阪神間で暮らす-2

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

I am not Abe.   政治資金で線香購入 アウトです

2018-02-07 | 日記




 世界に対し、安倍首相がやっていることが本当の日本の姿じゃないと思い、 『 I am not Abe、 』 と声をあげる、Yuriko Maeharaも追加だな。



   2017年都議選票前日の7月1日、安倍首相の「ホームグラウンド」とも言われているJR秋葉原駅前で、安倍首相は都議選初の街頭演説を行った。同駅前には日の丸の小旗を振る自民党の支援者が集まったが、聴衆の一部からは「安倍辞めろ」「安倍帰れ」などのコールが発生。声は次第に広がり日の丸の小旗を持った人達も「帰れ」「帰れ」とコールした、これに対して首相は「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と怒りを露わにした。いつも国会で率先してヤジを飛ばしているのに! 
   
そして聴衆を指差しながら一際大声で言い放ったのが
   「こんな人たちに負けるわけにはいかない」




  2017年2月17日の衆議院予算委員会において、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれは、もう私は総理大臣も、そりゃもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」


  14年の選挙の時は『来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。』 と言っていた。


  元官僚の古賀茂明氏は氏の著書「国家の暴走」に安倍首相の事を
  「この人物は、いとも簡単に、しかも堂々と、嘘をつける人間なのだ。」 と書いている。


 安倍政権が進めるアメリカのためのTPP批准に反対します。


  忘れていませんよ、12年の選挙時に貼られたポスター、どうなっているでしょう。
  言っている事とやっていることがさかさま。安倍自民は単にアメリカの隷属政党。

  「日本を耕す自民党」と言うのは外資に対し日本から搾取しやすいようにする。事か?
  「ウソつかない。」自体が嘘



  TPP、ISD条項で日本の国家主権は破壊されコングロマリットの餌食に
  

  農業だけじゃないよ、食料、医療、特許、環境、労働、投資、衛生植物検疫、越境サービス など21分野

  自民党が2012年暮れの衆議院選挙で公約したTPPに関して、自民党のウェッブをチェックしよう。

   
 拡大すると
   



 安倍政権の進めるアメリカのための戦争法施行および帝国憲法への改憲に反対します。



 〈あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。世界によって自分が変えられないようにするためである〉ガンジー

 〈一番こわいものはテロリストでも大不況でもなく、いつの間にか私たちがいろいろなことに疑問を持つのをやめ、気づいた時には声すら自由に出せない社会が作られてしまうことの方かもしれません〉アメリカで医療破産したある女性(堤未果、ルポ貧困大国アメリカⅡより)




 02/07(水)

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陸自ヘリ墜落で死亡者 佐賀空港オスプレイ配備に暗雲漂う  【日刊ゲンダイ】

 小野寺防衛相の苦渋の表情は事故だけが理由ではなさそうだ。

 5日夕方、佐賀県神埼市千代田町嘉納で陸上自衛隊のヘリが墜落。男性隊員1人が死亡、1人が行方不明、住宅2棟が燃え、住人の小5女子児童(11)が軽傷を負った。

 墜落したのは目達原駐屯地所属のAH64D戦闘ヘリ。飛行中にメインローター(主回転翼)が脱落し、ほぼ垂直に墜落したというから大問題だ。

 陸自は駐屯地から20キロほどの佐賀空港にオスプレイ配備を計画している。昨年末には、佐賀市議会で「オスプレイ配備容認決議」が議決されている。だが、今回の事故で雲行きが怪しくなりそうだ。

「今回墜落したAH64は攻撃型ヘリ。オスプレイは輸送用の統合垂直離着陸機です。全く別のものなので、今回の事故とオスプレイの配備計画は直接関係はない。ただ、オスプレイは事故の常連です。地元の漁業関係者や住民の不安はよりいっそう高まるでしょう。佐賀の配備はいったんペンディングになる可能性があります。そうでなくても、オスプレイ配備にあたっては安全面などから慎重な検討が求められるでしょう」(軍事ジャーナリストの世良光弘氏)

