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コスモスが咲く季節となりました!

2018-09-01 08:42:26 | 最近の話題

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      2018.9.1.第217号

            「生き生きくらぶ」事務局
 http://ikiikiclub.sakura.ne.jp/ 
       編集発行人:「生き生きくらぶ」代表 上田 亨

   コスモスが咲く季節となりました!
 爽やかな秋の季節、風にゆらゆら揺れるコスモスは、情緒があり、日本人
の原風景とも言える一コマです。ピンクの花姿は柔らかさを、白い花姿は何
とも言えない美しさを、赤い花姿は燃えるような愛を醸し出します。
 その一輪一輪の可憐な美しさはもちろん、無数のコスモスが群生する一面
の花畑は、夢のような美しさです。近くの昭和記念公園の丘に広がる花畑に
行くと、素晴らしい光景を目にすることができます。

 最近の話題として「情報通信革命」を取り上げます。20世紀はヒト、モ
ノ、カネを集約し、規模がものをいう経済でした。自動車産業はその代表例
です。ですが、21世紀はデータ、AI(人口知能)、ネットを活用する英知が
問われる時代です。分散型の経済が発達し、「個人や小規模の事業体の役割
が増すだろう」と言われています。

◆ 学習者主役を目指すIT化教育
 教育が様変わりしつつあります。オンライン講座など学びの機会が飛躍的
に増え、効率的な教育手法の開発が進んでいます。米スタンフォード大学は
世界の有力大学の授業をネット配信し、5千万人の受講者を集めています。
 オンライン講座は学習の機会を広げただけではなく、学校の役割も変えま
した。「知識の習得はネットで、討論などで思考力を培うのは教室で」とい
う考え方です。

 日本ではベンチャー企業のコンパス(東京・品川)月算数・数学で生徒がつ
まずいた項目を分析し、学習時間を大幅に短縮できる技術を開発しました。
これを組み込んだタブレットを大手学習塾や岡山県、東京都の公立校が採用
し始めました。
 これまでの教育では教師が主導権を握っていましたが、こうしたタブレッ
トの広がりで「学習者が主役になる」との期待が膨らんでいます。

◆ ベンチャーが競い合うロケット開発
 米国と旧ソ連が宇宙開発競争に乗り出して以来、最近までロケット開発は
政府が独占していました。現在、使い勝手の良い小型人工衛星の打ち上げ需
要が高まり、IT起業家たちがこぞって宇宙開発に進出しています。
 17年、米国の民間企業SpaceXは自社製のロケットで再使用打ち上げに挑み
初めて成功させました。米ロケットラボはニュージーランドの発射場から超
小型衛星を載せた全長17メートルのロケットを打ち上げ、成功しました。

 カギを握るのは技術革新です。ロケットラボはエンジンの燃焼室や燃料噴
射装置の作成に3Dプリンターを活用しました。チタンなどの硬い金属でも複
雑な形状を簡単に作れます。半導体などの部品やソフトの性能は上がりまし
た。コストは政府独占時代に比べ、100分の1に下がりました。
 新技術を活用する「知」さえあれば、宇宙産業に参入するハードルは低く
なりました。国内ベンチャーも宇宙利用のサービスに挑戦を始めています。

◆ 在宅で買い物ができる流通革命
 95年に出現した米アマゾン・ドット・コムは、00年に日本でサイトを開設
しました。「オンライン上で求められる商品を探し、発見でき、購入できる
場所を提供できる」がキャッチフレーズです。
 郊外に巨大な物流センターを所有し、数億種類の商品を用意し、ネット上
で検索、発注、振り込みができます。発注した品物は翌日には発注者の手元
に届きます。店舗が殆どないので費用がかからず、値段は安くなります。

       第217号の目次
    ■1 八十の手習い
    ■2 なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし:その2
    ■3 気ままに自己流川柳 
    ■4 我が家の夏

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆1     八十の手習い

          ( 神奈川県横浜市 山尾 正斌 )
 六十の手習いという言葉がある。四十と言ったり、五十と言ったりする人が
いるが、どうも六十という人が多いように感じる。いずれにせよ、現役として
の人生が終わる晩年になってから、全く新たなことを始めるとき使われる。

