10月20日(水)哲学学習会を会社で実施しました。
参加人数は、7名でした。教材は、「自然の哲学」(上)田中 一著で第六話「アメーバからチンパンジーまで」です。
雑感
人間とは何か
「人間とは何か」ということを知る意味は、個人の自由や欲望を最大化することを認める民主主義や市場原理主義などが成熟化し、世界がグローバル化して国民国家という概念が薄れ、自分が何物であるのかがわからなくなり、目先の利益だけを唯一の価値観とすることによって非常に刹那的になってきた現代、本来、自分は何をしなければならないのか、を問い直さなければ、人間社会は混沌を極め、自然の頂点に立つ人間が自由の名のもとに、「自分勝手」や「自分さえよければ」がまかりとおり、その結果、人類の福祉に共通する地球全体の秩序(生態系)などを破壊し、生物が棲めない自然になる可能性が大いにあるからです。
さて、人間とは自然のなかでどういう存在なのでしょうか?
以前、哲学学習会で学んだように、宇宙が誕生して物質が進化・発展していく過程で、その主系列として
となり、人間は、自然が進化発展した頂点に立っていることを認識しなければなりません。
ということは、人間しか、この自然や、地球、社会をよくすることができないということです。
そういう存在であることを改めて認識すべきです。最近、熊が市街地に出没していますが、熊が社会全体をよくするということは、誰が考えても難しいということに異論はないと思います。
そして、人間の特徴として「意識の先行性」と「精神の能動性」ということがあげられます。
意識の先行性とは、本日の学びにもありましたように、意識は、物質的世界の現実よりも先行しているということです。未来に向けてこうしようということが考えられますし、実現しているともいえるのです。
素晴らしい能力ですね。この能力は、他の動物や植物にはみられません。
精神の能動性については、生物が能動的に行動するように、人間は肉体だけではなく、精神も積極的に活動するということです。
じっとしていられなくて、目の前の現象に対して、経験したことを思い出したり、新たに試行錯誤したりします。赤ちゃんが言葉を積極的に覚えていくこともその一つの現れです。
次に、社会での人間の役割を示したものとして、アリストテレスの「人間は社会的動物」ということがあげられます。
これは、社会は、個人を保護する機能をもち、個人は社会に寄与(貢献)する形で社会や他人と関係をもつ、というものです。双方が、役割をきちんと果たさないと社会が成り立たないということです。
いかがでしょうか。現代日本の状態は、そのような相互関係が成立しているでしょうか。
このように、みてまいりますとわれわれ人間がやるべきこと、やらなければならないことがみえてきますね。
そうです、「社会をよくすること」です。
本日の学び
本話より
単細胞生物からチンパンジーまでの長年にわたる進化の期間は、人間の意識がうまれる準備の期間でもありました。
そこには、一段一段と高度に進行していく生物の能動的な反応性の発展が見いだされます。
生物は、
アメーバ → 海綿 → コイ → イヌ → チンパンジー → 人間
というように進化してきました。
どのような進化かと申しますと、反映の仕方が高度になっていったということです。
まず、アメーバですが、生きるために有機物質を積極的に捜し求めます。
そして、その存在を感知するやいなやこれを体内にとりこみます。すなわち、アメーバは外からの刺激を体内に反映させるだけでなく、この刺激に応じて、外界にはたらきかけるということです。
以前でのべました、地震計やコンピュータと違いまして、積極的に反映を求めて、その刺激に反応することが、生命活動に不可欠なものとしておこなわれている点が特徴的です。
つぎに海綿のように海中に静かに座しているものはどうでしょうか。
海綿体のあちこちには、穴が開いており、内側のえり細胞のそれぞれに長い鞭毛が付いています。
えり細胞は、この鞭毛をさかんに動かして水の流れを引き起こしています。このため、海綿の外から側壁をとおって水が流れ込み、また、排出口から流れ出ています。
