関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

「リンパ液じゅくじゅく」って不快だよね。つい、ネットに写真 流したくなる「変態な」欲望ww

2018年04月26日 | 日記
リンパ液、ジクジクなんですうう(気色悪)

あはははは

ネットはある意味、変態どもの巣窟だ。わたしも当然、変態のひとりである。

春タマネギの美味しい季節なので、サクサクっと切って(野菜シチューにしようと)油を熱ぅぅぅく熱した鍋にドサっと放り入れたら……油の塊りが左手首に「ばちゃ」と撥ね跳びやがった。

あぢいいいいいいい…っ

 
…とパ二くりつつ(冷凍庫にストックしてある)蓄冷剤で局所クーリングを施したけど、当然、火ぶくれパンパン。潰せば、皮はベロりんちょ

くそォ、野菜シチュー作りは手痛い"代償"をも強いられるコトと相成ったわ。



火傷後48時間が経ったが、未だ、脈拍を測るあたりの部位(=一番、大容量の油分が降った部位)は乾燥してくれず 沁み出る(それも皮肉めいたサラダ油色の)リンパ液で、じゅくじゅく、ねっちゃねちゃしたまま。不快この上ないし、イラつきます。こんなに治りが遅いたァ俺も齢をとったなあ、てか。

こーゆうとき、って、ついつい醜い火傷跡を(わざわざ)撮ってネットに上げたくなるんですよねえ、この変態どもめ。

ナンなら画像検索で、ずばり「リンパ液」をググってごらんなさい。微塵にも見たくもない、クソ気色悪いだけの「皮膚めくれ画像」が山ほどヒットするんだからぁw おめーら変態、おいらも変態。ねっちょねちょのリンパ液シャワーで、舌の裏までべっとり、鼻腔の隅々までドップリ脂ぎっちゃおうぜい ひゃはははははははははははははっ(狂)
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ひとことで「レトロ調デザイン」と言っても、その時代を生きてた世代には「…???」なことが実は、あったりしませんか?

2018年04月23日 | 日記
「レトロ調」と称するデザインの商品は、いつの時代にもある。

よく、流行の〇年周期だとかトレンドウォッチャーが言うが、そういうタイミングで「あとの世代」が「前の世代」の趣向に憧れるという事は、たしかに旧来から営々とあるのだろう。それが音楽ならカバーされたり、映画やドラマならリブートされたり……といった具合に。

もちろん、家電製品のデザインにも「レトロ調」の試みは多い。そろそろ片づける時季を迎えたスポット暖房器具とて、例外ではない。例えば、通販で紹介されていた『レトロでおしゃれ ノスタルジック電気ヒーター』、なる商品もそうである【画像】。


見れば、たしかに電熱ヒーターでありながら、パネル前面に50~60年代の家庭用ラジオ(?)みたいなつまみ状のダイアルを配している辺りが、レトロっぽいと言えばレトロっぽい。

が、実際に半世紀前の家庭に「こんな感じの電熱ヒーター」が在ったか? と言えば、300%NOだ。

この商品にフューチュアされている「石英管遠赤ヒーター」なる暖房用加熱デバイスが(一般家庭向けの白物電化にも)本格的に普及しはじめたのは、たかだか90年代後半になって以降のことである。60年代や70年代には登場していない。電熱コンロは在ったが(電熱線周りに発火熱を放散するので危険が高く)ストープ代わりには使えず、家庭では圧倒的に(灯油式の)石油ストーブに暖を頼っていた。

石英管 遠赤ヒーター の構造図


さらに重箱のスミを突つかせてもらうと、この電気ヒーター、ダイアルの並ぶ操作パネルを本体に組み付けているのは、プラスのトラス小ねじ。


このタイプのネジは今でこそ、家電の組み立てに主流のネジだ。製造ラインに電動ドライバーが当たり前に使われる時代になり、トルクが同心円方向に均一に伝わりやすく、電動ドライバーの先にも瞬時にハマりやすい「その形状」が、自動化の進む組立現場に適していた。

だが60年代あたりまで、ねじを締め付けていたのは主に「工員の手が回すドライバー」である。その多くは(今では見かけにくい)マイナスねじ。手で回す場合、当時のプラス小ネジの頭の硬度では(手動ドライパーの先との滑転から)十字溝を潰してしまいやすく、プラスねじは敬遠されたのだ。

