車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

愚かなる竹中平蔵語録

2009年02月25日 | ニュース

gooニュースの記事より

与謝野馨財務相は24日午前の衆院財務金融委員会で、竹中平蔵元総務相が小泉政権時代、市場競争の末に富が一部に集中しても、そのおこぼれを貧困層も享受できるとする「トリクルダウン効果」を主張していたことについて、「人間の社会はそんな簡単なモデルで律せられない」と一蹴(いっしゅう)した。

この記事の中の竹中平蔵氏の発言は、多くの市場主義者の市場競争に対する理解の間違いをよく示している。市場競争イコール弱肉強食、弱肉強食イコール格差容認、その結果富が一部の富裕層に集中するかもしれない、しかし経済全体が成長するために最終的には全員が恩恵を受けることが出来る。このような主張は、19世紀の近代経済学者たちも主張したし、現在においても多くの新古典派経済学者たちが主張している。

しかし、市場競争にはもう一つの見方がある。実はこっちが本当は本家だ。アダム・スミスの「見えざる手」の考え方だ。アダム・スミスの考え方によれば、市場というのは需要のない場所から需要のある場所へと資源を移動させるものである。そして、その過程においては価格が重要な役割を果たす。価格が高ければ需要があると言うことだし、安ければ需要がないということだ。つまり、価格に反応して資源を移動させれば自然と最適な資源の分配が達成されることになる。

こちらの考え方においては、結果は竹中氏の理解とは逆で、むしろ市場は価格の変動や、資源の偏りをなくし、分配を平準化することになる。だから、アダム・スミスは小麦の価格を安定化させ、必要な小麦を安定供給できるように、輸出入の規制に反対したのだ。したがって、トリックルダウン効果などなくても守られている産業との行き来が活発になれば生産性が上昇しつつ分配が公平になるはずだ。

竹中氏のような市場競争に関する理解の間違いは昔から続いていることで、アダム・スミスもそのような勢力と奴隷制の是非を掛けて戦った。誰でもわかるように商売をしていて一番儲かるのは独占やカルテル等、市場が競争的でない状況の時だ。完全な市場競争は利益がなくなるから儲からない。だから、産業家たちはそのような状況を正当化するために延々と嘘の市場原理主義を主張してきた。

押していただけると、励みになります。


最低賃金について

2009年02月25日 | 経済学

最低賃金についての大竹文雄氏(大阪大学社会経済研究所教授)と橘木俊詔氏(同志社大学経済学部教授)の対談大竹文雄氏のブログより

世間一般や, 法律を学んでいる人たちにとって最低賃金の効果に関する通説というのは,最低賃金を引き上げると低賃金の人たちの所得が上がって, 貧困解消に役立つ・・・

経済学者の間では別の通説があって, 最低賃金を上げると雇用を削減する効果があるために, 失業者が増える可能性が高くなる。つまり最低賃金はあまり上げない方がいい・・・

需要独占のもとでは, 企業は雇用量を決定する際に, 人を雇いすぎると市場賃金が高くなり, 利潤が減ってしまうことを考慮して, あえて少なめの労働者を雇用します。そこしか働く場所がない労働者には, 生産性にみあった賃金を出必要がなくて, 仕事をしてくれる最低限の賃金を支払えばいい。このような場合には, 最低賃金が引き上げられると, もとの労働者数を維持したままでいるよりも, 最低賃金で働いてくれる人全員を雇った方が企業にとっては利潤が高くなります。これが需要独占の状況の場合, 最低賃金の引き上げが雇用量を増やす可能性がある・・・

実証の面でみると, 経済学者の多くは, 少なくとも1990 年代半ばぐらいまでは, 完全競争の世界の方が正しいと考えていたのではないかと思います。少なくとも経済学の専門雑誌に掲載された実証研究のほとん
どが, 最低賃金が例えば10%引き上げられたら, 1%ぐらい雇用が減るという研究が多かった

上の内容は経済学の世界での基本的な最低賃金に関する議論だといえる。主流派は競争市場を前提として最低賃金を上げると雇用が減少すると主張している。少数派として、低賃金労働者の交渉力の弱さを理由に需要独占の問題が与える影響を考慮しようとしている。実証的にみると最低賃金を上げるとやはり少し雇用が減りそうだという。上の内容からわかるように基本的には経済学者は最低賃金の引き上げに反対している。雇用が減少することによって失業者が増えるし、経済全体の生産力が減少するからだ。

しかしここから少し視野を広げて見ると本当に最低賃金の引き上げに強固に反対する理由があるのか疑問に思うところがある。上の議論は完全競争を前提として、雇用が減る、経済が縮小するということによって最低賃金の引き上げに反対している。しかし、現実にはそもそも最低賃金をいじる前の状況が完全競争ではないことが大きな問題である。多くの国で組合労働者の保護があるし、日本では正規労働者とそれ以外との格差がある。このような状況の中で、最低賃金の議論においてだけ雇用を少しでも減らすものは駄目だという論理を振り回すのが本当に正しいのだろうか。そのようなことを言ったら、一部の労働者を保護することは全体の効率を引き下げるだけでなく格差を広げるという意味でも悪影響を与えている。なら、なぜ最低賃金の議論にだけ完全競争で、ほかに悪影響を与えないことを要求するのだろうか。

