文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

NHKが前川前次官を擁護するような異様な報道

2020年10月18日 23時59分51秒 | 全般

2018-03-20に発信した章である。
NHKの前川報道を、左翼な人々が絶賛している。
中立公正たるべきNHKが偏向報道に踏み込んだ明確な証。
メディア各社に潜む左翼のスリーパーセルが一斉蜂起している感がありますね。
やっぱりNHKは分割民営化。
【新作まとめ】「NHKが一線を越えた!前川報道の裏を読む」 NHKが前川前次官を擁護するような異様な報道。解説していた広田照幸教授は、日本教育学会会長。毎日新聞で解説していた藤田教授は、前会長である。さて、その前の会長は? これには何か、裏がありそう。
NHKの今回の前川報道で一番驚いたのは、「文科省に授業内容を調査できる権限がない」ということ。なぜ、日教組があれほど跋扈したのか、家永教科書裁判の意図とは何か、全て氷解する。戦後、子供を洗脳(教育)する権限を巡って、教育現場を牛耳る左翼勢力と国がずっと争ってきたんでしょうね。
保護者もしっかり発言しましょう。 子供達を守るのも親の務め。はっきりNOというべきです。
「ゆとり教育」の寺脇研氏の様に祭り上げ、序でに安倍さん叩き二利用したいマスコミの思惑がミエミエですが、犯罪者ですよね
NHKのひどいのは報道番組ばかりではありません、朝ドラでも戦前戦中の場面になると必ず横暴な軍人とか変な軍国主義にかぶれた様な民間人などが登場します。(例外なし)NHKは地方では特に信頼されていますから影響力は無視出来ないです。受信料不払い運動しか無いのかなー。
他にもドラマの中で、洋服を着たデパートの売り子さんのお辞儀がコンス(朝鮮式お辞儀)でした。昭和の時代にコンスってあり得ます?着物を着ていた人が洋服に変わったからってお腹に手を当ててお辞儀をするなんておかしいですよね?時代考証にどこの国の人が関わってるんでしょうか?


中国にとって日本は昔からスパイ天国

2020年10月18日 23時48分59秒 | 全般
2017-04-20に発信した章を統合しようと思うのですが、前後が逆転しているかもしれません。
以下は前章の続きである。
国の守りは軍事だけではない 
外交や安全保障など対外関係については、情報の蓄積が重要だ。 
中国共産党の戦略や対日工作の歴史を知らずに、中国を幾ら批判しようが、事態は改善しない。
相手がどのような戦略でどういう工作を仕掛けてくるのかを正確に理解しなければ国益を守りようがないのだ。 
アメリカでは冷戦が終わった直後の1992年から連邦議会が国家プロジェクトとして冷戦史研究を開始している。
アメリカの対外情報機関であるCIAも『中国人の交渉術』(産経新聞外信部訳で文藝春秋から出ている)という本を出して、中国共産党がいかなる工作を仕掛けてきたのか、詳細な分析をしている。 
ところが、これほどまでに中国共産党から工作を受けていながら、なぜ日本政府や国会は、中国共産党の対日工作についての研究に取り組まないのだろうか。 
戦後の日本をおかしくしたのは占領政策もあるが、それと同じくらい戦前からの中国共産党の対日工作の悪影響がある。
対日占領政策だけを見ていては、戦後の日本の歪みは理解できない。 
アメリカでは、インテリジェンス関係者や保守派の中に、ルーズベルト民主党政権時代の米中関係について全面的に見直そうとする動きがある。
こうした動きと連動して中国共産党の対外工作を研究していきたいものである。
以下は前章の続きである。
一方、この「敵軍工作部」にいた中国人留学生たちは戦後も、日本留学時代に培った人脈と知識を活用して対日工作を担った。 
(中国に戻った留学生たちは中日友好運動の最前線に活躍して中日国交正常化の回復に大きく貢献していました。例を挙げると、1963年に設立した中日友好協会において名誉会長の郭沫若、会長の廖承志、秘書長の趙安博、副秘書長の林林と孫平化、常務理事の張香山、肖向前[蕭向前]、理事の田漢、夏衍とも日本への留学経験を持っていました。》(王玉珊(中国東北財経大学)「中国人日本留学の歴史問題について」中央学院大学社会システム研究所紀要2010年3月) 
こうした対日工作を受けた日本では戦後、対中贖罪意識を持つ政治家や言論人が溢れ、対中位負け外交が続き、日本は、多額の経済援助を貢がされた。 
こうした中国共産党による対日工作の歴史を知らないのか、日本政府はいまも特別の対策を講じることもなく、中国人留学生に対する経済支援を続けている。
以下は前章の続きである。
侵略史観を広めた日本人捕虜たち 
1937(昭和12)年7月の日支事変が起こると、日本にいた中国人留学生は一斉に帰国する。
3ヵ月後の10月6日、中国共産党は、日本で社会主義、共産主義を学んだ中国人留学生たちを集めて、「敵軍工作部」を新設した。 
この「敵軍工作部」は戦時中、中国大陸で捕虜にした日本人兵士などを再教育し、中国共産党のスパイとして育てるために、日本人民反戦同盟や日本労農学校を組織した。
「用敵」と言って、敵である日本人兵士を使って日本に打ち勝つ戦略だ。 
この「用敵」工作の対象となった日本人兵士の捕虜たちは、日本語ができる中国人留学生たちの懸命のお世話に心を開くようになり、やがて「日本の軍国主義政府を打倒することが日中友好につながる」と信じるようになっていく。 
その多くが戦後、帰国して中国帰還者連絡会に所属し、対日工作を開始する。
具体的には、731部隊や南京大虐殺など、日本が中国でどれだけひどいことをしたかという証言集を出した。
元日本軍兵士による「中国大陸での残虐行為」に関する証言はマスコミの話題となり、対中贖罪意識を日本国民に植え付けることになった。 
この稿続く。
以下は前章の続きである。
戦前から存在した「侵略戦争」史観 
大学だけでなく、マスコミもまたサヨクに汚染されていた。
戦前、『改造』という大手月刊誌を発行していた改造社という出版社があった。
今でいうと、文藝春秋社のような国民的な出版社だ。 
この改造社が実はサヨクの巣窟であったのだ。
内務省の報告書にはこう記されている。 
《既に昭和3年頃には編集部並びに出版部の中枢は共産主義者を以て固められるるに至り、茲に「改造」の所謂左翼的伝統の基礎は確立せられ(中略)昭和12年(1937年)10月1日、山本実彦社長出席の下に開かれたる編集会議に於ては、日支事変に就て種々論議を重ね、A 日支事変は日本の帝国主義侵略戦であり、日本金融ブルジュワジーの軍部と結託せる市場獲得戦であること B 将来中共が支那大陸の共産主義革命を実現することは必至であること、及事変の不拡大に努め中共を援助しなければならぬ等の意見を開陳するものあり、結局協議の結果、帝国主義戦争たる日支事変の性格暴露、日本金融ブルジョワジーの弱体化、中共の強大性に関する評価宣伝、等を中心議題として編集執筆せしむる事に結論》(内務省警保局「特高月報」昭和19年8月分、『昭和特高弾圧史2知識人にたいする弾圧』太平出版社) 
この二つの編集方針に基づいて、のちにゾルゲ事件で逮捕される朝日新聞記者の尾崎秀実らの原稿が「改造」に載っている。
「日支事変(日中戦争)は侵略戦争である」とのレッテルを貼ったのは、東京裁判においてだと思われているが、実際には昭和12年の時点で、しかも日本の出版社によって「日中戦争は侵略戦争だ」とする宣伝工作が始まっていた。
その背後にも中国共産党-コミンテルンの対日工作があったと考えるべきだろう。 
因みに改造社というのは、もともとは大アジア主義を掲げる黒龍会系の出版社だった。
今で言えば保守系の団体が出資して設立されたのだが、その後、「内部穿孔工作」と言って、大学で共産主義にかぶれたエリートたちに会社は乗っ取られてしまったのだ。
以下は前章の続きである。
資本主義、自由主義陣営の政策の失敗を受け、世界的に社会主義賛美の風潮が蔓延し、エリートたちが社会主義者になる中で、日本の帝国大学の多くは左翼の拠点となった。 
後に『週刊朝日』編集長として60年安保で反米闘争を煽った扇谷正造は、戦前の東京帝国大学に在学していた。
彼は『私たちの瀧川事件』(新潮社)の中で、当時の大学の様子についてこう書いている。 
《昭和7年(1932)の春の東大は、一時的な左翼運動のたかまりを見せた時期であった。満州事変は前年の夏ぼっ発し、国内は軍国主義に塗りこめられつつあったが、東大はリベラリズムの牙城として厳としており、…学内では毎日のようにデモが行われた。
31番教室から、そのたび3本の垂れ幕がさげられた。 
《一、 天皇制を打倒せよ 一、帝国主義的戦争絶対反対 一、授業料を値下げせよ》 
これが戦前の東大の実態だ。
当然のことながら、東大のこうした活動の背後に、中国共産党日本特別支部-中国共産党-コミンテルンの対日工作があったとみるべきだろう。 
よくリベラル系の学者やマスコミが、「戦前は天皇制賛美で、天皇を批判したら逮捕されるような言論弾圧がまかり通っていた」と言うが、ことアカデミズムに関する限り、実態は逆だったのだ。
この稿続く。
保守の経済オンチがもたらしたもの 
日本のアカデミズムやマスコミの左傾化に追い打ちをかけたのが、1929(昭和4)年10月24日の「暗黒の木曜日」、つまりアメリカの株価の暴落とそれに端を発した世界大恐慌だ。このときアメリカのフーヴァー大統領は、財政均衡政策や保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させてしまった。 
その影響でアメリカの1933年の名目GDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落、1,200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。
こうした事態に直面し世界中が、資本主義社会は破綻し、これからは社会主義の時代だと考え始めた。
『FBI秘録』(邦訳は文藝春秋刊)の中でティム・ワーナー元NYタイムズ記者は「大恐慌のもたらした荒廃が共産主義運動に礎石を提供した」と表現している。 
しかし実際は、当時のアメリカ政府が、経済政策を間違えただけだ。
どういうことかというと、大規模な金融緩和をし、マーケットにお金を回せば良かったのに、財政均衡政策を採ってデフレを悪化させてしまったのだ。 
日本においても『東洋経済新報』の社主であった石橋湛山がちょうど第二次安倍政権が掲げた「アベノミクス」のように、積極的な金融緩和に踏み切ることで、デフレを脱却し、低インフレに移行して経済の安定化を図るべきだと主張していた。 
が、当時の経済学の権威である京都大学の河上肇教授が石橋の「積極的な金融緩和政策」を批判した。 
《河上肇は、石橋のように積極的な金融緩和政策は効果がないか、もしくはあってもハイパーインフレにつながるとして批判した。
*アベノミクスに反対して来た朝日などのメディアの批判は、この河上肇の論説と全く同じである事に慧眼の士は皆、気づくだろう*
河上の基本的な立場は、恐慌は資本主義経済では不可避の現象であり、それを根本的に治癒するには共産主義的な体制への転換が必要である、という「清算主義」的な立場にたつものだ》(田中秀臣『週刊エコノミスト』2013年11月26日号) 
河上は当時日本の経済学の権威であり、日本政府は河上に従ってデフレ政策を行ったが、結果的に日本はさらに不況に陥ることになった。
*3年前の8月までは今なお河上肇を信奉している朝日とこれに同調しているいわゆる学者たちが日本を支配していたから、安倍首相が登場するまでの日本が、先進国史上初めての超長期デフレに喘いで来たのは当然だったのである*
実は河上肇は、中国共産党のシンパであった。 
この稿続く。
こうした風潮の中で昭和3(1928)年、中国共産党の指令にもとづき、中国共産党日本特別支部が新設される。
昭和3年の段階で、日本に中国共産党の支部が成立されていたのだ。
中国の対日工作が戦後始まったと思っている人は多いが、それはとんでもない勘違いだ。 
特別支部の下には、東京支部の中に「明治大学支部」「東亜予備校支部」「成城学校支部」「東京連合支部」「大岡山支部」「牛込支部」など6つの支部が、地方には「横浜支部」「神戸支部」「長崎支部」「仙台支部」-これらは全て華僑のいるところだがーなど5つで計11の支部が設けられた。
党員のほとんどは、各大学にいる中国人留学生だった。 
内務省の極秘資料「中国共産党日本特別支部検挙事件」によれば、この特別支部が掲げたスローガンは、中国共産党の方針をそのまま踏襲しており、次のようなものであった
(『特高警察関係資料集成 第一五巻』不二出版)。 
《一、 打倒日本帝国主義 一、打倒中国国民党 一、対支非干渉 一、全世界植民地の
開放 一、一切地主の土地没収 一、ソヴィエト政権の確立 一、ソヴィエト革命の準備 一、帝国主義戦争反対 一、全労苦民衆の武装暴動の準備 一、世界革命の達成》 
要は、皇室を戴く日本政府と蒋介石率いる中国国民党政府を打倒し、中国の地主たちから全財産を奪って中国大陸に中国共産党政権を樹立することが世界の平和につながる、という考え方だ。 
このスローガンのもとで、中国共産党特別支部に所属する留学生たちは、同じ在日中国人留学生を中国共産党の活動に引き込むだけでなく、日本共産党や日本の労働組合との連携を強化していった。 
しかもその工作は、日本の軍部や満鉄なども対象にしていた。
内務省の極秘資料によれば、中国共産党は次のような方針を打ち出していた。 
《日本共産党との連絡を鞏固にし、これを共同一致して日本の中国出兵干渉に反対し、駐支日本軍隊の工作を破壊し、日本兵士を煽動して転じて中国革命を援助させること。同時に実際弁法を決宣して中国境内の日本企業(例えば満鉄のようなもの)の労働運動の推進に協力すること》 
この方針に基づいて中国共産党日本特別支部に所属する中国共産党員たちは、日本共産党と連携しながら、大学、言論界、労働界、そして軍部や満鉄関係者に対しても工作を仕掛けていたわけだ。 
ところが当時の日本政府は、日本共産党の活動を懸命に取り締まったが、中国人留学生たちの動きについては、さほど監視していなかった。
国防動員法という法律に基づいて中国共産党政府の指揮下に置かれている中国人留学生の動向をチェックしていない現在の日本と全く同じだ。 
中国共産党にとって日本は昔からスパイ天国であったのだ。
この稿続く。

