関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

北イタリアにあるという❔懐かしの洋画『ミニミニ大作戦 (1969年)』のエンディングに使われた《断崖絶壁の山岳道路》の現在にトコとん!迫ってみた💛  =Part②=

2018年11月13日 | 日記
前記事から つづく
さて、Part①で説明した「二つの湖が望める、アルプス地方の断崖絶壁」だが、判明したロケ地は(映画の設定どおり)トリノ北方にある『コッレ・デル・ニヴォレット (Colle del Nivolet、ニヴォレット峠)という場所。「コッレ」というイタリア語は英語の「ヒル」に相当し、英国やアメリカでは「ちょっとした高台、小高い丘」のことを指すのだが、この「コッレ」は峠地点(=一番高い地点)で道路の標高が2612mにも達する。とても「小高い」とかのレベルではない。

で、論より証拠。まずはロケ地からの眺めをご覧いただこう…


いかがだろうか。 まさに!あのエンディング・シーンのまんま、ということが納得いただけると思う。

この、ため息が漏れそうな眺めが見られる地点へは、画像の左下から中央辺りへと下っている1本道だけからしか登って来れない。
その言葉の「意味するコト」は、当記事の後半以降で詳しく見ていただこうと思う。

次に上げるのは、このロケ地の「おおまかな位置」。一帯は国立公園で、スイスではなくフランスに接する国境付近にある。


ご覧のように、そもそもジュネーブはフランス領に囲まれた都市であるから、トリノから回り道せずジュネーブを目指すなら、アルプスを越えた先はフランスなんである。

ついでだから蘊蓄ネタ。そもそも何でジュネーブが、こんな「陸の出島」みたいなカタチを呈しているのか。

その理由(ワケ)は、「もともとはフランスからもスイスからも独立した都市国家だったから」。 ヨーロッパに宗教改革が巻き起こりフランスの(改革派指導者であった)カルヴァン神父が母国を追われたとき、小国ジュネーブはその「お隣の大国」からの亡命者を公然と受け入れ、自由に活動させた。途端に、それを聞きつけたヨーロッパじゅうの新教信奉者や、当時としては進歩的(リベラル)な考えを持った学者・芸術家・技能工・起業家らが「我も我も」と移住してきて、さながら(世界で)ジュネーヴだけが「リベラル思想特区」であるかのよーな様相に。またたく間に「新興文化と学術のメッカ、産業の発信国」へと変貌を遂げたのだ。

しかし「思想が進歩的なだけ」で天狗になり、自衛のための兵力すら揃えようとしてなかったコトは裏目に出た。18世紀末、ナポレオンの牛耳るフランスに(圧倒的な軍事力で威嚇され、一戦も交えることなく)併合されてしまう。15年後の1813年には(ナポレオンがロシア遠征から敗走した戦況に乗じ)ふたたび一方的に独立を宣言するも、「またフランスが勢力を盛り返したら太刀打ちできない」との危惧から、お隣スイス連邦に(広範な自治権を保証させた上で)加盟することにしたのだ。現代のウクライナ西部諸州が、ロシアに脅されながら独立を保つのは嫌だから、ともかくEUに加盟したがってるのと似てるかもしれない。

では、話をいったん戻そう。 前掲の地図を拡大して「周辺マップ」にしたのが次の画像。ふたつの湖は水面の色が際立った濃淡の対照を呈してるが、それは片方がダムで堰き止めて出来た人工湖、もう片方が天然湖であるからだ。水色に輝くダム湖の名をセッル湖、深い群青(ぐんじょう)の天然湖をアニェル湖と言う。


セッルの流れを堰き止め湖に変えたのは、もちろん水力発電のためである。しかし、水深の浅いダムには取水口があるだけで、発電タービンは設置されてない。つまり、(狭隘な山岳地形を有する)日本によくあるような、深~いダム底(ないしダム横)に発電所があるタイプの水力発電ではない。ここの発電所は5~6カ所の取水所(=ダム湖)からパイプで送られた水を束ねて太くし、それを高低差のある1カ所に集めてきてから落とし、タービンを回してるんである。

これらダム群と送水パイプ網と発電所を建造したのは、トリノ市営の発電公社(AEM)。 そして、映画で逃走バスが(一路北へと)登ってくる「一本道の荒れた舗装路」はイタリアの《州道50号》線と言って、第二次大戦の敗戦当初〈すなわち40年代から50年代前半〉は、道なきアルプスの荒野に(これら発電施設と送電線網を建造するために)突貫工事で切り拓かれた「ダンプ道」からスタートしてる道なんである。発電所や高圧送電塔群が竣工した今でこそ「国立公園を散策するための州道」みたく見えてるが、そもそもの実体は「工事用車両が現場にたどり着くための(同時に、自然破壊を最小限に抑えるための)工事専用道」であったのだ。

実際、ひとまず現在の道路区間が開通したのは1956年のことで、『ミニミニ大作戦』が撮られた68年当時は(一般道としての再整備が、ほぼ手つかずのままで)ダンプ道に毛の生えた程度のホコリっぽい道【↓画像:上】。ガードレールなどの安全対策も最小限で、だからこそ映画のような格別にロングボディなバスでも通れたのだ。
※ ちなみに日本の標準的な大型トラック(いわゆる4t車)の全長が7.6メートル。対して、劇中に登場するバス(Harrington Legionnaire)は11メートルも(!?)ある。
一方、21世紀の現在は?というと舗装面の厚みはもちろん、路肩の土木整備も進んだ【↓画像:下】。現在では、全長が9メートルを超すような車両は(カーブ時に舗装した路肩の幅から車体がハミ出しすぎて)実質、走れないような道になってる。