えり細胞は、水の流れにともなって流れ込んでくる栄養物を摂取します。一見、静かに座している海綿の内部はこのようにダイナミックに活動しています。
一般に生物は、外界をいっそうよく反映させるため、生物体を分化させ、諸器官を発達させます。これらの分化と諸器官の発達こそ、外界にたいする生物の能動的反映の端的なあらわれです。
つぎに、手をたたくと、池のコイがえさを求めて集まってくるということは、どういうことでしょうか。
コイはえさにふれたときいつもこれを摂取します。
この動作は、コイが生きていくために欠くべからざる本能、すなわち生まれつき備わっている遺伝的動作ですが、コイが、その生存に直接かかわり合う場合、すなわちえさに直接ふれる場合だけでなく、たたいた手がひきおこす振動という、生存には間接的なものにも反応することを示しています。
このことは、コイが事実を模写しているだけでなく、ひきつづく事象であるととらえて反応しています。いいかえれば、事物現象の連関をも反映していることを意味しています。
つぎにイヌの場合で考えてみましょう。
イヌの口に肉の一片を入れるとイヌは唾液を分泌します。肉がイヌの舌にふれると、舌の神経を刺激し、この味刺激が神経の中枢に伝わります。ここから逆に唾液の分泌をうながす刺激が伝えられて唾液が分泌されます。
この神経活動は、イヌの舌に肉がふれるかぎりいつまでも無条件的に行われます。これを無条件反射と呼んでいます。
さて、イヌの舌に肉をのせるとき、同時にベルをならすとしましょう。
ベルの音と唾液の分泌は、もともとまったく関係はないはずですが、このようなことを何度かくり返していますと、しまいにベルをならしただけで、イヌは唾液を分泌するようになります。
つまり、イヌの中ではベルの音と唾液分泌とのあいだに結合が生じたということです。
人間はもちろんのこと、一般の動物もまた、生まれつき多くの無条件反射をもっています。
これらの無条件反射が土台となって種々さまざまな条件反射が形成されていきます。実際に形成された条件反射の種類は、動物の個体がどのような環境のもとで生活しているかによって異なってきます。
そして、この条件反射は、動物の個体がその生活をする環境の条件に応じて、生まれつきもっている反射を好都合なときにひきおこすことを可能にします。
条件反射の研究はパブロフ以来、多くの学者によって研究されてきました。
その結果、いろいろなことがわかってきました。たとえば、さきほどのベルによる唾液の分泌の話で、もし、ベルの音の変わりに振動数が毎秒五〇〇回の音(五〇〇サイクルの音)を条件として用い、条件反射が形成されたとしましょう。
このとき、五〇〇サイクルの音でなければならないでしょうか。
五〇〇サイクルに近い条件のもとでも間違いなく反射が生じます。
これを条件反射の汎化といいます。
この汎化がなければ、条件反射で動物の個体が環境に弾力的に対応することができないでしょう。
環境の条件は、よく似ていることはあっても、完全に同じであることはありません。汎化があって、はじめて条件反射は環境に対処する仕方として有効なのです。
これと反対の現象が分化です。
たとえば、イヌに二種類の音を聞かせるとします。まず、五〇〇サイクルの音と三〇〇〇サイクルの音を聞かせる。五〇〇サイクルの音の場合は、肉を口のなかに入れるが、三〇〇〇サイクルの場合には、肉を入れないとします。
三〇〇〇サイクルの場合は、から振りさせるのです。
こういうことをつづけると、五〇〇サイクルの音に対しては条件反射が形成されて、その音だけで唾液を分泌するようになるが、この条件の汎化が三〇〇〇サイクルでは制止されて、唾液を分泌しなくなります。
このようになってから、つぎに三〇〇〇サイクルの音の変わりに二〇〇〇サイクルの音を用いて同じことをくり返す。やがて二〇〇〇サイクルの音にたいしては汎化が制止されてきます。
こうして、最終的には実験の対象となったイヌを、五〇〇サイクルの音に対しては唾液を分泌するにもかかわらず、五五〇サイクルの音に対しては唾液を分泌できないように条件づけることができる。
これは、条件反射の条件が、きめこまかく分化したのである。
