局C-SPANの配給権を得て米国議会を見るようになり、軍人がしばしば公聴会に呼ばれて証言する様を見るうち軍人に対するイメージを変えた。

 当然のことながら戦争で真っ先に生命を失うのは軍人だから軍人は戦争と真剣に向き合う。そして民主主義国の軍人は議会が予算を承認しなければ何もできない。議会に絶対服従なのである。従って軍人は戦争に慎重でありいたずらに好戦的にはならない。好戦的なのはむしろ政治家や国民の方であった。

 そこからあの愚かな戦争に日本を導いたのは軍部で国民は被害者なのかという疑問がくすぶるようになった。その意味で本書はフーテンの疑問に一つの答えを提供してくれている。そしてもう一つ「秋丸機関」に招かれた経済学者の中心にマルクス主義者として治安維持法違反で検挙され保釈中だった東大助教授有沢広巳氏がいたことにフーテンは強い印象を受けた。

 陸軍は共産主義者であるかどうかよりその学識を重視していた。そして有沢氏の他にも近代経済学者の中山伊知郎氏など錚々たるメンバーが参加して、昭和15年から16年にかけ大戦中の主要国の経済力、すなわち戦力を分析して戦争の先行きを予想した。

 秋丸機関を組織した秋丸次郎主計中佐は満州国で経済建設に従事していた軍人である。満州国を作った石原莞爾はソ連の計画経済を真似て重化学工業化の「五か年計画」を策定、日本の国力を充実させるまで戦争すべきでないと主張して日中戦争に反対し東条英機に左遷された。秋丸中佐はその石原らと共に満州国建設を行っていたのである。

 「秋丸機関」の研究は以下の結論に達する。米国と日本の経済力には10倍以上の開きがあり、戦争しても全く勝ち目はない。しかし英国はそれほどでない。ただ英国を米国が支援すれば英国の力も侮れない。米国から英国への輸送船が大西洋でドイツの攻撃を受け輸送路が遮断されれば日本が英国に勝てる可能性はある。

 ドイツの経済力は万全でなく、ソ連を短期間で打ち負かし、そこから食糧やエネルギーを得られなければ英国との戦いに勝てない。独ソ戦に日本は参戦すべきか。国土の広いソ連と戦争するより、石油資源を求めて南進し資源を得たのちソ連に向かう方が得策である。

 英米と戦わなければ資源のない日本は対日包囲網によって「じり貧」になり戦わずして敗北する。米国と戦えば高い確率で負ける。しかし低い確率だがドイツが短期でソ連に勝てば米国の準備が整わないうちに英国に勝って南方の資源を手に入れ有利な講和に持ち込むことが出来る。

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NHKスペシャルで小野文恵アナが祖父の“戦争加害”に向き合うレポート!

2018-08-16 | いろいろ

より

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NHKスペシャルで小野文恵アナが祖父の“戦争加害”に向き合うレポート! ネトウヨ議員・和田政宗が早速圧力

 73回目の終戦の日。マスコミはこの日にあわせて特集を組んでいるが、なかでもNHKががんばっている。昨今では“安倍さまのNHK”と揶揄されるほど、日々の報道でボロボロになっているNHKだが、終戦記念日を前にして放送した「NHKスペシャル」が、視聴者に静かな反響を呼んでいるのだ。

 NHKはホームページで〈この夏、“戦争と平和”を考える番組をお届けします〉と銘打ち、11〜13日の三夜連続で日本の戦争をテーマにしたドキュメンタリーを放送した。さらに、きょう15日放送の『ノモンハン 責任なき戦い』では1939年のノモンハン事件を扱い、19日の『届かなかった手紙 時をこえた郵便配達』では戦場の兵士と故郷の人々の間で交わされた「軍事郵便」にスポットを当てる。

 とりわけ、11日に初回放送だった『祖父が見た戦場 ~ルソン島の戦い 20万人の最期~』は太平洋戦争末期の激戦地であるフィリピン・ルソン島の戦いを題材にしたものだが、『鶴瓶の家族に乾杯』や『ガッテン!』でお茶の間の人気を博している小野文恵・チーフアナウンサーが、取材を通じ、ルソン島で戦死したとされる「会ったことのない祖父」の悲惨な戦争体験や最期に迫るという迫真の内容だった。

 小野アナウンサーの祖父・景一郎さんは、1944年、32歳で出征し、衛生兵としてルソン島へ送られて戦死したという。しかし、国が発行した記録と出身地・広島県の死亡者名簿とでは景一郎さんの没日が異なっており、遺骨も帰ってこなかった。

 小野アナは母とともに現地へ向かう。景一郎さんは、衛生一等兵としてアジア各地の港をまわった後、日本占領下のマニラで陸上での任務にあたった。小野アナは同じ部隊の下士官がつけていた日誌や日米の元兵士の証言などを手掛かりに、祖父の足取りを辿りながら、ルソン島の戦いの実情を知っていく──。

 たとえば大本営は、本土上陸までの時間稼ぎを現地の日本軍に求めていた。補給もなくなった兵士たちは、降伏せずに戦い続ける「永久抗戦」を強いられた。番組ではルソン島から帰還した日米の元兵士のインタビューも放送された。

 「死んでも守っとけということですよ、死守というのは。だから絶対に後方へ下がるわけにはいかないっていうんだから」「軍の上層部とするとですね、(兵隊が)死ぬかなんとかってことは、もう兵隊なんて消耗品と一緒ですからね」(花岡四郎さん/95歳)

 「飢えが一番ひどいですね。つらいのはね」「(日本兵の)死体から靴をとってさ、いい靴なら自分が履くし、悪い靴ならあれ豚皮だから、それを飯ごうでふやかしといて、煮て食べるんですよね」(河村俊朗さん/94歳)

 「日本軍は戦場で非常に重要な兵器の補給が全くできない状況に陥っていました」「日本兵が足の指で銃の引き金を引き、自殺する姿をこの目で見ました」(エドガー・モアマンさん/99歳)

 本土決戦の時間稼ぎのために捨て駒とされ、敗走を重ねた日本兵。負傷した兵士には自決命令がくだり、自決できない者は銃剣で突き刺されたという。番組は、アメリカで発見した米軍の極秘資料をもとに、これまで日本側の記録では不明だった地域ごとの戦死者の数を地図に投射し、CGで可視化するなど、Nスペらしい手法をとりながら、証言と現地調査で戦争の筆舌に尽くしがたい残酷さを伝えていった。

 だが、本サイトとして特筆したいのは、『祖父が見た戦場』が、単に激戦地で日本兵が置かれた悲惨な状況だけを見せるドキュメンタリーではなく、しっかりと、日本の加害事実についても掘り下げたことだ。


 住民虐殺、レイプ…小野アナがフィリピンで取材した祖父の部隊の加害行為

 そもそも、日本軍は1941年12月8日の真珠湾攻撃と同日にフィリピンへの侵攻を開始。翌年1月にはマニラを掌握し、5月にはほぼ全土を占領、おおよそ3年間にわたって統治下に置き、軍の統帥権を日本が握るなど傀儡的な親日政権を敷いた。

 太平洋戦争末期、1945年1月からのルソン島の戦いは、フィリピン奪還を狙う米軍を中心とした連合国軍と日本軍の陸上戦を指す。2月、マニラでは日米両軍の大規模な市街戦が行われ、多数の民間人が犠牲となった。都市は完全に壊滅、犠牲者となったフリピン市民は10万人とされる。フィリピンで親日傀儡政権に反発する多くのゲリラ兵が米軍に協力し、そのなかで、ゲリラと非戦闘員を区別しない日本軍による住民殺害などの残虐行為が行われた。戦後のマニラ軍事裁判ではその責任で指揮官の山下奉文大将に死刑の判決が下されている。

 番組では、小野アナが祖父の所属した部隊の手がかりとして、マニラの要塞の街・イントラムロスの地下牢を訪れた。大勢のマニラ市民が日本軍によって地下に閉じ込められ、焼殺、銃殺されたという。小野アナは、その地下でしゃがみこみながら、神妙な面持ちでこうつぶやいていた。

 「ここに生きている人がいて、その人たちにガソリンをかけて焼くなんて」
 「酷なことに駆り立てられた人が、結局のところ私たちの誰かのおじいさんだったわけですもんね」

 さらに、小野アナは祖父の足取りを辿った旅の最後に、「どうしても知りたいことがあった」と言い、もう一度マニラに向かう。10万人の民間人が殺害されたことについて「フィリピンの人たちに、祖父たち日本兵の姿はどう映っていたのか。旅の間中、ずっと気になっていました」という小野アナは、当時13歳で、日本兵による性暴力の現場に居合わせた女性に会いに行ったのだ。

 現在86歳になったその女性、イザベル・ウィルソンさんは、多くの女性たちが日本軍によってホテルに連行され、性暴力の被害にあい、そのショックから自殺した友人もいたと語る。インタビューする小野アナに対し、このように話していた。

 「私たちはまさに戦争の犠牲者でした。多くの友人がレイプされました。あの当時、日本人は敵だったのです」
 「私は過去を乗り越え、いま別の人生を生きています。私は日本を許しました。でも絶対に忘れません。二度と繰り返してはならないからです」

 「会ったことがない祖父」の亡くなったであろう場所を訪ね、戦争へと駆り出された日本の兵士たちの実情に触れながら、同時に、その祖父たち日本軍が行った加害の歴史を受け止める。片や、安倍首相とその応援団による歴史修正の波が押し寄せ、百田尚樹の『永遠の0』が代表するように、戦争をヒロイックな“悲劇の物語”に回収するフィクションが流行してしまう状況だ。日々の報道姿勢は安倍政権を忖度して萎縮する一方のNHKだが、こうした骨太で良質なドキュメンタリーを終戦記念日の前後に放送することは、まさに現場の良心と言えるのではないか。


 Nスペ731部隊特集にも「NHKは捏造反日協会」と攻撃していた和田政宗

 しかし、やはりと言うべきか、このNHKスペシャルを攻撃する国会議員があらわれた。元NHKアナウンサーで自民党広報副本部長の和田政宗議員だ。和田議員といえば言わずとしれた“議員バッジをつけたネトウヨ”だが、『祖父が見た戦場』の初回放送中の11日21時38分にTwitterを更新。おそらく、リアルタイムで視聴しながら書き込んだのだと思われるが、こんなバッシングを展開してみせたのだ。