トランプ大統領が選挙期間中に発言した、日本は核武装すれば良い、は、戦後の日本を、3年前の8月まで支配して来た朝日新聞社が書き続け、言い続けて来た欺瞞を、一瞬で吹き飛ばした事を私は世界に知らせた。
一昨日の安倍首相との会談でのペンス副大統領の発言、「米国は平和を追求しているが、平和は力によってのみ初めて達成される」、は、彼らの似非モラリズムと似非共産主義に、いわば原爆を落としたのである。
彼らが言い続けて来た平和憲法云々が欺瞞であることを、完璧に、満天下に告げたのである。
日経は2面に掲載し、見出しにも大きく伝えていた。
朝日は6面に、余程精読しないと見落とす小欄に掲載。見出しにも全く掲載せず。
つまり、これで完全に、朝日新聞などのメディアと、いわゆる学者たち、いわゆる文化人たち、いわゆる人権派弁護士たち、いわゆる市民団体たちの欺瞞が打ち砕かれたのである。
それも彼らが護符として、彼らの存在理由として、政府攻撃を行い続けて来た日本国憲法を与えた張本人の米国の大統領、副大統領の宣告だから、尚更なのである。
一昨日のペンスの発言は、終に、日本の欺瞞に満ちた戦後にピリオドを打った発言として、後世に語られるだろう。
月刊誌正論の今月号も日本国民全員と世界中の人たちが読むべき論文が満載されている。
それでいながら840円なのである。活字が読める日本人は全員、今すぐに最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。以下の評論家・江崎道朗の論文は朝日新聞などでは絶対に読めない21世紀に生きている人間全員の必読の書である。日本は世界に類を見ないスパイ天国であるとの私の論説を始めとして、私が言及してきた事の全てを見事に実証している、これぞ本物の論文である。この論文を読まなければ真実は何も分からないと言っても過言ではない。
中国にとって日本は昔からスパイ天国
評論家 江崎道朗
抬頭するドラゴン・スレイヤー 
トランプ政権は、これまでの対中政策を大きく変えようとしている。
これまでアメリカでは、日本の保守派に対しては厳しい国務省や対外情報機関のCIAが対アジア、対日政策を左右してきた。
このため、安倍政権に対しては「日米同盟を強化することは認めるが、いわゆる東京裁判史観の見直しは許さない」という高圧的な姿勢が目立った。
安倍政権が平成27年、終戦70年に際して歴史認識についての見解をまとめるべく政府に諮問機関を設置したが、その委員の大半がいわゆる東京裁判史観の持ち主であった。
その背景には、オバマ民主党政権の意向を受けた外務省の横槍があったと言われている。 この諮問機関の委員であり、東京裁判史観の見直しを主張しながら、その意見をほとんど採用されなかった京都大学の中西輝政名誉教授は月刊『正論』平成29年2月号の中でこう述べている。 
《日本の知識人としては「安保右派かつ歴史左派」でないとアメリカは認めないんです。安保右派とは、日米同盟の緊密化を唱える論者。歴史左派とは、戦前の日本は侵略国家だったと断罪する東京裁判史観を信奉する人たち。この両方が合致しないと、日本の政治家や学者はワシントンの官僚たちのお眼鏡にはかなわない》 
要するに「日本は侵略をした悪い国だ」という歴史観を持たないと、アメリカ政府は受け入れてくれない、というのだ。
確かにこれまではこうした構図が続いていたと思うが、トランプ政権の誕生によって、この構図が変わる可能性が出てきた。 
前述したように、アメリカ国務省やCIAはどちらかといえば中国贔屓で「パンダ・ハガー(パンダを抱擁する人)」と呼ばれ、オバマ民主党政権で権勢を誇っていた。 
一方、「ドラゴン・スレイヤー(竜を殺す人)」といって中国に対する厳しい見方をする少数派がいる。
中国の不当なダンピング輸出などがアメリカの国内産業をダメにしたと考えるトランプ政権では、こうした「ドラゴン・スレイヤー」たちがアメリカの対中政策を主導すると目されている。 
現にトランプ政権は、中国寄りの国務省やCIAのスタッフに代わって、軍の情報部出身者たちを政権中枢に入れて対中政策を見直そうとしている。
その象徴が「戦う修道士」「狂犬」と呼ばれる海兵隊出身のマティスを国防長官に抜擢したことだ。 
これまでの歴代大統領は中国共産党政府に遠慮して台湾の政府幹部と話をするのを避けてきたが、トランプ大統領はいきなり台湾の蔡英文総統と電話会談を行った。 
トランプ政権のこうした対中強硬政策は、日米中3ヶ国の関係の全面的見直しへと発展していく可能性が高いし、そうなるように働きかけることが重要だ。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
戦前日本で作られた中共特別支部
1924年、中国国民党の指導者、孫文がソ連のアドバイスを受け入れ、第一次国共合作に踏み切る。
国共合作とは中国国民党の孫文が中国共産党と手を結んだことだ。
このことが日本に留学していた中国人留学生に大きな影響を及ぼした。 
先にも述べた通り、当時、日本に中国人留学生か数千人ほど来ていた。
彼らの多くは、中国国民党政府からの支援で来日している官費留学生だった。
彼らは国共合作の結果、共産党の勉強会に参加していいと勘違いしてしまったのだ。
日本にいる中国共産党員たちもこの好機を見逃すはずもなく、中国人留学生に対して「これからは共産主義の時代だから共産党の勉強をしよう」と呼びかけた。 
更に孫文を応援していた日本の華僑-神戸、横浜、長崎にいた金持ちの華僑-は、孫文が共産主義と手を結んだという事実を受け、共産党は仲間だと思いこみ、共産主義の活動に資金援助を始めてしまう。 
こうした流れと日本の大学の左傾化の波が同時に押し寄せたことで、中国人留学生も一気に左傾化した。
因みにこの当時、「最も頭の良い学生は社会科学を研究し、次の連中が哲学宗教に没頭し、三番目のものは文学にはしり、最下位に属するものが反動学生になる」と言われていた。 
当時の大学生はエリートであり、大学生の多くは中央官僚になって国の中枢を担った。
その大学生の多くが社会主義にかぶれていたのだ。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
日本共産党が中共の影響下に 
一方、ソ連で1917年にロシア革命が起こった後、1919年、レーニンによってコミンテルンが創設される。 
1920年、コミンテルンは東方諸民族会議を開催、中国や日本、トルコなど中央アジアの人たちを集め、「欧米列強の植民地支配に苦しむ皆さんの独立を応援します」と唆した。
会議はアゼルバイジャンの首都バターで開催されたのだが、この時の旅費もコミンテルンが支給している。 
そして翌1921年、陳独秀らによって中国共産党が作られた。
こうした流れの中で、コミンテルンの張太雷が来日し、堺利彦らに対して、旅費を出すから翌年1月にモスクワで開催される極東民族大会へ出席するようにと要請した。
これに応え、堺らは民族大会に出席、その後に日本共産党を作った。
このように日本共産党は、コミンテルンの指示を受けた中国共産党の影響下で結成されたのだ。
この稿続く。

