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続 江南市縁の七人の戦国武将 -織田 有楽斎-

2024-05-01 07:00:55 | 郷土の歴史

昨日まで江南市縁の七人の戦国武将 を紹介してきました。

今回は、その関連で織田 有楽斎を紹介します。

記載事項には諸説あるものも含まれていますのでご了承ください。

犬山ホテルの敷地内にある茶室「如庵」

現在、国宝に指定されています。
その如庵を建てたのが、織田 有楽斎、織田 長益です。


東京の「有楽町」の名の起源である織田 有楽斎。(異説あり)
織田信長の実の末弟で、甥の信雄も慕っていました。
信雄の兄、信忠に、二条城で自害をすすめた人物といわれています。
自らは、二条城を脱出しました。異説もありますが・・・。

以前のNHK大河ドラマ『真田丸』では、井上順が演じていました。彼は有楽斎のことを、「茶々が豊臣に嫁ぎ、江が徳川に嫁いでいますので、2人が傷つかないように、自分が豊臣と徳川の懸け橋になろうというのが、一番の願いだったに違いありません」

その通り、小牧・長久手の戦いでは、秀吉と家康の仲介役も務めています。
信長の実弟だからこそできることです。


関ヶ原の戦い
では東軍に属し、西軍の有力武将・蒲生真令を倒す活躍を見せますが、悲しいかな、淀君は姪っ子。豊臣にも力を貸します。
大阪の陣では豊臣に付いていましたが、最後は離れます。

今回のテーマである、豊臣と徳川の間に揺れた一人といえるでしょう。
その結果、子孫は続きました。

「勝(か)ち馬(うま)に乗る」といいますが、戦国武将が有利な方につくのは、生き残る術です。
しかし、有楽斎はそれ以上に、姪っ子のためにも豊臣と徳川の共存を願い行動したのだと思っています。


 



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