 〈もうNHKはメディアとして死んでいるというのが、昨年からの第二次大戦に関するNHKスペシャルの流れ。独自の検証もせずソ連側の主張や米軍の「戦犯」裁判の資料を一方的に肯定。もう私もNHKは擁護しない。NHKは何にも左右されず事実に基づく報道を行うとしての受信料徴収の根拠を失っているのではないか〉(原文ママ)

 念のため言っておくと、同番組は戦後の軍事裁判の資料にのみ依拠しているわけではないのだが、それにしても、日本の加害事実に触れただけで「受信料徴収の根拠を失っている」などと恫喝するそのクレイジーさには心底呆れざるをえない。

 ちなみに、和田議員が攻撃している「昨年からの第二次大戦に関するNHKスペシャルの流れ」というのは、昨年8月13日に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』などのことを指しているのは明らかだろう。同番組は、新資料や記録・証言を集め、細菌兵器の開発や人体実験を行っていた陸軍の秘密組織「731部隊」に迫った力作だが、放送後にはネット右翼を中心に「捏造だ」「偏向番組」などのいちゃもんが相次いだ。だが、731部隊の残虐な人体実験が歴史的事実であることは、本サイトの当時のレビュー記事
 http://lite-ra.com/2017/08/post-3392.htmlでも伝えたとおりだ。

 にもかかわらず、和田議員はネトウヨ的妄想をフル回転させてNスペを攻撃。たとえば最近出した著書『「嘘の新聞」と「煽るテレビ」』(育鵬社)でも「NHKは「捏造反日協会」?」なるどうかしているとしか思えない章立てのもと、『731部隊の真実』に対して“証言の信憑性に甚だ疑問”などとイチャモンをつけたうえで、〈NHK内部の人間に聞くと、左派系のディレクターやプロデューサーが力を持つようになってきたということです。今後も『731部隊の真実』のような番組が放送される恐れがあります〉などと記している。


 日本の加害事実を取り上げたテレビはすべて「捏造反日」と決めつける和田

 同じくNスペで昨年9月10日に放送された『スクープドキュメント 沖縄と核』への和田議員のバッシングも噴飯ものだ。こちらも当時、本サイトで内容を紹介しているので詳しくは過去記事をご覧いただきたいhttp://lite-ra.com/2017/09/post-3453.htmlが、和田氏は番組ディレクターが沖縄問題を考える団体や9条護憲団体の主催集会に参加していたとあげつらい、〈彼の行動はコンプライアンス上は問題ないのでしょうか〉なる難癖でディレクター個人に圧力をかけているのだ。

 ようするに、和田議員のような歴史修正主義者の安倍シンパからすれば、日本の加害事実を取り上げたテレビドキュメンタリーはすべて「捏造反日」とレッテルを貼り付けるということらしい。いずれにしても、この輩が政権与党の国会議員であることを考えれば、明らかに放送局やディレクターに対する恫喝的圧力行為としか言いようがない。

 あまりにも馬鹿げた妄想の開陳だが、政治権力に弱いNHKだからこそ心配になってくる。しかし、被害と加害の過去を忘却した先に、次の戦争が待ち構えており、安倍シンパ議員や応援団の攻撃はその欲望の裏返しなのだ。Nスペにはこんな卑劣な圧力に屈せず、今後も戦争の事実をしっかり伝えていってもらいたい。

(編集部)
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非正規雇用者は対象外? 安倍政権の「学び直し支援」は労働格差の拡大につながる!

2018-08-15 | いろいろ

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非正規雇用者は対象外? 安倍政権の「学び直し支援」は労働格差の拡大につながる!

 『週刊プレイボーイ』でコラム「古賀政経塾!!」を連載中の経済産業省元幹部官僚・古賀茂明氏が、安倍政権による社会人の学び直し支援拡充について、問題提起する。

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 「人づくり革命」の一環として、安倍政権が社会人の学び直し支援を拡充するという。

 これまで政府は看護師や介護福祉士など、専門職の資格取得を目指す社会人に学費の5割(上限年40万円)を3年間給付するなどの支援を行なってきたが、助成期間をさらに1年延ばして最大4年にする。

 労働者にとって、個人のスキルアップにつながる学び直しは大切だ。新しい技術、資格を取得すれば、勤め先での待遇もよくなる。場合によっては高給を提示され、他社へ転職することも可能だろう。

 その学び直しを行政が支える制度を拡充するというのだから、働く人たちにとって朗報に聞こえる。

 だが、そもそもこの政策には重大な欠陥がある。それは制度の対象者が「原則3年以上、雇用保険料を納めた者」に限定されている点だ。給付する学費は雇用保険積立金から拠出されているため、保険料を払っていない人には給付できないのだ。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか? 2017年の非正規雇用者数は2036万人で、日本の全労働者の37.3%を占めている。そのかなりの部分は雇用保険制度とは縁のない働き方を強いられている人たちだ。

 パートタイム労働に従事し、雇用保険の対象者にカウントされないケースもあれば、本来は対象者なのにブラック企業で経営者が雇用保険に無関心というケースもある。

 学び直し支援を最も必要としているのはこうした非正規雇用者である。非正規雇用者はスキル不足などで労働市場に評価されず、正社員採用されにくい。そこで学び直しをしたいと思っても、低収入ゆえに高額な学費を払えない人も多いはずだ。

 そんなときに給付支援があれば、スキルアップの機会を得られ、新しい仕事を獲得できる。そうした人々が増えれば個人の生活が向上するだけでなく、社会全体の生産性も向上し、日本の成長にもつながる。

 ところが、制度利用できる対象者を雇用保険加入者に限るというのでは、本当に支援を必要とする非正規雇用者が学び直しから排除されてしまうことになる。これでは「人づくり革命」どころか、労働者間の格差を拡大することにもなりかねない。

 せっかくの学び直し支援がこんな制度になったのにはワケがある。国の雇用保険による積立額は、失業給付の減少で、一番少なかった02年の約4000億円から60倍にも膨れ上がり、15年度末に6兆円を超えてしまった。

 このため、保険料率は17年度から3年間限定で0.8%から0.6%に引き下げさせられたが、積立金は減らず、このままでは、20年度以降、さらなる引き下げを求められかねない。

 だが、厚生労働省にすれば、それは避けたい。何もせずに入ってくる保険料収入を減らしたくないし、積立金運用には利権が絡んでいるからだ。そこで保険料率の引き下げをしない方便として、だぶついた積立金を学費給付の原資として活用し、若干だけ減少させる方途を厚労省がひねり出したのではないか? 私はそうにらんでいる。

 学び直しのチャンスは誰にでも平等に与えられるべきだ。「人づくり革命」が看板倒れでないことを証明するためにも、安倍政権は雇用保険に加入できなかった労働者向け支援の抜本的強化策も打ち出すべきだ。

●古賀茂明(こが・しげあき)
 1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して11年に退官。新著は『国家の共謀』(角川新書)。ウェブサイト『Synapse』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中
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広がるポピュリズム

2018-08-14 | いろいろ

賀茂川耕助氏の「耕助のブログ」より

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広がるポピュリズム

 米国でトランプ氏が大統領になった頃から、「ポピュリズム」という言葉をよく目にするようになった。民主党ヒラリー氏の勝利をメディアや調査会社、日本政府も疑わなかったのに反し、一般国民はトランプ氏を大統領に選んだからである。

 米国で一般国民の生活が苦しいのは、メキシコからの不法移民のせいだから国境に壁を造れとトランプ氏は主張した。既存の権力者に対する国民の不満をあおるトランプ氏に、良識ある米国民は顔をしかめたが、それでも一定の米国人はトランプ氏に喝采を送った。日本では、ポピュリズムはトランプ氏の例にふさわしい「大衆迎合主義」などと訳される。ではポピュリズムと、米国はじめ多くの西欧諸国が標榜している「民主主義」とはどう違うのだろうか。

 欧米の民主主義は、実際は「金権主義」である。特に米国は大統領選挙期間が2年にもおよび、お金のない者は選挙に出ることもできない。選挙運動では基本的に使ってよいお金に上限がない。このような選挙で、誰が候補者に資金を提供しているかといえば富裕層と大企業である。

 富裕層は減税はじめ自分たちを利する政策を求め、軍需産業は戦争を求める。石油業界は石油産出国をコントロールしたい。米国の歴代の政権は共和党も民主党も、こうしたスポンサーの希望をかなえる政策をとり続けてきた。

 民主主義ではなく金権主義だからこそ、米国にとって脅威ではない北朝鮮を威嚇するために朝鮮半島に在韓米軍基地を置くという政策をこれまでの米国政権はとってきた。ポピュリズムとは、既得権益を持つ特権階級によるその金権主義への抵抗運動だと言える。そしてポピュリズムが今、世界で広まっている。

 イギリスのEU離脱、フランスでもEU離脱と移民排斥を主張した極右政党のル・ペン氏の躍進、オーストリアでは極右政党の発足、そして最近ではイタリアで反既存勢力の政党である「五つ星」と「同盟」が連立協定に合意した。この2政党の政策には貧困層への歳出拡大と減税が盛り込まれ、EUの方向性と真っ向から対立している。

 これらの動きは、過去数十年間にわたりとられてきた富裕層をさらに富ませる新自由主義の経済政策によって、一般国民の経済状況が悪化してきたからにほかならない。

 ポピュリズムとは既存の政治に対する失望から生まれ、支配者層に搾取されていると感じる一般国民の不満によって拡大する。つまり民主主義が機能していないからこそ台頭するのだ。

 トランプ氏に投票した有権者を批判しても、それはその有権者に応えていなかったそれまでの政治こそが問題であり、それを改革しない限りポピュリズムの広がりが収まることはないだろう。日本も欧米並みに移民・難民問題や高い失業率、経済格差が広がれば、現在の政権与党による金権主義からの脱却を求めてポピュリズムの風が吹くことになるのは必至であると思う。
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翁長沖縄県知事の「戦死」が問いかけるもの  (抄)

2018-08-14 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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翁長沖縄県知事の「戦死」が問いかけるもの

 翁長雄志沖縄県知事がすい臓がんで亡くなった。訃報を聞いた瞬間フーテンは「戦死」だと思った。がん細胞は誰でもが体内に持っている。それが病気になるかならないかはストレス次第だと言われる。米国ではがんが発症しても手術をせずにストレスをなくして回復させる治療法もある。