まぁ、例を挙げればこんな感じ。



また21世紀の現代でも、高級自動巻き時計など手作業で組み上げる精密工芸品の多くにはマイナスねじが用いられている。



そうした辺りまで、つまり隅々に至るまで「かつての時代を投影し尽くした」復刻デザイン商品……というのは、なかなか存在しない。上っ面(つら)が何となくレトロっぽいだけで、よく見りゃ「やっぱり今だから作れる商品でしかない」ということの方が、圧倒的に多い気がする。

そういう実情もあって、レトロ調はレトロ調でしかなく、やはり年代を(実際に)経てきたヴィンテージ物こそがヴィンテージ物になり得るのであろう。今さらながら、それを再確認する想いである。

韓国LGが'13年に出した"4本脚"のレトロ液晶TV

 

映画『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(1990年) より


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《CDジャケ自作》フランソワーズ・アルディ/青春時代 EN ANGLAIS (1968)

2018年04月18日 | 日記
60年代パリは人気ファッション・モデルのひとりであり、かつイエイエ・ブームに沸いた大衆音楽界のアイドル歌手の一角、70年代末以降はフレンチ・ポップ界の主導的アーチストとして現在(74歳)も現役で活躍するフランスの女性シンガー、フランソワーズ・アルディ

彼女についても当ブログ、これまでにも様々な角度から幾度となく取り上げてきた。片や《関心空間》時代のメンバーさんに、60年代のフランス文化事情に長けたかたが相当数おいでになり、それはもう親切で多岐に渡るご教示もいただき、知見を補完する恩恵にも恵まれてきた。今(もまだ)小生のブログを覗きにいらっしゃってるか?は兎も角、あらためて篤く御礼を申し上げたい。

さて、そこで今後だが……少しずつ、「自分の知るアルディー姐の音楽作品ネタ」も書き連ねておこう、と思う。極端な話、自分が事故や急病で(明日にも)死んだとしても、ネット上から「ファンのひとりとして伝え話せること」は書き遺し、日本のファン諸氏と知見や"アイテム"を常日頃から共有しておきたいと思っている。あとまで(ブログが削除されずに閲覧可能な状態で)遺るのが、たかだか数年であれ、数週間であれ。

「作品篇」初投稿となる今回は、本邦紹介をEPIC(ソニー)さんが担ったアルバム作品群のなかではマイナーであろう、1968年発表の『青春時代』(Françoise Hardy / En Anglais)。1966年『イン・イングリッシュ』に続く英語曲アルバムの、2作目にあたる。

本稿終盤に細かな「日本だけの諸事情」についてまとめた。そのような事情のせいで『イン・イングリッシュ』は8年後に東宝レコードから。『青春時代』も8年後の76年、エピックレコードからの"遅延リリース"となってしまう。まだしも前者の(74年時点における)『イン・イングリッシュ』の発売は、当時日本で知られていたヴォーグ時代(=アルディのアイドル活動時代)の音源が(日本のフレンチPOPファンの間ではギリギリ?)聴かれてもいた時期で、英語曲盤は「それらの時代の楽曲を英語で歌いました」的な理解で(少なくとも、アイドル時代からの旧ファン層には)ストレートに耳に入った。

しかし後者の76年、という年代になると、日本でエピックさんが『私の詩集』(71年)や『私生活』(72年)※ともに日本リリースは73年 など、アルディがアーティスティックな音楽活動に専念しはじめてからの楽曲を矢継ぎ早にプロモートしていて、まさに前述の74年、かのユーミンが極めて私的なリスペクト曲『わたしのフランソワーズ』を歌うに至って≪アンニュイ系シンボル≫としてのアルディ像が"急速に定着した"そのあと!…というタイムラインに入ってしまっていた。そこで、この英語盤第2弾については、日本だけ「異様な体裁」に改変されてゆく。すべてはエピックさんのプロモート陣の「せっかく確立してくれた≪アンニュイ系シンボル≫としてのイメージを壊すまい」と謀っての意図からであったろう。

発表年1968年における『青春時代』は、制作期間中にリアルタイムにヒットしていたニルヴァーナの『Tiny Goddes』、このアルバムのために作られた彼女のための「新曲」2曲を含む12曲。まあ、フツーに英語曲をまとめて歌いました、というフレッシュな企画アルバム。それゆえ、本国盤オリジナルのジャケットデザインも、ピリっと尖った精彩を放っていた。日本盤CD化(90年)に大幅に遅れること2016年に!? これがようやく「EU盤」として初CD化されたのだが、当時のエディットをそのまま活かした外観。わたしも迷わず購入した。