言うまでもないことであるが、分化は、動物個体が、環境のわずかな変化にも対処することを可能にします。
条件反射はミミズなどの大脳のない下等な動物にも見られるものですが、大脳を有する動物にあっては、条件反射の形成はいちだんといちじるしくなります。そして、条件反射の分化は、大脳がなければおこりません。
動物は高等なものに進化するほど大脳を発達させています。
分化によって精密化された多数の複雑な条件反射をますます容易に形成することができるようになり、その結果、無条件反射のみによる環境への対応の仕方にくらべて、いっそう高度な対応をおこなうことができるようになっていきます。
人とチンパンジーのちがいは、生物の進化のうえからみると、人とチンパンジーはいままで考えられていた以上にたがいに近い関係にあることが明らかになってきました。
人が人以外の生物から進化してきたことは誰も疑っていないことですが、このことは人と人以前の動物の間が連続的につながっていることを意味しています。
ちがいの一つは、チンパンジーはその生活のなかで抽象的な記号をもちいることがほとんどないということです。そしてまた、チンパンジーを含め多くの動物は、動物の反射活動が、いつも活動の対象に直接対応する場合にかぎられているということです。思考という活動は、思考の対象物に直面していなくても、記憶にもとづいておこなうことができます。
これにたいして動物全体の活動をささえる条件反射は、外界から条件としての刺激が来ないかぎり個体に反射をひきおこしません。
人の意識のはたらきはまったく人間に独特の内容をもっています。
たとえば私たちはスケジュールをたてて、そのスケジュールにしたがって行動することが多いです。このスケジュールは、社会現象の予測(例:午後一時から会議)を前提にしているのが普通です。
さて、この予測をおこなうこと自身、考えてみるとたいへん興味深いことです。
予測は、この現実の世界の進行にさきだって、意識が現実の世界の状態をあたえるともいえます。この場合、意識は、物質世界の現実よりも先行していると考えてよいでしょう。
現実を先行できる。このような人の意識はどのようにして生まれたのでしょうか。
とういうのが、本文の内容です。
本日もたくさんの学びを得ることができました。
まず、「汎化」と「分化」から学んだことですが、生物は、ある程度アバウト(汎化)でなければ環境に適応できませんし、大脳を発達させてかしこくなろうとするならば、分化して、ものごとの細かい差を見分けられるようにしなければなりません。組織運営のことを考えると、やはりバランスということが重要な要素となってきます。アバウトばかりではいけませんし、細かすぎても全員のコンセンサスを得られません。
したがって、組織運営上、現在の世の中を動かしている細かさ、品質、知識、注意すべきレベルには、達していないといけませんし、それ以上、人や社会が要求していないレベルまでとやかくいったり、時間を費やしてはいけないということです。
それと、もう一つの学びは、やはり「意識の先行性」ということです。
この地球上では、人間だけが未来を予測することができる、すなわち、思考によって自分のありたいように未来を現実化できるということです。
この力をしまっておくのは、もったいないですね。
参加人数は、7名でした。教材は、「自然の哲学」(上)田中 一著で第六話「アメーバからチンパンジーまで」です。
雑感
人間とは何か
「人間とは何か」ということを知る意味は、個人の自由や欲望を最大化することを認める民主主義や市場原理主義などが成熟化し、世界がグローバル化して国民国家という概念が薄れ、自分が何物であるのかがわからなくなり、目先の利益だけを唯一の価値観とすることによって非常に刹那的になってきた現代、本来、自分は何をしなければならないのか、を問い直さなければ、人間社会は混沌を極め、自然の頂点に立つ人間が自由の名のもとに、「自分勝手」や「自分さえよければ」がまかりとおり、その結果、人類の福祉に共通する地球全体の秩序(生態系)などを破壊し、生物が棲めない自然になる可能性が大いにあるからです。
さて、人間とは自然のなかでどういう存在なのでしょうか?