 翁長氏は県知事就任以来様々な「敵」と戦わざるを得なかった。しかもその戦いは終始絶望的な戦いであった。米軍基地をなくすための戦いが米軍や米国との戦いであれば、翁長氏は絶望に陥ることもストレスを感ずることもなかったとフーテンは思う。

 しかし戦いの「敵」は米軍や米国より、味方になるはずの日本政府と日本国民であった。戦後、米国の軍政下にあった沖縄を本土復帰させ、日本国に迎え入れたはずの日本政府が米国の言いなりに新基地建設を推進し、一方でかつて本土の米軍基地撤去を激しく迫った日本国民も基地が本土から沖縄に移ると自らの問題にしなくなった。

 それらが翁長知事を絶望の淵に追い込み、がん細胞の活動を強める結果をもたらしたのではないかとフーテンは思う。翁長氏は日本政府と日本国民との戦いで命を落とした。それがフーテンの言う「戦死」の意味だ。

 「戦死」は米国の「一極支配」が終わりをつげ、アジアの冷戦構造が終結を迎える直前のことだった。それがフーテンには悔やんでも悔やみきれない感情を抱かせる。あともう1期知事を務めることが許されれば、沖縄は平和になったアジアの象徴としてアジア各国とつながり、観光の拠点として翁長知事が夢に見た「アジアのハワイ」になりえたかもしれない。

 戦後沖縄の悲劇を生み出したのは東西冷戦構造である。「ソ連封じ込め戦略」を策定した米国務省のジョージ・ケナンは1948年に沖縄を視察した後、「米国は長期にわたって沖縄を保持し、軍事基地を拡充する必要がある」と報告、それがトルーマン大統領によって「国策」となった。

 日本が独立を回復する51年のサンフランシスコ講和条約では、英国やオーストラリアが日本に沖縄を放棄させるべきと提案したのに対し、中国の共産党政権は沖縄を日本に復帰させるべきと主張し、米国は日本の「潜在主権」を認める一方で「米国が唯一の施政権者として国連の信託統治に付す」ことを主張した。

 日本に沖縄の主権を放棄させれば、1.沖縄の住民が主権を持ち「米国を追い出す権利」を持つ。2.ソ連が沖縄の主権を求める。3.国連が沖縄問題を扱うようになる。4.米国が沖縄の主権を事実上獲得したと非難される。つまり日本の「潜在主権」を認めることが米国の軍事支配と両立し米国にとって最も都合が良い。当時のダレス国務長官は戦略的にそう考えた。

 そしてアイゼンハワー政権は「空に雲一つなく、アジアの平和と安全にいかなる脅威もなくなるまで、沖縄は返還されない」と宣言する。これを「ブルースカイ・ポリシー」という。これが沖縄問題の基本構図であるとフーテンは考える。日本政府を間に入れて米国の軍事戦略に常に都合の良い状態を作り出すのが米国の戦略なのである。

 日本の総理で沖縄問題を最初に取り上げたのは岸信介である。岸は沖縄住民が「異民族支配」の下に置かれている状態は日米関係にとって深刻な障害になるとして「10年のタイムリミット」を提案した。つまり10年後に返還させようとした。

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安倍首相の「寄り添う」は口だけ 沖縄知事選の重みと行方

2018-08-13 | いろいろ

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安倍首相の「寄り添う」は口だけ 沖縄知事選の重みと行方

 安倍首相が政権に返り咲いてから6回目の出席となった長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。9日のあいさつもヒドい代物だった。

 「わが国は非核三原則を堅持しつつ、国際社会の取り組みを主導していく決意です」などと勇ましい言葉を吐いていたが、6日に広島市で営まれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式で読み上げたスピーチ原稿を使い回し。

 「広島」が「長崎」に、被害者数の「十数万」が「7万」になり、国連の現職トップとして初めて式典に出席したグテレス事務総長に言及した程度の違いしかなかった。昨年7月に国連で採択された核兵器禁止条約は完全に無視。昨年同様に広島、長崎でも核禁条約には一切触れなかった。

 核禁条約を巡っては、国内300超の地方議会が署名・批准を要望し、松井一実広島市長も田上富久長崎市長も「平和宣言」で前向きな努力を求めている。9日の式典では埼玉在住の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中煕巳代表委員が県外在住者として初の被爆者代表を務め、「平和への誓い」を朗読。安倍の姿勢をこう糾弾した。

 「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません」

 金言耳に逆らうとは言ったもので、安倍はその後の会見で核禁条約について「安全保障の現実を踏まえることなく作成されたことから、核保有国は1カ国として参加していない」と一蹴。米国の核の傘で守られている現実を棚上げし、「立場の異なる国の橋渡しをすることは、わが国ができる大きな貢献ではないか」とうそぶき、核廃絶軽視の姿勢をあらわにした。長崎原爆被災者協議会の田中重光会長が「唯一の被爆国だというのなら、(核廃絶の)先頭に立つべきだ。よその国の人みたいだ」と憤るのも当然だ。口先首相のやりきれない薄っぺらさにマトモな国民はうんざりしている。

■ 民主主義も司法も行政にねじ曲げられた

 その上、ゾッとさせられたのが沖縄に対する安倍の非情な対応だ。

 米軍普天間基地の辺野古移設を巡り、新基地建設阻止を訴えて安倍政権と真っ向対立してきた沖縄の翁長雄志知事が急逝。4月に切除した膵臓がんが肝臓に転移したという。安倍がお悔やみを口にしたのは、訃報が流れてから半日以上も過ぎた9日午後。式典後の記者会見で報道陣の質問を受け、「沖縄の発展のために尽くされたご貢献に対し敬意を表したいと思います」と形ばかりの言葉を並べただけだった。第1次政権をブン投げ辞任し、お先真っ暗な時代を支援した俳優の津川雅彦氏の逝去とは雲泥の差である。津川が亡くなった翌日、安倍は個人ツイッターに〈悲しいですね。さみしい思いです〉などと長文を4連投。ブラ下がり取材までやり、発言内容は首相官邸ホームページに「津川雅彦氏の逝去についての会見」として全文掲載されている。

 翁長と親交があった沖縄国際大教授の前泊博盛氏は言う。

 「好き嫌いという価値観でしか行動しない。オトモダチしか大事にしない。安倍首相の一連の振る舞いは、その人間性をますます浮き彫りにしたのではないでしょうか。翁長知事が政府と対立を深めても辺野古移設阻止を成し遂げようとしたのは、アイデンティティーの問題が横たわっていたからです。国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に在日米軍基地の7割が集中し、県民は事件や事故と隣り合わせの異常な生活を強いられている。しかし、政府も県外の国民もカネをもらっているからいいだろうという態度です。踏みにじられている現状を打開するため、米軍基地負担とリンクした沖縄振興策はいらないと反対したのが翁長知事だった。しかし、民主主義のルールにのっとって戦い、司法に訴えても、行政にねじ曲げられる結果になってしまいました。翁長知事は大変な圧力を受け、ストレスやプレッシャーで命を削り取られていったと思えてなりません。翁長知事は辺野古の最初の犠牲者になってしまった」


 国政選挙並みの力を注いできた安倍自民

 死期が迫った翁長は、前知事による埋め立て承認の撤回手続き開始という最後のカードを切ったのだ。

 核廃絶も基地問題も寄り添うフリ。安倍政権の偽善とペテンをこれ以上見過ごしていいのか。翁長の逝去がもたらした9月実施の前倒し知事選の重みをどう生かすかは、沖縄だけの問題ではない。くしくも自民党総裁選と同じタイミングだ。勝てば政権信任、負ければ地方選が常套句の安倍自民党は、知事奪取に向けて死に物狂いで動き回っている。今年行われた沖縄の市長選は国政選挙並みの注力で3勝1敗と勝ち越している。体調が悪化した翁長の辞職を想定し、宜野湾市長の佐喜真淳氏の擁立を先月決定。すでに出馬表明していた沖縄観光コンベンションビューロー元会長の安里繁信氏は断念させて、保守分裂回避の一本化を進めている。

 一方、翁長2選をにらんでいたオール沖縄陣営は後継候補選びを急いでいる。12日まで職務代理を務める謝花喜一郎副知事、糸数慶子参院議員、2月の名護市長選で3選を果たせなかった稲嶺進前市長、翁長との共闘で4年前の選挙で勝った城間幹子那覇市長、金秀グループの呉屋守将会長らの名前が挙がっているという。

 「自民党が警戒しているのが参院3期目の糸数議員です。知名度が高く、確実に票を集められる。ただ、革新系の沖縄社会大衆党に所属しているため、さらなる保守層離れを引き起こす可能性もある。城間市長を擁立すれば、後継選びも同時並行で進めなければなりません。左傾化を嫌がる保守系や経済界も乗れ、全県的に知名度のある人物を立てられれば、オール沖縄の再結束は期待できる」(地元メディア関係者)

■ 父親の苦言「思いやり、情がない」

 石破茂元幹事長が正式に名乗りを上げた自民党総裁選は、いまだ出馬表明していない安倍の勝利が確実視されているが、息を吐くようにウソをつくその場しのぎに、地方は怒りの反乱の兆しを見せている。

 「沖縄県知事選の前倒しを受けて党本部は弔い合戦になるとネジを巻いていますが、翁長知事の訃報に冷たく接した安倍首相の対応はいくら何でもヒドい。地元から冷たすぎるという声が上がっていると聞きます。官邸の後手後手対応に苦しむ西日本豪雨の被災地でも不満が高まっている。官邸は石破さんの地方票を2割に抑え込むよう号令をかけていますが、筋書き通りにいくとは思えません。小泉進次郎議員の動向次第で国会議員票が動き、地方票も雪崩を打つ展開があるんじゃないか」(自民党中堅議員)

 西日本豪雨の被災者を本気で救済する気が安倍にあれば、直ちに臨時国会を召集して補正予算を組んでいるだろう。野党もそれを求めている。ところが、今年度予算の予備費から1058億円の支出を閣議決定しただけでお茶を濁している。臨時国会を開けば、総裁選の票固めで豪雨の最中に開かれた赤坂自民亭や無派閥議員との会合のあれやこれやを野党に追及される。保身のために被災者をないがしろにしているのだ。7派閥のうち、竹下派と石破派をのぞく5派閥が安倍支援でまとまったというが、安倍スリ寄り議員たちもいい加減に目を覚ましたらどうなのか。