▼現在の《州道50号》線。日本の車両規格で言う「小型乗用車」がギリ、すれ違えるかな
 という道幅。 もちろん(日本なら「国道」級の道だが)センターラインは引かれてない。


そしてそしてっ! この州道の標高最大地点(=峠地点)を示す立札の数キロ手前に、"あの謎の"記念碑も彫り込まれていた…❕❕
 

まさにこれだ❕ 例のエンディングシーンで一瞬、映り込んでたのは。
 
刻印されてる文字は「トリノ市/電力公社/1956」─── これこそ、こんな峠のてっぺんまで道を敷いてきたのは生活者を行き交わせるためじゃなく「発電所建設のためだった」ことを物語る、何よりの碑文なのである。

となると、映画の「バス脱輪地点」は……碑文の十メートルほど先。


そこは、休息所を兼ねた「展望テラス」に改装されていた。 記事冒頭の写真も、ここから見下ろした景色であった。 映画では急激なカーブ❔であるかのように演出されてたが、ここは(写真 画像に向かい)緩い角度で右折している。方角で言えば「北に折れてゆく」カタチになる。そして曲がった先は、高い崖を登り切った場所ゆえに両サイドの見晴らしが開けてくるのだ。

同カーブを逆方向(=南下してくる側)から望んでみると、休息所はこんな具合になる。
 

このロケ地点から先(さらに北)へ、300m余り進んだところが最大標高ポイント。ご覧のような表札が立ち、当然ながら(休息所と並ぶ)インスタ名所になっている。


さあさあ。 それじゃ当然、峠を越え、さらに北を目指せばフランスを経てジュネーヴ❔❔

── 答は、意外にもNOだ。この州道を北上しても「どこへも通じない」。何と、立札から2キロ進んだところで、州道は忽然と途切れている。かつては工事用車両が(さらに先へと)行き来したらしい痕跡が今も続いてはいるが、何十年と(舗装予定もなく)放置されてるようである。マイカーで訪れた観光客たちは(中には、少し先まで徒歩でハイキングする者もいるが)多くはここで記念写真(?)の1枚でも収めると、そのままクルマで引き返してゆく。

そう。先に「画像に映る1本道だけからしか登って来れない」と記した真意も、そこにある。逆方向から訪れる観光客は存在しないのだ。州道はジュネーブはおろか、イタリアのどこかにすら至らないまま、このニヴォレット峠でプツンと切れてしまう「往復ルート」だったのだ。

映画の制作陣は、断崖の脱輪シーンを撮るのに(行き止まりゆえに交通量も僅少だった)この州道こそ最適とみなし、ロケ道路に抜擢したのだった。前述のように、まだダンプカー等、大型車両が行き来しやすい「大雑把な舗装」に過ぎなかったコトも好都合だったろう。いやはや、調べれば調べるほど「なるほど、そうだったのか」的な感慨しきりである。


ちなみに、この緩やかな「谷」の底を(道が無くなろうと構わず)ズンズン先へ歩いてくと、どこに辿り着くのか。
 
正解はこの画像の場所。 北に10キロほど先で、イタリアのSR(県道)23号線の南端(デッラ・ヴァルサヴァランシュ)につながる。10キロというのは微妙な距離だ。 途中、人も住んでない荒野を10キロ。 当然、この二つの地点を結ぶからには、何らかの「沿道開発」無しには交通の安全が保てない。言い換えれば、間違いなく投棄ゴミも増えれば(国立公園内の)自然も破壊される。

と言うコトで、美しい大自然にバッサリと縦貫道を通す……というプランは凍結されたままなんだと。(50号線の工事と)同じころの日本は高度経済成長のまっただ中。ところが人口が過密な日本ゆえ、成長期のずうっと以前から、たとえば秩父多摩甲斐国立公園ひとつ取っても、青梅街道という峠道がバッサリ域内を横断してた。まあ、西欧的に「自然破壊」とは呼ばず、「昔から日本人は自然の中で暮らしてきた」との大義名分の下に。狭い国だもん、そう言って罪悪感を払拭せずには暮らしてこれなかったんだよな……という冷徹な実態を垣間見る思いがする。


以上で、『ミニミニ大作戦(1969年)のエンディング撮影場所は今❔』の追跡を終える。

末筆に、ふと「ところで《州道50号》線の"はじまり"は、どこからなんだろう」と気になったので、これまたGoogleストリートビューより。
 

はじまりは何の標識も目印もないまま、画像のオレンジで示したラインから奥が《州道50号》に切り替わっていた。何やら黄色い支柱?が両脇に立ってるが、これはスタイリッシュな路線バスの停留所、始点標識ではない。

手前は《州道460号》、通称『ディ・チェレゾーレ線』。いかにもイタリアンな音感でつい笑ってしまった。このチェレゾーレ線はトリノ市街の中心から(有名な)ポー川の支流であるオルコ川添いに延々、その水源である「チェレゾーレ湖」湖畔(※厳密には、その少し手前)まで続く生活道路である。
=了=

 
 
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