関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

【鬼才P・ロジェ監督の最新作】 歌姫ミレーヌ・ファルメールが"娘ふたりの母"に扮する異次元ホラー映画…の、各国ポスター。

2018年06月16日 | 日記


時節も「梅雨入り宣言」後ともなれば、梅雨明けを待たずとも「半分以上、季節は真夏」と心得たモノである。夏と言えば怪談、ホラー。

…というワケで、今宵は『マーターズ』『トールマン』など新感覚フレンチ・ホラーの鬼才、パスカル・ロジェ監督の最新話題作『ゴーストランド』(2018年カナダ・フランス合作)について ──。

世のなかには、たとえば『ランダム 存在の確率』(2013年) のように(英米はもちろん)東欧を含むヨーロッパ各国やアジア各国で劇場公開、話題を呼んでいるのに、限りなく日本でだけ、上陸が著しく遅れる……という事例が結構な割合、見受けられる。『ランダム 存在の確率』の場合は、世界一般より(公開が)丸2年近く遅れた。ディズニーやワーナーブラザーズなど、大手配給のメジャー作品は順当に本邦公開となるのだけど、中手小手の佳作映画は(いっきに)劇場公開やDVDリリースが遅滞し、最終的に(日本では)公開されず終わる作品も相当数に及ぶ。こーゆう実態を見るにつけ、ニッポンなんて(Cool Japanとか偉そうに言ってるが)まだまだ「文化小国」だよなあ、と痛感するのだ。

かく言う、この『ゴーストランド』も然り。以下に掲げるごとく、多くの"文化国家"では とうに劇場公開(乃至はストリーミング配信の開始)を迎えているが、日本では全く!どの興行ルートからも「本邦公開予定のアナウンス」がなされていない。寂しい話だ。

日本でも知られて久しいフレンチPOPの歌姫ミレーヌ・ファルメールさまが(実生活では未婚を貫いてるが)、本格的な長編映画に主要キャスト(それも主役姉妹の母親役で!?)熱演カマしてるとか、ホラーの中身も「少女趣味の猟奇魔に捕らえられると、別の時空で"人形"と化してしまい、抗えないまま飾られ、なすすべなく愛で虐げられる」など、サイコでSFチックなイリュージョン仕立ての恐怖になってるらしい。

まあ、仮に日本で公開されると、ある意味「フィギュア・オタク=小児性愛の変質者、誘拐予備犯」的な本作のプロットは地雷で、あらぬ方向へ物議を醸してしまうのかな、という気がしないでもないが。 どんな理由で公開が延び延びなのかは分からないが、ならばせめて以下公開各国の本作ポスターのバリエーションでも「愛でて」みるとするか…。


▲ カナダ(英語)バージョン ▲


▲ アメリカ・バージョン ▲


▲ フランス・バージョン ▲


▲ スペイン・バージョン ▲


▲ ギリシャ・バージョン ▲


▲ クロアチア・バージョン ▲


▲ リトアニア・バージョン ▲


▲ ハンガリー・バージョン ▲


▲ ポーランド・バージョン ▲


▲ ロシア・バージョン ▲


▲ タイ・バージョン ▲


▲ 香港バージョン ▲


▲ 台湾バージョン ▲


▲ フィリピン・バージョン ▲

 
 
<キャスト>
 クリスタル・リード、アナスタシア・フィリップス、エミリア・ジョーンズ、テイラー・ヒックソン、ミレーヌ・ファルメール /他
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【英語のニュアンス探検隊】 It's Been a Good Run.|いっつびーな・ぐっ・らん。

2018年06月10日 | 日記


当ブログ、(英語という言葉のニュアンスに限らず)英語話者たちの身振り表現のニュアンスに関しても、別室でエア・クォーツについて論じてみたように、ところどころで話題にしてる。

