マイスター水龍敬の作風について:「抑圧なくして解放のカタルシスなし」なのか?

2020-08-08 17:08:57 | 本関係

 

水龍敬讃歌の記事を書いたのは2015年7月25日ともう5年前の話だが、いつの間にかVtuberも始めていたのにはビックリしたぜよ。

 

にしても、「脱力系イケボ」な感じなのはある意味以外やったわwただ、それを材料に彼の作風を考えてみると、改めて興味深いと感じた。

 

以下、少し説明をする。
クリムゾンが指摘するように、水龍敬の作風に「解放」という特徴が感じられるのは私も同意であるが、今回の動画で水龍敬はそれをやんわりと否定している。このことを踏まえて彼の作品を思い返してみると、そこには「抑圧」や「葛藤」の要素が極めて小さいことに気付かされる。社会的規範や個人的嗜好(という名の「思い込み」)による抑圧であるとか、そこから逃れたいという葛藤が丁寧に描かれることもなければ、そういうキャラが存在することで別のキャラの「放蕩」が対立的に浮かび上がるような描き方がされることもまたないのである。

 

もちろん、代表作の「水龍敬ランド」で言えば最初からノリノリなキャラもいれば、不安を漏らして最初は上手く乗れないキャラもいるのは事実だ。しかし、後者のそれは特に何のドラマもなく容易に乗り超えられてしまうのであり、最初に提示される不安はせいぜい、キャラ付けと後の放蕩の印象を強めるappetizer程度のものでしかない(つまり、展開上の演出ではあっても、それを超えるテーマ性が如きものはない)。そのためでもあるだろうが、不安を漏らしていたキャラが水龍敬ランドに入っても、何か大きな世界のリフレーミングを経験するわけではないし、多大な人格的変化を被ることもないのである。

 

以上要するに、水流敬の作品では「解放」の前提となる「抑圧」や「葛藤」の要素が極めて希薄であり、その点からも対談中にクリムゾンが「女性の側の性の解放」が特徴ですよねという問いかけに対し、「その辺ってそんなに意識してない」と答えるのは納得がいく、ということだ(その意味で言えば、『貞操観念ZERO』という単行本の題名は実に的を射ていると言えるだろう。ちなみに、今回の案件と直結するわけではないが、こういった日本のコンテンツにおける「意図せざる抑圧からの解放描写」と、実態としては非常に保守的な思考を持った人々・社会の残存[水龍敬がそうだという意味ではないので悪しからず]という「ねじれ」は、私が非常に興味を持っているテーマの一つでもある)

 

まあ水龍敬はクリムゾンと同じく「優秀なエンターテイナー」であり、そういう社会的なテーマ性をもった作品を世に問うているというより、「おもしろいと思うものを描いていたら、それが社会の固定観念を相対化するものに結果としてなっていた」というのが実情なのだろう。

 

と書くと否定的評価に読めるかもしれないが、実はそう単純ではない。これは成年誌に限らぬことであるが、女性へ勝手に聖性を押し付けたり、あるいはそれが叶えられぬことへのルサンチマンを吐き出しているかのような作品は少なくないからだ(よく言われる「聖母か娼婦か」というヤツだ。まあ作者については、どこまでが自意識の影響でどこまでがマーケットを意識した作風なのかの線引きは難しいし、人によって違うだろうけど。少なくとも俺が逆の立場なら、そんなもんを押し付けられるのは御免被りたいものだ)。

 

11歳からエロゲーの世界を見てきた自分としては、そういう「神話」をなぜいい歳した大人たちが自明視しているのか疑問ではあったが(cf.「宗教と思索」)、少なくとも水龍敬の作品について言えるのは、そのような内面化された「神話」(e.g.「喧嘩両成敗から見る日本中世」)からは自由であり、ゆえに登場人物たちがそれを重要視することもなければ、そこに束縛されることもない、というわけである(まあだからこそ、長じて私は岡崎京子の諸作品に強い感銘を受けたりもするのだろうが。ちなみに、今述べたことをある意味最もよく体現しているのは、『貞操観念ZERO』の母親と言っていい。決して束縛されず、そして誰のものでもありえず、常に「意のままにならない他者」であり続けている)。

 

まあもちろん、その描写は性病や妊娠などの身体性を排除したフィクション(ご都合主義)の上に成り立った砂上の楼閣に過ぎない、と批判するのであればそれはそれで妥当だろう(まあもっとも、傑作undertaleのように、「単なる悪役ではなく同情もできる敵を、自分で選択して殺せるがゆえにその罪悪感や喪失を背負い込まざるをえない」という、現実世界ではそうそう起こりえない経験を経ることで考えさせるタイプの表現方法も存在するのであり、身体性の除去や反復可能性が現実と異なるがゆえに即ち否定される、というのはあまりに浅薄極まりない見解だと私は考える)。

 

というわけで、今回の対談は水龍敬の作家性がよく見えた、という点で非常に興味深いものであった・・・あれ、本当は俺の好きなエロマイスターの話をするはずだったがどこで道を誤ったのだらうか・・・まあ今回は予定外の内容になったが、これでよしとしておきたい(・∀・)


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