中村敦彦『同人AV女優』:閉鎖的業界の病理とその構造転換

2023-07-21 12:38:23 | 本関係

山下某の放言に続き、第4のスカルノがジャニーズ問題とその告発について全く筋の通らない金切声を上げ、閉鎖的な組織・業界とその病理を自ら暴露しつつ、火に油を注ぎ続けていることを述べた。ジャニーズ側からすれば全くの利敵行為であるにもかかわらず、これを感情的紐帯に基づく義憤から言っている(のだから何が悪い)、と当人たちが思っているあたり病の深刻さを物語っていると言える(ジャニーズという会社組織はもちろん、それを取り巻く芸能界全体の異常性を明るみに出した、という「功績」は認められるべきだろうが)。

 

このような病的構造や自浄作用の欠落、外圧でしか変われないという性質は一般的な組織論にも応用できるし、今の日本社会の閉塞にもかなり関係していると述べた通りだが(例えばこの組織に、大手マスメディアのクロスオーナーシップや記者クラブ制度などを代入してみるとよい)、このような一例として今回は中村敦彦の『同人AV女優』を紹介したい。

 

これは出演強要問題などに端を発したAV新法とそれを受けた適正AVが広がっていく中、収益を上げるのが難しくなった業界では企業体力のある企業での寡占化が進み、そう遠くない将来FANZAによる独占体制が構築されようとしている状況に触れている。そして、収益の7割がマージンとして取られる業界に見切りをつけた人々は、どんどんその外側である同人AVへの流れ込み、今では例えば海外に拠点があるポーンハブをプラットフォームにしてマネージメント力のある人間に「外注」する形で自身のチャンネルやファンクラブを運営する女性が増え、大きな収益を上げているという話である。

 

なお、注意を喚起しておくが、本書は「今までのAV業界は良かったのに」などという論調では全くない。極めて閉鎖的で独自のルールを持ち、さらに報酬金なども事前に告知されないことが暗黙のルールとして徹底されているなどの構造的問題が告発を生み出したのだと指摘しており、要するに自浄作用を欠いた業界が、内部告発と外圧によって変化せざるを得なくなったのだと述べている。このような点が今回のジャニーズ問題と類似するが、それによって収益を上げることが難しい構造となり、むしろ大手企業による独占と搾取構造の完成が進んでいる点は対照的と言えるだろう。

 

そして、このような仕組みの終わりと撮影・配信環境の激変に伴い、組織ではなく個人で繋がる同人AVに人が流入している点も興味深い。これは言うまでもなく、SNSはもちろん、You TubeやTik Tokなどによって誰もが発信者になれる環境となったことで、既存メディアの価値が相対的に下がったこととも類似する(そしてそのオルタナティブにより、既存の業界はその閉鎖性や問題事項が次々と指摘されることで、ますますワンノブゼム化していく。これこそ旧NHK党が生まれ、躍進した背景である)。

 

ただ、念のため注意を喚起しておくなら、こういう動きが加速する中で、中抜きの排除や自由化だけでなく、同人AVを巡るトラブルも増えていくだろう。最後のバッキー事件に関する記事は、ある種その注意喚起であり、端的に言えば法概念や契約というものに無知・無頓着であれば、いずれ火だるまになって社会的に抹殺されるという話だ。

 

日本社会の経済衰退は少子高齢化や目玉産業の減少などにより現在のところ免れえないので、そうなると必然的に「女性は売春、男性は自殺」という傾向は強くなっていくだろう(肉体労働がAIなど含めた機械で代替できるなら、男性が女性より一般的に優れている傾向を持つ点とは何だろうか?)。とするなら、本書で述べられる「家族を持った女性もSNSでのやり取りを通じて使用済下着を売買して生活費の足しにする(しかもそれは地方の女性が多く、そういった行動は職場で広がったりもする)」といった行動は減速する理由がなく、前述のような動きは拡大・多様化していくと思われる(そういったものを多少は金のある男性が消費し、金銭的に余裕のない人々はAIによる精緻な無料画像で欲望を満たす、という具合に性的消費のディバイドも進んでいくのではないだろうか)。

 

というわけで、今回は閉鎖的業界が外圧によって変わった事例としてAV業界を取り上げてみた。ジャニーズ問題の激震やそれにまつわる芸能界への影響、あるいはマスメディアの未来といったことを考える上でも有用なのではないだろうか。

 

 

【余談】

撮影・配信環境の変化と、個人が個人とやり取りしやすいプラットホームが整ったことは、エロゲーがオワコンになった理由の一つでもある。まずは個人レベルでも簡単にADVゲームもどき(紙芝居)は作れるようになったので、有名な絵師であれば、わざわざゲーム会社の原画を担当するなど迂遠なことをしなくても、自作してDLsiteなどで販売できてしまう。

また、「映画を早送りで観る人たち」「ファスト教養」の件で何度も述べているように、今や娯楽が溢れて時間の奪い合いになっているので、コスパ・タイパ重視とリスクヘッジの考え方が広がりつつある。

そしてAI生成画像なども相まって、それなりの質のオカズが無料でネットに氾濫していることは言うまでもない。

このような状況で、わざわざ高いお金を出して何十時間もかけた末にご褒美としてのエロシーンを求めるなど、よほどの物好きぐらいしかいないだろう(まあもうちょい真面目な話しをすれば、「長い時間をかけて相手にシンクロすることにもはや価値を置かない」みたいなことも言えるだろうが)。

いやいや、素晴らしいストーリーの作品も存在するではないかと思われる向きもあるかもしれないし、確かに「沙耶の唄」「YU-NO」を始め様々な傑作を紹介してきたが、前述のような理由でそもそもパイが縮小している状況では、そういった作品を18禁でないレーベルで出せばよいだけの話である(例えば「沙耶の唄」なら、冷蔵庫のシーンと直接的なセックスシーンさえ無くせば18禁でなければならない理由は皆無だ)。

このような状況ゆえに、もしエロゲーで稼ごうと思うなら、前にも紹介した「女拳主義 F-ist」のように、気軽に楽しめるゲームシステムで、それをクリアしたご褒美としてそこそこのエロが見れて値段は1000円もしない(さらに多言語対応)、という薄利多売戦略しかないだろう(ちなみに把握している限り、売り上げは10万本を超えている)。

まあそうなると、既存のエロゲー会社のシステムでやる必要性がないですよね、というわけで、エロゲーがオワコン化するのは必然的だという話をくり返しつつ、この稿を終えたい。


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