 私も六十で手習いを始めた。退職したとき、会社の先輩や後輩から、これま
での経験を生かして実績の延長線上で仕事を手伝って呉れないかと、数々の暖
かいお誘いを頂いた。
 殊に、海外の発電所建設現場で責任者になって欲しいという勧誘が多かった。
私にとっても魅力的なオファーであった。もともと私はデスクワークの技術者
なのだが、50歳のころ、偶然の機会からパキスタンの発電所建設の現場を仕切
ったことがあり、その経験を買って貰ったようだ。

 退職後の第二の人生の「生き方」を考えたとき、退職後はこれまでとは全く
違った自分を探してみたいという気持ちが、私には強かった。在職中、機械技
術者としてほぼ40年間、わき目も振らずに仕事に全力を傾けたという自負が、
そう感じさせたのかもしれない。

誘って下さった方々には申し訳なかったが、お誘いをすべてお断りし、私が
自分で選んだ道は、六十の手習い「日本料理」だった。プロの料理人を目指す
つもりはない。
 男の料理教室に月一回通い、懐石風家庭料理を習うだけの話である。イタリ
ア料理、中華料理にも魅力は感じたが、これからますます歳を重ねるにつれて
自分の体形や胃の負担を考慮すると懐石料理を選んだのは正解だったと言える。

 この男性料理教室は、地域の行政が生涯教育推進の一環として募集した企画
で月一回10か月24人の男性受講者で続けられた。全教程が終了したとき「継続
して習いたい」希望者有志で講師に個別にお願いし、同じ地域の施設を利用して、自
主運営の同好会として新たに発足した。
 会員の消長はあったが、15~6人で現在まで延々足掛け18年続いている。

 では、懐石風家庭料理に馴染んで何が良かったか・・・第二の人生がどう変
わったか・・・と自問してみると、「これ」と取り立てて言うべきことは無い
けれど、ひとつ言えることは、食生活の傾向が変わったことだろうか。

 現役時代の自己流料理は、肉料理しかやらなかった(しかできなかった)。
それが、料理を習うようになってから、魚と野菜を上手に料理できるようにな
った。最近でも、晩酌の肴は原則自分で調理する。
 当然以前に比べて魚と野菜が増えた。娘と倅が孫連れで我が家を訪れるとき
などは、8人の食べ盛りの若者のもてなし料理を準備するが、家内一人では手
に余る。前日から私と手分けして準備することになる。

 肉料理に馴染んだ孫たちは、魚をあまり好んで食べない。しかし、私が教室
で習った魚料理は結構口にしてくれる。野菜や肉も、家内が決してやらない手
の込んだ料理を作るものだから「おじいちゃんの手料理は美味しい」と孫たち
にも好評である。

 料理を習って気付いたことは、身近にある食材でも手をかけて下拵えをすれ
ば「おもてなし料理」に変身させられるということ、懐石料理の要諦は質素な
材料でも手間を惜しまず真心を込めて調理して供すること・・・ということだ
ろうか。

 話は変わるが、傘寿を迎えた今年、私が新たに始めたことがある。まさに 
「八十の手習い」である。ことの起こりは、広島の中学高校時代の同期生の集
まり、今年五月の「修八会」関東地区総会のおりの一泊旅行だった。
 宴席でたまたま隣り合わせになったK君と、酒を酌み交わし料理を口にしな
がら、昔話や政治経済社会評論、はたまた老後の人生論に花を咲かせていた時
だ。K君が「おい、習字を始めてみないか」と言い出し、私も「そりゃぁいい、
やろう」と応じたことによる。
 K君はその時既に、毎週習字に通っていたらしかった。私も帰宅して早速、
地域の習字教室を調べてみた。毎週では今の私には負担になり過ぎる。月一回
の教室を選んだ。

 一度、「体験入会」で教室の様子やレベルを確かめ、先生ともお話しして、
初心者として楷書から始めることにし、翌月から通い始めた。顔ぶれをみると
常連は10人ほど、男性は私を入れて2人、年齢分布は幅広いがどうも私が最高
齢のようだ。
 なにしろ、習字は中学3年生以降やったことがない。硯は父のお下がりが手
元にあったが墨も筆も筆の巻き簾・下敷き・文鎮などすべて新調した。