以前、哲学学習会で学んだように、宇宙が誕生して物質が進化・発展していく過程で、その主系列として
となり、人間は、自然が進化発展した頂点に立っていることを認識しなければなりません。
ということは、人間しか、この自然や、地球、社会をよくすることができないということです。
そういう存在であることを改めて認識すべきです。最近、熊が市街地に出没していますが、熊が社会全体をよくするということは、誰が考えても難しいということに異論はないと思います。
そして、人間の特徴として「意識の先行性」と「精神の能動性」ということがあげられます。
意識の先行性とは、本日の学びにもありましたように、意識は、物質的世界の現実よりも先行しているということです。未来に向けてこうしようということが考えられますし、実現しているともいえるのです。
素晴らしい能力ですね。この能力は、他の動物や植物にはみられません。
精神の能動性については、生物が能動的に行動するように、人間は肉体だけではなく、精神も積極的に活動するということです。
じっとしていられなくて、目の前の現象に対して、経験したことを思い出したり、新たに試行錯誤したりします。赤ちゃんが言葉を積極的に覚えていくこともその一つの現れです。
次に、社会での人間の役割を示したものとして、アリストテレスの「人間は社会的動物」ということがあげられます。
これは、社会は、個人を保護する機能をもち、個人は社会に寄与(貢献)する形で社会や他人と関係をもつ、というものです。双方が、役割をきちんと果たさないと社会が成り立たないということです。
いかがでしょうか。現代日本の状態は、そのような相互関係が成立しているでしょうか。
このように、みてまいりますとわれわれ人間がやるべきこと、やらなければならないことがみえてきますね。
そうです、「社会をよくすること」です。
本日の学び
本話より
単細胞生物からチンパンジーまでの長年にわたる進化の期間は、人間の意識がうまれる準備の期間でもありました。
そこには、一段一段と高度に進行していく生物の能動的な反応性の発展が見いだされます。
生物は、
アメーバ → 海綿 → コイ → イヌ → チンパンジー → 人間
というように進化してきました。
どのような進化かと申しますと、反映の仕方が高度になっていったということです。
まず、アメーバですが、生きるために有機物質を積極的に捜し求めます。
そして、その存在を感知するやいなやこれを体内にとりこみます。すなわち、アメーバは外からの刺激を体内に反映させるだけでなく、この刺激に応じて、外界にはたらきかけるということです。
以前でのべました、地震計やコンピュータと違いまして、積極的に反映を求めて、その刺激に反応することが、生命活動に不可欠なものとしておこなわれている点が特徴的です。
つぎに海綿のように海中に静かに座しているものはどうでしょうか。
海綿体のあちこちには、穴が開いており、内側のえり細胞のそれぞれに長い鞭毛が付いています。
えり細胞は、この鞭毛をさかんに動かして水の流れを引き起こしています。このため、海綿の外から側壁をとおって水が流れ込み、また、排出口から流れ出ています。
えり細胞は、水の流れにともなって流れ込んでくる栄養物を摂取します。一見、静かに座している海綿の内部はこのようにダイナミックに活動しています。
一般に生物は、外界をいっそうよく反映させるため、生物体を分化させ、諸器官を発達させます。これらの分化と諸器官の発達こそ、外界にたいする生物の能動的反映の端的なあらわれです。
つぎに、手をたたくと、池のコイがえさを求めて集まってくるということは、どういうことでしょうか。
コイはえさにふれたときいつもこれを摂取します。
この動作は、コイが生きていくために欠くべからざる本能、すなわち生まれつき備わっている遺伝的動作ですが、コイが、その生存に直接かかわり合う場合、すなわちえさに直接ふれる場合だけでなく、たたいた手がひきおこす振動という、生存には間接的なものにも反応することを示しています。
このことは、コイが事実を模写しているだけでなく、ひきつづく事象であるととらえて反応しています。いいかえれば、事物現象の連関をも反映していることを意味しています。
つぎにイヌの場合で考えてみましょう。
イヌの口に肉の一片を入れるとイヌは唾液を分泌します。肉がイヌの舌にふれると、舌の神経を刺激し、この味刺激が神経の中枢に伝わります。ここから逆に唾液の分泌をうながす刺激が伝えられて唾液が分泌されます。
この神経活動は、イヌの舌に肉がふれるかぎりいつまでも無条件的に行われます。これを無条件反射と呼んでいます。
さて、イヌの舌に肉をのせるとき、同時にベルをならすとしましょう。
ベルの音と唾液の分泌は、もともとまったく関係はないはずですが、このようなことを何度かくり返していますと、しまいにベルをならしただけで、イヌは唾液を分泌するようになります。
つまり、イヌの中ではベルの音と唾液分泌とのあいだに結合が生じたということです。
人間はもちろんのこと、一般の動物もまた、生まれつき多くの無条件反射をもっています。
これらの無条件反射が土台となって種々さまざまな条件反射が形成されていきます。実際に形成された条件反射の種類は、動物の個体がどのような環境のもとで生活しているかによって異なってきます。
