車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

子供を犠牲にする国

2009年02月20日 | 政治

Voiceの高山正之氏の記事より

ホンのしばらく大学で教鞭をとった。1時限目の授業もあって久しぶりに朝早い時間帯に車を走らせる日々を過ごした。それで気づくことがあった。よその、まあまともと思える国々と日本の朝の風景がまったく違っていた。何が違うかというと、よその国ではこの時間帯に必ずスクールバスを見受ける。学校があれば、その正門前にはスクールバスのほかに子供を送ってくる自家用車がひしめいている。日本ではそんなスクールバスはいっさい見かけない。子供たちは走る車をかわしながら歩道の区別もない道を歩んでいる。スクールバスの代わりに日本でしか見かけない光景がある。老人介護の車椅子マークをつけた小型バスがやたら走り回る。日本ではなぜ子供より老人を大切にするのか。答えは共産党公明党に聞けばいい。老人には未来などない。しかしいまは投票権をもっている。それがぼけていても1票に変わりはない。かくて介護だとか老人健保だとか福祉政策がすいすい立案、成立され、国民の税金で老人どもの面倒を見る。ただ条件が付く。これだけよくしてもらえるのはわが党のおかげ。介護もする、医療費も安くした。投票所には車で連れていってやるから、こういう名前を書き込め。分かったね。かくて税金で買った老人介護の車が元気に街を走り回る。

この記事にあるように日本では福祉予算が高齢者に異常なまでに偏って支出されている。他の国と比べて高齢者以外の子供や若年の貧困層に対する支援が極端に少ない。こういうと、高齢者にも貧困が広がっているという反論が返ってきそうだが、大きな問題は高齢者福祉が資産や収入を無視した給付処置であるため資産や収入がある人も恩恵を受けていると言うことだ。私の身近な話をすると、介護保険で毎月多額の支援を受けつつ遺産を1億残して死ぬということがままある。これは、ほんのわずかでも資産があったり、家族が扶養できれば支給が打ち切られる生活保護とは対照的だ。つまり、生活保護は先進国に例を見ない異常な厳しさで審査し、老人福祉はかなりやさしい基準で運用されている。この福祉政策内の格差が所得再分配によって独り親世帯の貧困率が上昇するという異常事態を招いている。公明党・共産党がいかに平等に興味がないかがわかる事例だ。

押していただけると、励みになります。


累進課税がやる気を殺ぐという主張の虚構

2009年02月20日 | 経済一般

平等や所得再分配のために累進課税の話をしていると決まって、そのような政策は優秀な人のやる気を殺ぐ、能力や努力を報いようとしない制度でありそのようなことをしたら経済の活力が失われると言い出す人が決まって出てくる。このような主張は、19世紀から延々と言い続けられてきたことであり、今でも多くの信奉者を持っている。しかしながら、累進課税によって明確に経済が停滞したり、経済が発展したというような証拠は私はないように感じる。実際、日本は累進課税を緩和する過程でどんどんと経済が衰退してきた。

このような状況の背景には、累進課税によるやる気の減退の影響が限定的だというのがある。同時に累進課税にはプラスの側面があるために合計したときに本当に負の側面が上回るのかどうかという問題がある。累進課税においては高所得者からより多くの税金を得ることが出来るために、国民全体に対して使うことのできる予算が多くなるというプラスの面がある。同時に、累進課税によって高所得者の労働意欲に悪影響を与えるかも知れないというマイナスもある。しかしここで重要なのは、本当に優秀な人材の意欲を殺ぐ危険性があると同時に、もしその人材が能力ではなく競争の不足から来る不平等によって高所得を得ている場合には累進課税によって市場の失敗という問題が間接的に緩和されるという面もあると言うことだ。つまり、優秀な人材のやる気を殺ぐというマイナスの効果もありはするのだが、所得分配の効果や間接的な不公平の是正という効果も持つために、全体で考えた場合に明確に負の効果が上回るとはいえないし、上回ったとしてもよほど極端に累進的でない限り大きく悪影響を与えることはないのではないだろうか。