 小野寺防衛相は事故を受け、同型機を飛行停止にするとともに、陸海空全自衛隊のヘリについても点検、整備を行うよう指示した。これではやすやすとオスプレイ配備とはいかないだろう。
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 民間の住宅に落ちた、でも民間人の死者は出なかったのが唯一の幸、しかし隊員が2名亡くなっている、こんな事が平時の日本で起こる事は許されないのでは。
 いずれにしろ佐賀県民、長崎県民、福岡県民だけでなく全国民にかかっている事件だろう。
 


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民進、他力本願と言い訳では得るものはない  【日刊スポーツ】

 ★結局党大会で民進党代表・大塚耕平が示した党の方針は具体策のないはっきりしないものだった。4日の党大会で大塚は「『国民生活の向上』のために、選挙を勝ち抜き、政権を担い得る『戦う党』に生まれ変わることが必要」としたものの、「政権交代のためには大きな塊が必要で、引き続き分裂した立憲民主党や希望の党との再結集を目指す」。その具体的内容や時期については「機が熟すのを待ちたい」と戦う党とは程遠い方針を示した。

 ★しかし、民進党の希望の党との合流は「誤りだった」と認め、党名変更も視野に入れていることを大塚は示唆した。まだわかっていないようだ。地方議員も発言したが、約束を守る、決まったことには従う、みんながまとまるなど小学生の道徳のような基礎的なことができないことで国民からの信頼を得られないのに、名前を変えてごまかそうとする発想や価値観に問題がある。

 ★加えて連合会長・神津里季生も党大会のあいさつで「私自身、これまで関係者をおもんぱかって封印してきたことを明らかにしていく必要性を強く感じている」と民進党を希望の党がのみ込む過程に関与していながら、何の役にも立たず政治介入だけを繰り返し、失敗してきたことを棚に上げ、「いろいろな形で関わらざるをえなかったこともある。連合として誤解されているような向きもなきにしもあらずなので、そのことも合わせて払拭(ふっしょく)したい」と言い訳のための暴露を示唆した。

 ★他力本願と言い訳の党大会から得るものはない。民進党と連合の相性の良さは十分わかったので、今度は自立し合う道を模索したらどうか。
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 ほんと他人事なんだから、一度選挙区に帰って市民とじっくり話し合ってはどうか。
 


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社会派映画「デトロイト」 なぜ賞レースで黙殺されたのか  【日刊ゲンダイ】

 アメリカでは、白人警官による黒人への過剰な暴力がニュースになるのはしょっちゅうだ。暴動を繰り返してきた黒人への恐れと差別意識がその背景にあるといわれるが、その原点というべき50年前の黒人虐待事件を描いた映画「デトロイト」が公開され話題になっている。

 「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」の監督&脚本家コンビによる最新作。前2作同様、重厚なタッチの社会派ドラマで、キャスリン・ビグロー監督得意のバイオレンス描写も容赦ない。映画批評家の前田有一氏も作品の完成度の高さには舌を巻く。

 「古い事件の映画化ですが、テーマがきわめて現代的で興味深い。もともと2014年にミズーリ州で起きた、白人警官による黒人青年射殺をきっかけに発生した黒人暴動に関心を寄せていたビグロー監督に、盟友で脚本家のマーク・ボールが50年前の史実を紹介して始まった企画です。あえて時系列順に虐待と尋問シーンを撮ることで俳優たちを精神的に追い詰め、演技を超えたすさまじい恐怖と痛みを観客に伝えることに成功しています」

 舞台は1967年のデトロイト。暴動で街が混乱する中、モーテルに集まった黒人の一人が悪ふざけでおもちゃの銃を鳴らしたところ、踏み込んできたレイシストの白人警官らに尋問されることに。やがて警官の常軌を逸したサディストぶりはエスカレート、歴史に残る惨劇の一夜が幕を開ける。

 批評家や観客の評価は高くオスカー確実とみられていたが、ふたを開けるとノミネートすらされず賞レースからは無視された格好に。「白人警官による黒人差別」というデリケートな題材だけに、“無冠”の不自然さが逆に話題になっている。