侵略史観を広めた日本人捕虜たち 

2020年10月18日 23時47分13秒 | 全般
2017-04-20に発信した章を統合しようと思うのですが、前後が逆転しているかもしれません。
以下は前章の続きである。
国の守りは軍事だけではない 
外交や安全保障など対外関係については、情報の蓄積が重要だ。 
中国共産党の戦略や対日工作の歴史を知らずに、中国を幾ら批判しようが、事態は改善しない。
相手がどのような戦略でどういう工作を仕掛けてくるのかを正確に理解しなければ国益を守りようがないのだ。 
アメリカでは冷戦が終わった直後の1992年から連邦議会が国家プロジェクトとして冷戦史研究を開始している。
アメリカの対外情報機関であるCIAも『中国人の交渉術』(産経新聞外信部訳で文藝春秋から出ている)という本を出して、中国共産党がいかなる工作を仕掛けてきたのか、詳細な分析をしている。 
ところが、これほどまでに中国共産党から工作を受けていながら、なぜ日本政府や国会は、中国共産党の対日工作についての研究に取り組まないのだろうか。 
戦後の日本をおかしくしたのは占領政策もあるが、それと同じくらい戦前からの中国共産党の対日工作の悪影響がある。
対日占領政策だけを見ていては、戦後の日本の歪みは理解できない。 
アメリカでは、インテリジェンス関係者や保守派の中に、ルーズベルト民主党政権時代の米中関係について全面的に見直そうとする動きがある。
こうした動きと連動して中国共産党の対外工作を研究していきたいものである。
以下は前章の続きである。
一方、この「敵軍工作部」にいた中国人留学生たちは戦後も、日本留学時代に培った人脈と知識を活用して対日工作を担った。 
(中国に戻った留学生たちは中日友好運動の最前線に活躍して中日国交正常化の回復に大きく貢献していました。例を挙げると、1963年に設立した中日友好協会において名誉会長の郭沫若、会長の廖承志、秘書長の趙安博、副秘書長の林林と孫平化、常務理事の張香山、肖向前[蕭向前]、理事の田漢、夏衍とも日本への留学経験を持っていました。》(王玉珊(中国東北財経大学)「中国人日本留学の歴史問題について」中央学院大学社会システム研究所紀要2010年3月) 
こうした対日工作を受けた日本では戦後、対中贖罪意識を持つ政治家や言論人が溢れ、対中位負け外交が続き、日本は、多額の経済援助を貢がされた。 
こうした中国共産党による対日工作の歴史を知らないのか、日本政府はいまも特別の対策を講じることもなく、中国人留学生に対する経済支援を続けている。
以下は前章の続きである。
侵略史観を広めた日本人捕虜たち 
1937(昭和12)年7月の日支事変が起こると、日本にいた中国人留学生は一斉に帰国する。
3ヵ月後の10月6日、中国共産党は、日本で社会主義、共産主義を学んだ中国人留学生たちを集めて、「敵軍工作部」を新設した。 
この「敵軍工作部」は戦時中、中国大陸で捕虜にした日本人兵士などを再教育し、中国共産党のスパイとして育てるために、日本人民反戦同盟や日本労農学校を組織した。
「用敵」と言って、敵である日本人兵士を使って日本に打ち勝つ戦略だ。 
この「用敵」工作の対象となった日本人兵士の捕虜たちは、日本語ができる中国人留学生たちの懸命のお世話に心を開くようになり、やがて「日本の軍国主義政府を打倒することが日中友好につながる」と信じるようになっていく。 
その多くが戦後、帰国して中国帰還者連絡会に所属し、対日工作を開始する。
具体的には、731部隊や南京大虐殺など、日本が中国でどれだけひどいことをしたかという証言集を出した。
元日本軍兵士による「中国大陸での残虐行為」に関する証言はマスコミの話題となり、対中贖罪意識を日本国民に植え付けることになった。 
この稿続く。
以下は前章の続きである。
戦前から存在した「侵略戦争」史観 
大学だけでなく、マスコミもまたサヨクに汚染されていた。
戦前、『改造』という大手月刊誌を発行していた改造社という出版社があった。
今でいうと、文藝春秋社のような国民的な出版社だ。 
この改造社が実はサヨクの巣窟であったのだ。
内務省の報告書にはこう記されている。 
《既に昭和3年頃には編集部並びに出版部の中枢は共産主義者を以て固められるるに至り、茲に「改造」の所謂左翼的伝統の基礎は確立せられ(中略)昭和12年(1937年)10月1日、山本実彦社長出席の下に開かれたる編集会議に於ては、日支事変に就て種々論議を重ね、A 日支事変は日本の帝国主義侵略戦であり、日本金融ブルジュワジーの軍部と結託せる市場獲得戦であること B 将来中共が支那大陸の共産主義革命を実現することは必至であること、及事変の不拡大に努め中共を援助しなければならぬ等の意見を開陳するものあり、結局協議の結果、帝国主義戦争たる日支事変の性格暴露、日本金融ブルジョワジーの弱体化、中共の強大性に関する評価宣伝、等を中心議題として編集執筆せしむる事に結論》(内務省警保局「特高月報」昭和19年8月分、『昭和特高弾圧史2知識人にたいする弾圧』太平出版社) 
この二つの編集方針に基づいて、のちにゾルゲ事件で逮捕される朝日新聞記者の尾崎秀実らの原稿が「改造」に載っている。
「日支事変(日中戦争)は侵略戦争である」とのレッテルを貼ったのは、東京裁判においてだと思われているが、実際には昭和12年の時点で、しかも日本の出版社によって「日中戦争は侵略戦争だ」とする宣伝工作が始まっていた。
その背後にも中国共産党-コミンテルンの対日工作があったと考えるべきだろう。 
因みに改造社というのは、もともとは大アジア主義を掲げる黒龍会系の出版社だった。
今で言えば保守系の団体が出資して設立されたのだが、その後、「内部穿孔工作」と言って、大学で共産主義にかぶれたエリートたちに会社は乗っ取られてしまったのだ。
以下は前章の続きである。
資本主義、自由主義陣営の政策の失敗を受け、世界的に社会主義賛美の風潮が蔓延し、エリートたちが社会主義者になる中で、日本の帝国大学の多くは左翼の拠点となった。 
後に『週刊朝日』編集長として60年安保で反米闘争を煽った扇谷正造は、戦前の東京帝国大学に在学していた。
彼は『私たちの瀧川事件』(新潮社)の中で、当時の大学の様子についてこう書いている。 
《昭和7年(1932)の春の東大は、一時的な左翼運動のたかまりを見せた時期であった。満州事変は前年の夏ぼっ発し、国内は軍国主義に塗りこめられつつあったが、東大はリベラリズムの牙城として厳としており、…学内では毎日のようにデモが行われた。
31番教室から、そのたび3本の垂れ幕がさげられた。 
《一、 天皇制を打倒せよ 一、帝国主義的戦争絶対反対 一、授業料を値下げせよ》 
これが戦前の東大の実態だ。
当然のことながら、東大のこうした活動の背後に、中国共産党日本特別支部-中国共産党-コミンテルンの対日工作があったとみるべきだろう。 
よくリベラル系の学者やマスコミが、「戦前は天皇制賛美で、天皇を批判したら逮捕されるような言論弾圧がまかり通っていた」と言うが、ことアカデミズムに関する限り、実態は逆だったのだ。
この稿続く。
保守の経済オンチがもたらしたもの 
日本のアカデミズムやマスコミの左傾化に追い打ちをかけたのが、1929(昭和4)年10月24日の「暗黒の木曜日」、つまりアメリカの株価の暴落とそれに端を発した世界大恐慌だ。このときアメリカのフーヴァー大統領は、財政均衡政策や保護貿易政策を採り、世界各国の恐慌を悪化させてしまった。 
その影響でアメリカの1933年の名目GDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落、1,200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。
こうした事態に直面し世界中が、資本主義社会は破綻し、これからは社会主義の時代だと考え始めた。
『FBI秘録』(邦訳は文藝春秋刊)の中でティム・ワーナー元NYタイムズ記者は「大恐慌のもたらした荒廃が共産主義運動に礎石を提供した」と表現している。 
しかし実際は、当時のアメリカ政府が、経済政策を間違えただけだ。
どういうことかというと、大規模な金融緩和をし、マーケットにお金を回せば良かったのに、財政均衡政策を採ってデフレを悪化させてしまったのだ。 
日本においても『東洋経済新報』の社主であった石橋湛山がちょうど第二次安倍政権が掲げた「アベノミクス」のように、積極的な金融緩和に踏み切ることで、デフレを脱却し、低インフレに移行して経済の安定化を図るべきだと主張していた。 
が、当時の経済学の権威である京都大学の河上肇教授が石橋の「積極的な金融緩和政策」を批判した。 
《河上肇は、石橋のように積極的な金融緩和政策は効果がないか、もしくはあってもハイパーインフレにつながるとして批判した。
*アベノミクスに反対して来た朝日などのメディアの批判は、この河上肇の論説と全く同じである事に慧眼の士は皆、気づくだろう*
河上の基本的な立場は、恐慌は資本主義経済では不可避の現象であり、それを根本的に治癒するには共産主義的な体制への転換が必要である、という「清算主義」的な立場にたつものだ》(田中秀臣『週刊エコノミスト』2013年11月26日号) 
河上は当時日本の経済学の権威であり、日本政府は河上に従ってデフレ政策を行ったが、結果的に日本はさらに不況に陥ることになった。
*3年前の8月までは今なお河上肇を信奉している朝日とこれに同調しているいわゆる学者たちが日本を支配していたから、安倍首相が登場するまでの日本が、先進国史上初めての超長期デフレに喘いで来たのは当然だったのである*
実は河上肇は、中国共産党のシンパであった。 
この稿続く。
こうした風潮の中で昭和3(1928)年、中国共産党の指令にもとづき、中国共産党日本特別支部が新設される。
昭和3年の段階で、日本に中国共産党の支部が成立されていたのだ。
中国の対日工作が戦後始まったと思っている人は多いが、それはとんでもない勘違いだ。 
特別支部の下には、東京支部の中に「明治大学支部」「東亜予備校支部」「成城学校支部」「東京連合支部」「大岡山支部」「牛込支部」など6つの支部が、地方には「横浜支部」「神戸支部」「長崎支部」「仙台支部」-これらは全て華僑のいるところだがーなど5つで計11の支部が設けられた。
党員のほとんどは、各大学にいる中国人留学生だった。 
内務省の極秘資料「中国共産党日本特別支部検挙事件」によれば、この特別支部が掲げたスローガンは、中国共産党の方針をそのまま踏襲しており、次のようなものであった
(『特高警察関係資料集成 第一五巻』不二出版)。 
《一、 打倒日本帝国主義 一、打倒中国国民党 一、対支非干渉 一、全世界植民地の
開放 一、一切地主の土地没収 一、ソヴィエト政権の確立 一、ソヴィエト革命の準備 一、帝国主義戦争反対 一、全労苦民衆の武装暴動の準備 一、世界革命の達成》 
要は、皇室を戴く日本政府と蒋介石率いる中国国民党政府を打倒し、中国の地主たちから全財産を奪って中国大陸に中国共産党政権を樹立することが世界の平和につながる、という考え方だ。 
このスローガンのもとで、中国共産党特別支部に所属する留学生たちは、同じ在日中国人留学生を中国共産党の活動に引き込むだけでなく、日本共産党や日本の労働組合との連携を強化していった。 
しかもその工作は、日本の軍部や満鉄なども対象にしていた。
内務省の極秘資料によれば、中国共産党は次のような方針を打ち出していた。 
《日本共産党との連絡を鞏固にし、これを共同一致して日本の中国出兵干渉に反対し、駐支日本軍隊の工作を破壊し、日本兵士を煽動して転じて中国革命を援助させること。同時に実際弁法を決宣して中国境内の日本企業(例えば満鉄のようなもの)の労働運動の推進に協力すること》 
この方針に基づいて中国共産党日本特別支部に所属する中国共産党員たちは、日本共産党と連携しながら、大学、言論界、労働界、そして軍部や満鉄関係者に対しても工作を仕掛けていたわけだ。 
ところが当時の日本政府は、日本共産党の活動を懸命に取り締まったが、中国人留学生たちの動きについては、さほど監視していなかった。
国防動員法という法律に基づいて中国共産党政府の指揮下に置かれている中国人留学生の動向をチェックしていない現在の日本と全く同じだ。 
中国共産党にとって日本は昔からスパイ天国であったのだ。
この稿続く。