 政治評論家の野上忠興氏は言う。

 「安倍首相のインタビュー取材で本人が話していたことですが、安倍晋太郎元外相は生前、安倍首相に〈相手の立場を考えなければダメ〉〈他人に対する思いやり、情がない〉とたびたび注意していたそうです。いずれも政治家に最低限必要な条件だと」

 多くの世論調査で内閣支持率は支持と不支持が5カ月連続の逆転。不支持の理由は「首相の人柄が信用できない」が断トツだ。世論は確実に嗅ぎ取っている。いま必要なのは、そうした空気を知事選、総裁選にガツンとブツけることだ。
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「五輪のため」という狂気…皆が怯える2020年破滅への道

2018-08-13 | いろいろ
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「五輪のため」という狂気…皆が怯える2020年破滅への道

 わずか2週間の五輪のためにサマータイムを導入――。冗談だろうと思っていたら本気らしい。東京五輪組織委員会の森喜朗会長から導入の要請を受けていた安倍首相が7日、自民党に検討を指示したのだ。早速、自民党内では「岸田政調会長を中心に検討の枠組みをお盆前に発足させる」「党に特命委員会を設置するか、超党派の議員連盟をつくる」「法案は議員立法で提出」などの案が浮上している。早ければ秋の臨時国会で関連法案を審議し、19年の試験実施を目指すという。

 2020東京五輪は7月24日が開会式。日本列島が最も暑さに覆われる時季だ。今年の40度を超える異常な酷暑に海外メディアからも不安視され、慌てた森が安倍に会って、五輪期間中の時計を2時間早めることをゴリ押ししたのが先月27日。それから10日余りで安倍が導入の検討を指示したわけだが、そのスピード感は西日本豪雨の補正予算編成でこそ発揮されるべきだろう。臨時国会を開きたくないから、国民の生命と安全に関わる補正予算は放置するのに、東京五輪となると号令一下とは、どう考えてもおかしい。

 サマータイムを巡っては、第一生命経済研究所の永浜利広首席エコノミストがきのう(8日)、約7000億円の経済効果というリポートを出しているものの、「中小企業等で労働時間の延長につながる労働強化の可能性」「体内時計が狂うことによる睡眠不足」「システム変更等の導入コスト負担や混乱」などを大きなリスクと指摘。

 <東京五輪に向けた暑さ対策が目的なのであれば、効果が不透明でシステム等のトラブルリスクを伴うサマータイムを導入するよりも、競技時間の変更等で対応する方が国民の理解を得やすい>というもっともな結論だった。

 共産党の小池晃書記局長も「暑さ対策というならば、五輪を秋に行えばいい」と言っていたが、その通りで、わざわざ殺人猛暑の真夏に五輪をやること自体が間違っているのだ。打ち水にしろクールシェアにしろ、弥縫策のような暑さ対策しか出てこないこと自体、打つ手なし、の証左。それなのに、どうして真夏の開催を止められないのか、見直さないのか。

■ メディアも経済界も取り込まれて無批判

 それは2020東京五輪が、邪な思惑で強引に誘致した国威発揚、政権維持のためのイベントだからである。

 東京に決定した2013年IOC総会。五輪は国ではなく都市が主体なのに、当時の猪瀬都知事以上に力が入っていたのが安倍で、「汚染水はコントロールされている」とウソをついてまで開催をもぎ取った。安倍のアタマにあったのは、「1964年の東京五輪をもう一度」だ。国民に高度経済成長を再現する夢を与え、国中が「ニッポン」「ニッポン」と叫んで一体化、思考停止に陥るさまが浮かんだことだろう。あれから5年、その思惑通りに進んでいる。メディアも経済界も取り込まれ、五輪も安倍政権も批判できない空気が日本中に蔓延している。

 広告代理店出身の作家・本間龍氏がこう言う。

 「五輪組織委員会がすっかりメディアを抑え込んでいますからね。全国紙は全社が五輪スポンサーですし、クロスオーナーシップでテレビは新聞と系列化しています。だから『サマータイム導入検討』というニュースも事実を報じるだけで、それが一体、どういう意味を持つのか、検証する報道も出てこないのです。組織委には『顧問会議』『文化・教育委員会』『経済・テクノロジー委員会』などさまざまな委員会があって、数百人規模がメンバーになっています。当然、その中には各界の代表や企業の幹部などが綺羅星のごとく並んでいる。社会の指導的立場の人たちをほとんど取り込んでしまっているので、どんなにその場の思いつきのような猛暑対策が出てこようが、誰も批判しないわけです」


 首相にとってはレガシー、国民にはツケ回し

 2020東京五輪を巡り、この国がトチ狂った異常さを見せているのは、サマータイム導入の一件だけではない。

 マラソンコースは、路面温度の上昇を抑える特殊な舗装を施すが、そのために単純計算で79億円がつぎ込まれるという。五輪のために、東京都の年間の道路舗装費(今年度76億円)を上回る血税を使うとは愚の骨頂だ。

 そのくせ運営はボランティア頼み。会場案内やアテンドなど実に11万人を募集し、その膨大な人数をかき集めるため、文科省とスポーツ庁が全国の大学と高等専門学校に、学生がボランティアに積極的に参加できるよう、授業や試験日程の柔軟な対応を求める通知まで出す始末だ。

 しかも、無償の善意をお願いするのに、<10日以上の活動を基本><1日8時間程度><研修及び活動期間中における滞在先までの交通費及び宿泊は、自己負担・自己手配>といった「条件」まで設けられている。戦前の“学徒動員”を彷彿させると揶揄されても仕方がないだろう。

 特攻さながら、お国のために我慢して滅私奉公。少なからぬ国民が、そんな異様なムードに疑問を抱き始めているのではないか。

 「サマータイムは虎の尾を踏むかもしれません。これまで五輪は東京だけのもので、北海道や九州など地方は無関係という感じでしたが、サマータイムは国民全体の生活に関係する。サマータイムが入り口となって、『大政翼賛会のような雰囲気の東京五輪はおかしいんじゃないか』『国が旗を振ってボランティアを集めるって、何か変だ』という疑問を持つようになる。五輪のためにみんなで我慢しましょう、という空気が変わるターニングポイントになる可能性があります」(本間龍氏=前出)

■ 「遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり」

 だが、安倍政権はなりふり構わない。今月1日には、政府の11機関のスタッフが常駐する「国際テロ対策等情報共有センター」が新設された。共謀罪を法制化する口実が「五輪のため」だったことを思い出すが、政府は今後も同様の手口で情報統制、監視強化を進めていくに違いない。

 安倍が自民党総裁選で3選に躍起になっているのも、突き詰めれば五輪のためだ。3選すれば、事実上、首相としての任期も3年延びる。五輪招致を勝ち取った首相が、自ら開会式にも立つ。世界各国のVIPを招き、誇らしげに挨拶する。そんな姿を描いてもいるのだろう。

 その先に何があるのか。安倍本人にとってはレガシーだとしても、国民にはツケが回される。五輪後の不況を予想するエコノミストは多数いるし、現状の異常な不動産バブルに、五輪後の破滅の予兆を感じ取っている人は少なくない。

 政治評論家の森田実氏がこう言う。

 「1964年の東京五輪は高度成長期の五輪でしたが、それでも終わった後の不況は深刻でした。2020年五輪は経済縮小期の五輪になります。無理して開催して、その後どうなるか。火を見るより明らかです。ところがこの国は、リーダーを筆頭に『今だけ、カネだけ、自分だけ』の風潮がますます酷くなり、長期的な展望を持たなくなった。安倍首相はとにかくヒトラーのベルリン五輪のような『民族の祭典』のマネをしたいのでしょう。しかし、論語にも『遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり』とあります。目先のことしか考えていないと将来、大変なことになりますよ」

 メディアと経済界が五輪の人質に取られた結果、この国は無批判な全体主義社会になってしまった。その奈落の先に待っているのは地獄だということを、国民はしっかり肝に銘じるしかない。
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知っておきたい「ペット由来感染症」

2018-08-12 | いろいろ

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知っておきたい「ペット由来感染症」

荒島康友(日本大学医学部助教・獣医師)


 「空前のペットブーム」と言われて久しい現代の日本。ペットと暮らすことはもはや「ブーム」という一過性の現象ではなく、一つの「ライフスタイル」として定着しています。飼い主にとってペットは癒やしを与えてくれるかけがえのない存在ですが、一方で近年、ペットからうつる感染症も増加傾向にあると言われています。2017年10月にはマダニが媒介する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)で飼い犬から人へ感染した例が初めて確認され、18年1月には犬や猫から感染するコリネバクテリウム・ウルセランス感染症による国内で初めての死亡例が報告されました。さらに3月には、キタキツネを感染源とし、北海道の地方病と言われていたエキノコックス症の犬での感染が遠く離れた愛知県で確認され、犬から人への全国的な感染拡大も懸念されています。

 身近な存在であるがゆえに、ペットが感染源となる病気が報告されると不安が募りますが、ペットに由来する感染症は正しい知識を持ってペットとつき合えば、ほとんどのものが予防できます。基礎知識と予防法について、日本大学医学部で人獣共通感染症の研究に取り組む、獣医師の荒島康友氏が解説します。


医療現場では診断されにくいペットからの感染

 ここ数年、さまざまな感染症が話題に上っています。その多数を占めるのが人と動物の間で種の境界を越えて感染する人獣共通感染症(ズーノーシス:zoonosis)です。エボラ出血熱や腸管出血性大腸菌感染症(O-157)、鳥インフルエンザ、生物兵器として世界を脅かしている炭疽(たんそ)などもこれに該当します。WHO(世界保健機関)は「人と脊椎動物との間に自然に移行する疾病及び感染症」と定義し、現在までに世界で約160種類の人獣共通感染症を認定していますが、未確認のものも含めるとその数は200とも400とも言われています。

 そのうち、身近なペットから感染する「ペット由来感染症」は、25種類程度と考えられています。人への感染力や重症度はさほど高くはないものの、死亡例もあるので侮れない存在です。とは言え、人の医療の現場ではまだまだマイナーです。ある研究者が「医者が疑わない限り、ペット由来感染症は診断できない」と言いましたが、まさにその通り。現在報告されている以上に患者数は多いと思います。病原体が特定できれば速やかに治療できるのに、ペットとの関連性に思い至らないために症状が長引いたり、悪化したりしたケースに、私は何例も出会いました。現段階では、ペット由来感染症の恐ろしさは症状以前に、医療現場での関心の低さであり、正しい情報が伝わらずに飼い主の理解が進んでいないことだと私は考えています。