 初心者としてまず楷書の「横一」「縦一」「ウ冠」「点」「払い」「刎ね」
など、まさに一から始め、毎月の先生の宿題を次の月に持参して添削と指導を
受ける。
 最初は、縦一も横一も、スーッと力強く引けない。よろよろとした弱々しい
線にしかならないのだ。「何糞!」と力めば力むほど太さが一様にならなかっ
たり、手が震えて漣のようになったりする。

 入門後、最初の宿題は「嫡後嗣続」、ひと月かけて何枚も書き上げた中から
5枚を持参し、添削と指導を受ける。その場でさらに清書、何とか「終了」。
 次の月は「祭祀蒸嘗」をやはりひと月かけて描き貯めて自分で「これは・・」
と思えるものを持参して指導を受け「修了」。目下三つ目の「稽顙再拝」に挑
戦中、文字の形もバランスもなかなかの難題である。

 習字は口で言うほど簡単ではない。頭と手と心と体が毛筆・和紙に馴染まな
いと「自在に筆を使う」段階に至らない。だが、半紙の上にひたすら筆を走ら
せる時間は、心を鎮めるなによりのひとときである。
 今、私は傘寿、この手習い(習字)をあと何年続けられるだろうか。

 ここだけの話だが、修八会の折のK君との約束は、お互い卒寿になったら広
島でK君と私の二人展をやろう、その時の会場は広島在住のK君が準備する、
ということ。さすがにこれは果たせぬ夢に終わりそうだ・・・でも、実現でき
ればこれほど嬉しいことはない。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆2    なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし:その2   
   - 日本人の「縮み志向」の系譜 -

( 千葉県県流山市 中楯 健二 )
◇◇  能面 - 感情の構え ◇◇
 葛飾北斎は荒れ狂う波の動きを、ストップモーションのように瞬間の物としてわ
れわれに提示しました。かれは全ての波の連続性という時間をひとつの型、ひとつ
の瞬間に縮みあげました。
北斎の絵を人間生活の場にもってくると「構え」の姿になります。剣道、柔道、
弓道、華道、茶道などという「道」の字のついたものはすべて「構え」から出発し
ます。構えとはいろいろな動作、いろいろな時間をひとつの瞬間に縮めることです。

「感情の構え」をひとつの表情に縮めたものが能面です。日本の能面は剣道の構
えのように、全ての感情に転じうるように、喜怒哀楽を凝縮して「中間表情」につ
くられたのです。つまり「構え」の表情なのです。
 同じ面でもちょっと下を向けば哀しみの表情になり、またちょっと上に向けば、
明るい「喜」と「楽」の表情に変わります。ひとつの表情に凍えた能面の表情は、
静止のうちにも一転すればいくつもの表情に変化することが可能です。

◇◇  紋章 - 視覚的凝縮 ◇◇
 広い観念の世界をひとつの視覚的な形に凝縮したものが紋章です。それは、東洋
において日本だけにしか見られない紋章文化です。紋章は衣服をはじめ,門や建物
盃や提灯にいたるまで、いたるところに飾られ、人々の脳裏に焼き付きます。
 職人の世界ではそれが「半纏」となり、商家になるとそれは「のれん」となりま
す。武士は家紋にかけて戦い、職人は半てんにかけて働き、商人はのれんにかけて
信用を守ります。

 日本の集団主義はこうした紋章化によって行われてきたため、日本人は集団から
離れては生きられないのです。欧米では集団は個人の墓場ですが、日本では逆に集
団から離れて個人になることが墓場になるのです。
 また、ビジネスの世界ではそれは「名刺」となります。日本人は初対面で名刺を
交換します。名刺をみるまでは相手の顔を見なかったも同然なのです。人の顔より
その人を縮めた名刺の顔のほうがもっと重要にみえるのです。