この辺りが、学者が嫌われる理由の一つかもしれない。パレート改善のような他のものの効用を低下させずに、あるものの効用を増加させないとなったら、それは極めて難しい。だから、そのような条件を設定したらほとんどのものは明確に優れていると証明できない。一方で、明らかに複数の条件において劣っているものが当たり前のように現実社会においては容認されている。だから、一方では厳しすぎる条件が存在し、他方では緩過ぎる条件が存在している。そのような状況で、頑なにある部分にのみ厳密な条件を適用しようとするのは無意味なのではないだろうか。

押していただけると、励みになります。


ワークシェアリング

2009年02月25日 | 経済一般

ワークシェアリングに関する辻広雅文氏のコラムより

 「企業に100の仕事がある。経営者はバブル崩壊後、その100をいかに少ない正社員でこなせるか限界まで絞り込むと同時に、プラスアルファの仕事量は派遣などの非正規社員で対処しようとしてきた。だから、プラスアルファの仕事がなくなれば非正規社員を切るのは当然だと考えるのだろう」と、前出の守島教授は指摘する。会計上、派遣の賃金が人件費ではなく物件費であることの意味は大きい。経営者の意識において、正社員は従業員であるが非正規社員はまったく別物の存在なのである。

 こうした意識が強い経営者が、例えば、正規社員の賃金を下げるなどして労働条件を下げ、それによって得られた原資を非正規社員の雇用費用に当てろ、それが新しいワークシェアリングだと言われたとして、意味するところがまったく理解できないであろうし、そうすることのインセンテイブは何ら働かないだろう。

 正規社員と非正規社員の格差是正を春闘方針に掲げる連合の高木剛会長ですら、「この問題をワークシェアリングで解決することは極めて難しい」と言う。高木会長が強調するのは、「正規社員と非正規社員の賃金をはじめとする待遇格差はあまりに大きい」点である。「それを埋めようとすると、正規社員の労働条件の大幅な切り下げとなる。正規社員が受け入れるはずがない」のである。

日本においては、正規労働者と非正規労働者との賃金格差があまりにも大きいためワークシェアリングが他の国のように行うことが出来ないでいる。ワークシェアリングにおいては、ある労働者の労働時間を少なくした分他の労働者を雇い雇用数を出来る限り維持しようという考えである。しかし、裏には当然のこととして単一労働単一賃金が仮定されており、そのような条件が成り立たない場合においてはそもそも行うこと自体が不可能である。

さらに深刻なのは本来なら人件費が最も抑制されるのは正社員の賃下げか解雇である。しかし、それが制度的に不可能であるために時間当たりの賃金が安い非正規労働者の首が切られている。そうすると、同じだけ人件費を削減するためにも、より多くの労働者を解雇する必要があり、結果として最も弱いものが最も負担を強いられることになっている。このような不公平な制度を改革していく必要があるだろう。

押していただけると、励みになります。


補足の補足

2009年02月25日 | 経済学

スウェーデンとアメリカの共通点の補足についてさらに補足すると、経済全体の生産性が低下する、資源の分配が最適でなくなるのはむしろ労働市場が不平等な時である。これはモデルから明らかであるが、一部の労働者が保護によって高賃金を手にする一方、他の労働者の参入が障壁によって遮られている場合、当然のことながら資源の分配は最適ではなくなる。そしてその時、たいてい所得分配も悪化しているだろう。したがって、先のモデルの労働市場で均衡が得られる場面だけを考えるとむしろ平等であることが資源の最適な分配に必要である。

これを資源分配と所得分配の過程を三つに分けて考えてみよう。第一にどれだけの時間働くか、余暇を消費するか、さらには能力を高めるためにどれだけ資源を投入すべきかという段階、第二に労働市場で能力や労働時間を一定として最適に労働資源を分配する段階、第三に結果として生じた所得の分配を所得再分配によって是正する過程。こう分けて考えると少しわかりやすくなるかもしれない。

第二の段階はもう説明したように、平等であることが資源の最適な分配に必要だ。つまり、平等と資源の分配は相反する要因ではなく同時に達成できるものであるし、同時に達成しようとするのが適切な段階だ。問題は、第三と第一だ。第三段階において所得の再分配を行うと当然平等の程度は高まる。しかし、それは第一段階に影響を与えて社会全体の生産性を引き下げる恐れがある。したがって、ここにはトレードオフの関係が存在してしまっている。

ちなみに、機会の平等というのは第一段階の能力的な差を教育や経験を得る機会を出来る限り均等にすることによって、平等を向上させると同時に社会全体の生産性を向上させようとする考え方である。それに対して結果の平等は第三段階で平等を達成しようとする考え方であるが、第一段階に悪影響を与える恐れがあるためにプラスマイナス両面の効果を持っている。

しかしここで重要なのは、第二段階(これは前に評価の平等という言葉で表現したこともある)が平等と経済成長を両立させているということである。つまり、ここにおいては平等と生産性の向上は同時に達成可能なので、ここの段階での不平等はまず真っ先に改善しようとされなければならないのである。

押していただけると、励みになります。