関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

タイトルが誤解を与えるか? 「地球が静止する日」、と言うよりは、「人類史が停止する日」。

2009年05月02日 | 日記
50年代SF映画のリメイク作品なんだそうで。きょう、レンタルDVDで鑑賞。個人的に、とてもワカりにくい(あるいは、釈然としない)映画でした。

《警告:本編に関し一切の予備情報を得たくないかたは、以降を読まないでください。ネタバレ事項です》

前の日記にも書きましたが、地球人類はこのたった数十年間で爆発的に猛繁殖しています。地球ガイアがひとつの高度生命体だ、という見方をとるなら、人類という(破壊的に増殖する身勝手な)菌種は環境安定(ガイアの健康回復)のため、一億人以下程度にまで早急に“駆除”されないと大変なことになる…という気がしてなりません。

この作品のなかではクラートゥ【キアヌ・リーブス:演】に代表される“先進”宇宙種族が、地球ガイアに巣食う“人類を除去する”ために、昆虫に似た“駆除剤”をバラ撒きにかかります。環境に詳しい科学者たちが、「わたしたち人類は、必ずや“自主的に良性&無毒性のウィルスに変異できる”から、どうか薬の投与を待ってほしい。命だけは助けてほしい」と懇願します。

どうかな、変われるのかな。そのあたりの集団認識が甘いのですね。

清潔に定時に外食、なんて浪費的な発想は捨て、自分で獲物を捕獲するなり野草を採るなりして貪り食う。お天道様の具合によっちゃ、深刻な餓えも覚悟の日々を送るのでないと、「地球にとってフレンドリーな存在」とは言えないのですよ。明日からあなたにそれができますか? 個人的にはこの先、ナンらかのガイアの自浄作用で人類が大幅に減らされるのは確実だし、その日が来ても半ば喜ばしくもあり、自分が(次のステップへと)死ぬのはしかたのないことだと覚悟しています。あるいは、母なる地球を守るため(百万~千万人規模の)大集団自殺?の場に馳せ参じることも、(自然界の摂理からみれば)あり得なくはないでしょう。

それがこの映画の場合、原罪なり煩悩癒着の自覚に欠け、科学知識には富むが、ただ「そこをナンとか助けてくれ」と命乞いする人ばかり出てきます。ナンのために、わたしたち種族はここまで“進化”を赦されたのですか? 単に、誰もが物理的な効率を追求する……即ち、無統制にズル賢くなるためですか? そんな姑息な了見だから、ここまで勝手に繁殖しちゃったんじゃないですか人類は!と、クラートゥならずとも言い放ちたくなるのですね(苦笑)

まあ映画の結末は、冒頭のタイトルにある通り、人類自体は滅ぼさない代わりにその文明(エネルギー源)の根を絶つ……という“応急措置”だけ(地球に)施して、クラートゥらは引き揚げてくれます。
 
「引き揚げてくれます」が、人類は助かった、では無いでしょう。

考えてもみてください。身震いがします。── もはや電気も水道もガソリンもない。一瞬にして太古の野生時代に送還された、(生体数としては)飽和状態の人類、人類、人類の群れ。これからが“最後の”生存をかけた、再サバイバル史の始まりとなります。地球にとってのハッピーエンドは、人類のそれと分かち合うことが非常に難しいのです。

> 映画「地球が静止する日」オフィシャルサイト
 

タイトルが誤解を与えるか? 「地球が静止する日」、と言うよりは、「人類史が停止する日」。の画像


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