という事で、きょうはまた無作為に「It's been a good run.」というフレーズについて考えたい。

1.人生の「もう戻っては来ない、何らかのステージ」を去る時、または去ったあとに(その当時を)振り返って使う。

例えば、軍人が退役するとき、プロスポーツ選手が引退するとき、政治家が大役の任期を終えるとき、上長が職場を辞するとき……などの改まった挨拶の中に使われることが多い。そのステージに立てたことが「ある意味、人生で一番輝いていたと思える」場合に語られることが大半で、たとえば出世や栄転など、そこからさらに高い活躍の場が控えている場合には使われない。

2.そのステージで過ごせた自分を自己採点してみて、おおむね及第点が採れたと思う場合、悔やむことのない場合に使う。

このステージで(自分の)やれることはやり切った。満足のいく仕事は出来たと思う。自分を褒めてあげたい。こんなに活躍の場を与えられた自分は幸せだった……そういったニュアンスを伝えたいときに「It's been a good run.」と言う。戦闘系ドラマのなかで、闘士が命運尽き、「もはやこれまで」と自決するときにも「It's been a good run.」と口走ることがある。自分は満足している。敗残するワケではないのだ……という意味合いで、選挙に負けた候補者が(激しかった選挙戦を振り返って)「It's been a good run.」と演説する場合もある。ここは去るが「手ごたえはありました。応援やサポートありがとう」といった雰囲気まで内包しているのかもしれない。

そして最後に……ある意味、これが(このフレーズの語感を理解する上で)一番重要なことなのだが、

3.あくまで「自分が自分に」言うセリフである。人から言われる言葉でなく、人に対して使ってはいけない。

何らかの大舞台を終えた人が、自分を「何とかやれた」と労(ねぎら)うのが「It's been a good run.」。非常に控え目な、最低ラインの及第点をクリアできた、というのが真意であり、「まだまだ、上を目指したい想いが無かったワケではない」という自負心を内に秘めている。これをもし、人から「It's been a good run.」と言われると、言われた方は「まあまあだったね」「あんたにしては上出来だった」「今までやれたなら十分だろ」「ここらが潮時さ」と上から目線で断言され、なし遂げてきた業績を評価せず、なだめられてるように聞こえる。まったく失礼な物言いで、反発を買うこと必至である。

もう お察しのことと思うが、このフレーズ。ぶっちゃけ英語のなかでは珍しく日本語的な「謙遜」表現の最たるモノなので、勇退する誰かが「It's been a good run.」と言ったら、「いやいやグッドなんてもんじゃない。ミラクルラン、オーサムランでした あなただから出来たんです」と訂正し、讃えるのが本来あるべき応答態度であり、惜別のマナーである。間違っても、「ホントにそうですね」と相槌を打ってはイケないのだ。それは、東京から出張してきた巨人ファンが「阪神は結局、下位に堕ちるで」と自嘲する虎ファンに「ホントそうですよね」と手離しで賛同を返すのに等しい。


末筆に、いかにも今どきの…と言うか、少し変わった場面で「It's been a good run.」と言ってる人の実例を紹介しておく。

おそらくは十代の男性。とある戦闘ゲームに入り浸り、YouTubeでログ中継してた若者が「進学準備に本腰を入れる決心を固めたので、アカウントを消して(戦場を)出てゆく」と"戦友"やビデオ・フォロワーに伝えている投稿動画である。

> https://www.youtube.com/watch?v=mtUFjsq_3zE

動画自体はともかくとして、寄せられた反響コメントの(英文の)数々に着目していただきたい。ここまで明らかにしてきたように、皆「寂しくなる」とか「あんたの活躍は伝説だよ」「新しい世界で頑張って」といった言葉で応じている。いくらゲーム中毒者だろうと、さすがに「It's been a good run.」に「It's been a good run.」で返すよーなボキャの乏しい奴は一名二名、いるだけだ。つまり、そういう「去り際の、渋い述懐フレーズ」こそが「いっつびーな・ぐっ・らん」 なのである。
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