 「確かに映画の出来のよさからすれば奇妙なことです。ただビグロー監督はビンラディン暗殺作戦を描いた『ゼロ・ダーク・サーティ』のときも、『民主党の功績を描いた映画を選挙日直前に公開しようとしている』と共和党から大クレームを浴び、公開延期に追い込まれた。演出の手腕を評価される一方で、中身はプロパガンダ的との声もよくあがる“お騒がせ監督”です。まして本作は50年も前の未解決事件の映画化ということで、果たしてどこまで映画が真実に迫っているのか。審査員たちも測りかねたのかもしれません」(前出の前田氏)

 今も根強く残る差別問題。トランプ政権になって問題はエスカレートする一方だが、女流監督からのキョーレツな問題提起に、映画賞審査員たちも思わずひるんだか。
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 オスカーの審査員もわけのわからん世界に忖度しているのか、結構シリアルな映画そうだ。
 


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菅長官が岩田副総裁が 国会軽視“言い逃れ答弁”連発のア然  【日刊ゲンダイ】

 国会もナメられたものだ。5日の衆院予算委で、思わず耳を疑うような“言い逃れ答弁”が連発した。

 佐川国税庁長官を国会に呼ぶ、呼ばないでもめているが、1月15日の会見で菅官房長官がこんなことを言っていた。記者に「佐川長官の理財局時代の文書管理をどう評価しているか」と質問され、菅長官は「佐川長官に確認されたらどうか」と答えていたのだ。

 立憲民主党の逢坂誠二議員に「いい答弁だ。私も菅長官が言うように佐川長官に話を聞きたい」と皮肉られると、菅長官はマジメな表情でこう答えた。

 「引き継がれている後任の理財局長に聞かれてはどうか」

 いやいや、ついこの間、「佐川長官に」と言っていたではないか。

 日銀の岩田規久男副総裁は、5年前の就任会見で、「2年で物価2%目標をできなかったら辞職する。言い訳はしない」と豪語していたが、5年経っても「2%」は実現していない。希望の党の津村啓介議員に突っ込まれると、消費税アップなどの言い訳をタラタラ。

 「(目標未達成について)まずは説明責任を果たす。それができない場合、最終的には辞職するという意味だ。説明責任はしっかりやっている。3月の任期までやる」

 大の大人が百八十度反対のことを平気で言う。こんな国会は子どもに見せられない。
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 菅が佐川に聞いたらどうかと言うんだから国会に呼んでもらおうじゃないか、菅の責任で、会見も開かない佐川では意見を聞こうにも聞けない。
 日銀の岩田副総裁も2年で2%目標達成できてないんだから責任をとって辞めてもらおう。
 

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“茂木問題”拡大 菅長官や小渕優子氏も政治資金で線香購入  【日刊ゲンダイ】

 選挙区内の有権者に線香や手帳を配り、大炎上中の茂木敏充経済再生担当相(62)。自民党内からは、問題の“矮小化”を狙ってか、「野党だって線香を買ってるぞ」との声が上がり始めているという。

 事実、一部メディアに野党議員が政治資金で線香を購入していたことが報じられたが、ちょっと待ってほしい。日刊ゲンダイの調べで、安倍政権の中枢を担う菅義偉官房長官をはじめ、複数の自民党議員も政治資金で線香を購入していたことが分かった。安倍自民に見事にブーメランが突き刺さった格好だ。

 菅長官が代表を務める資金管理団体「横浜政経懇話会」の2011年分の政治資金収支報告書には、8月23日付で東京・銀座の「鳩居堂」に「線香」代として1万500円支出したことが記されている。12年分の収支報告書にも、7月11日に横浜市の「銀座鳩居堂」に「線香代」1万1025円支払ったとの記載がある。

 かつて「政治とカネ」の問題で大臣辞任に追い込まれた小渕優子元経産相が代表を務める資金管理団体「未来産業研究会」も、11年6月10日に銀座の「㈱東京鳩居堂」に「線香代」として、3万6067円支出している。