まさに!これが、ヴォーグレコードからLP『青春時代』が発売された当時の!まんま空気感だったのだが……これが8年後、日本では「見事に牧歌調のほのぼのアルバム」みたいなデザインに差替えられて、初LPリリース。


エピックさんに言わせれば、「昔の、アイドル時代のアルディが〈尖ったイメージ〉では困る」というのだろう。プロモーターと言うのはタレントのイメージ戦略も徹底的に極めてナンボ、の商売。それを いちいち責めるのは本望でない。ただ、日本のアルディ・ファンとしたら、そこんとこまで鳥瞰して「いろいろな方向から(ときには裏側からも)彼女の虚像と実像とのギャップを」愛でられる存在ではありたいなと思うワケで。

ならば…!? わたしはそこで思い立ったw

世のなかには、EPICさんが90年にCD化した『青春時代』を持ってないアルディ・ファンもいるだろう。その人が2年前に出たEU盤CDを購入し、日本盤『青春時代』風にイメージを飾ってみたいと思うかもしれない。それもまた「ひとつのアルディ愛」として認めよう。どころか、この場で【CDジャケ自作】のお手伝いまでしてあげようではないかっ
 
 
制作したのは下図、3つの元画像パーツ。


①表ジャケ クリックすると精細度版(大サイズ)の画像にリンクします。


②裏ジャケ クリックすると精細度版(大サイズ)の画像にリンクします。
※なお、このパーツは日本盤LPやCDには無かった小生のオリジナル作品です。使わせていただいたアルディ60年代当時の横顔写真の版権は、その道の大御所であり彼女の生涯の友人でもある写真家ジャン=マリー・ペリエ氏が有します。© Jean-Marie Périer
 


③ジャケ帯 クリックすると精細度版(大サイズ)の画像にリンクします。

ついでだから? ジャケ帯の裏に解説文を付けてみたw EU盤には英語/仏語でしか載ってないので。(と言っても)その記述を和訳したワケでなく、まったく我流に一から自分で説明してみた。カバー元の原曲情報を調べてみたり、きょうびらしくYoutubeで元アーチスト版を聴き直し、改めて気付かされたり勉強になったり…再認識させられること頻(しき)りである。


以上で【自作キット】は終わりだが、一点だけ(どうしても)お断りしておくことがある。

表ジャケは基本、日本LP盤のデザインに準拠しているが「完全にコピー」というワケではない。なかでも異なっているのは表面中央の、「逆光のなかで憂いのポーズ」をするアルディの画像。

これまた元になったポートレイト写真【画像:左】を見ると、アルディの向かって右手の先(=写真の下方)はセーターの袖口までずっと"地色"の灰色のまま、ナチュラルな色合いで写っている。だが、邦盤LPのそれは(セーターの袖先から右手全体に至るまで)異様に、まるで黄色い消毒液に漬けた?かのごとく不自然に「黄ばんで」いる。
 
日本盤ジャケの制作者が意図的に「着色した」のであろう点に、もはや疑いの余地もない。
 
何でわざわざ、そんな改変を?? おそらく…だが、関わったエディターはオリジナルのままの青っぽい絵柄だと「さめざめとしてて、温かみのある懐かしPOP調の楽曲にイメージが合わない」と考えたのではないか。

わたしの感覚からすると、その(当時のジャケ制作陣の)行いは「美術家として無頓着、無造作すぎる」と思う。何より、撮った写真家に対し失礼で、仮にも撮影者が気難しい人なら(それを知った場合、無断改悪だと主張し)訴えられても不思議はないし、法廷で争えば9割かた敗訴・販売差し止めもあり得たろう。70年代当時のエピックさんは、単に運が良かったのだ。

…というワケで、100%オリジナル写真通りではないにせよ、ここに復刻した表ジャケでは当該「黄ばみ効果」を大きく薄めている。そこが日本盤LPやCDとは「違うんだよ」ということは確たる信条の下に申し上げておく次第である。 =了=
 
 
巻末付録【本作の歴史的背景】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

フランソワーズ・アルディは、60年代フレンチPOPアイドルのなかでは一番、英国出身のジェーン・バーキンを「近くで見ていた人物」であり、異国語たるフランス語曲を操る彼女への尊敬の念もあり、自らも1966年の『IN ENGLISH』以降、数年刻みで英語盤LPをリリースしてきた。いわゆるアイドル歌手として「モデル←→POP歌手」のマルチ芸能活動していた頃の発表音源(ヴォーグ盤)の日本市場における版権を所有していたのは東宝レコード(当時)であったが、東宝は初英語曲アルバムである『IN ENGLISH』こそ日本でもLPリリースするも、2年後に続いた続編アルバム『EN ANGLAIS』に関しては邦盤化を見送った。
 