 一枚の名刺だけでなにかしらその人の全てが分かったような気持ちになります。
その人が属している集団とその位置、あるいは住所と電話番号に一つの人生が名刺
の紙に縮められて手にとれる訳です。
 ですから、人と人が会ってもお互いその人の顔を見ないで、まず名刺から眺める
のです。そして、定年後、名刺を持たなくなったとき、日本人が相手を理解するの
に戸惑いを感じるのはごく当然のことです。

◇◇  枯山水 - 自然の解体と再生 ◇◇
 日本人は、昔から巨大な自然を自分の家の中に引き入れようとする夢をみてきま
した。その詩的想像力を現実生活に実現したのがあの日本特有の庭文化にほかなり
ません。日本人は山や海を狭い庭のなかに引き込むことができると考えたのです。
 そうするには自然を縮小するほかありません。自然を縮めるとき最も重要なのは
木でも水でもありません。それは石です。木は伸び、水は溢れます。石組があって
はじめてそれが可能になります。

 石を使うことによって、広大な自然や海や山河のすべてを縮めることができるの
です。石と砂だけで作られた日本独特の「枯山水」の石庭ができるのです。竜安寺
の石庭にはところどころ大きな石が安置されています。
 それが想像の世界では雲海に隆起した入道雲にも、大海に浮かぶ島にも見えてき
ます。200坪くらいの空間を大自然に見立て、想像の世界では境界のない大宇宙
にもなります。日本の庭は内に向かってどんどん縮められてゆきます。

 それをさらに縮めて部屋の棚の上に持ってきたのが箱庭であり、盆石であり、盆
栽です。自然を自分のそばに引き入れると言うことはとりもなおさず「見る自然」
を「肌で触れる自然」に作り直そうとするものです。
 華道についても同じことが言えます。それは自然の花を縮めて部屋のなかに移し
ます。生け花の美学はまず切ることから始まります。根のあるままの草木では生け
花になりません。

 日本人だけが花と共にある広い自然空間を切り取って縮小し、狭い空間のなかに
移し変えようとしたのです。それは自然の解体です。自然に対する縮みの文化は、
生け花によってもっと小さく、もっと完全に、もっと美しく単純化され、生命化さ
れたのです。

◇◇  神棚 - 実物の縮尺化 ◇◇
 村の神社がさらに縮まって持ち運びのできる神社となったのが「神輿」です。そ
れが更に縮小されて家の中に入ると「神棚」となります。それがもっと縮まると肌
身離さず身につける「お守り」となります。仏教も例外ではありません。
 寺の中にいま一つ小さな寺を作ってそのなかに仏様を祭ります。「入れ子文化」
の伝統です。それが室内に入ると床の間になり仏壇になります。神社が縮まって神
棚になったように、寺が縮まって仏画と掛軸と三具足を奉る床の間となりました。

 また、弁当は食膳を小さく縮めて持ち運びができるようにしたものです。また、
工業品にも「縮み」の発想が応用されています。よりコンパクトな機能をもたせ、
縮めたものが、戦後日本商品の世界市場進出の突破口を開いたトランジスタ製品な
のです。

◇◇  茶の湯 - 市中隠 ◇◇
 俗世のなかに、自分の生活のなかに、自然を引き寄せようとした「縮み」の文化
は、ついに茶室という空間を作りました。堺の商人たちは、茶室を「市中の山居」
「市中隠」と呼んでいました。
 町のど真ん中で隠遁者の閑居を味わったこの茶室文化こそ、日本人のもっとも賢
い現実主義の勝利をあらわしています。さらに、利休は茶室に入る入り口までも縮
めて「にじり口」を作りました。高さも幅も2尺を越えません。

 そこに入るには、武士も刀をさしたままでは入れません。武装解除を促したばか
りではなく、身分の高いものでも身を縮め、頭をこごめて入らなければならない。
最も小さなものの中に美を発見し、最もささやかな行為の中に美を作り出す日本人
の鑑賞眼は茶の湯の中にあるのです。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆3   気ままに自己流川柳  

        ( 神奈川県横浜市  木戸 篤 )
 気象庁の発表によると、まだまだ暑い日が続くようです。皆様、元気に頑張
りましょう。私の勝手気ままな自己流川柳をご笑覧ください。