トランプ大統領が選挙期間中に発言した、日本は核武装すれば良い、は、戦後の日本を、3年前の8月まで支配して来た朝日新聞社が書き続け、言い続けて来た欺瞞を、一瞬で吹き飛ばした事を私は世界に知らせた。
一昨日の安倍首相との会談でのペンス副大統領の発言、「米国は平和を追求しているが、平和は力によってのみ初めて達成される」、は、彼らの似非モラリズムと似非共産主義に、いわば原爆を落としたのである。
彼らが言い続けて来た平和憲法云々が欺瞞であることを、完璧に、満天下に告げたのである。
日経は2面に掲載し、見出しにも大きく伝えていた。
朝日は6面に、余程精読しないと見落とす小欄に掲載。見出しにも全く掲載せず。
つまり、これで完全に、朝日新聞などのメディアと、いわゆる学者たち、いわゆる文化人たち、いわゆる人権派弁護士たち、いわゆる市民団体たちの欺瞞が打ち砕かれたのである。
それも彼らが護符として、彼らの存在理由として、政府攻撃を行い続けて来た日本国憲法を与えた張本人の米国の大統領、副大統領の宣告だから、尚更なのである。
一昨日のペンスの発言は、終に、日本の欺瞞に満ちた戦後にピリオドを打った発言として、後世に語られるだろう。
月刊誌正論の今月号も日本国民全員と世界中の人たちが読むべき論文が満載されている。
それでいながら840円なのである。活字が読める日本人は全員、今すぐに最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。以下の評論家・江崎道朗の論文は朝日新聞などでは絶対に読めない21世紀に生きている人間全員の必読の書である。日本は世界に類を見ないスパイ天国であるとの私の論説を始めとして、私が言及してきた事の全てを見事に実証している、これぞ本物の論文である。この論文を読まなければ真実は何も分からないと言っても過言ではない。
中国にとって日本は昔からスパイ天国
評論家 江崎道朗
抬頭するドラゴン・スレイヤー 
トランプ政権は、これまでの対中政策を大きく変えようとしている。
これまでアメリカでは、日本の保守派に対しては厳しい国務省や対外情報機関のCIAが対アジア、対日政策を左右してきた。
このため、安倍政権に対しては「日米同盟を強化することは認めるが、いわゆる東京裁判史観の見直しは許さない」という高圧的な姿勢が目立った。
安倍政権が平成27年、終戦70年に際して歴史認識についての見解をまとめるべく政府に諮問機関を設置したが、その委員の大半がいわゆる東京裁判史観の持ち主であった。
その背景には、オバマ民主党政権の意向を受けた外務省の横槍があったと言われている。 この諮問機関の委員であり、東京裁判史観の見直しを主張しながら、その意見をほとんど採用されなかった京都大学の中西輝政名誉教授は月刊『正論』平成29年2月号の中でこう述べている。 
《日本の知識人としては「安保右派かつ歴史左派」でないとアメリカは認めないんです。安保右派とは、日米同盟の緊密化を唱える論者。歴史左派とは、戦前の日本は侵略国家だったと断罪する東京裁判史観を信奉する人たち。この両方が合致しないと、日本の政治家や学者はワシントンの官僚たちのお眼鏡にはかなわない》 
要するに「日本は侵略をした悪い国だ」という歴史観を持たないと、アメリカ政府は受け入れてくれない、というのだ。
確かにこれまではこうした構図が続いていたと思うが、トランプ政権の誕生によって、この構図が変わる可能性が出てきた。 
前述したように、アメリカ国務省やCIAはどちらかといえば中国贔屓で「パンダ・ハガー(パンダを抱擁する人)」と呼ばれ、オバマ民主党政権で権勢を誇っていた。 
一方、「ドラゴン・スレイヤー(竜を殺す人)」といって中国に対する厳しい見方をする少数派がいる。
中国の不当なダンピング輸出などがアメリカの国内産業をダメにしたと考えるトランプ政権では、こうした「ドラゴン・スレイヤー」たちがアメリカの対中政策を主導すると目されている。 
現にトランプ政権は、中国寄りの国務省やCIAのスタッフに代わって、軍の情報部出身者たちを政権中枢に入れて対中政策を見直そうとしている。
その象徴が「戦う修道士」「狂犬」と呼ばれる海兵隊出身のマティスを国防長官に抜擢したことだ。 
これまでの歴代大統領は中国共産党政府に遠慮して台湾の政府幹部と話をするのを避けてきたが、トランプ大統領はいきなり台湾の蔡英文総統と電話会談を行った。 
トランプ政権のこうした対中強硬政策は、日米中3ヶ国の関係の全面的見直しへと発展していく可能性が高いし、そうなるように働きかけることが重要だ。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
戦前日本で作られた中共特別支部
1924年、中国国民党の指導者、孫文がソ連のアドバイスを受け入れ、第一次国共合作に踏み切る。
国共合作とは中国国民党の孫文が中国共産党と手を結んだことだ。
このことが日本に留学していた中国人留学生に大きな影響を及ぼした。 
先にも述べた通り、当時、日本に中国人留学生か数千人ほど来ていた。
彼らの多くは、中国国民党政府からの支援で来日している官費留学生だった。
彼らは国共合作の結果、共産党の勉強会に参加していいと勘違いしてしまったのだ。
日本にいる中国共産党員たちもこの好機を見逃すはずもなく、中国人留学生に対して「これからは共産主義の時代だから共産党の勉強をしよう」と呼びかけた。 
更に孫文を応援していた日本の華僑-神戸、横浜、長崎にいた金持ちの華僑-は、孫文が共産主義と手を結んだという事実を受け、共産党は仲間だと思いこみ、共産主義の活動に資金援助を始めてしまう。 
こうした流れと日本の大学の左傾化の波が同時に押し寄せたことで、中国人留学生も一気に左傾化した。
因みにこの当時、「最も頭の良い学生は社会科学を研究し、次の連中が哲学宗教に没頭し、三番目のものは文学にはしり、最下位に属するものが反動学生になる」と言われていた。 
当時の大学生はエリートであり、大学生の多くは中央官僚になって国の中枢を担った。
その大学生の多くが社会主義にかぶれていたのだ。
この稿続く。
以下は前章の続きである。
日本共産党が中共の影響下に 
一方、ソ連で1917年にロシア革命が起こった後、1919年、レーニンによってコミンテルンが創設される。 
1920年、コミンテルンは東方諸民族会議を開催、中国や日本、トルコなど中央アジアの人たちを集め、「欧米列強の植民地支配に苦しむ皆さんの独立を応援します」と唆した。
会議はアゼルバイジャンの首都バターで開催されたのだが、この時の旅費もコミンテルンが支給している。 
そして翌1921年、陳独秀らによって中国共産党が作られた。
こうした流れの中で、コミンテルンの張太雷が来日し、堺利彦らに対して、旅費を出すから翌年1月にモスクワで開催される極東民族大会へ出席するようにと要請した。
これに応え、堺らは民族大会に出席、その後に日本共産党を作った。
このように日本共産党は、コミンテルンの指示を受けた中国共産党の影響下で結成されたのだ。
この稿続く。