病原体の種類とおもな感染経路

 ペット由来感染症の病原体には、ウイルス、細菌(リケッチアとコクシエラも含む)、真菌、原虫、ぜん虫(線虫、条虫などの内部寄生虫)、節足動物(ノミ、ダニ、蚊など)などがあります。人を含む生きものには、健康体であっても何らかの細菌が存在し、これを常在菌と言いますが、ペット由来感染症が少し厄介なのは、ペットの常在菌の中に人に感染するものがあることです。たとえば、後述するパスツレラ症の原因となるパスツレラ菌(Pasteurella multocida)は、健康な犬の口腔内に75%、猫の口腔内にほぼ100%、猫の爪に25%程度存在していますし、食中毒の原因菌として知られるサルモネラ菌(Salmonella spp.)は、ミドリガメやイグアナなどの爬虫類や犬の腸内の常在菌です。これらの菌は保有している動物では無症状ですが、人に感染すると発症することがあります。

 おもな感染経路は、感染源である動物から人へ直接うつる「直接伝播」と、ノミやダニなどの生物、土や水などの環境などが介在する「間接伝播」に分けられます。また、病原体が体内に入る経路には経口感染、経気道感染(飛沫感染・空気感染)、接触感染や経皮感染などがあります。

 今回、2018年1月に国内初の死亡例として厚生労働省が報告したコリネバクテリウム・ウルセランス感染症は、コリネバクテリウム・ウルセランス菌(Corynebacterium ulcerans)に感染した猫や犬の鼻汁などから人へと感染します。症状としてはジフテリアに似ています。死亡した福岡県の60代の女性では、野良猫との接触が確認されています。けれども、死亡はとてもレアケースと考えられるので(死亡したのは16年5月)、ニュースなどでは大きく報じられたものの、私自身は静観しています。


感染増加の要因は人とペットの関わり方の変化

 ペット由来感染症は、「動物」「環境」「人」の三つの因子が複雑に絡み合って発症します。近年の増加にはこれらの因子の変化が大きく関与しています。

 まず、「動物」ではペットとなる動物種の多様化が挙げられます。犬、猫、ウサギ、小鳥などの従来の動物以外に、イグアナやフェレットなど「エキゾチックアニマル」と呼ばれる外国産の動物も多数飼育されるようになりましたが、野生動物に近いものはどんな病原体を持っているかよくわかっていないため、感染症のリスクが高まります。2000年代初めに北アメリカ原産のプレーリードッグが日本でも人気を集めましたが、アメリカで輸出用のプレーリードッグがペストや野兎病に感染して大量死したことを受け、日本では感染症法により03年より輸入が禁止されています。

 「環境」面では、住居のマンション化の増加や室内飼育の推奨に伴って、庭にいた犬や猫が室内で一緒に暮らすようになり、一緒に過ごす時間が増えたことで、物理的な距離が縮まりました。気密性が高くて狭い部屋は、感染しやすい環境でもあります。

 そして、「人」を取り巻く要因としては、核家族化や少子高齢化という社会現象も相まって、犬猫の飼育頭数は2003年以降15歳未満の子どもの人口を上回り、ペットの家族化が進んでいます。親密度が増して、一緒に寝る、キスをするなどの濃厚なスキンシップをしがちですが、これが感染のリスクを高めます。また、ペット由来感染症には、健康なときは無症状で、免疫力が低下したときに症状が現れる日和見感染をするものがたくさんあります。感染しやすい状態にある人をコンプロマイズド・ホスト(compromised host:易感染宿主)と呼びますが、高齢者や糖尿病などの慢性疾患患者の増加により、コンプロマイズド・ホスト自体も増えています。


咬まれたり舐められたりして感染する「パスツレラ症」

 ペット由来感染症の中で、特に覚えておいていただきたいものをいくつか紹介します。

 まず一つめはパスツレラ症です。前述の通り、犬や猫で保有率の高いパスツレラ菌によって感染します。犬や猫に咬まれたりひっかかれたりすることで感染する外傷性のものでは、受傷後、約30分~数時間後に激痛と発熱を伴う患部の腫れが見られ、精液のような臭いのする浸出液が出てくるのが特徴です。高齢者や糖尿病患者など免疫力が低下していると重症化しやすく、敗血症を起こして死に至るケースもあります。

 また、舐められて口や鼻などの粘膜から感染すると、気管支炎や肺炎などの呼吸器症状を引き起こすこともあります。


 私が出合った症例では、気管支拡張症の基礎疾患のある60代男性に血痰が見られたため、癌を疑って精密検査を行ったところパスツレラ菌が検出され、感染源がペットの猫であることが判明したケースがありました。他にも、犬に顔を舐めさせていたことで副鼻腔炎にかかった例、毎朝猫に顔を舐められて起床していたことで外耳炎になった例、原因不明の咽喉頭異常感症で転院を繰り返すドクターショッピングをしていた男性からパスツレラ菌が見つかったり、(本人は気づいていませんでしたが)寝ている間に猫に舐められていた例などがあります。

 日本大学医学部臨床検査医学の研究チームが全国の約230の臨床研究病院を対象に行った調査では、パスツレラ症は1987年の年間35例から2011年は700例と約20倍以上に増加。死亡例も1992年は2例だったものが、12年には57例報告されました。死亡例は40歳以上の男性に多く、ほぼ全例で基礎疾患が認められました。報告数が増えた背景には、パスツレラ症の検査が行われる件数が増えて発見率が上がったこともあり、単純に数字の比較はできませんが、増えていることは確かで、潜在患者数はさらに多いと推測されます。

 その他、犬猫の口腔内の常在菌からの感染では、カプノサイトファーガ・カニモルサス感染症があります。おもな症状は、発熱や倦怠感、頭痛、腹痛などで、まれに重症化して、敗血症や髄膜炎を起こし、播種性血管内凝固症候群(DIC)や敗血性ショック、多臓器不全に進行して命に関わることもあります。複数の死亡例も報告されているので、注意が必要な感染症です。


ひっかかれて感染する「猫ひっかき病」

 猫ひっかき病は、その名の通り、おもに猫にひっかかれたり咬まれたりすることで感染します。冗談のような名前ですが、英語でも「Cat Scratch Disease: CSD」と表記される正式な病名で、犬から感染しても猫ひっかき病と言います。病原体は猫の体にいるバルトネラ菌(Bartonella henselae)で、ノミが媒介するため、猫との接触がなくてもノミに刺されて感染することもあります。

 傷が軽ければ治りの遅い発赤程度ですみますが、受傷後、数日から2週間くらいで傷口に丘疹や膿疱が見られ、ずきずきとした痛みとともにリンパ節が腫脹するのが特徴です。発熱、倦怠感などの全身症状が見られることもあります。リンパ節の腫脹は数週間から1年に及ぶこともあり、傷口は治癒しても菌が体内に残れば、10~17カ月後にリンパ節の腫脹が再発することもあります。よくじゃれつく子猫からの感染が多く、発症は18歳以下の若年層に多いことが知られています。

 たかが犬や猫の咬み傷やひっかき傷と軽視せず、腫れや痛みがある場合は、病院で治療と検査を受けることをお勧めします。


原因不明の不定愁訴は「Q熱」を疑え!

 Q熱は、特に医師に見過ごされがちな病気です。世界各地で発生していますが、長い間、原因不明とされていて、「Query fever(不明な熱)」と呼ばれていたのが病名の由来です。現在では、コクシエラ菌(Coxiella burnetii)が病原体であることが判明しています。犬や猫が感染してもほぼ無症状で、犬で約10%、飼い猫で15%、野良猫で45%がすでにこの菌を保有していると言われています。

 Q熱はコクシエラ菌を吸い込むことで感染します。症状は急性型と慢性型があり、急性型では10~30日の潜伏期間の後に、発熱や頭痛などインフルエンザのような症状が現れ、時に肺炎や肝炎などを伴うこともあります。慢性型では急性期の症状の後に長引く微熱、全身の倦怠感、関節痛、筋肉痛などの不定愁訴が見られます。

 症状だけでは診断が難しいため、患者の多くはドクターショッピングを繰り返しています。11歳男児の症例では、微熱やだるさで学校を休みがちになり、いくつかの病院を受診しても原因が見つからなかったので、怠けてずる休みをしているのではないかと疑われていました。けれども、ある病院でQ熱の抗体が検出され、症状が出る直前に子猫を飼い始めたことが判明。子猫と他の家族の検査を行ったところ、全員、抗体が陽性で、男児以外は症状を伴わない不顕性感染でした。治療を行ったことで男児の体調も回復しました。

 また、40代男性は長引く倦怠感で10以上の病院を受診。自律神経失調や更年期障害と診断されたものの症状はまったく改善せず、心療内科でうつ病と診断されて薬を飲むと、かえって症状が悪化しました。そんなとき、私があるテレビ番組でパスツレラ症の話をしていたのを見たご本人から、どうしても調べてほしいと連絡が来ました。私も半信半疑でいろいろ検査をしてみるとQ熱であることがわかり、適切な治療が行われたことでずっと苦しんでいた症状から解放されました。

 Q熱を確定するには特殊な検査が必要になりますが、診断が下れば抗生物質で治療可能です。私たちの研究チームが診断不明の不定愁訴を抱える52人の患者の血液からコクシエラ遺伝子の検出を行ったところ、17人から検出され、そのうち16人がペットを飼っていました(犬6人、猫7人、その他3人)。現在、日本には不定愁訴を訴える慢性疲労症候群予備軍は300万人いるとも言われており、今後、診断の際にはQ熱の可能性もぜひ視野に入れるべきです。


インフルエンザと間違われやすい「オウム病」

 鳥から感染するオウム病は、オウム病クラミジア(Chlamydia psittaci)という細菌によって起こる病気です。名前の通り、インコやオウムなどで保菌率が高く、ドバトなどの野鳥が感染源になることもあるため、鳥を飼っていなくても感染することがあります。2002年1月には松江市にある花と鳥をテーマとしたレジャー施設で、従業員や来園者が集団感染した事例が報告されています。

 感染した鳥の糞や鼻汁に含まれる菌を吸い込むことで人に感染します。通常、感染から4~15日で38℃以上の発熱、咳、痰などの症状が見られ、40代以上では呼吸不全を示して劇症型になることもあります。症状がインフルエンザに似ているので間違われやすく、全国で年間約300~3000人の発症が推定されています。数年に1例程度の死亡が報告され、17年には妊婦の死亡が2例報告されました。