むしろ問題は、無能な人間や社会に貢献しない仕事をしている人間が多くの所得を得、地道に努力し社会に貢献している者が低い所得しか得られない状態である。この場合には、マイナスの影響しかない。経済に貢献していない仕事が高給を得られる一方他の仕事が低所得であるという状況が人々のインセンティブを歪め、経済の資源分配を悪化させる。同時に、これは社会制度による逆再分配であり、本質的に不公正そのものである。したがって、このような状況においては悪いことしかない。

つまり、累進課税を緩和し優秀な人材の意欲を促進することによって経済を活性化するという政策は負の側面があったとしても正の側面も同時に多く持つために効果を上げる可能性が低い政策であると言わざるを得ない。そのような成功する可能性の低い政策に執着するなら、無能な人間が高給を得、他の人のやる気を殺ぐような明らかに成功することがわかりきっている問題を解決しようとすべきだろう。個人的な利害に基づいて市場主義を勝手に解釈した部分的にしか正しくない政策は一部の金持ちの利害を代表しているだけなのである。

押していただけると励みになります。


副業について

2009年02月20日 | 経済一般

現在の不況の中、いくつかの企業が副業を解禁していることについて、労働問題中心ブログの記事より

 夜も働いている女性や土日にアルバイトをしている友人、二つ以上のアルバイトを掛け持ちしている人たちを見ていると、日本人は本当に労働に対してマジメで勤勉な素晴らしい民族だと思います。が、見方を変えると、多くの人たちが一つの仕事だけでは食べていけない状態にいるということに、落胆します。シングルマザーの方が三つも仕事を掛け持ちしていたりするのを聞くと、一つの仕事で食っていける人と二つ以上仕事をしなければ食っていけない人たちの格差を私は強烈に感じます。

 特に感じるのが同じ企業に所属していながら、工場で働いていた男性社員(特に中高年)は副業をする必要がないほどの給与をもらっており、一方事務員の女性(特に若年者)は食べていけるだけの給与をもらえず副業をしているという格差です。同じ企業でありながら、男性総合職には十分な給与を支払い、事務員の女性には不十分な給与を支払ってきました。この差はいったいなんなのでしょうか?職務(役割)による差以上の格差を感じます。

 おそらく、周辺労働力と主要労働力の違いが給与の格差を生んでいるのでしょう。企業の主体となる従業員である総合職、その補助的役割である一般職、という格差が原因であると考えるのが自然ではないかと思います。とは言え、食っていけない給与しか与えないという企業側にも問題はありますし、その最低給与を決定している国にも問題はあります。また、一般的に生活するためのコストが高すぎるという問題点もあるでしょう。生活コストが下がって女性も副業なしで生きていけるようになったとしても、総合職との格差が適正か?という問題はが出てくるのは予想されます。ですから、この問題を解決するには
副業なしで生活が出来るようになり、女性が納得できる給与・待遇の差まで縮めること
が重要でしょう。

 今、副業解禁と言うことで製造業のニュースが多いですが、副業をしなければ生きていけない人たちがいるという存在は忘れてはいけません。その人たちは、副業解禁された人たち以上に労働にいそしんでいて、生活も苦しいのです。「自分たちだけが苦しんでいる!」と考えることは間違いですので、お気をつけください。

なんとも理不尽な話ですが、この記事は非正規社員が怠惰なのではなくて、正規社員のほうが怠惰で全然努力していないという実態をものの見事に表現しているだろう。客観的事実に基づいて考えている人間にとっては、ずっと前からわかりきったことではあったが、改めてこのように突きつけられると深刻だと感じざるを得ない。

このような問題の最大の原因は現在の労働政策が、労働組合を恐れて大企業社員や公務員といった高所得者層を保護することに注力していることが原因であるが、この状況を改善するために低所得者層への福祉や給付が緊急に必要であるといえる。日本だけ所得再分配によって独り親の貧困率が上昇したりしてはいけないのである。

押していただけると、励みになります。