成績優秀なのに仕事ができない “大人の発達障害”急増の真実(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
仕事や対人関係などで、どうも上手くいかないと思いながら生きてきて、周囲に合わせるのに疲れて、ストレスまみれ、その結果うつ病になったり、酒に逃げたりして依存症、その他色々な不適応が起こる。
これは性格なのか?と思いしが・・・実は「大人の発達障害」だったという展開の記事である。
広汎性発達障害、注意欠如多動性障害、学習障害などの子供が問題になって、早期発見して、環境調整をはかりながら、応対していくことが必要だと言われているが・・・。
問題は成績が優秀であり見逃されるケースや、障害が軽くて目立たないケース、無理な適応をしながらも大人になられたケースなどでは、ある時期や存在場所での不適応が出てきても不思議ではないだろう。表面的にはうつ病と診断されるが、その根底に発達障害などがあることも多いかもしれない。
最近のことなのだろうか?過去のケースについては不明だが、児童の問題が表面化して教育場面で問題になるにつれ、大人の人にあってもおかしくないという認識が広まってきたのかもしれない。
とりわけ、知能が高いが人の気持ちを読みきれない場合などが多いかもしれない。それなりの職について、自分のペースで生きていける場所を得た人は幸いであるが、そのような場所は少ないのが現状でしょう。
まして、景気不良で、就労もままならない時代である。普通の人も不適応を起こしやすい。なおさら、発達障害のある大人が不適応になるのは不思議でもなんでもない。
我々の大人の発達障害についての認識が先ずは大事なのかもしれない。
それと、職場のメンタルヘルスを十分に考えることでしょうか。
仕事や対人関係などで、どうも上手くいかないと思いながら生きてきて、周囲に合わせるのに疲れて、ストレスまみれ、その結果うつ病になったり、酒に逃げたりして依存症、その他色々な不適応が起こる。
これは性格なのか?と思いしが・・・実は「大人の発達障害」だったという展開の記事である。
広汎性発達障害、注意欠如多動性障害、学習障害などの子供が問題になって、早期発見して、環境調整をはかりながら、応対していくことが必要だと言われているが・・・。
問題は成績が優秀であり見逃されるケースや、障害が軽くて目立たないケース、無理な適応をしながらも大人になられたケースなどでは、ある時期や存在場所での不適応が出てきても不思議ではないだろう。表面的にはうつ病と診断されるが、その根底に発達障害などがあることも多いかもしれない。
最近のことなのだろうか?過去のケースについては不明だが、児童の問題が表面化して教育場面で問題になるにつれ、大人の人にあってもおかしくないという認識が広まってきたのかもしれない。
とりわけ、知能が高いが人の気持ちを読みきれない場合などが多いかもしれない。それなりの職について、自分のペースで生きていける場所を得た人は幸いであるが、そのような場所は少ないのが現状でしょう。
まして、景気不良で、就労もままならない時代である。普通の人も不適応を起こしやすい。なおさら、発達障害のある大人が不適応になるのは不思議でもなんでもない。
我々の大人の発達障害についての認識が先ずは大事なのかもしれない。
それと、職場のメンタルヘルスを十分に考えることでしょうか。
特別支援という仕事について2年。
いろんなことが研修などでわかってきました。
その結果出た答えが、
「それを言うならみんな発達障害やん!!」
ってことです(笑)。
わたしは小さい時から「言い出したら聞かない」と言われていました。それも一種のこだわりになると思います。
思うに、何でもかんでも診断名つけすぎだと個人的には感じてます。わたしも「大人の発達障害」的な本を読みましたが、その著者が上手いこと言ってました。
たしか、発達障害という日本語に翻訳したことがそもそもの間違いで、「アンバランス症候群」とかそういうものに近い。
と書いてありました。
それを言うなら「個性」ってそもそもなに?!
と思います。あまりにも「発達障害」という言葉に振り回されすぎない方が良いかもしれない。だけど、自分がそういう特徴を持っているって事を知れば、確かに手立てが分かってきて安心するのかもしれませんね。
僕は個人的には「あらゆる人は発達のベクトルが各自違う方向性にある」という認識が大事だと思います。その意味では、誰もが発達障害でもあり、そうでもないわけです。しかし、環境(人間関係を含む)への不適応が起こった場合は対処しなければならないですし、予防的なことももっと大事だと思います。
「こだわり」についてですが、人間誰もがもっていますし、本能的な自己防衛が残ってくるんだと思います。個人差の大きいもので、生活に支障がくると神経症レベルになるのでしょう。
「個性」についてですが、僕は昔は「個性」という言葉に振り回された時代が長かったんですが、最近思うのですが、「個性なんてなくてもいい」ということでしょうか。昔、ごく普通に生活していた人々が、自分の個性がなんだかんだとかはまず言ってないですね。「個性」なんてあやふやな定義のない言葉はいらないのではないでしょうか。一時「障害も個性である」なんてことを言っていた人もいましたが、僕はなんだかなあ、ごまかしだなあと思いました。
教育関係で、「その生徒の個性を・・・」なんて話を聞きますと、???となります。(笑)
個性なんかより、楽しく生活する方がまっとうな生き方だと最近認識しました。かなり「遅れてきた青年いや中年」のわたくしめであります。
コメントありがとうございます。