従軍慰安婦報道などという本当に許しがたい捏造報道を行った責任者

2020年10月18日 23時24分57秒 | 全般
2017-04-05に発信した章である。
前章の文章を沖縄に当てはめて読めば沖縄の実態も分かるだろう。
安倍首相は第一次政権前後に、国会で初めて「従軍慰安婦問題は吉田清治の嘘話に朝日新聞が乗っかって作った」ものであることを明言した初めての政治家である。
高山正之は、この事が契機となって朝日新聞社は3年前の8月に公式に誤報である事を認め社長が辞任した事、以来、朝日新聞社の安倍首相憎しは以前にも倍加して激しくなっていると書いている。
つまり、李相哲氏の論文は、そっくり、そのまま沖縄の実態や朝日新聞社の実態に当てはまるのである。
その事が何を意味しているのかは言うまでもない。
テレビ朝日の外報部のデスクが朝鮮総連のエリートである事を想起すれば、ゾッとする話なのである。
おまけに朝日新聞社というのは、元・主筆で北京で変死した若宮好文を筆頭にして、何故か、社員を入れ替わり立ち代わり、反日プロパガンダの総本山である延世大学に社内留学させているのである。
従軍慰安婦報道などという本当に許しがたい捏造報道を行った責任者である大阪本社社会部の清田治史、ハニートラップの実態を人生としながら捏造記事を書き続けた植村隆等の人間達全員が延世大学に留学している会社なのである。
社説の珍妙さや、素粒子の異常な言動は当然だろう。
テレビ朝日の報道ステーションには日本に対する憎しみが在ると同様に、朝日新聞の論説には日本に対する憎しみが在る。
それが何故かをも、李相哲氏の論文は明らかにしているのである。


それを朝日新聞が「狭義の強制性」→「広義の強制性」→「女性の人権問題」とすり替えて行った

2020年10月18日 23時14分25秒 | 全般

2017-01-05に発信した章である。
ネットで発見した、朝日新聞の豊秀一という記者の言動についての記事である。https://tigerdream777-no.blog.jp/archives/45688268.html
見出し以外の文中強調は私。
October 18, 2015
朝日新聞・豊秀一の恥知らずな講演
朝日新聞の豊秀一という記者が、韓国までノコノコ出かけて行って、ソウル大アジア研究所主催の「慰安婦問題と戦後の日本」というセミナーで講演を行った。
そこで、相変わらず朝日新聞は「慰安婦捏造問題」に関して、まったく反省していないことが露わになった。
豊が言うには「国際的に慰安婦問題を戦時性暴力とみて、女性の人権問題で認識しようとする風潮が現れた一方、日本国内では歴史修正主義的な動きが強まった」とのこと。
まず、「慰安婦問題」を「女性の人権問題」とすり替えたのは、捏造がばれた朝日新聞が苦し紛れに言い出したことではないか。
朝日新聞の慰安婦報道を検証した「身内」の第三者委員会でさえ「論理のすり替え」と言っているものだ。
慰安婦問題のスタートは「強制連行」といった強制性があったかということだった。
それを朝日新聞が「狭義の強制性」→「広義の強制性」→「女性の人権問題」とすり替えて行っただけである。
それを、「女性の人権問題で認識しようとする風潮が現れた」とは開いた口が塞がらない。
また「日本国内では歴史修正主義的な動きが強まった」とも言っているが、朝日新聞こそ「歴史修正主義」の本家本元ではないか。
呆れるばかりだ。
さらには、「ネット上では慰安婦問題は朝日新聞の捏造などのデマが広がった」ときた。デマとは恐れ入った。朝日新聞が慰安婦報道に関して、まったく反省してない一言だ!!!
吉田清治のウソ話を事実のごとく垂れ流し、それを元にした印象記事を書きまくり、植村隆の「挺身隊として戦場に連行された」という記事で完成した朝日新聞の慰安婦捏造。
ついに言い逃れすることができなくなり、昨年8月みじめな検証記事を載せ、そこで「女性の人権問題」と言い張り、9月の記者会見でも木村と杉浦が同様に失笑ものの言い訳に終始した姿は、哀れの一言だった。
朝日新聞は「女性の人権問題」と言うなら、なぜ朝鮮戦争時の韓国人慰安婦について報道検証しない?
なぜベトナム戦争時の韓国軍の戦時性暴力について検証報道をしない?
この件に関して、豊はどう考えているのか???
まあ、こういうダブスタを恥ずかしと思わないのが朝日新聞である。
豊は自覚すべきである。
朝日新聞自身が真の日韓関係を阻害している主因であることを。
朝日新聞、及び記者連中は「恥」という言葉を知らないようだ。
他人に対してよく使う「自浄作用」もない。
もう妄言はうんざりだ。
真に反省して出直すことができないなら、早く潰れてくれ!!!!!


以下はリアルタイムのベスト10である。2020/10/18, pm 6:20

2020年10月18日 18時21分28秒 | 全般

1

それは不公平だ」と指摘すると「ヘイト」だと言われ、問題にメスが入れられない状態

2

但是,毫无疑问,光线已经开始照射到零件上

3

Använd inte frasen "Genghis Khan, Mongoliet och imperiet."

4

No entanto, a luz, sem dúvida, começou a brilhar nas peças

5

Não use a frase 'Genghis Khan, Mongólia e o Império'.

6

その在日韓国朝鮮人社員が昇進して、主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など1980年以降、決定的な権力を持ったポストに、つき始めました

7

Das Licht hat jedoch zweifellos begonnen, auf die Teile zu scheinen

8

'징기스칸, 몽골, 제국'이라는 표현을 사용하지 마십시오.

9

Cependant, la lumière a sans aucun doute commencé à briller sur les pièces

10

但是,毫無疑問,光線已經開始照射到零件上

 

 


以下はアメーバにおける今日の公式ハッシュタグランクイン記事一覧である。

2020年10月18日 17時47分42秒 | 全般

公式ハッシュタグランクイン記事一覧


Japan sollte ernsthaft darüber nachdenken, zu gehen.

2020年10月18日 17時36分31秒 | 全般
2018-09-24
Das Folgende ist eine Fortsetzung des vorherigen Kapitels.
Die Universität, die Kaiserin Masako auch besuchte
Es ist eng mit dem nationalen Charakter ihrer Heimat, den Niederlanden, verbunden.
Es verlor im letzten Krieg das niederländische Ostindien des Schatzes und wurde verarmt.
Dieser Groll ist tief.
Es ist eine lügende Nation, die Kriegsverbrecher der Klasse über 200 v. Chr. Unter Bullshit-Anschuldigungen hingerichtet und zweimal hinter den Kulissen mit Reparationen gedroht hat, während sie angeblich sagte, sie würden keine Reparationen während des Krieges in Anspruch nehmen.
Das zweite Mal war zwei Jahre nach der großen Trauer von Kaiser Showa, als Königin Beatrix um Wiedergutmachung bat.
Alle königlichen Familien der Welt waren bei der großen Trauerzeremonie anwesend, aber nur die niederländische königliche Familie war abwesend.
Ich möchte nichts allzu Falsches über die königliche Familie sagen, die für ihre enge Freundschaft mit Ihrer königlichen Hoheit Prinzessin Masako bekannt ist.
Dennoch besteht kein Zweifel daran, dass es Maud de Boer-Buquicchio mit der beleidigenden Haltung der subköniglichen Familie gegenüber Japan belastet hat.
Ihre Luxusreise nach Japan, um diesen falschen Bericht zu erstellen, und ihr hohes Gehalt stammen ausschließlich aus US-Gebühren.
In der Vergangenheit hat Japan 20% dieses Betrags beigetragen, 60 Mrd. ¥ (jetzt 30 Mrd. ¥).
Wie die UNESCO sollte Japan aufhören, seine Beiträge an die Vereinten Nationen zu zahlen.
In Bezug auf das Thema von Kaiserin Masako ist die Universität der Vereinten Nationen in Aoyama Dori einer der Orte, an die Ihre kaiserliche Hoheit an ihren freien Tagen von ihren offiziellen Pflichten gegangen ist.
Die Universität der Vereinten Nationen in Aoyama-dori ist ein Gebäude aus Granit mit Masako-Räumen, und Japan hat den größten Teil der Wartungskosten in Höhe von 70 Millionen US-Dollar bezahlt.
Viele antijapanische Seminare werden dort jedoch von Mushanokoji Kimihide, dem ehemaligen Vizepräsidenten der Universität, der in der Nähe von Nordkorea liegt, abgehalten, und ich höre, dass Hisashi Owada, der dem Soka Gakkai nahe steht, gelegentlich einen Vortrag halten wird.
Einer der Menschen, die hier ein Stipendium erhalten, ist Ramush Thakur, ein Inder, der in der Japan Times viele Missbrauchsartikel über Japan schreibt.
Eine iranische Frau, die Naoto Kan liebt
Das Hiroshima-Büro des Instituts der Vereinten Nationen für Ausbildung und Forschung (UNITAR) befindet sich ebenfalls in Japan.
Japan trägt den größten Teil der Wartungskosten des UNITAR-Büros in Hiroshima, und das Büro kümmert sich um Fragen, die von den betroffenen Ländern zu lösen sind, z. B. was mit dem Sudan zu tun ist, der einst das Hinterzimmer einer arabischen Ölfördernation war ist jetzt geteilt.
Eine iranische Frau, Nasreen Azimi, war die Leiterin des Zentrums und schwamm immer noch im Namen eines leitenden Beraters.
Sie hat eine ungewöhnliche Persönlichkeit, die sie Naoto Kan von der Demokratischen Partei Japans liebt. Nach dem großen Erdbeben in Ostjapan predigte sie Japan an der Seite der Mitarbeiter der Vereinigten Staaten: "Warum Japan im A-bombardierten Land an der Kernenergieerzeugung festhält" und "Warum nicht die Kernenergieerzeugung stoppen?" Weiter hängen.
Die Niederlande, der Iran und Bulgarien sind alle halb gescheiterte Staaten.
Sie schwämmen nach Japan, ohne ihre eigenen Länder aufzuräumen, und versuchen, Japan mit unbegründeten Lügen und Verleumdungen zu diskreditieren.
Alle diese Menschen gedeihen in den Vereinigten Staaten, wo der noch schädlichere CPC ein Vetorecht hat.
Japan sollte ernsthaft darüber nachdenken, zu gehen.
(Dezember 2015)