 さらに、沖縄県で相次いだ米軍機の事故やトラブルを巡り、国会で「それで何人死んだんだ」と暴言を吐いて副大臣を辞任した松本文明衆院議員の政党支部も、11~13年、東京・中野区内の商店に「お線香購入代金」として、計3件で10万2900円を支払っている。金子原二郎参院予算委員長が代表の資金管理団体も12年8月22日、長崎市内にあった百貨店「玉屋」に「線香代」として2万265円支出している。

■無償で選挙区内に配っていればアウト

 これらの支出は全て、交際費や渉外費に関わる「組織活動費」として処理されている。客との交際のために線香購入とは理解しがたい。ひょっとして誰かにプレゼントしたか、それとも支援者の墓前に“自前”の線香を手向けたのか不明だが、無償で選挙区内に配っていれば「線香一本」でも公職選挙法違反疑惑が浮上する。茂木大臣と全く同じ構図である。

 各事務所に問い合わせると、菅事務所は「政治活動の収支は、法令にのっとり適切に運営し報告しています」。金子事務所は「政治資金は法令に従い適正に処理し報告しているところです。ご質問の支出は選挙区外の方へのものです」と返答。小渕、松本両事務所からは期限までに返答はなかった。政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授はこう言う。

 「通常の政治活動で線香を使用する必要があるとは思えず、政治資金から支出すること自体、不可解です。政治活動としてふさわしい支出だったのか否か判然とせず、各事務所は説明責任を果たしたとは言い難いでしょう。とはいえ、今回の議員らの政治団体の支出は、購入した線香の具体的使途が不明であり、『選挙区内の有権者に無償で配った』ことが明らかになっている茂木大臣の疑惑とは同列で比較できるものではありません。茂木大臣の線香や手帳の配布は、公選法違反の可能性が極めて高いのです」

 菅長官や小渕氏も情けないが、疑惑の“本丸”はやはり茂木大臣だ。国民は引き続き、茂木追及を注視すべきである。
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 もちろん茂木が本命だが菅官房長官も追いつめないとどうしようもない、腐敗した政権、この調子で名護でも金をばら撒いたんだろう。
 
 

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原発巡り直接対決  【朝日新聞】

安倍首相「停止で電気代上がった」 菅元首相「自分に都合のいい計算」

 安倍晋三首相は6日の衆院予算委員会で、菅直人元首相(立憲民主)と原発をめぐる論戦を交わした。2011年の東京電力福島第一原発事故について、自民党政権の責任を問うた菅氏に対し、首相は「その通りだ」と答弁。 一方で、小泉純一郎元首相らが唱える原発ゼロ政策には「責任あるエネルギー政策とは言えない」と反論した。

 予算委で新旧首相が「直接対決」するのは異例。菅氏は原発事故当時の首相として「自民党政権時代の原発に対する考え方が不十分でなかったか。事故発生を抑えられなかった責任は自民党政権にもあるのではないか」とただした。安倍首相は「まさにその通りで、政府及び原子力事業者が安全神話に陥り、あのような悲惨な事態を招いた」と答えた。

 また、原発のコスト論争ではお互いに譲らぬ展開になった。安倍首相が「多くの原発が停止するなか、一般家庭で約10%電気代が上がった」と述べ、引き続き原発再稼働を推進する姿勢を示すと、菅氏は原発事故の処理費が想定の倍以上かかっているとして「自分に都合のいい計算をしている」と批判した。
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 たしかにどちらも見た目は間違っていないが電気代が上がったのは事故の補償費を各電力会社が負担しているのも上乗せしている、まあ安全神話を認めた事だけが収穫だがそんな事を言った事をもう忘れているだろう。
 それに菅元首相も原発の単価自体を追及するべきだった、原発にまつわる交付金だの政府が立地自治体に支払っているお金や使用済み燃料の処理費を入れれば原発は決して安くない、再生可能エネルギーに切り替えていない電力会社、いまだに原発をベースロード電源などと言っている自公維政権の体質を正すべきだった。