 鳥が感染しても無症状な場合もありますが、元気や食欲がなくなる、羽毛が逆立つ、やせる、鼻水、下痢などの症状が現れて死ぬこともあります。ペットの鳥が死んだ後、人にインフルエンザのような症状が出たときには、その旨を必ず医師に伝えてください。


「知るワクチン」で予防。感染を防ぐ15カ条

 ここまで私はあえて感染症のリスクについて述べてきたので、不安に感じた方もいるかもしれません。けれども、リスクがあることを知ったうえで衛生管理を適切に行ってペットと正しくつき合えば、これらの感染症の多くは予防できるので、やみくもに恐れる必要はありません。ペット由来感染症の中で、現在、ワクチンで予防できるのは狂犬病とレプトスピラ症しかありませんが、何をすると感染し、何をしなければ安全なのかを理解してそれを実践することが一番の予防策=ワクチンとなります。私はこれを「知るワクチン」と呼んでいます。

 ペットからの感染を防ぐには感染経路を断つことが重要です。予防のための15カ条を紹介しますので、ぜひ実践してください。


 この15カ条を提示すると、「一緒に寝るのはどうしてもだめですか?」という質問をよく受けます。寝ている間に犬や猫に顔を舐められたり、病原体を吸い込んだりして、経口感染や飛沫感染の危険性がある以上、やはり避けるべきです。けれども、私も犬や猫と暮らす飼い主の一人でもあり、ペットと一緒に眠る幸せは理解できます。どうしても一緒に寝たいという人は、口を舐められないようにせめて就寝時にマスクを着用するなどの対策を講じてください。

 また、原因不明の体調不良や不定愁訴があるときには、ペットを飼っていること、動物との接触があったことを医師に伝えてください。過去1年間のペットとの接触歴・状況、今までの経過を箇条書きにまとめ、コピーを渡すのもよいでしょう。

 ペット由来感染症で死亡例が報告されれば、「ペットは危険」と大きな騒動になりがちです。

 大切なペットを感染源にしないためにも、「知るワクチン」を活用し、感染予防を気にかけたつき合いをして、ペットとのよりよい生活を楽しんでください。
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跋扈するヘタレとヒラメ 霞が関全体がサガワ化の世も末

2018-08-11 | いろいろ

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跋扈するヘタレとヒラメ 霞が関全体がサガワ化の世も末


 政府が来年の天皇退位と新天皇即位に合わせ、国家公務員が過去に受けた懲戒処分の免除を行う検討を始めたと、7日の毎日新聞が報じた。複数の政府関係者が明らかにしたという。

 免除の範囲は「前例踏襲が妥当」とされ、昭和天皇の「大喪の礼」の時の基準を当てはめると、国税庁の佐川宣寿前長官の減給処分や、財務省理財局幹部らの減給・戒告処分などが免除される可能性がある。

 定例会見でこの報道について聞かれた菅官房長官は「あり得ない。明快に否定する」と答えたが、「あり得ないことが起き続けているのがこの政権です」と、政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。

「首相が国会の場で平気で嘘をつき、官僚にも嘘を言わせ、公文書も改ざんされる。過去には考えられなかったことだらけですが、そうやって首相を守るために泥をかぶった官僚たちが出世していく。こんな政権だから、佐川氏の恩赦もやりかねません。佐川氏は証人喚問で偽証したことが誰の目にも明らかなのに、告発もされない。安倍首相に忠誠を尽くせば、犯罪さえ揉み消してもらえるのです。それを見た官僚たちは、矜持を捨てて官邸のポチになる。霞が関全体が“サガワ化”してしまえば、崩壊の一途です。法治国家とは言えません」

 サガワ化しているのは官僚だけではない。与党議員も同じだ。

 衆院予算委は3日、参院予算委も6日に理事懇で野党が求めていた議院証言法違反による佐川氏の告発を拒否した。「偽証の疑いがあるとは言い難い」というのが与党側の言い分だった。

■ 「総理のご意向」をカサにゴリ押し

「民主主義は多元性とチェック・アンド・バランスが機能して、初めて成り立つ。行政府にだまされても、偽証が明らかでも異議を申し立てようとしない立法府の方もどうかしています。これは間違いなく安倍1強体制が続いてきた弊害ですよ。干されるのが怖いのか、与党議員は安倍首相の顔色ばかりをうかがって、国会議員としての本来の役割を放棄している。国会の地位を低め、自らの役割を否定しているのです。ヒラメ議員に占拠された国会は、立法機能を失ってしまった。国会議員も官僚も官邸の意向を忖度して動き、モリカケ問題のように首相夫妻やその周辺で問題が起きても、誰も責任を取らない。こういう不正常な状態が続き、政治の私物化が加速してきたのです」(政治学者の五十嵐仁氏)

 モリカケで注目を集めたのが、「官邸官僚」の存在だ。安倍政権の5年半、ずっと安倍首相の周囲を固めてきたのが、今井尚哉首相秘書官を筆頭に、佐伯耕三秘書官、和泉洋人首相補佐官、北村滋内閣情報官ら官邸官僚である。安倍との個人的な関係で起用された彼らが、「総理のご意向」をカサに官邸の方針をゴリ押ししてきた。

 朝日新聞の連載「安倍政権と官僚」は、その横暴と腐敗の構造をこう分析した。 
<安倍と以心伝心の「官邸官僚」たちの指示は、省庁幹部から「首相の威光」と受け止められる>
<人事権を握った官邸に、各省庁は従うしかなく、「官邸官僚」を除く官僚は萎縮と忖度を余儀なくされる>
<官邸主導は本来、二大政党間で政権交代があることを前提に、短期間で政治の結果を出せる仕組みをめざした姿だった。しかし、5年半を超える長期政権で政権交代の緊張感は薄れた。「政治主導」を掲げながら、財務省による公文書改ざんなど、大きな不祥事が起きても誰一人、政治責任を負わないいびつな構造ができあがった>

 これが、霞が関の「総サガワ化」を招いた官邸主導の実態である。

 
 安倍政権の側近政治は国を滅ぼす宦官政治と同じ

 安倍政治の5年半で、霞が関も国会も与党も官邸の下請け機関に成り下がってしまった。省庁は官邸の意向に合致する政策や数字を提出することだけを求められ、自民党の政調も総務会も開店休業状態。闊達な政策論議がなくなってしまったのだ。

 だが、官邸官僚たちが肩で風切り、トップダウンで政策を主導する仕組みは危うい。官邸官僚は基本的に国会答弁に立つことがない。つまり、間違ったことをしても誰も責任を取らない。それに、選挙で選ばれたわけでもない官邸官僚が政策を決めるのは、民主的とは言えないのだ。

 そういう官邸官僚が跋扈する安倍政治は、宦官政治とよく似ている。中国の歴史の中で、唐や明は、出世欲と権力欲にまみれて皇帝に取り入った宦官による政治腐敗が原因で滅亡した。国を滅ぼす「奸賊」として語られることが多い宦官の姿は、今の官邸官僚に重なって見える。

「首相官邸の中のひと握りの人間が政治を牛耳り、首相が国家を私物化している現状は独裁専制そのものですが、民主主義の仮面をかぶっているところが悪辣きわまりない。こんな政治を続けさせていいはずがないのに、これほどの腐敗を許して安倍3選を支持する自民党議員には、呆れて言葉もありません。日本ボクシング連盟の理事たちは辞表を突きつけて山根会長に辞任を迫ったというのに、自民党議員はどこまでヘタレなのか。“寄らば大樹の陰”とでも考えているのでしょうが、根っこから腐った木に寄りかかってどうするんですか。情けないのは自民党議員と官僚だけではありません。大メディアもヒラメ化して権力批判を忘れてしまった以上、どこに怒りをぶつけていいのかも分からない。国家のガバナンスを破壊した安倍政治は、もはや災害レベルです。安倍3選なら世も末で、ますます霞が関のサガワ化が進むのは確実です。亡国へのカウントダウンが始まっています」(本澤二郎氏=前出)

■ 「凡庸なる悪」が3選を支える

 ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントは、何百万ものユダヤ人を強制収容所へ移送する指揮的役割を担ったナチス戦犯のアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴。著書「エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告」で、彼を「凡庸なる悪」と評した。もともと残虐非道な嗜好を持った凶悪犯ではなく、ヒトラーの意向に忠実なだけの役人。アイヒマンは自らの官僚としての出世のために「ユダヤ人問題の最終的解決」に尽力した。ただ「思考欠如」の状態にあっただけだというのだ。そこが恐ろしい。

 安倍1強にひれ伏し、思考停止状態の官僚が安倍の意向を忖度し、忠実に実行する。アイヒマンと同じだ。トップの意向に身を委ねれば、職務を忠実に遂行しているだけだと自分を正当化し、自身の出世欲は曖昧になり、悪事を働いているという意識も薄れる。佐川氏もそういう忠臣のひとりだった。そして、今は自民党議員の大半が、そういう気分で安倍3選を支持している。

「ポストを得るため、自分の地位を高めるために安倍首相の顔色をうかがう自民党議員には、自浄能力も自己変革能力もないことがハッキリしました。主権者である国民が意義申し立てをするしかありません。世論調査でも、多くの国民がモリカケ問題での首相の説明に納得していない。首相や官邸への忖度も行き過ぎていると考えている。この不満を直接の意思表示ができる次の国政選挙まで忘れないことです。選挙区の自民党議員に訴え続けることも必要です。主権者だということを忘れてはいけません」(五十嵐仁氏=前出)

 アーレントが批判した「思考欠如」は、すべての人に向けられている。声を上げなければ、抵抗しなければ、暴政を支持しているのと同じだ。政治の私物化を是としないのなら、地元の議員に「総裁選で安倍に投票する気か」と確認することから始めてはどうか。
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「沖縄の人をなめてはいけない」 翁長知事が問い続けた不条理 語録で振り返る

2018-08-11 | いろいろ

より

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「沖縄の人をなめてはいけない」 翁長知事が問い続けた不条理 語録で振り返る

 「ハイサイ、グスーヨー」。しまくとぅばを使い沖縄県民に呼び掛けた翁長雄志知事。基地負担に悩む県民に優しく語り掛ける一方、相次ぐ米軍関係の事件事故や基地問題の根本的な解決に後ろ向きな政府の姿勢には容赦なく怒りをぶつけた。自身の政治指針を示す「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉は、保守政治家であり、同時に県民代表であろうとする翁長知事の姿勢を表現している。