★★★★★★★ 自然・風景 ★★★★★★★ 

ふるさとの クマゼミの声 懐かしや
団地の中を散歩していた際、懐かしい蝉の声が聞こえてきました。子供の頃、
 四国愛媛県の田舎でよく聴いたクマゼミの声でした。

秋近し トンボが舞って 虫が鳴く
盆過ぎに、宵闇の中で秋の虫の声が聞こえてきました。昼間出かけた際には
 バス停付近でトンボがたくさん飛んでいました。

化け猫か 空気切り裂く 風の音
台風20号が迫ってきた日、風が強く、窓の外で鋭い切り裂き音が響いてい
 ました。まるで、時代劇の映画に出てくる化け猫の唸り声のようでした。


★★★★★★★  原発・政治・社会  ★★★★★★★ 

翁長さん 誠尽くして 道なかば
 翁長沖縄県知事が膵臓癌のため、急逝しました。米軍普天間基地の辺野古移
 設反対に心血を注いできました。壮絶な闘いの道なかばでの死去です。


★★★★★★★  健康・文化・スポーツ  ★★★★★★★ 

ニンニクで 頭の中の 星消える
血圧を下げるため、毎日一粒の焼きニンニクを食べています。そうしたら、
眠る前、頭の中にキラキラ出ていた星が消えました。

済美校 逆転満塁 ホームラン
夏の全国高校野球大会で愛媛の済美高校が石川の星陵高校との試合で、激闘
の末、史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランで勝利を手にしました。

金足農 雑草軍団 準優勝
同じく、全国高校野球大会で、「雑草軍団」の秋田金足農業高校が勝ち上が
って決勝進出を果たし、準優勝に輝きました。


★★★★★★★  その他  ★★★★★★★ 

横浜の 区役所行くバス 地方なみ
特定疾患(難病)認定の更新手続きは昨年より簡素化しました。然し、南区役
 所に行くバスの便数は大幅に減少し、1日仕事となりました。

月曜の 詩吟教室 定着す
 月曜日の詩吟教室に高齢の方が初参加し、「太田道灌簑を借る」を和歌入り
で吟じました。参加者一同が拍手喝采で盛り上がりました。新しく始めた詩吟
教室は定着した感じです。

カラス達 花火の音で 肝冷やす
団地の夏祭りで花火が打ち上げられ、ものすごい音がしました。いつもは賑
やかなカラス達も花火大会終了後、沈黙したままで静かになりました。

膵臓の がん検診を 予約する
見つかったときはほぼ手遅れと言われている膵臓がんから奇跡的に生還を果
たした方に膵臓がん専門の人間ドックを紹介していただき、予約をしました。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆4         我が家の夏
          
         ( 東京都小金井市 上田 亨 )
 時の経つのは早いもので今年の夏も終わった。私の家族は息子、孫、配偶者
合わせて10名からなる。家族が近況を語り合うことで、絆を強め、支えあって
いる。この夏に起きた我が家の出来事を以下に紹介する。

1 猛暑対応
 今年も「この夏はことのほか暑い」と愚痴をこぼす。それでも朝顔のみずみ
ずしい姿を見かけると暑さを忘れ、元気が出てくる。我が家の庭では毎朝30
~50個の朝顔の花が咲く。ピンク、赤、青、紫、白と色とりどりだ。
 数年前、友人からもらった入谷の朝顔の鉢植えが原点だ。毎年、秋に種を採
り、翌春植えることを繰り返してきた。然し、花の色がピンク系に偏ってきた
ので今年は近くの店で多種類の種を買い求め、色のバランスをとった。

 地球温暖化の影響か、全国各地で41度を超える日が続いた。更に東京では、
都市独特の暑さが加わるのでたまらない。たまたま山中湖に息子が所有する別
荘があるので、家内と度々出かけ、暑さをしのいだ。
 千メートルの高地なので気温は東京より7度低い。木漏れ日の差す、緑の林
の中に身を置くと、心も体も癒される。更に冷たい富士の伏流水を口にすると
生き返った感じになる。