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質問時間見直し若手のため?  【朝日新聞】

自民 昨年より起用減少「機会まだある」

 通常国会の序盤に行われる衆院予算委員会で、自民党若手の質問者起用は昨年より減つていた一一。首相出席の審議が一区切りとなつた6日に集計したところ、こんな「実績」が浮かび上がつた。与党は若手の質問機会を増やすことを質問時間配分見直しの理由のひとつに挙げていたが、実際はそうなつていなかつた格好だ。

 通常国会の序盤では例年、補正予算案と新年度予算案に関して衆院予算委が開かれ、首相が出席する。この質疑の期間は昨年も今年も同じ計5日間で、自民の質問議員は昨年は9人、今年は与党の質問時間が増えたため11人だつた。このうち、当選3回以下は4人から3人に減少。人数が増えた分は中堅・ベテランに多く回つた。

 若手議員の質問をめぐつては、自民の当選2、3回の議員が昨年10月、森山裕・国会対策委員長に配分見直しを要求。代表者の石崎徹氏(当選3回)は「若手議員の中でも、もつと国会で質問時間がほしいとの思いが強い」と説明していた。与党はこうした訴えを背景に、野党の質問時間削減を迫つてきた。

 昨年の特別国会から、与党が押し切る格好で質問時間が見直されているが、野党は反発している。また、1月29日の衆院予算委では、堀内詔子氏(当選3回)が時間を残して質疑を終えようとするハプニングもあり、野党は批判。今のところ、目に見えた「成果」は出ていない。

 森山氏は6日の記者会見で「(序盤は)極めて大事な質疑なので、経験を積んだ方が質問することも一つの選択。今から質問の機会があるので若い人たちもお願いしたい」と述べた,
*****

 何を言ってるんだか単にモリカケ問題を隠したいから野党の質問時間を短くしたかっただけじゃないか、若手の質問内容もベテラン議員の質問も単に安倍首相によいしょするようなものだった、進次郎が野党は質問内容をAIでチェックしろなどと言っていたが自民公明維新の質問を先にチェックしたらどうなんだ。








 Twitterコーナー、ご参考に

 慶應義塾大学経済学部の金子勝教授のツイッター

 元外務省国際情報局局長の孫崎享氏のツイッター

 自由党の 小沢一郎事務所のツイッター

 社民党参議院議員 福島みずほ氏のツイッター

 東京新聞 政治部のツイッター

 東京新聞 ほっとwebのツイッター

 市民連合のツイッター

 関西市民連合のツイッター

 SADL大阪のツイッター

 上智大学 中野晃一教授のツイッター

 法政大学法学部 山口二郎教授のツイッター


 その他、こちらもどうぞ 
 
 

 

 

 

 

    
 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 




昨日の神戸
 最低気温   -2.4度(06:46) 前日差-1.6度)
 最高気温   4.3度(14:12) 前日差-0.2度)

  今朝の神戸最低気温    -1.9度 (04:40)    最も寒い時期を下回る 平年より4.5度低い  
   、

今日の神戸の
   日の出     6時53分 (昨日 6時54分)
   日の入り   17時34分 (昨日17時33分)

       日の出は昨日より一分早く、日の入りは昨日より1分遅い


   今日の日の出から日の入りまでの時間: 10時間41分。

       

 北海道西岸沖の低気圧は東北を横断太平洋側へ抜け東へ進む、中国大陸の高気圧も東へ進み東シナ海へ、高気圧の範囲が東海あたりまで延びる、沖縄は曇り、九州から関東まで晴れ、日本海側、山陰から北陸は雪、東北は日本海側で曇り、太平洋側で晴れ/曇、北海道は曇り/雪。
     
          
 明日の朝、東シナ海にあった高気圧は中国南部に逆戻り?黄海の低気圧が朝鮮半島の南に、低気圧はあるが高気圧が覆う、気圧配置は緩む見通し、沖縄は晴れ、九州から関東まで晴れ、山陰、北陸は雪/曇り、東北の日本海側は雪、太平洋側は晴れ/曇り、北海道は曇り時々雪の予報。
     

