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高給の経営陣

2009年02月16日 | 経済一般

今アメリカで、政府によるベイルアウト(資金援助)を受けた銀行幹部の年俸を最高50万ドルに制限するかどうかというのが話題になっている。このような話が出るのは政府から莫大な資金援助を得ながら高給を得るのはおかしいという考えが一般にあるからであるがこれに賛成しない人(Becker-PosnerBlog記事1記事2)も結構いるようだ。理由は、一律に定める必要はない、優秀な人材が逃げ出す、企業の再生に対する影響は限定的だというよく聞くものだ。

これらはまさにその通りなのであるが、問題は経営陣に企業や社会に対して最適でない行動を取る誘引がずっと存在してきて、これからも存在し続けていってしまう可能性があるということだ。身内で給与を定めれば市場で決まるよりも高く出来るだろうし、実は無能な人間であっても高給を得ることが出来るだろう。日本でもそうであるが、高給である仕事が実力主義なら納得できるだろうが、高給である仕事ほど仲間内で守りあうことによって維持されているから本当に優秀なのかどうかわからない。経営者についても同じことが言えるだろう。本来高給を出せるのであれば、いろいろなところから優秀な人材をかき集めてくることが出来るのに内部からばかり選んでしまっている。市場を機能させようとしていない。

さらには、その経営陣の特権をもし政府支援が剥奪する結果となることを恐れるのであれば、それはこの経営陣が企業のために働いていないしょうこであろう。経営陣は自分の個人的な利益ではなく企業の利益を高めるために雇われている身である。それが、企業を人質に取って自分達に利害を侵害するなら、企業にとっての利益を無視するというのであれば、それは経営陣が反社会的であることを意味するだろう。

このような状況に多く共通することであるが、最も問題なのはずっとこのような地位が高く責任が高いため年俸も高い仕事にちゃんとした監視がなされてこなかったことである。結果、お手盛りで放漫経営を許してしまった。一律に賃金を下げたり制限をすることに反対するのは、全体を見ていないのではないだろうか。反対するなら、まずこのような状況を将来回避できるような経営陣のチェックシステムをまず提案すべきではないだろうか。

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