その後、東宝は採算悪化に伴いレコード事業から撤退。73年から(ソノプレス・レーベルからも出始めた)アルディのアルバムを国内に紹介していたEPICソニーが、76年からは新規ヴォーグ盤についての本邦版権も取得する。だが、実際には76年以降にリリースされるヴォーグ盤の"新作"LPは無く、彼らが出せるのは(東宝レコードが邦盤化しなかった)1966年の旧盤『EN ANGLAIS』のみであった。フランス本国での制作発売から既に8年もの時間を経ていたが、EPICソニーは当該アルバムを「幻の異色アルバム、発掘!!」と銘打って1976年に「本邦初」LP化する決定を下した。当然ながら曲目に「懐かし感」が否めなかったため、タイトルを日本独自に『青春時代』とし、ジャケのデザインも(先進的でクールな単色調だったオリジナル・ジャケでは"、中身の印象とギャップがある"として)あえて野暮ったい、日本の初期フォークアルバム調のデザインに変更された。


あとにしてみれば、本家フランス市場より遥かに「遅れてリリースされた=新し目の作品と認知された」ことで、結果的に日本市場でだけ『EN ANGLAIS』が跳び抜けて「早い時期にCD音源化される」ことに繋がった。フランス本国で「フランソワーズ・マニア」を自認するコアなファンらは、2016年までの長きに渡り、日本から"輸入盤CD"として『青春時代』を取り寄せることに奔走しなければならなかった。
 
= 文責: す⊃ぽんはむ©2018 =
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10年前、自分も「フェイクNEWS」の拡散に"一役買って"しまっていた^^;ことが発覚。

2018年04月15日 | 日記
と言いつつ、これも2週間前の「少し古い出来事」になってしまったのだが…。

世に「フェイクニュース」という用語が溢れて数年経つだろうか。いわゆるネス湖の怪獣みたく、捏造デマ情報は(それよりも)ずっと昔っからある。「フェイクニュース」と敢えて言う場合は、従来のデマ騒動に「SNSを通じて世界に拡散」というファクターが加わった場合だろう。

で。

日本におけるSNSの先駆けと言われてたサービスのひとつが『関心空間』で、(当ブログで何度も書いているように十数年前から)かつての自分もそこの「住人」だった。

その時期……具体的には2008年の夏、わたしは同年4月に英国などで報じられていた「とある未来的な建築プロジェクト」についてテキストにまとめ、『関心空間』のキーワードとして登録した。それはフランス発。ある若手建築家が、パリ/エッフェル塔管理機構の求めた展望台リフォームのデザイン・コンペに提案した「花びらのような展望テラス」構想に関してだった【画像】。





このプロジェクトが、今では「エイプリルフール向けの捏造情報(フェイク)だった」と結論づけられていたのだ。

いやエイプリルフール用のニュース、というネットの論調には(個人的に)疑問もある。拡散の元は英国ザ・ガーディアン紙(とその電子版)の記事だったらしいが、掲載日は3月24日である。つまりAF-DAYの1週間も前。こんな前倒しに流布し始めて、4月1日に「エイプリル・フール(の嘘ニュース)でしたァ」とバラせば、それは「エイプリル・フール」企画で通ってしまうのだろうか?? そんなこと言い出したら1年、いつバラ撒いたフェイク報だろうと「エイプリル・フール」に成り得てしまう。それは間口、広げすぎなんじゃないか。

それと、どの程度までの"捏造レベル"を以て「フェイクニュース」と見做すか、その定義の問題も残る。フェイクニュースには必ず「一部に真実も混ぜる」ことで人を騙しやすくする手法を採ることが知られているが、このエッフェル塔「改」ネタの場合、実に「内容の半分」が真実なのである。フェイクと言えばフェイクだろうが、フツーによくある「一部誤報」にも限りなく近い。


では具体的に(このニュースの)何が誤りだったのか?

