亀戸天神社の藤(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
面接や恋愛など、人の絡むことが上手くいかなかった場合、
「ご縁がなかったんですね」という慰めの言葉があります。
もちろん、なかったものはなかったもの、
仕方のない側面はどうしたってあります。
しかし、「ご縁」というものの前には、人の力は全く無力な存在なのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
ただやみくもに声だけかけて、自分からはなんにも差し出さない。
こういう誠実さのかけらもないことをする人には、
やはり誠実さのかけらもない人が釣り合ってしまいいます。
人は完璧ではありませんから、本当は良いものや自分の理想に合うものを持っている人でも、
それが100%、表に出せているとは限りません。
にもかかわらず、履歴書的な内容を見て、はじめから相手をちょっと馬鹿にしたような態度を取ってしまう、不誠実な人がいるものです。
わかりやすい特徴だけを見て、「自分の理想通りのものを持っているか」という点を、バッサリと切って人を見てしまうのです。
ましてや、あまり合ったこともない人が、自分の好みにピッタリ合わせてくれるほうがおかしいという、
ごく基本的なことすら留意しないのです。
こういうわけで、誠意を出し惜しみするがあまり、かえって自分からあるかもしれないご縁を切ってしまうことがあるという可能性、
これは厳然と存在している事実なのです。
逆に、こちらの側が全力を尽くして誠意を見せていれば、
「誠実にしてみた結果、やはり本当に理想に敵わなかったり、相手が不誠実だった」という場合も、
堂々と諦めたり断ったり、「ご縁」がなかったことにしても、なんの後腐れもなく新しいご縁を探すことが出来るのです。
そして、こちらが誠実である限り、
理想に敵う人が誠意を見せてくれた時にも、遠慮なく気持ちを受け取れるのです。
そもそも人間関係なりご縁なりというのは、
「相手を幸せにしたり、大切にしたい」という気持ちをお互いが持っていることで、始まっていくもの。
「ご縁」とかなんとかカッコイイことを言うのは勝手ですが、
「ご縁を求める」というのは、「自分が幸せにさせていただく人を、自分の責任で探すこと」です。
探すのがめんどくさいとか、誠意を尽くすのが嫌な人は、
そもそも「良いご縁」なんかを求めること自体がお門違いなのです。
「なにかをしてもらう」という観点でしか人間関係を見ることのできない人は、
その程度の人としかご縁しかありませんし、あるいは「現在は大丈夫だから」と言ったって、
どんどん失ってしまうことだってあるのです。
相手に誠意を尽くすこととは、
つまりは心から相手の幸せを願い、また相手にとっての幸せはどんなものかを考えてみることです。
ここを押さえて人と関わっていけば、必ず良い関係がそこに出来上がります。
御縁の神様が「ご縁」を大切にする人に味方をするのは、
きちんと理由があるのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
面接や恋愛など、人の絡むことが上手くいかなかった場合、
「ご縁がなかったんですね」という慰めの言葉があります。
もちろん、なかったものはなかったもの、
仕方のない側面はどうしたってあります。
しかし、「ご縁」というものの前には、人の力は全く無力な存在なのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
ただやみくもに声だけかけて、自分からはなんにも差し出さない。
こういう誠実さのかけらもないことをする人には、
やはり誠実さのかけらもない人が釣り合ってしまいいます。
人は完璧ではありませんから、本当は良いものや自分の理想に合うものを持っている人でも、
それが100%、表に出せているとは限りません。
にもかかわらず、履歴書的な内容を見て、はじめから相手をちょっと馬鹿にしたような態度を取ってしまう、不誠実な人がいるものです。
わかりやすい特徴だけを見て、「自分の理想通りのものを持っているか」という点を、バッサリと切って人を見てしまうのです。
ましてや、あまり合ったこともない人が、自分の好みにピッタリ合わせてくれるほうがおかしいという、
ごく基本的なことすら留意しないのです。
こういうわけで、誠意を出し惜しみするがあまり、かえって自分からあるかもしれないご縁を切ってしまうことがあるという可能性、
これは厳然と存在している事実なのです。
逆に、こちらの側が全力を尽くして誠意を見せていれば、
「誠実にしてみた結果、やはり本当に理想に敵わなかったり、相手が不誠実だった」という場合も、
堂々と諦めたり断ったり、「ご縁」がなかったことにしても、なんの後腐れもなく新しいご縁を探すことが出来るのです。
そして、こちらが誠実である限り、
理想に敵う人が誠意を見せてくれた時にも、遠慮なく気持ちを受け取れるのです。
そもそも人間関係なりご縁なりというのは、
「相手を幸せにしたり、大切にしたい」という気持ちをお互いが持っていることで、始まっていくもの。
「ご縁」とかなんとかカッコイイことを言うのは勝手ですが、
「ご縁を求める」というのは、「自分が幸せにさせていただく人を、自分の責任で探すこと」です。
探すのがめんどくさいとか、誠意を尽くすのが嫌な人は、
そもそも「良いご縁」なんかを求めること自体がお門違いなのです。
「なにかをしてもらう」という観点でしか人間関係を見ることのできない人は、
その程度の人としかご縁しかありませんし、あるいは「現在は大丈夫だから」と言ったって、
どんどん失ってしまうことだってあるのです。
相手に誠意を尽くすこととは、
つまりは心から相手の幸せを願い、また相手にとっての幸せはどんなものかを考えてみることです。
ここを押さえて人と関わっていけば、必ず良い関係がそこに出来上がります。
御縁の神様が「ご縁」を大切にする人に味方をするのは、
きちんと理由があるのです。