     
     
 今朝は晴れ、今日もまあまあ乾燥している、風もベランダではそれなりに吹いているが寒さは思ったほどでもなかった、気温自体は低めの一日、明日は少しまし。
 今日の神戸の最高気温は  5.2度、昨日より 0.9度高く、平年より 3.9度低かった、今日も最も寒い時期を下回った。
 明日は晴れ、朝の最低気温は 氷点下0.8度、午後最高気温は  6.1度、午後の最低気温は 0度の予報、明日は少し気温が上がるようだ。







三上智恵の沖縄撮影日記 第79回:ゲリラ戦を生き延びた少年兵とスパイリストに載った少女

2018-02-07 | いろいろ

より

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ゲリラ戦を生き延びた少年兵とスパイリストに載った少女 ~沖縄裏戦史(次回作)より

 年が明け、名護の市長選挙が今日1月28日、告示された。辺野古基地建設を止める大きな「風かたか」である稲嶺進現市長を守り、11月の知事選挙につなげることができるのか。まさに正念場の政治決戦の嵐が沖縄に吹き荒れている。そんな中、私は同じ北部に通っているが、向き合っているのは73年前の戦争。去年後半から、私は1945年に迷い込んだままだ。

 今年夏に公開すると宣言した沖縄戦長編ドキュメンタリー『沖縄裏戦史(仮題)』の撮影も大詰め。まだ語れない戦争秘話の中に、次の戦争を止める特効薬となるべき大事な話がわんさか眠っている。過去のことをやっていると思われるかもしれないが、私は自信をもって言う。明日を変えるために今この話を知ってほしいと。過去の悲劇でも何でもない、今とシンクロしている恐怖そのものだと。

 まだその全貌はお話しできないが、大事なエピソードの中から、今回は二つ、ロケ報告の形で紹介したい。北部の少年少女たちの物語である。

〈少年ゲリラ兵とカンヒザクラ〉

第二護郷隊 第二中隊 第二小隊
リョーコー二等兵 は
沖縄戦直前の1945年3月
16歳で召集
たった二、三週間の訓練ののち
恩納岳の陣地で
いきなり敵を迎え撃つことになる

元少年ゲリラ兵
瑞慶山良光さん

4月1日
恩納岳から読谷村座喜味まで
偵察に行き
アメリカの艦隊に包囲された海
続々と陸に上がってくる船を見て
言葉を失った

3日後、谷茶の山中で
黒人兵の集団と鉢合わせ
驚いて咄嗟に
銃を水たまりに落としてしまい
そのままそこに潜って
顔だけ水面に出し
自決用の手榴弾を口にくわえ
ガチガチと震えていた