結論を先に言うと、塔を管理する公団側が「展望台を拡張しようと計画し、デザイン・コンペを主催した」という事実は存在しなかったのだ。ただ、①公団の担当者がインタビューに応じ「現在タワーのエレベーターの平均待ち時間が、ピーク時には1時間を超えています」と語ったこと。②ある若手建築家が勝手に(誰に頼まれたワケじゃなく一方的に)花びら状の展望テラスをエッフェル塔にどうか?…という「増築コンセプト」をプレゼンした。その2点が真実であるに過ぎなかった。

ニュースの「捏造犯」は、これら二つの事象をつなぎ合わせて「一本の偽ストーリー」に紡ぎ直した。記事の文章には、この公団職員が(展望室の収容人数を増やすことで)地上から展望階へのアクセスの「利便性の向上が見込まれる、としている」などといった一節が(さももっともらしく)加筆されていた。つい文章の流れで管理者たる国が「増築ありき、で計画を進めている」と思い込まされてしまうではないかっ

んまあ(程度の差はあれ)大手新聞紙も、二次配信したデザイン情報サイトも、はたまた「新しモノ好き」の小生も、見事に無防備に信じ込まされてしまったもんである。それも既に、10年も前に…とは。騙される手法まで「新しいモノに目がないね」などと茶化す声が聞こえてきそうで、本当に赤面するばかりという目下の心境なのである。激しく自戒。
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『旅行で来たアジア娘、見た目で出身国(日/中/韓)と男性観を見分ける方法』!? が身勝手すぎて笑う♪しかない 【レイシズム注意】

2018年04月10日 | 日記
世界のオータニがMLBで大暴れ、日本人の誇りとか何とか、さっそくわたしたちは礼賛したりほくそ笑んだりしてるワケだが……


さて。こういう、自国人の活躍の報に触れるたび、わたしたちは「欧米人から見た"日本人イメージ"ってぶっちゃけ、どうなんだろう?」と漠然と想ったりする。いわゆる「クールジャパン」キャンペーンなどの、手前味噌のアピールじゃない。ナマの、海外に出かければ現地の生活者が(自分を見かけて)思うであろう「日本人に感じる印象・先入観」を、である。

たとえば自分なんか「至って未開のジャパニース」であるので、街で異国語を話すアジア人と居合わせれば「あ、中国人(タイ人、フィリピン人、ブラジル人)だ」と思うだけだし、褐色肌の、妙に堪能な日本語を使う人をみれば「商用のパキスタン人だな」と勝手に合点するだけだ。しかし!!モロに白人や黒人を見かけると(たとえ遠目であっても)背筋にピピピピピっ!と「ガイジン・アラート」がけたたましく鳴り響き、もしも(面と向かい)出くわしそうなら歩く方向すら変えてしまう。

まさに、犬嫌いの人が犬を避けるよーに^^; けっして「黄色人以外は嫌いだ」なんて意識ではないのだが、結果として示す行動は「コソコソと逃げ隠れてる」のと何ら変わらない。何なのであろう、あの衝動は。どうにも不思議で、誠に情けない。

ふだん観る映画は圧倒的に洋画。聴くのは洋楽。ふだんのネット回遊先も日本語サイト3割/英語サイト6割/ロシア語サイト1割。日々ググる検索ワードは(日本語より)圧倒的に英語が多い。そんな日常の自分にもかかわらす、イザ白人や黒人をリアルに視認すると、「人間であると思う前にガイジンという異生物」にしか感じられないのである。

まあ、ここまで病的な「先入観」は単一人種国家に暮らすニッポンの(海外旅行にも縁遠い)昭和人くらいなもんだろが、相手の肌の色で(いちいち)驚かないアメリカ人やカナダ人でさえも、それなりにお互いが「対人関係を深めよう」とアプローチする過程では「あいつはイタリア系だから」とか「インド系だから」といった、家系の源流国やら出身国による先入観やら通念には、やはり左右されるようで。

なら当然、たとえば現代アメリカで生まれ育った白人や黒人らにも、「日本人なら〇〇〇なんだろな」という典型イメージが必ずや在るだろう。

いや、それ以前に彼らには「傍目には皆アジア人で、誰が中国系で誰が日系、はたまた韓国系なんだ?」という憶測が要るに違いない……と言うことで今回、本稿では下のとある風刺画を取り上げてみたい。


この絵は、検索で「japanese chinese korean difference」などとググればまっ先に出てくる画像だ。

どうもこれは、日本、中国、韓国で暮らす「現地の女子たちが どう違って見えるか」の、白人男性の側から観た(勝手な)解析イラストのようである。三国三様の二十代らしき女性像の下に、その女性が「異人種の男性を恋人に選べるか」否か?の考察コメントも添えられている。ナニやら「考察の軸足」が、これら日中韓の現地女性を口説くんなら「国情に応じ、どう心得た方がいいか」という、いかにも実用的な?ナンパ指南の趣きもうかがえる。