Her traveling in luxury to Japan to create this false report

2020年10月18日 17時17分37秒 | 全般
2018-09-24
The following is a continuation of the previous chapter.
The university that Empress Masako also attended 
It is deeply related to the national character of her homeland, the Netherlands.
It lost treasure's Dutch East Indies in the last war and became impoverished.
That resentment runs deep.
It is a lying nation that executed over 200 BC class war criminals on bullshit accusations and threatened reparations twice behind the scenes while ostensibly saying they would not take wartime reparations.
The second time was two years after Emperor Showa's Great Mourning when Queen Beatrix asked for reparations.
All of the world's royal families were present at the Grand Mourning ceremony, but only the Dutch royal family was absent. 
I don't want to say anything too wrong about the Royal Family, which is known for its close friendship with Her Royal Highness Princess Masako.
Still, there is no doubt that it tainted Maud de Boer-Buquicchio with the sub-royal family's insulting attitude to Japan.
Her traveling in luxury to Japan to create this false report and her high salary comes entirely from U.N. dues.
In the past, Japan has contributed 20% of that amount, ¥60 billion (now ¥30 billion).
Like UNESCO, Japan should stop paying its dues to the United Nations.
On Empress Masako's subject, one of the places where Her Imperial Highness used to go to on her days off from her official duties is the United Nations University on Aoyama Dori.
The United Nations University on Aoyama-dori is an all-granite building with Masako rooms, and Japan has paid for most of the $70 million in maintenance costs. 
However, many anti-Japanese seminars are held there by Mushanokoji Kimihide, the former vice president of the university, who is close to North Korea, and I hear that occasionally Hisashi Owada, who is close to the Soka Gakkai, will give a lecture. 
One of the people who enjoy a stipend here is Ramush Thakur, an Indian who writes many abuse articles about Japan in the Japan Times. 
An Iranian woman who loves Naoto Kan 
The United Nations Institute for Training and Research (UNITAR) Hiroshima office is also located in Japan.
Japan bears most of the maintenance costs of the UNITAR office in Hiroshima, and the office handles issues that should be taken by the countries concerned, such as what to do about Sudan, which was once the back room of an Arab oil-producing nation and is now divided. 
An Iranian woman, Nasreen Azimi, was the head of the center and still sponges in a senior advisor's name. 
She has an unusual personality that she loves Naoto Kan of the Democratic Party of Japan. After the Great East Japan Earthquake, she preached to Japan at the U.N. staff's side, "Why Japan in the A-bombed country sticks to nuclear power generation" and "Why not stop nuclear power generation?" Continue to hang down.
The Netherlands, Iran, and Bulgaria are all half failed states.
They sponge off to Japan without clean up their own countries and try to discredit Japan with baseless lies and slander. 
All of these people thrive in the U.N. where the even more noxious CPC has veto power.
Japan should seriously consider leaving.      
(December 2015)



Det begraver också lögnerna från de dumma intellektuella över hela världen

2020年10月18日 17時15分21秒 | 全般
2019-04-24
Det faktum att Masayuki Takayama är den enda journalisten i efterkrigsvärlden, tack vare civilisationens skivspelare, är nu välkänt för alla kräsna forskare världen över.
Följande är från hans senaste bok.
Det här kapitlet är verkligen fantastiskt.
Det är ett slag mot Japans självkvalande historiska syn efter kriget och lögnerna från de dumma intellektuella som är genomsyrade av kommunismen.
Det begraver också lögnerna från de dumma intellektuella över hela världen som har smittats med samma typ av pseudomoralism.
Det är en av de största atombomberna som någonsin släppts på historiska och talmässiga samhällen.
Kapitel 3: Beyond Shameless
Sydkoreas president svampar till Japan i två generationer av sina barn.
I sina morföräldrar till dagens koreaner hade de halmtak och lera-murade hus och hade inte ens toaletter.
Penningekonomin var underutvecklad, så det fanns inga butiker.
De bar vanlig bomullsduk, och kvinnor som födde en pojke skulle skryta med det och visa upp sina bröst med framsidan utsatt.
Kō Bun'yū beskrev det mildt som "den outforskade regionen Asien", men det såg mer ut som en "Papuan bosättning gömd i mitten av latitud."
Theodore Roosevelt sa att Japan skulle ta hand om sådana vilda folk.
USA lade snabbt sina diplomatiska uppdrag och avbröt alla diplomatiska förbindelser och sa: 'Vi vill inte vara här.'
Det var strax efter det japansk-japanska kriget.
Japan tyckte inte heller om det.
På grund av detta lands dumhet tvingades Japan att utkämpa två krig, det kinesisk-japanska kriget och det ryska-japanska kriget, där 120 000 generaler dog i båda krig.
Så Japan gjorde Korea till ett protektorat i fem år, byggde upp sin infrastruktur och väntade på att det skulle bli oberoende.
Men de gjorde bara ett ljud.
När allt kommer omkring mördade de till och med Hirobumi Ito, som motsatte sig annekteringen.
Således antogs politiken att "avlägsna olycka genom att utbilda människor som människor" och de så kallade 36 åren av det japanska imperialistiska stycket började.
Under denna tid ägde Japan 20% av sin nationella budget åt halvön och fortsatte att lysa civilisationens ljus på sina outforskade territorier.
De kunde till exempel inte skapa hjul.
Därför visste de inte om vattenhjul eller vagnar eller tåg.
Därför byggde japanerna under protektoratåldern järnvägen över halvön från Pusan till Gyeongseong (dagens Seoul) och längre norrut till Sinuiju.
På den här linjen gjorde Kim Dae-jung ljud om att återansluta järnvägen som hade delats upp i norr och söder.
Järnvägen korsade Yalu-floden och anslöt till de manchuriska och transsibiriska järnvägarna. Under det japanska imperiets tredje år kunde människor i outforskade områden köpa en biljett till London i Seoul.
Japanerna byggde skolor, lärde ut det som nu är Hangul-skriptet, byggde kraftverk och belyste sina hem med civilisation.
Vi gav namn till namnlösa kvinnor med nakna bröst, som Yoshiko, och lärde dem också att dölja sina bröst.
Förresten hade de bara en 3.1-incident under de 36 år av japansk kejsarstyrning när de ropade att de inte ville ha en ren miljö utan korruption eller tortyr.
Japan förlorade kriget med Storbritannien och USA, och USA och Sovjetunionen tvingades ta en plats bakom dessa besvärliga människor.
Japan lade äntligen upp byrån, men innan kort tid bröt krig ut på halvön och 3 miljoner dog i norr och söder.
Japan kunde hålla sig utanför kriget tack vare den dumma MacArthur-konstitutionen, men karma som bryggdes i Korea var inte så lätt att skingra.
De konfiskerade för gratis tillgångar på sammanlagt 90 miljarder yen i japanska pengar vid den tiden, inklusive järnvägar, dammar och till och med privata företag som japansk kväve.
Den inkluderade Gyeongseong Imperial Universitys historiska samling, som de inte hade någon aning om dess värde.
Dessutom tog det in många tunga industrianläggningar från Japan.
Det var i överensstämmelse med Edwin Pauleys politik, chefen för reparationsuppdraget, som sa, "Japan behöver inte mer industriell makt än en pot-bellied pot-bellied pot-bellied pot-bellied pot-bellied pot-bellied pot-bellied pot- bellied pot-bellied pot.
Koreanerna försökte också få ersättningar från krigstid från Japan.
Socialistpartiets Shigesaburo Suzuki var så äcklad att han vägrade erbjudandet och sa att det var osannolikt att det skulle göras när det inte fanns något krig att slåss.
Tio år senare tog Park Chung-hee slutligen 500 miljoner dollar och sa: 'Jag ska skära ut reparationsspråket och ge mig pengarna.'
Det var dubbelt så mycket som Sydkoreas nationella budget vid den tiden.
Park bad också om teknisk hjälp, och han försökte modernisera den koreanska industrin med japanska maskiner och japansk teknik, med japansk infrastruktur som bas.
Det fördelade pengarna från den japanska regeringen och företagsskatter från en pachinko-salong som drivs av koreaner i Japan.
Det var det som kallas "Mirakel av Han-floden."
Vissa säger att Japan är ansvarig för 90 procent av detta mirakel, men koreanernas återstående 10 procent gjordes.
Det är bra för människorna som bodde i ett avlägset område fram till för ett sekel sedan.
Förresten, i att 10% är Holy Water Bridge över Han River, en mirakelsymbol.
Bron, byggd av koreanerna, var 15 år gammal och kollapsade utan vind och dödade 32 personer.
Varuhuset i Seoul, där 500 personer dog, var bara sex år gammalt, och om man tar hänsyn till detta hade det en livslängd på nästan tre gånger broens.
Dotter till Park Chung-hee, som svampade till Japan och skapade Hanflodens mirakel, var nu president.
När jag kände mig fel om det sa hon i sitt invigningstal att hon skulle "åstadkomma Hanflodens andra mirakel."
Vilken typ av kausaliteter kommer de att svampa den här gången?
Vi kommer inte ihåg att lära dem något liknande.