イデオロギーよりアイデンティティー

 「私は保守の人間だが、沖縄に在日米軍専用施設面積の74%が集中するのは大変理不尽で、許されるものではないと考える。基地問題を解決しなければ21世紀に羽ばたくことはできない」(2014年12月10日、就任直後のあいさつで)

 「辺野古の新基地は絶対に建設できない。移設を粛々と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられ、上から目線の言葉を使えば使うほど県民の心は離れ、怒りは増幅する。官房長官の言葉は、キャラウェー高等弁務官の姿を思い出させる」(15年4月5日、菅義偉官房長官との初会談で)

 「今本土で飛んでいるオスプレイは一定程度が過ぎたら、みんな沖縄に戻ってくるんです。これを日本の政治の堕落ということを申し上げているんです。どうか日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください。ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけない)」(同5月17日、辺野古新基地建設に反対する県民大会で)

安保体制は正常か

 「政府は民意にかかわらず、強行している。米施政権下と何ら変わりない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい」(同12月2日、代執行訴訟第1回口頭弁論の意見陳述で)

 「グスーヨー、負ケテーナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ(皆さん負けてはいけません。私たち沖縄人の子や孫を守るため頑張りましょう)」(16年6月19日、元米兵の女性暴行事件に抗議する県民大会で)

法治国家とはいえない

 「怒りを禁じ得ず、強い憤りを感じる。県民に十分な理解がない形で、安易に米軍側の発表を追認している。県民不在の中、米軍が発表する形で物事が進められており大変残念だ。日米地位協定の下では法治国家とはいえない」(17年1月5日、MV22オスプレイの空中給油訓練再開を受け)

 「一番守ってあげなければならないのは子どもたちだ。運動場のど真ん中に落ちたのは許されない」(同12月13日、米軍CH53大型輸送ヘリの窓落下で現場を視察)

 「(米軍機の相次ぐ不時着に)まさしく、米軍全体がクレージーだ」(18年1月24日、首相官邸で記者団に)

背筋が凍る思いだ

 「(米軍機不時着を巡る不適切発言で辞任した松本文明内閣府副大臣に対して)本土の政治家の無理解は背筋が凍るような思いだ」(同29日、県庁で記者団に)

 「公務をしっかりこなす中で、私への負託に応えていきたい」(同5月15日、膵(すい)臓がんの公表会見で)

 「朝鮮半島の非核化と緊張緩和への努力が続けられている。(日本政府は)平和を求める大きな流れから取り残されているのではないか」(同7月27日、辺野古沖埋め立て承認撤回方針の表明会見で)
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子供を作らない話がなぜ「生産性」という言葉で語られたのか (抄)

2018-08-10 | いろいろ

ジャーナリスト田中良紹氏のヤフーニュースのコラムより

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子供を作らない話がなぜ「生産性」という言葉で語られたのか

 月刊誌「新潮45」8月号に杉田水脈自民党衆議院議員が「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるか。LGBTは子供を作らない。つまり『生産性』がない」と主張したことに批判が相次ぎ、当初静観する構えを見せた自民党も「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた」との理由で注意処分を行った。

 杉田氏に寄せられた批判は、性的マイノリティに対する差別を助長し人権を無視しているということで、それはその通りだが、フーテンが初めに思ったのは、「子どもを作らない話がなぜ『生産』ではなく『生産性』という言葉で語られたのか」という疑問だった。

 日本語ではものを作ることを『生産』と言い、作る効率のことを『生産性』と言う。子供を作る話を『生産』とか『生産性』で表現することに抵抗はあるが、しかし杉田氏の『生産性』発言を考えるため、あえてその言葉を使って比較する。

 LGBTつまりレスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーが子供を作らないと言うのであればそれは『生産』がないのであり、『生産性』がないのではない。『生産性』がないというのは「2人の親から2人以下の子供しか作らない」ケースだろう。それでは間違いなく人口が減るので効率がよろしくない。つまり『生産性』がない。

 杉田氏が『生産』と言うべきところを『生産性』と言ったのはなぜか。そこに安倍政権が掲げる「働き方改革」の影響をフーテンは感じ、また杉田氏が米国の共和党政権を支える宗教右派の「LGBT撲滅運動」を模倣しているようにも見えた。この2つが「LGBT生産性」を言わせたと思うが、しかし2つとも日本の伝統とは相容れない外来思想である。

 まず「働き方改革」だが、狙いは先進諸国と比べて著しく低い日本の「労働の生産性」を引き上げる目的がある。何しろ世界を驚かせた高度経済成長期にあっても日本の労働の生産性は先進諸国で最低だった。

 米国、英国、イタリア、フランス、ドイツ、カナダと労働の生産性を比較すると、1988年から93年までのバブル期に日本の生産性が英国をやや上回ったことがあるだけで、その前も後も日本は各国に比べて最低である。

 逆に言えば日本は生産性が低くとも驚異的な経済成長で1985年に世界一の債権国に上り詰め、その後も「失われた20年」と言われながらその地位を維持し続けた。中国に抜かれたとはいえ今でも世界3位の経済大国である。

 日本を経済大国にした高度経済成長期の日本は、労働者の賃金が上がり続け、それに伴って物価も上がり続け、東京が世界で最も物価高の都市と言われた。労働者は今日よりも明日が良くなることを信じて企業の「社畜」となり、「24時間働けますか!」を合言葉にモーレツ社員を目指した。

 そして海外では安売り攻勢を仕掛けて相手国の産業を廃業に追い込み、日本企業が海外の市場シェアを奪うことに精を出した。産業を潰された相手から見れば日本は「失業輸出国」となる。安売りによって海外で損した分は国内の物価でカバーした。それでも国民は毎年賃金が上がるので誰も文句を言わず「社畜」に励んだ。

 しかしこのからくりがいつまでも続くはずはない。バブル崩壊とともに日本はデフレの時代を迎え、物価も下がるが賃金も下がる希望の持てない時代になった。しかも深刻なのは人口減少が始まったことである。労働者の数が減れば労働の生産性を上げない限りGDPは減少する。生産性を高めることが日本の至上命題になった。

 ではどうやって生産性を上げるか。生産性で常に世界一を続けているのは米国だ。「働き方改革」の高度プロフェショナル制度や裁量労働制はいずれも米国でやっていることを日本に導入しようとしたものだが、それがうまくいくかが問題である。

 フーテンは国柄に違いがあるのでうまくいくとは思えない。日本は個人より組織が優先される。「出る杭」は打たれる。そして今でも企業は「社畜」を求める。しかし米国では「出る杭」ほど尊重され、労働者は能力さえあれば次々に職場を変える。だから生産性が高い。この違いをなくさない限り米国を真似する「働き方改革」などお笑いだと思っている。

 ・・・・・・。


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 生産と生産性の違いが分かっていないんじゃないか、その程度。
 いずれにしろ首相や幹事長にかばってもらえるから増長する。


松尾貴史と室井佑月が体験した安倍政権からの圧力と「反日」バッシング!(後編)

2018-08-09 | いろいろ

より

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松尾貴史と室井佑月が体験した安倍政権からの圧力と「反日」バッシング!「日本をいちばん貶め壊しているのは安倍さん」

 タレントの松尾貴史をゲストに迎えた室井佑月の連載対談「アベを倒したい!」第11回。
 前編では、松尾、室井ともに「安倍政権になってから明らかに増えた」口をそろえ、安倍政権のメディア圧力、いまメディアで政権批判することの難しさが語られた。
 後編ではさらに、ふたりの実体験をもとに、安倍応援団やネトウヨによる「反日バッシング」のメカニズム、安倍政治がもたらした社会の分断にも話が及ぶ。
 なかでも、松尾は国民やメディアをコントロールする安倍政権の巧妙な手法を冷静に分析。
 メディアで仕事をしているふたりだからこそ語れる、リアルで本質的な議論をぜひ最後まで読んでほしい。
(編集部)

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室井 前回、安倍政権のメディア圧力のことを語りましたけど、いま普通のことが普通に言えなくなってきていて、戦争に反対だというだけですぐに「反日だ」とバッシングされます。松尾さんはこの状況について、どう思ってます?

松尾 まず、「安倍政権」=「日本」って思っている人が妙に多いよね。安倍政権に異を唱えているだけなのに、「反日」と言われるのはおかしいはずなのに。さらに言えば、僕の中の評価だけど、一番の反日は安倍さんだと思っているほど。日本を一番貶めて壊しているのは安倍さんだし、安倍さんを応援する人たちは反日に手を貸していると。

室井 同感! 

松尾 統治機構=国ではないはずです。国の要素は統治機構と、国土と国民であって、他にも様々な要素はあるでしょうけど、この3つは大きい。そもそも国民が幸せに暮らせるなら、統治機構なんてはいらないはずです。それだけでなく国土がなくても国として認識されている集団はあるけれど、でも国民がいないと国とは呼べない。ということは一番必要なもの、大事な要素は国民なんです。それなのに、国民の生活や未来より、国民が統治機構に忠誠を誓わされて我慢を強いられる。今、そんな状況が“よし”とされている。まるで戦前戦中です。だからそんな統治機構のトップの安倍さんが、“国”に対して反旗を翻している行為ではないかとさえ思うんです。

室井 日本国民って、「長いものに巻かれろ」みたいな国民性だから、より一層、強いものや権力になびいちゃうしね。それも周囲のムードや雰囲気で。一種の同調圧力なんだと思う。松尾さんやわたしが安倍ファンのネトウヨから攻撃されるものそういうことでしょ? 強い安倍ちゃんを応援したい。信じたい。それが正義だ!と。

松尾 そうなんです。人間って信ずべきものより、信じたいものを信じようとする。

室井 安倍親衛隊やネトウヨはその最たるものだけど、わたしもネットは自分の読みたいものしか読んでないかも(笑)。実生活でもハッと気づくと、思想が似たような友だちしか残ってない(笑)。

松尾 ツイッターもそう。自分の意見が合う人や、この人の意見をもっと読みたいって人をフォローして、自分のタイムラインに出るのは自分の気に入った人たちしか並ばないようにしているからまさに“快楽情報”です。快楽情報ばかりに浸って、自分の反対意見なんかフォローしない。反対意見やケチ、難癖をつけるため、絡むためにフォローしているアカウントはあるでしょうが。でもほとんどは自分の好きな意見ばかりで、でも室井さんの言うように、人間ってほとんどがそうなんです。ただ、僕の周りには安倍さんを好きな人、一人もいません(笑)。でも世の中には実際に4割くらいいるでしょう。