16歳の少年である
あまりの緊張と恐怖に
気を失ったのか
気がつけば彼らは通り過ぎていた

陣地に戻るも
また3日後には
万座毛を埋めるアメリカの戦車に
爆弾ごと突っ込んでいく
戦車爆破隊に任命された

「自分はもう、生まれてこなかったと思えばいいや」
そう思えば気が楽になった

その作戦が失敗に終わり
陣地に戻ったと思えば
また数日後に
今度は東側の屋嘉に
斬り込み隊で出動

リョーコー二等兵の右の頰に
手榴弾の破片が当たり
奥歯4本が砕かれ
頰に穴が空いた

唾液が全部流出し
食事も消化もできず
みるみるやせ衰えて
野戦病院で病人を運んだり
仲間の埋葬を担当した
三日三晩寝ずに
墓掘りをした

6月2日
ついに第二護郷隊は
恩納岳の陣地を捨て
北に敗走していく

傷病兵は
なんとか歩けるもの
友達の肩を借りて動けるものは
移動を命じられ
そうでないものは
自決か 射殺か
二つに一つだった

しかし
どちらも選べない少年がいた
高江洲義英くん
東村高江出身の17歳
怪我が元で破傷風になり
脳症に至ったのか
精神を病んでいた

撤退する夜
少年は毛布を被せられ
軍医に射殺された
はずが
毛布をずらすと
少年はまだ笑っていた
上等兵がもう一度毛布を被せ
2度目の銃声が響いた

少年はもう
動かなかった

義英くんの弟である
高江洲義一さんには
強烈な記憶がある

終戦になり
護郷隊の少年たちは
三々五々 故郷に帰ってくる
義一さんの母は
高江の田んぼのそばで
夕方になると坂を見下ろして
毎日、義英くんの帰りを待っていた

半年ほど待ったか
亡くなったという噂が入り

父親が従兄弟らと
義英くんの遺骨を
恩納岳から回収し
洗骨をして
母の前に持ってきた

「義英よぅ!  義英よぅー! 
なんでこんな姿になったか?!」
母は兄の髑髏を抱きしめて
狂ったように泣き叫んだ

兄の骨にはまだ
毛布が付いていた
まだ小学生だった義一さんは
髑髏の恐怖と
狂気を纏った母
二重の衝撃が今も
脳裏から離れないという

同時に3人の子を失った母は
精神を病んでしまい
高江の村祭りに乱入し
奇声をあげて
髪を振り乱して踊った

義一さんたち兄弟は
なすすべもなく泣いていた
早く、普通のお母さんに戻って
それだけを願っていた

リョーコー二等兵の話に戻るが
その後も辛酸を舐めた彼もまた
戦争PTSDに見舞われ
戦後も苦しんでいた

頭の中が突然戦争になり
見境なく暴れまわるため
家人は座敷牢を作って
彼を閉じ込めるしかなかった

戦後2年を経て
18歳でリョーコー二等兵の心は
パンクしてしまったのだ

時は流れ
リョーコーさんは50歳を過ぎて
キリストと出会い
ようやく穏やかな生活を取り戻した

兵隊幽霊と呼ばれ
周囲から遠ざけられた半生
あの戦いと
埋葬した少年兵たちと
その世界から抜けられずに
生きてきた73年

リョーコーさんは自宅裏の山に
亡くなった少年兵の数だけ
桜を植える決意をする

沖縄独特の
濃い桃色のカンヒザクラは
はらはら散るソメイヨシノとは違い
南国の地に生きた
明るい笑顔の少年兵にピッタリだ

19年かけて
リョーコーさんの若桜の園は
ようやく人を呼べるようになった

記念すべき最初の客人は
あの野戦病院で一緒だった
亡くなった義英くんの弟の
高江洲義一さん

リョーコーさんは
好きな桜を選んでください
と促した

今日、1月24日
ムーチービーサと言われる
沖縄で一番寒い日に
凜として咲いている桜を
最も美しかった桜を
義一さんが選び出して
義英くんの桜と
命名された

こんなもの植えてもね
誰も見に来ないよ
いつまでも戦争の話をして
って、呆れられてる
でも僕はね
亡くなった戦友と
この桜と虫たちに囲まれて
この山の世話をするのが生き甲斐
ちっとも寂しくないんだ