它還掩蓋了全世界愚蠢知識分子的謊言

2020年10月18日 17時11分40秒 | 全般
2019-04-24
多虧了文明的轉盤,高山正行是戰後世界上唯一的新聞記者,這一事實現已為全世界所有有識之士所熟知。
以下是他的最新著作。
這一章確實很棒。
這對日本戰後自我折磨的歷史觀點和那些沉迷於共產主義的愚蠢知識分子的謊言都是打擊。
它還掩蓋了全世界被相同偽道德主義感染的愚蠢知識分子的謊言。
它是有史以來語言和社會上最大的原子彈之一。
第3章:超越無恥
韓國總統為日本的兩個世代s之以鼻。
在當今韓國人的祖父母中,他們蓋著茅草房和泥濘的房屋,甚至沒有廁所。
貨幣經濟不發達,因此沒有商店。
他們穿了普通的棉布,生下男孩的女人會以這種佈為傲,並露出自己的胸部,露出自己的前臉。
KōBun'yū輕描淡寫地將其描述為“亞洲未開發的地區”,但看起來更像是“隱藏在中緯度地區的巴布亞定居點”。
西奧多·羅斯福說,日本將照顧這種野蠻的人民。
美國迅速取消了外交使團,並切斷了所有外交關係,稱“我們不想在這裡”。
就是在日俄戰爭之後。
日本也不喜歡。
由於這個國家的愚蠢,日本被迫打了兩次戰爭,即中日戰爭和日俄戰爭,兩次戰爭中有12萬將軍喪生。
因此,日本使韓國成為了五年的保護國,建立了基礎設施,並等待其獨立。
但是他們只是發出聲音。
畢竟,他們甚至暗殺了反對吞併的伊藤博文。
因此,採取了“以教育為人,消除不幸”的政策,所謂的日本帝國統治36年開始了。
在此期間,日本將其國家預算的20%用於該半島,並繼續在未開發的領土上閃耀著文明的光芒。
例如,他們無法製造輪子。
這就是為什麼他們不了解水車,手推車或火車的原因。
因此,在保護國時期,日本人修建了一條橫跨釜山的鐵路,從釜山到慶城(今首爾),再往北到新義州。
在這條線上,金大中(Kim Dae-jung)對重新連接分為北部和南部的鐵路製造了聲音。
鐵路穿過鴨綠江,與滿洲鐵路和西伯利亞鐵路相連。在日本帝國統治的第三年,未開發地區的人們可以購買前往漢城倫敦的機票。
日本人修建了學校,傳授了現在的韓文文字,修建了發電廠,並用文明點亮了自己的房屋。
我們給無名的裸露乳房的婦女(如吉子)起了個名字,並教她們也要隱藏自己的乳房。
順便說一句,他們在36年的日本帝國統治時期只發生了3.1起事件,當時他們大聲疾呼自己不希望有沒有腐敗或酷刑的干淨環境。
日本輸掉了與英美的戰爭,美蘇被迫讓這些麻煩的人退居二線。
日本終於減輕了自己的負擔,但不久之後,半島爆發了戰爭,南北三百萬人喪生。
由於製定了愚蠢的《麥克阿瑟憲法》,日本得以擺脫了戰爭,但是在韓國釀造的業力並不是那麼容易消除。
他們沒收了當時價值900億日圓的自由資產,包括鐵路,水壩,甚至私人公司,例如日本氮氣。
它包括慶城帝國大學的歷史收藏,他們不知道它的價值。
此外,它引進了許多來自日本的重工業設施。
這是根據賠償任務負責人埃德溫·保利(Edwin Pauley)的政策制定的,他說:“日本只需要大腹便便,大腹便便,大腹便便,大腹便便,大肚鍋大肚鍋。
朝鮮人還試圖從日本獲得戰時賠償。
社會主義黨的鈴木茂三郎(Shigesaburo Suzuki)十分反感,以至於他拒絕了這一提議,稱在沒有戰爭可打的情況下,不可能提出這一提議。
十年後,朴正熙最終以5億美元的身價說:“我會削減賠償語言,然後給我錢。”
那是當時韓國國家預算的兩倍。
Park還要求提供技術幫助,他試圖以日本的基礎設施為基礎,通過日本的機器和日本的技術使韓國的工業現代化。
它分配了從日本政府收取的錢和由韓國人在日本經營的彈珠機店的營業稅。
那就是所謂的“漢江奇蹟”。
有人說,日本為這個奇蹟創造了90%的責任,而韓國人剩下的10%成就了。
這對一個世紀前居住在偏遠地區的人們來說是一件好事。
順便說一下,這是奇蹟般的象徵,漢江上的聖水橋佔了10%。
該橋由朝鮮人建造,已有15年的歷史,沒有風倒塌,炸死32人。
首爾有500人死亡的百貨商店只有六年的歷史,如果考慮到這一點,它的使用壽命幾乎是這座橋的三倍。
朴鍾熙的女兒曾到日本遊蕩,創造了漢江的奇蹟,現任總統。
當我對此感到不對時,她在就職演說中說,她將“帶來漢江的第二個奇蹟”。
他們這次會導致什麼樣的因果關係?
我們不記得教他們類似的東西。


它还掩盖了全世界愚蠢知识分子的谎言

2020年10月18日 17時09分57秒 | 全般
2019-04-24
由于文明的转盘,高山正行是战后世界上唯一的新闻记者,这一事实现已为全世界所有有识之士所熟知。
以下是他的最新著作。
这一章确实很棒。
这对日本战后自我折磨的历史观点和那些沉迷于共产主义的愚蠢知识分子的谎言都是打击。
它还掩盖了全世界被相同伪道德主义感染的愚蠢知识分子的谎言。
它是有史以来语言和社会上最大的原子弹之一。
第3章:超越无耻
韩国总统为日本的两个世代sponge之以鼻。
在当今韩国人的祖父母中,他们盖着茅草房和泥泞的房屋,甚至没有厕所。
货币经济不发达,因此没有商店。
他们穿了普通的棉布,生下男孩的女人会以这种布为傲,并露出自己的胸部,露出自己的前脸。
KōBun'yū轻描淡写地将其描述为“亚洲未开发的地区”,但看起来更像是“隐藏在中纬度地区的巴布亚定居点”。
西奥多·罗斯福说,日本将照顾这种野蛮的人民。
美国迅速取消了外交使团,并切断了所有外交关系,称“我们不想在这里”。
就是在日俄战争之后。
日本也不喜欢。
由于这个国家的愚蠢,日本被迫打了两次战争,即中日战争和日俄战争,两次战争中有12万将军丧生。
因此,日本使韩国成为了五年的保护国,建立了自己的基础设施,并等待其独立。
但是他们只是发出声音。
毕竟,他们甚至暗杀了反对吞并的伊藤博文。
因此,采取了“以教育为人,消除不幸”的政策,所谓的日本帝国统治36年开始了。
在此期间,日本将其国家预算的20%用于该半岛,并继续在未开发的领土上闪耀着文明的光芒。
例如,他们无法制造轮子。
这就是为什么他们不了解水车,手推车或火车的原因。
因此,在保护国时期,日本人修建了从釜山到庆城(今首尔),再往北到新义州的横跨半岛的铁路。
在这条线上,金大中(Kim Dae-jung)发出噪音,要求重新连接已经分为北部和南部的铁路。
铁路穿过鸭绿江,与满洲铁路和西伯利亚铁路相连。在日本帝国统治的第三年,未开发地区的人们可以购买前往汉城伦敦的机票。
日本人修建了学校,传授了现在的韩文文字,修建了发电厂,并用文明点亮了自己的房屋。
我们给无名的裸露乳房的妇女(如吉子)起了个名字,并教她们也要隐藏自己的乳房。
顺便说一句,他们在36年的日本帝国统治时期只发生了3.1起事件,当时他们大声疾呼自己不希望有没有腐败或酷刑的干净环境。
日本输掉了与英美的战争,美苏被迫让这些麻烦的人退居二线。
日本终于减轻了自己的负担,但不久之后,半岛爆发了战争,南北三百万人丧生。
由于制定了愚蠢的《麦克阿瑟宪法》,日本得以摆脱了战争,但是在韩国酿造的业力并不是那么容易消除。
他们没收了当时价值900亿日圆的自由资产,包括铁路,水坝,甚至私人公司,例如日本氮气。
它包括景城帝国大学的历史收藏,他们不知道它的价值。
此外,它引进了许多来自日本的重工业设施。
这是根据赔偿任务负责人埃德温·保利(Edwin Pauley)的政策制定的,他说:“日本只需要大腹便便,大腹便便,大腹便便,大腹便便,大肚锅大肚锅。
朝鲜人还试图从日本获得战时赔偿。
社会主义党的铃木茂三郎(Shigesaburo Suzuki)非常反感,以至于他拒绝了这一提议,称在没有战争可打的情况下不可能提出这一提议。
十年后,朴正熙最终以5亿美元的身价说:“我会削减赔偿语言,然后给我钱。”
那是当时韩国国家预算的两倍。
Park还要求提供技术帮助,他试图以日本的基础设施为基础,通过日本的机器和日本的技术使韩国工业现代化。
它分配了从日本政府收取的钱和由韩国人在日本经营的弹珠机店的营业税。
那就是所谓的“汉江奇迹”。
有人说,日本为这个奇迹创造了90%的责任,而韩国人剩下的10%成就了。
这对一个世纪前居住在偏远地区的人们来说是一件好事。
顺便说一下,这是奇迹般的象征,汉江上的圣水桥占了10%。
该桥由朝鲜人建造,已有15年的历史,没有风倒塌,炸死32人。
首尔有500人死亡的百货商店只有六年的历史,如果考虑到这一点,它的使用寿命几乎是这座桥的三倍。
朴钟熙的女儿曾到日本游荡,创造了汉江的奇迹,现任总统。
当我对此感到不对时,她在就职演说中说,她将“带来汉江的第二个奇迹”。
他们这次会导致什么样的因果关系?
我们不记得教他们类似的东西。


