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江南市縁の七人の戦国武将 -織田 信雄-

2024-04-30 07:00:15 | 郷土の歴史

江南市縁の七人の戦国武将 -織田 信雄-

こうなん藤まつり会場では、毎年恒例の江南市縁の七人の戦国武将展が開かれています。


その七人の武将を順に紹介しています。
記載事項には諸説あるものも含まれていますのでご了承ください。

最後は織田 信雄です。


昨年のことですが、
2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」
では、浜野謙太が演じました。
番組中では、小牧長久手の戦いでは、浜野謙太さんが演じる信雄はパニックとなり右往左往。ついには家康から「総大将が狼狽うろたええるな。信長の息子じゃろ。しっかりせえ」と一喝される始末。

また、三谷幸喜の映画「清洲会議」では、妻夫木聡おおうつけとして演じていました。
映画HPでは、信長次男。おおうつけだが自分では頭が良いと思っている。秀吉によって信長後継に擁立される。というキャラクターとして紹介されていました。

この信雄も、他の尾張の武将と同様、豊臣と徳川の争いに翻弄されます。

信雄は、信長の第2子。もちろん吉乃の子です。
信長は伊勢平定のため、信雄を北畠具房の養子としました。

長島一向一揆や雑賀衆、伊賀攻めに、弟の信孝と共に参戦します。
本能寺の変の後には、尾張、伊勢、伊賀の100万石を得て、織田姓に戻ります。

賤ヶ岳の戦いでは秀吉に味方し、柴田勝家に付いた弟信孝を攻めて岐阜城を包囲、野間大坊に送り自害させています。
兄弟といえども厳しい世界です。

この後、秀吉からの大坂城の招待を拒否し、対立します。
信長の後継者を自認する信雄にとって、秀吉のとった行動は許せないものでした。

秀吉が信雄を攻撃するのに対し、信雄は徳川家康と同盟を結びます、というより助けを求めます。
これが小牧・長久手の戦いとなります。

家康が清洲城に到着した日、織田氏の家臣・池田恒興が羽柴軍に寝返り犬山城を占拠します。
池田恒興は、姫路城を造った池田輝政の父です。

生駒屋敷(小折城)にいた信雄を訪ねた家康は、二人で富士塚古墳に登って、秀吉側の動きを偵察したと言われています。



結果的に、領地を一部減らして秀吉と和睦。
長女(小姫)を秀吉の養女に出し、その小姫は徳川秀忠に嫁ぎます。
豊臣と徳川の間の微妙な位置関係に立ちます。

その後も、豊臣と徳川の間を立ち回り、子孫を存続させています。

優秀といわれた兄・信忠は早く命を落とし、それほどではなく、一部では「暗愚の将」とさえ言われた信雄の家系が続いていくのは皮肉です。

叔父有楽に茶を学び、茶道、和歌、歌舞に巧みな風流人でもあったそうです。

信雄は、戦国時代を生き抜き、唯一の大名として現世に信長の血を残し、73歳の長寿を全うしました。
 


 



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