そして、この条件反射は、動物の個体がその生活をする環境の条件に応じて、生まれつきもっている反射を好都合なときにひきおこすことを可能にします。
条件反射の研究はパブロフ以来、多くの学者によって研究されてきました。
その結果、いろいろなことがわかってきました。たとえば、さきほどのベルによる唾液の分泌の話で、もし、ベルの音の変わりに振動数が毎秒五〇〇回の音(五〇〇サイクルの音)を条件として用い、条件反射が形成されたとしましょう。
このとき、五〇〇サイクルの音でなければならないでしょうか。
五〇〇サイクルに近い条件のもとでも間違いなく反射が生じます。
これを条件反射の汎化といいます。
この汎化がなければ、条件反射で動物の個体が環境に弾力的に対応することができないでしょう。
環境の条件は、よく似ていることはあっても、完全に同じであることはありません。汎化があって、はじめて条件反射は環境に対処する仕方として有効なのです。
これと反対の現象が分化です。
たとえば、イヌに二種類の音を聞かせるとします。まず、五〇〇サイクルの音と三〇〇〇サイクルの音を聞かせる。五〇〇サイクルの音の場合は、肉を口のなかに入れるが、三〇〇〇サイクルの場合には、肉を入れないとします。
三〇〇〇サイクルの場合は、から振りさせるのです。
こういうことをつづけると、五〇〇サイクルの音に対しては条件反射が形成されて、その音だけで唾液を分泌するようになるが、この条件の汎化が三〇〇〇サイクルでは制止されて、唾液を分泌しなくなります。
このようになってから、つぎに三〇〇〇サイクルの音の変わりに二〇〇〇サイクルの音を用いて同じことをくり返す。やがて二〇〇〇サイクルの音にたいしては汎化が制止されてきます。
こうして、最終的には実験の対象となったイヌを、五〇〇サイクルの音に対しては唾液を分泌するにもかかわらず、五五〇サイクルの音に対しては唾液を分泌できないように条件づけることができる。
これは、条件反射の条件が、きめこまかく分化したのである。
言うまでもないことであるが、分化は、動物個体が、環境のわずかな変化にも対処することを可能にします。
条件反射はミミズなどの大脳のない下等な動物にも見られるものですが、大脳を有する動物にあっては、条件反射の形成はいちだんといちじるしくなります。そして、条件反射の分化は、大脳がなければおこりません。
動物は高等なものに進化するほど大脳を発達させています。
分化によって精密化された多数の複雑な条件反射をますます容易に形成することができるようになり、その結果、無条件反射のみによる環境への対応の仕方にくらべて、いっそう高度な対応をおこなうことができるようになっていきます。
人とチンパンジーのちがいは、生物の進化のうえからみると、人とチンパンジーはいままで考えられていた以上にたがいに近い関係にあることが明らかになってきました。
人が人以外の生物から進化してきたことは誰も疑っていないことですが、このことは人と人以前の動物の間が連続的につながっていることを意味しています。
ちがいの一つは、チンパンジーはその生活のなかで抽象的な記号をもちいることがほとんどないということです。そしてまた、チンパンジーを含め多くの動物は、動物の反射活動が、いつも活動の対象に直接対応する場合にかぎられているということです。思考という活動は、思考の対象物に直面していなくても、記憶にもとづいておこなうことができます。
これにたいして動物全体の活動をささえる条件反射は、外界から条件としての刺激が来ないかぎり個体に反射をひきおこしません。
人の意識のはたらきはまったく人間に独特の内容をもっています。
たとえば私たちはスケジュールをたてて、そのスケジュールにしたがって行動することが多いです。このスケジュールは、社会現象の予測(例:午後一時から会議)を前提にしているのが普通です。
さて、この予測をおこなうこと自身、考えてみるとたいへん興味深いことです。
予測は、この現実の世界の進行にさきだって、意識が現実の世界の状態をあたえるともいえます。この場合、意識は、物質世界の現実よりも先行していると考えてよいでしょう。
現実を先行できる。このような人の意識はどのようにして生まれたのでしょうか。
とういうのが、本文の内容です。
本日もたくさんの学びを得ることができました。
まず、「汎化」と「分化」から学んだことですが、生物は、ある程度アバウト(汎化)でなければ環境に適応できませんし、大脳を発達させてかしこくなろうとするならば、分化して、ものごとの細かい差を見分けられるようにしなければなりません。組織運営のことを考えると、やはりバランスということが重要な要素となってきます。アバウトばかりではいけませんし、細かすぎても全員のコンセンサスを得られません。
したがって、組織運営上、現在の世の中を動かしている細かさ、品質、知識、注意すべきレベルには、達していないといけませんし、それ以上、人や社会が要求していないレベルまでとやかくいったり、時間を費やしてはいけないということです。
それと、もう一つの学びは、やはり「意識の先行性」ということです。
この地球上では、人間だけが未来を予測することができる、すなわち、思考によって自分のありたいように未来を現実化できるということです。
この力をしまっておくのは、もったいないですね。