では1国ずつ、和訳して見ていく。一番「ひどい描かれ方」をしているのは韓国女子だ。


これ、もしも日本人が描いたらモロ「一番マズいやつ」だね 辛辣(しんらつ)ってか、フツーに悪意の人種攻撃とみなされてしまう。あの、華やかなK-POPの美女陣とは「真逆」の容姿スケッチ。別の外国人アンケートでは、「ソウルは美人の多い街」との統計結果もあるのに、だ。イラスト主は、実際に韓国女子をナンパしようとして、相手にされなかったのを逆恨みしてるんじゃ??とも勘ぐってしまうなァ。言うなればリベンジポルノならぬ「リベンジ模写アピール」だ。

仮に、街の職場やレストランに「よそ行きで出てく顔」じゃない、郊外の家で寝食してる「すっぴんの韓国女子の平均像(?)」だとしても、依然オカしい。と言うのも、次に紹介する中国女子がまた「ある意味、極端なサンプリング」と描写であるからだ ──。


こんな娘が、北京や香港に「ありがちの顔」だろうか? 総じて顔が丸っこいとか毛量が多いのは、日本に就労しに来る中華女子を見ていてもそうだが、この絵のような「厚化粧」ぶりはない。ほぼ、歓楽街の「チャイナドレスのホステス」描写じゃんか 前出の韓国が「街じゃ見かけない風貌」なのと、これまた真逆。そもそもアメリカ人、つか欧米人全般こそが(いつの時代になっても)「こういう派手メイクのアジア女性」ばかりを求めるよね。一重まぶたは黒く縁取りすりゃ目立つし、映えるだろ…的な。

さあ、最後に描写されるのが「日本女子」だ。


大陸のアジア女子より日本女子が「下あごが窄んでる」というのは、単にパン食の普及と「雑穀、米菓子、"骨付き魚"、鯨肉など固い食物」離れの急速進展による「あごの発育不良」に過ぎない。中国系でも香港や台湾都市部では、若い世代ほど「あごが細くなる」傾向にある。よって、この3枚に書かれた「口の大きさ」の描写は200%間違った認識だ、とも言い切れよう。四角い顔だと口元は小さく見えるし、細いあごにはデカく見える。相対的に「そう見える」だけの話だ。

それと、「日本女性の鼻先は尖って、男性は団子鼻」という下りに(男性である自分には)ピンときたことが1点あった。

この、妙に日本女子だけ容姿をヨイショする?見かたの裏には、実は実は、意外に「ジャパニーズAV」の北米普及が大きいのではないか、と…。北米など海外に日夜配信されている日本製アダルト動画に出てくるような男優ばかり「日本男子」と見られたんじゃ、たしかに「団子っ鼻で、おっさん顔ばかりだな」と思う。そー言やこの女子の顔つき、今や北米ポルノ界を主軸に活躍するAV女優Marica Hase嬢に似てないか? 対して韓国や中国では「ポルノ稼業は違法」なことも、北米男性の多くは周知済み。それが「日本の若い女性はアメリカナイズされて自由恋愛に馴染み、中韓の女性は貞操観念が強い」ってな(実情に基づかない)謝った先入観念を植え付けている可能性がある。

かくいう自分も(今や当ブログでも追っかける)ロシア女子なんて、昔は丸っきり「興味の対象」になかった。「いいねえ」と猥雑に萌えはじめたのは2005~6年ころからか。これは、それまでの欧州ポルノ産業の「メッカ」が、(それまでの)北欧中心から東欧へと移った時期にも重なる。ビデオ性商品がアダルト映画やDVDから動画配信に移ったのと機を同じくして、ロシアやチェコ、あるいはハンガリー産の「東欧発ポルノ映像」がネット上に溢れはじめたのだ。

う~む。洋の東西を問わず、独身男子とはナンと悶々たる、哀れな「妄想に生きる性」であることか(自虐)


ま、そんな案配であるらしいから、日本女子よ… 海外を旅して北米の白人男子どもに熱心に口説かれたからって、ゆめゆめ警戒心と自制心を失うなかれ。君たちはネット時代にありがちな通念の歪曲化によって、相当に「甘い妄想」を一方的に抱かれている可能性が濃い!のだ。くわばらくわばら。
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