口癖のように
会うたびにそう繰り返した
良光さん

6月に壮絶な半生を伺って
何度も会いに行って
彼にとっての桜は
何なのか
ずっと考えていた

高江洲義一さんも
瑞慶山良光さんも
今日 桜の園で
極上の笑顔だった

今日は最高の1日だった
私は風邪で声が全く出なくて
演出も何もできなかったが
胸がいっぱいだった

こんな瞬間があるから
自分の人生より深く
誰かの思いに触れる瞬間があるから
この仕事はやめられない

初めて
少年兵たちの笑顔を見た気がした
とにかく
最高の一日だった

〈スパイリストに載った少女〉

屋我地島のヨネちゃんは
すらりと背の高い美人だった

17歳の時
憧れの大阪の紡績工場で
バレーボールチームの花形だった

1944年 戦雲が島を覆う中
父が他界、兄も出征しているため
母と弟を看るために
ヨネちゃんは沖縄に帰る船に乗った

ひとつ前の船が撃沈され
命からがら那覇に着くが
彼女を下ろしたその船こそ
帰途、1476人の犠牲者とともに沈んだ
対馬丸だった

自宅の目の前は塩田で
海を挟んだ向こう側は
海軍白石隊の魚雷艇や潜航艇の
秘匿陣地だった

屋我地の少女・女性たちは
勤報隊と命名され
毎日、舟艇に乗せられて
向かいの陣地構築を手伝った

ある夕方、目の前の海に
たくさんの物資を積んだ大きな船が数隻現れた
その船員が、石油の一斗缶をもって
庭先に立ち
食べ物と換えてください、と懇願した
自分たちの分もない中
シンメーナービ(※)に洗ってある芋を分けると
あとからあとから 石油缶を持ってやってきた

※シンメーナービ(千名鍋):沖縄伝統の大きな鍋

翌朝、いつものように海を渡るとき
古宇利島方向から低空飛行の米軍機が
ドドン! ドドン! と爆撃を開始
「海へもぐれ!」
泳げないヨネちゃんも飛び込んだ

あっという間に集積船は砕け散る
夕方、昨日芋をあげた兵隊たちの
足や手で埋まった水路を掻き分け
ヨネちゃんはガチガチ震えながら
引き返していった

いつも腹を空かしていた
対岸の海軍の水兵たちは
夜になると泳いでヨネちゃんのうちにきて
何か食べさせてほしいとせがんだ

「なんでうちにばっかり?」と言うヨネちゃんに
「兄さんたちも戦地でひもじい思いをしているかもしれないさ」
母はそう言って無理をしてでも何か差し出した
母は命がけで兵を匿ったこともあった

魚雷艇は米軍の戦艦に体当たりする特攻艇だ
彼らは遺品をヨネちゃんの家に預けて出ていったという

ある夜、名も知らぬ水兵が
ヨネちゃんの家に立ち
「明日出撃をします。そのことを伝えたくて」と言った
まだ恋も知らぬ水兵が
最後の日に言葉を交わしたかったのは
18歳の彼女だった

やがて猛爆撃を受けて出撃不能になった
海軍白石隊の残党は山に上がり
敗残兵となり
スパイ呼ばわりして住民を虐殺するなど
恐怖の対象に変質していった

そんな夜
一人の水兵が闇に紛れて泳いできて
こう告げた

「ヨネちゃん、殺されるから逃げてください」

ヨネちゃんと母は驚いた
「うちはこんなに海軍に協力してきたのに?
殺すというならここで殺せ」
母は逃げることを拒否した

ヨネちゃんは「スパイ虐殺リスト」に
載っていたのだ

ずっと後になって
戦後になって
世話になったと尋ねてくる元海軍兵から
殺されなかった理由を聞いた

「〇〇中尉が『ヨネちゃんとスミちゃんは殺すな。
彼女たちを殺す奴は俺が殺す』と言ったんだよ」

九州出身の〇〇中尉とは
数回しか会っていないが
ヨネちゃんと弟さんに双眼鏡をくれるなど
交流があった

間もなくその中尉は
隠れ家に踏み込んできた米兵に射殺された
彼のいたグループは
住民虐殺にかかわっていたとみられている

なぜ、ヨネちゃんは
虐殺リストに載ったのか?
それが、最も肝心なところだ
それは次回作で明らかにするが
彼女の経験はまさに
軍隊が駐留する地域の住民が
絶対に避けられない悲劇を
まざまざと今に伝えている

今年92歳になるヨネちゃんと
去年、数奇なご縁でめぐり逢い
勤報隊のこと、海軍のこと
これまで一度も話したことがなかった
怖くて話せなかったことを
初めてカメラの前で語ってくださった

体のことで、何度かロケを断念したが
今日奇跡的に 屋我地島に御一緒できた
慈悲深いお母さんの遺影にも
手を合わせることができた
お母さんの導きかもしれないね、と
ヨネちゃんは笑った

もう、やんばるに来るのは最後かもしれない
彼女は水兵たちが出撃していった水路に
花束を投げた

ワルミ大橋の下
遠く遠く 花は散っていった
穏やかで美しい入り江には
まだ語られぬ悲しい歴史が眠っていた







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