2 家内の俳句
 俳句を始めて1年でほんの初心者であるが、季節に因む五句を紹介する。

◆ 風入れて 写真の母に 新茶汲む
 亡き母に初夏の香りを味わわせるべく、新茶を供え高橋。

◆ 浜町の 名残り留める 夏柳
 昔、歌われた艶やかな街もビルが立ち並び、僅かに柳が名残を留めていた。

◆ 消えてなお 胸にくすぶる 花火あり
 花火が好きで柏崎まで行ったが、元気にまた来られるかなとふと思った。

◆ 鱧椀の 床に軸あり 無一物
 鱧椀を頂き、無一物と書いた軸を見つける。生まれる時も死ぬ時もそうだ。

◆ 墓仕舞う 里にも来たり 赤とんぼ
墓仕舞を終えたが、この季節になると心に浮かんで来る風景がある。

3 インターホンの改善
 昨年、自宅の門柱を大谷石製からステンレス製に変え、インターホンも一新
した。その際、インターホンの画面やスピーカーは階下の食堂に設置した。私
はふだん真上の書斎におり、インターホンが聞こえにくくなった。
 更に私の耳が少し遠くなってきたこともあり、宅配便の声が届かず、再配達
の頻度が増えた。7月、次男が我が家を訪れた時、こうした事情を話すと直ぐ
問題解決に取り組んでくれた。

 まず、ホームストアに出向き、スピーカーや回線等備品を購入し、階段に取
付けてくれた。音量を大きくし、チャイムを4回繰り返してくれるので、聞き
漏らしによる再配達は皆無となる。本当に助かった。感謝の限りである。

4 落雷被害
 8月13日午後3時過ぎ、多摩地方は積乱雲に覆われ、雷鳴が轟き、あちこ
ちで落雷が続く。我が家も突然電灯が消え、パソコン、テレビの画面が消え、
空調もとまる。40分くらい経って雷は遠ざかる。
 携帯電話で東京電力に連絡をとり、7時前にブレーカーを応急処置して電灯
がつく。その後2日かけてメーカー等の協力も得て損壊個所を把握した。全壊
はブレーカー、テレビ、光回線のルータ―、パソコンのアダプター、半壊は洗
濯機、空調機1台だ。

 復旧には盆休みもあり、13日間を要した。全壊した機器は新規購入した。
半壊機器は電子基板の交換等修理対応した。機器の購入は翌日納入のできるネ
ット通販を利用した。量販店経由だとメーカー発注になるので3週間かかる。
 今回の教訓としては以下の3つが挙げられる。
・雷襲来時はブレーカーを落としておいた方がよい。
・雷襲来時にブレーカーが落とせない時は、機器のスィッチは切るだけでなく
 コンセントも抜いておくべきだ。
・復旧に際しては、ネット通販が役に立つ。早くて安い。

5 孫の米国大学ツアー及び模擬国連参加
 三男一家の次女、真琴(女、高1)が標記ツアーに参加し、先般、国分寺のレ
ストランで帰国報告を受ける。とても楽しかったという。

◆ 米国大学ツアーの概要
 日程:7月21日出発 7月30日帰国
 行先:米国サンフランシスコ市 カリフォルニア大学バークレー校
 行事:リーダーシップのあり方等様々な論点につき英語で討議  
 観光:・金門橋    ・NASA博物館    ・グーグル本社
 参加者:日本人高校生22名(男子13名、女子9名)、米国人大学生5名

◆ 模擬国連参加(東京:8月6日、7日)
 事前に配布された背景事情や論点を示した資料を検討したうえ、総会当日は
高校生は原則2人で英語で説明し、一国の大使役を果たす。
 <総会議題>
・議案討議   ・決議案作成
<大使発議> 今まで参加した模擬国連で真琴が果たした大使役は以下の通り。
  ・スリランカのサイバー攻撃 スリランカ大使
  ・資源国の権益確保     ザンビア大使
  ・2050年の食糧確保   オランダ大使

 真琴は小学校時代は引っ込み思案で人前でしゃべるのを敬遠していたのに、
自分の考えを英語で発表し、討議できるようになったことをうれしく思う。な
お、孫は中学2年の時、日本棋院主催の囲碁大会に参加し、東京都中学校の部
で優勝し、囲碁四段の認定を受けている。

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