ソウルイーター~「政治的に作られた」アニメ~

2012-01-18 18:23:38 | レビュー系

ゴダールの有名な言葉に、「映画を政治的に撮る」というものがある。それはある意味で、政治的な内容が単純に盛り込れているのではなく、見せ方そのものが伝えたいテーマへの気づきをもたらすような作品を作る、ということだ。そしてその表現に倣えば、ソウルイーターはまさに、「政治的に作られたアニメ」だと言える。

 

さて、ソウルイーターは一見すると単純な「エンターテイメント」なので、そのように評価をすることを不思議に思う人がいるかもしれない。しかしよく見れば、

(1)狂気という内なる「異物」とどう向き合うか(正確にはそれを「異物」とする態度との訣別)、という主人公ソウルに関する描写

(2)他者と向き合って来なかったクロナの変化(「黒血、ノイズ、自己犠牲」→「まどか☆マギカ」にも繋がる部分あり)

(3)外界を病的に恐れるアシュラの否定(=マカの「勇気」によって倒される)

のごとく、「逃避と内観」、「排除と包摂」とでも言うべきものが作品を貫くテーマであることに気づくだろう。特に(3)は、「勇気」という言葉がわざわざアラビア語で書かれていたこと、強い力を持ち異物を病的に恐る存在が何を連想させるか、といったことなどを考えていけば、比較的容易に社会情勢と結びつけることが可能である(なお、「勇気」に関しては別の機会に詳しく扱う予定)。

 

いや、それなら作品の背景にテーマが隠されているだけのことで、「政治的に作られた」作品とまでは言えないのではないか?そう疑問に思う人がいるだろう。そこで注目してほしいのが、表現形式における露骨すぎる(がゆえに気づきをもたらす)「ノイズの排除」だ。その点については「メタ・エンターテイメント」と「ガス抜きの巧みさ」で書いたので詳しくは述べない。ただ一応クロナに関してのみ言及しておくと、

(a)クロナとは対照的にメデューサ(やアラクネ)の背景・行動原理は一切説明されない=絶対悪の創出

(b)クロナの話の後で必ずエクスカリバーの話が挿入される=バランスを取る

などの演出がなされているわけである。(a)は、「相手がまさに議論の余地のない敵である」ということを示す、巧みで効果的なプロパガンダの手法そのものだが、それがあからさますぎるために、かえって違和感を持たせることに成功しているように思える(逆に言えば、この構造を見抜けない人たちは簡単にプロパガンダに乗せられる、ということだ→「復讐と停戦」の注を参照)。そしてその違和感に基づいたreflectionは、やがて「ノイズの排除」の意識とテーマとの連動性の気づき、そしてさらに、「ノイズの排除」がどのように行われるのかという(より一般的な)構造への気づきへと、視聴者を到らしめるだろう。

 

また、もう一つソウルイーターが慎重に排除しているものがある。これは「『父』と『母』、あるいは『勇気』について」の内容と深く関係しているが、それは次回述べることにしたい。


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