雑誌絶賛死亡中につき:俺の屍を越えてゆけ

2019-10-04 11:40:00 | 本関係

 

出版界の苦境とか雑誌の休刊なんて話は日常的に聞くわけだが、定量的に「これだけ休刊してますよ」と示されると大変なんだねえと再認識する(小並感)。それにしてもバブル期にスタートした雑誌が多いんだねえ。まあ所得がどんどん上がって趣味を充実させようぜ、こんな生き方最高じゃね?みたいな世相だったから、当然と言えば当然か(この辺は斎藤美奈子が2003年に出した『実録 男性誌探訪』を読むと非常によくわかるし、皮肉の効いた分析がとてもおもしろい)。

 

今となってはネット化&多様化&蛸壺化は当たり前になっており、まあ相当上手くやんねーとペイしませんわな(一例として、エロ雑誌で熟女系が増えたのは、要するにネットでそういうのを見れない高齢の人たちをターゲッティングしているからであり、またそうしないと持たないからだ)。俺も最近の断捨離で2014年の『東洋経済』など雑誌系は絶賛パージ中なんだけど、こいつら場所取るから面倒なんだよねー( ̄▽ ̄;)

 

買う側の心理として、料金や場所といった「デメリット」を踏まえてなお雑誌を買うとしたら、よほどの付加価値が必要だろう(そういやグラビアで袋閉じにすると、詳しいデータまでは知らんが売り上げがメッチャ上がるらしいw)。たとえば俺は先日週刊チャンピオンを買ったのだが、それは板垣惠介と板垣巴留の親子対談が載っているからである(ちなみに少年誌を買ったのは20年ぶりくらいw)。あるいは『ワールドサッカーダイジェスト』なら、試合のスコアとかちょっとした分析程度ならネットでいくらでも溢れているので、著名な監督や選手から見た戦術論や試合分析の連載、地域別のコラム(個人的にはスペイン担当のハゲのオッサンによるコラムはなかなか骨太で好きw)といった無料のネット記事でそうそう扱えないコンテンツを載せることで今も続いている・・・という具合に。

 

もちろん、雑誌特有のおもしろさ(あるいは効能?)というのはある。今回チャンピオンを買ってみて再認識したんだが、普段なら絶対に読まないであろう作品まで全て読み、かつその人が他にどんな作品を書いているかまでチェックしていた。要するに、ネットで記事を見るのはamazonで本を注文するのに似ていて、雑誌を読むのは大型書店でポップアップなども見ながらふらふらとりあえず歩いてみるのに近い。

 

そういう意味で、蛸壺化から脱却し横断的な知識を得るきっかけとして雑誌はおもしろいと思うが、まあYou tubeにNetflix、SNSなどなど無料か激安で大量のコンテンツが見聞きできてむしろ時間の奪い合いみたいなことが起きてる今では、その「おもしろさ」もどこまで訴求力あるのかねえって話である(それにYou tubeのお勧め動画表示システムが、AIによるフィルターがかかっているとはいえ、結局雑誌と似たような役割を果たす部分もあり、他にない要素とも言い切れないんだよねえ)。

 

最終的に雑誌はどんどん死滅していくだろうと予測されるが、その創生や分裂、消滅の様は一つの歴史として興味深いものだなあとまとめつつ、この稿を終えたい。


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