전 세계 어리석은 지식인들의 거짓말도 묻어

2020年10月18日 17時07分11秒 | 全般
2019-04-24
다카야마 마사유키가 전후 세계에서 유일한 언론인이라는 사실은 문명의 턴테이블 덕분에 이제 전 세계의 모든 안목있는 학자들에게 잘 알려져 있습니다.
다음은 그의 최신 책에서 발췌 한 것입니다.
이 장은 정말 놀랍습니다.
그것은 전후 일본의 자기 괴롭힘 역사관과 공산주의에 빠진 어리석은 지식인들의 거짓말에 타격을줍니다.
또한 같은 종류의 사이비 도덕주의에 감염된 전 세계 어리석은 지식인의 거짓말을 묻습니다.
그것은 역사 및 언어 사회에 떨어 뜨린 가장 큰 원자 폭탄 중 하나입니다.
제 3 장 : 뻔뻔한 너머
남한 대통령은 2 대째 자녀를 위해 일본에 스펀지로 간다.
오늘날 한국인의 조부모는 초가집과 진흙 벽으로 된 집을 가지고 있었고 화장실도 없었습니다.
화폐 경제가 저개발되어 상점이 없었습니다.
그들은 평범한 면직물을 입었고, 소년을 낳은 여성들은 그것을 자랑하고 앞면을 드러내고 가슴을 과시했습니다.
고 분유 (Kō Bun'yū)는 이곳을 '아시아의 미개척 지역'이라고 가볍게 표현했지만 '중위도에 숨겨진 파푸아 정착지'처럼 보였습니다.
Theodore Roosevelt는 일본이 그런 야만적 인 사람들을 돌볼 것이라고 말했습니다.
미국은 재빨리 외교 사절단을 접고 '우리는 여기에 있고 싶지 않다'며 모든 외교 관계를 끊었다.
러일 전쟁 직후였다.
일본도 좋아하지 않았습니다.
이 나라의 어리 석음 때문에 일본은 중일 전쟁과 러일 전쟁, 두 전쟁에서 12 만 명의 장군이 사망 한 전쟁을해야만했습니다.
그래서 일본은 한국을 5 년 동안 보호국으로 만들고 인프라를 구축하고 독립을 기다렸습니다.
그러나 그들은 단지 소음을 냈습니다.
결국 그들은 합병에 반대 한 이토 히로부미를 암살하기도했다.
그리하여 "사람을 인간으로 교육시켜 불행을 제거"하는 정책이 채택되고 이른바 36 년의 일제 통치가 시작되었습니다.
이 기간 동안 일본은 국가 예산의 20 %를 한반도에 투자했으며 미개척 지역에 문명의 빛을 계속 비추 었습니다.
예를 들어, 그들은 바퀴를 만들 수 없었습니다.
그래서 그들은 물레 방아, 수레, 기차에 대해 몰랐습니다.
따라서 일본은 수호 시대에 부산에서 경성 (현재의 서울)까지, 그리고 더 북쪽으로는 신의주까지 한반도를 가로 질러 철도를 건설했습니다.
이 노선에서 김대중은 남북으로 갈라진 철도를 다시 연결하는 소리를 냈다.
이 철도는 압록강을 건너 만주 철도와 시베리아 횡단 철도와 연결되었습니다. 일제 3 년차에 미개척지 사람들은 서울 런던 행 표를 살 수 있었다.
일본인들은 학교를 짓고 현재 한글 문자를 가르치고 발전소를 짓고 집을 문명으로 밝혔습니다.
우리는 요시코와 같이 벌거 벗은 가슴을 가진 이름없는 여성들에게 이름을 지어주고 그들의 가슴도 숨기도록 가르쳤습니다.
덧붙여서, 그들은 일제 36 년 동안 부패 나 고문이없는 깨끗한 환경을 원하지 않는다고 외 쳤을 때 3.1 건의 사건 만 발생했습니다.
일본은 영국과 미국과의 전쟁에서 패했고, 미국과 소련은이 골치 아픈 사람들에게 뒷자리를 차지해야했습니다.
일본은 마침내 부담을 덜어 주었지만 얼마 지나지 않아 한반도에서 전쟁이 일어나 남북에서 300 만 명이 사망했습니다.
일본은 어리석은 맥아더 헌법 덕분에 전쟁에서 벗어날 수 있었지만 한국의 카르마 양조는 그렇게 쉬운 일이 아니었다.
그들은 철도, 댐, 심지어 일본 질소와 같은 민간 기업까지 포함하여 당시 일본 돈으로 총 900 억 엔에 달하는 무료 자산을 몰수했습니다.
그 가치를 알지 못했던 경성 제국 대학교의 역사적 소장품을 포함했다.
게다가 일본에서 많은 중공업 시설을 들여 왔습니다.
배상 임무 책임자 인 에드윈 폴리 (Edwin Pauley)의 정책에 따라“일본은 배불뚝이 배배 배 배 배 배 배 배 배배 배배 배배 배배 배배 배 배 배 배 배 배 배 배 배 배 배 배 배보다는 더 많은 산업적 힘이 필요하지 않다. 배불뚝이 냄비 배불뚝이 냄비.
한국인은 또한 일본으로부터 전시 배상을 받기 위해 노력했다.
사회당의 스즈키 시게 사부로는 너무 역겨워서 투쟁 할 전쟁이 없을 때 이루어질 것 같지 않다며 제안을 거절했다.
10 년 후 박정희는 '배상 언어를 잘라 내고 돈을 주겠다'며 5 억 달러를 챙겼다.
이는 당시 한국의 국가 예산의 두 배였다.
박 대표는 기술 지원을 요청했고 일본 인프라를 기반으로 일본 기계와 일본 기술로 한국 산업을 현대화하려고했다.
일본 정부에서 가져온 돈과 재일 한국인이 운영하는 파칭코 가게의 사업 세를 할당했습니다.
'한강의 기적'으로 알려진 것입니다.
어떤 사람들은이 기적의 90 %를 일본이 책임 진다고하지만 한국인의 나머지 10 %는 이루어졌다.
그것은 한 세기 전까지 외딴 지역에 살았던 사람들에게 좋습니다.
덧붙여서 그 10 %는 기적의 상징 인 한강의 성수 다리다.
한국인이 지은이 다리는 15 년이되어 바람없이 무너져 32 명이 사망했습니다.
500 명이 사망 한 서울의 백화점은 겨우 6 년이되었고,이를 고려해 보면 다리의 약 3 배의 수명을 가졌다.
일본으로 스펀지로 한강의 기적을 만들어 낸 박정희의 딸이 이제 대통령이되었다.
내가 틀렸다고 느꼈을 때 그녀는 취임사에서“한강의 두 번째 기적을 가져 오겠다”고 말했다.
이번에는 어떤 종류의 인과 관계를 스펀지로 만들까요?
우리는 그들에게 그런 것을 가르친 기억이 없습니다..


Он также хоронит ложь глупых интеллектуалов всего мира.

2020年10月18日 17時06分38秒 | 全般
2019-04-24
Тот факт, что Масаюки Такаяма - единственный журналист в послевоенном мире, благодаря поворотным кругам цивилизации, теперь хорошо известен всем проницательным ученым во всем мире.
Следующее - из его последней книги.
Эта глава действительно потрясающая.
Это удар по послевоенным самоистязательным историческим взглядам Японии и лжи тех глупых интеллектуалов, пропитанных коммунизмом.
Он также хоронит ложь глупых интеллектуалов всего мира, зараженных тем же псевдоморализмом.
Это одна из самых больших атомных бомб, когда-либо сброшенных на историческое и речевое общество.
Глава 3: За гранью бесстыдства
Президент Южной Кореи тащит губкой в Японию для двух поколений своих детей.
У их бабушек и дедушек сегодняшних корейцев были дома с соломенными стенами и глиняными стенами, и даже не было туалетов.
Денежная экономика была развита недостаточно, поэтому магазинов не было.
Они носили простую хлопчатобумажную ткань, и женщины, родившие мальчика, хвастались этим и хвастались своей грудью с обнаженным передом.
Ко Бунъю мягко охарактеризовал его как «неизведанный регион Азии», но он больше походил на «поселение папуасов, спрятанное в средних широтах».
Теодор Рузвельт сказал, что Япония позаботится о таких диких народах.
Соединенные Штаты быстро свернули свои дипломатические миссии и прекратили все дипломатические отношения, заявив: «Мы не хотим здесь находиться».
Это было сразу после русско-японской войны.
Японии это тоже не понравилось.
Из-за глупости этой страны Япония была вынуждена вести две войны: китайско-японскую и русско-японскую, в которых в обеих войнах погибло 120 000 генералов.
Так Япония сделала Корею протекторатом на пять лет, создала свою инфраструктуру и ждала, пока она станет независимой.
Но они только шумели.
Ведь они даже убили Хиробуми Ито, который выступал против аннексии.
Таким образом, была принята политика «устранения несчастья путем воспитания людей как человеческих существ», и начались так называемые 36 лет японского имперского правления.
За это время Япония выделила полуострову 20% своего национального бюджета и продолжала светить светом цивилизации на его неизведанных территориях.
Например, они не умели делать колеса.
Вот почему они не знали о водяных колесах, телегах или поездах.
Поэтому в эпоху протектората японцы построили железную дорогу через полуостров от Пусана до Кёнсона (современный Сеул) и дальше на север до Синыйджу.
На этой линии Ким Дэ Чжун поднял шум о повторном соединении железной дороги, которая была разделена на северную и южную.
Железная дорога пересекает реку Ялу и соединяется с Маньчжурской и Транссибирской железными дорогами. На третий год правления японской империи люди из неизведанных областей могли купить билет в Лондон в Сеуле.
Японцы строили школы, обучали тому, что сейчас называется письмом хангыль, строили электростанции и освещали свои дома цивилизацией.
Мы дали имена безымянным женщинам с обнаженной грудью, таким как Ёсико, и научили их также прятать грудь.
Между прочим, у них был только один инцидент 3.1 за 36 лет правления японской империи, когда они кричали, что не хотят чистой окружающей среды без коррупции и пыток.
Япония проиграла войну с Великобританией и США, а США и Советский Союз были вынуждены уступить место этим беспокойным людям.
Япония наконец освободилась от бремени, но вскоре на полуострове разразилась война, и 3 миллиона человек погибли на севере и юге.
Япония смогла не участвовать в войне благодаря дурацкой конституции Макартура, но карму, назревающую в Корее, было не так-то просто развеять.
Они конфисковали на безвозмездной основе активы на общую сумму 90 миллиардов иен японскими деньгами, включая железные дороги, плотины и даже частные компании, такие как японские азотные компании.
Он включал историческую коллекцию Императорского университета Кёнсона, о ценности которой они не подозревали.
Кроме того, сюда были привлечены многие предприятия тяжелой промышленности из Японии.
Это было в соответствии с политикой Эдвина Поли, главы репарационной миссии, который сказал: «Японии не нужно больше индустриальной мощи, чем пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый, пузатый. пузатый пузатый горшок.
Корейцы также пытались добиться от Японии репараций во время войны.
Сигэсабуро Судзуки из Социалистической партии был настолько возмущен, что отказался от предложения, заявив, что оно вряд ли будет сделано, когда не будет войны, за которую нужно вести.
Десять лет спустя Пак Чон Хи взял 500 миллионов долларов, сказав: «Я сокращу формулировку репараций и дам мне деньги».
Это было вдвое больше национального бюджета Южной Кореи в то время.
Пак также обратился за технической помощью и попытался модернизировать корейскую промышленность с помощью японских машин и японских технологий, используя японскую инфраструктуру в качестве базы.
Он выделил деньги, взятые у правительства Японии, и налоги на бизнес из магазина патинко, которым управляют корейцы в Японии.
Это было так называемое «чудо реки Хан».
Некоторые говорят, что Япония ответственна за 90 процентов этого чуда, но оставшиеся 10 процентов корейцы сделали.
Это хорошо для людей, которые еще сто лет назад жили в отдаленных районах.
Кстати, в этих 10% - мост Святой Воды через реку Хан, символ чуда.
Мосту, построенному корейцами, было 15 лет, и он рухнул без ветра, в результате чего погибли 32 человека.
Универмагу в Сеуле, где погибли 500 человек, было всего шесть лет, и, если принять это во внимание, его полезный срок службы почти в три раза превышал срок службы моста.
Дочь Пак Чон Хи, которая помогла Японии и сотворила чудо реки Хан, стала теперь президентом.
Когда я почувствовал себя не так, в своей инаугурационной речи она сказала, что «совершит второе чудо реки Хан».
Какие причинения вреда они собираются стереть на этот раз?
Мы не помним, чтобы учили их чему-нибудь подобному.