室井 松尾さんのツイッターもすごいことになってますよね。日の丸模様のアカウントの人たちからすごく絡まれてる。

松尾 僕はどんどんブロックしています。ブロックを恥だと思っていないので。読みたくないなら、読ませません。しかも彼らの手口は手が込んでいるんです。以前に、文科省前事務次官の前川喜平さんを「素晴らしい」と書いたんです。一方で、そのずっと前に、同じく文科省OBで天下り先の厚遇を国会で証言した嶋貫和男さんに対して、嶋貫さんの名前を書かずに「ゲス官僚」と書いたんです。でもその2つを貼り合わせて、まるで前川さんを以前に「ゲス官僚」と非難したということにされた。そして「(松尾は)こういう男だ」「こんなにダブルスタンダードだ」との批判がツイートされて。僕の人格を貶めることを目的に書いているんだけど、ただ僕は痛くも痒くもないんですよ。さきほども言いましたが、こんなことでわざわざコラージュ作ってやるってことは、よっぽど僕のさまざまな批判が安倍ファンの痛いところを突いたと思うから。そこまで僕に絡んで来る人たちは気の毒だとも思うし、そうやって反応があるってことは「相手に効いたんだな。僕は上手に言ったんだな」と、我が意を得たりですよ。

室井 やっぱり大人。わたしだったら死ねと思っちゃう。敵と味方どっちだ、という性格だし。

松尾 (爆笑)。


 松尾貴史と室井佑月が体験した安倍政権のメディア圧力、安倍応援団の実態

室井 苦しんで死ねとすら思ってるくらい。もちろんわたしは公の場で発言しているし、叩かれることも仕事、ギャラのうちと頭では思っているけど、心ではやっぱりね。でもわたしのことをネットで「バカ」「ブス」「売国奴」「日本人じゃない」って書いている人とばったり会って握手をしたとしたら、その瞬間からわたしのファンになるような人の気がするの。

松尾 さすが、前向きだね(笑)。確かにああいう人たちは、直接会うと何も言えない、目も合わせられないような人たち。だから顔を隠し名前を隠し、サブ垢、裏アカつくって勤しんでやっている。すごく弱い人だと思う。ただ、考え方だけで敵対するなんて今時ナンセンスだし、ナチスの時代じゃないから、「敵と味方」ではないと思う。ただ、世の中が“そっちのほう”に流れればいいなと思っているのが、今の政府や偉い人たちじゃないか。そう思うと、不安ですけどね。たとえばいじめに加担する子たちって、なんとなく「あの子悪者だよ」という大義名分をムードでつくってひとりの子をいじめたりするでしょう。その子が何も悪いことをしていなくてもそういうムードになっちゃう。それが今、日本全体に蔓延していて。マスコミもそれに手を貸してさらにムードを醸成しているところがあると思うんです。

室井 マスコミ、とくにテレビって視聴率しか考えてないもん。

松尾 そうなんだよね。視聴率ってすごく大きな問題だよね。でもテレビが商売である以上そこはしょうがないですよ。ただこれから、ネットメディアがどのように、本来に伝えるべきものを伝えていくか。たとえばアジアのどこかの国だと、視聴率とは別に質のいい番組だという評価を独立した組織がして、保証を与えているシステムがあるらしいです。そういう発想が日本はないよね。

室井 しかも権力に弱腰だから、余計圧力をかけられる。でもメディアって権力の監視役でしょ。そこに圧力をかける政権なんて“独裁”そのものなんだから、たとえば放送権のことで脅されたら、各局で団結して、抗議番組を作るとか。どうしてそういう発想にならないのか本当に不思議。

松尾 目先の利益がほしいですからねえ。

室井 今は国民がメディアの味方をしない。信用されていない。そのことも大きいと思う。

松尾 確かに。それで、室井さんの出演している『ひるおび!』(TBS)はどう? 個人的には八代英輝弁護士が面白いなと思っていて。安倍さんのお友だちなの?


 メディアをコントロールし、国民の無知・無関心をつくる安倍政権の愚民化作戦

室井 聞いたけど、お友だちってじゃないって。ワイドショーに出てる人で、安倍さんや菅義偉さんや麻生太郎さんと隠れて飲みに行ったりして、友だちだと思っている人はたくさん知っているけど、八代さんはただの自衛隊と自民党好きでしょ。でもわたしに「もっと大人になれ」と心配してくる人より、わたしとはまるで考え方が違うけど、八代さんのように「それが絶対の正義」ってはっきり言っている人のほうが、ある意味純粋だと思う。親切な人なだし。でも安倍さんとか国とか防衛の考え方とか、そういうところでいきなり目が三角になって怒り出したりする(笑)。

松尾 あはははは!

室井 八代さんはアメフトの日大の酷さとかは、舌鋒鋭く追及するのに、安倍さんのことは「証拠もないのに、まだ決まってないんだから断定するな」と言うんです。ほんと不思議でしょうがない(笑)。でも、情報番組の司会やコメンテーターも安倍政権になってから、“安倍支持か不支持か”の基軸が鮮明になってきた。

松尾 そうなんです。利害に忠実、欲望に忠実っていう人たちが、安倍政権の閣僚や、閣僚だった人や周辺の人たち、あるいは奥さん、そしてマスコミにこんなに多かったのかって。加計学園にしても関連人物が政権のまわりにいっぱいいる。こんなにあからさまなことがあるのかとびっくりするものね。でもあまりテレビではそれを言わない。それがどういうことなのか。イマジネーションを働かせれば、すぐにわかることです。

室井 じゃあ松尾さんは? こんなにズバズバ発言していて安倍政権からの直接的嫌がらせや圧力は感じたことはありますか?

松尾 直接はないです。間接的にはあるけどね。ものすごく巧みですよ。証拠が残らないようにやってきますので。でも具体的に言うと間に入っている人に迷惑がかかる。この辺が僕もマスコミで毒されているところなんですけどね。でも、マスコミだけでなく、国民も政権からバカにされてますよね。実際に、「民は愚かに保て」というムードが偉い人の中にあると感じます。だから大事なことは伝えないし、情報も隠す。そして考える機会を与えない。無力感・無関心の状況を作っておいて、気がついたらトンデモない事態が進んでいる。そんな取り返しのつかない法律もたくさんできています。その最終形が改憲だと思っています。そこに向かって巨大なPRがお得意な人たちでムードを作ったときに、どうなってしまうんだろう。成立してから「改憲は間違いだった」と国民が思っても取り返しがつかない。


 安倍首相は、嘘も権力の私物化も恥ずかしいとすら思っていない

室井 今の政権は嘘が平気だから、いくらでもフェイクや嘘の情報を繰り出し作り話して違うことを言いますし、官僚トップがセクハラもしちゃう。

松尾 エリート中のエリート、セクハラ財務官僚にしても、「手縛っていい?」なんて女性記者に言うセンスも問題でしょう。勉強を一生懸命してきたことは尊敬するけど、でもまっとうな甘酸っぱい恋とかしてこなかったんじゃないのかなと思うんです。思いやりとか、「女子にこう言ったら嫌がられるかも」「傷つくんじゃないか」ということを考えるより先に、地位とかランク、ステージばかり考えてきたから、バランス感覚さえなくなってしまった。

室井 思いやりや想像力の欠如ですよね。安倍さんや麻生さんにしても、何を考えてああなっちゃったの? 自分たちのせいで自殺者まで出ても何も思わない。そういえば昭恵夫人がインタビューで話していたことだけど、安倍さんって映画監督になりたかったって言うじゃない。わたし、びっくりしちゃって。いやいや、映画監督や物書きや役者、音楽家は才能がなければダメだから。想像力がないとダメだから。なりたいと言ってもお金で買えない。自己認識が足らなすぎるというか、恥かしくないのかなと思いますね。自分のことなにもわかってない人なんだな。だいたい権力の私物化ってすごく恥ずかしいことじゃないですか。それなのに安倍さんは平気でやってしまう。

松尾 それを恥と思っていないんでしょう。

室井 やっぱり、尊敬できない。1月の参院予算委員会でエンゲル係数の上昇が指摘されたとき、安倍さんってデタラメな言い訳をしてた。そんな人、総理って呼びたくない。

松尾 あの答弁から、ウィキペディアまで書き換えられたんですよね。なんでもかんでも閣議決定しちゃう政権だから当然かもしれないけど(笑)。

室井 「昭恵夫人は公人」だとか「『そもそも』には『基本的』にという意味もある」という閣議決定もあったしね。本当にバカバカしい。

松尾 でも室井さんは頑張りすぎじゃない? そんなに無理して頑張っちゃダメですよ。しんどいときはやめたらいい。自分でハードル高くしちゃうと、ハードルは高くなっても自分の能力は変わらないから、いい結果が出なかったら自己嫌悪が起こるでしょ。そうすると鬱入っちゃいますから。そんなことはやめたほうがいいですよ。ゆるーく、思ったことを言って、やだなあと思ったら距離を置くくらいの感じでやっていかないと。みんなできることをできる範囲内でやればいいだけで。使命感を持って「ここまでやらなきゃ」なんてしてると壊れちゃうから。

室井 使命感ではないんですけどね。ただ、ライフワークになっているって感じかな。だから安倍さんが辞めたら、寝込むと思います。燃え尽き症候群。

松尾 (爆笑)。安倍さん批判が、人生の張り合いになっちゃったんですね(笑)。

室井 ……。 

〈了〉

松尾貴史(まつお・たかし) 1960年兵庫県神戸市出身。大阪芸術大学卒業後デビューし、テレビ、ラジオ、映画、舞台、執筆、イラストなど多彩に活躍。現在各地で巡回公演中の、権力にすり寄る記者クラブを題材にした舞台「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」(二兎社)に出演中。毎日新聞毎週日曜日の連載コラム「松尾貴史のちょっと違和感」での知的で鋭い政権批判やメディア批評は毎回大きな注目を集めている、著書に『東京くねくね』(東京新聞出版局)など。

室井佑月(むろい・ゆづき) 作家、1970年生まれ。レースクイーン、銀座クラブホステスなどを経て1997年作家デビューし、その後テレビコメンテーターとしても活躍。現在『ひるおび!』『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)、『あさイチ』(NHK)などに出演中。「週刊朝日」「女性自身」「琉球新報」などにコラム連載を持つ。
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