ひぐらし憑落し編:魅音の「不自然」な怒り

2008-05-08 23:57:06 | ひぐらし
さて、シンクの掃討作戦で未曾有の大災害も防げたので、GW前に放置した憑落し編の覚書を載せることにする(なお目明し編については「目明し編覚書:連帯責任、環境要因など」を参照)。



憑落し編について簡単な説明をしておくと、これは崇殺し編の鉄平殺しに仲間の協力が加わるとどうなるか?というお話であり、崇殺し編で詩音が悟史の件で食って掛かるシーンにおいて悟史の件を突っ込むと鉄平殺しに詩音を巻き込む展開へと分岐し、後に鉄平たちの被害を受けたレナも参入するという流れになっている。そのストーリーが追加された意味・効果については「ひぐらし憑落し編の意味:不完全な団結と団結の害悪」で詳しく述べたので繰り返さないが、罪滅し以降の団結のネガ部分を構成し、テーマをよりわかりやすく提示することと、プレイヤーの団結に対するニヒリズム的反応を和らげる役割を果たしていると評価できる(ついでに言えば、その「捨石」的役割は数ヶ月に一回の同人版でないからこそ可能なものである)。前置きが長くなってしまった。早速覚書に入ることにしよう。



<魅音の「不自然」な怒り>
憑落し編では、沙都子を救う相談をする時、園崎家を頼ろうとする圭一たちに魅音が怒るという珍しいシーンが見れる。「自分達が手を汚したくないからって園崎家に全部押し付けるな!」といった彼女の発言は全くのところ筋が通っている。しかしながら、どうしても違和感がぬぐえない。それは他の話では見られないというのが単純な理由だが、崇殺し編で圭一の独善的な依頼などを静かに受け止めた魅音の姿に慣れ親しんだ原作プレイヤーの多くは、私と同じような感想を抱いたのではないだろうか。魅音の発言は、一般論として妥当だと思う。しかしその一般論は、果たして「園崎魅音の文脈」にかなっているのだろうか?壊れてしまった沙都子に心を痛め、涙を溜めて唇を噛んでいた魅音の姿が印象に残っている身としては、そんな疑念が拭えないのだ(詩音との短いやり取りでしがらみを暗示しているとは言え、だ)。


では、ここで視点を変えてみよう。魅音の行動は、彼女のパーソナリティよりもむしろ、それ以降の展開に必然性を与えることを主眼に作り出されたものとは考えられないだろうか?原作の皆殺し編までで描かれた魅音像というのは、助けたい気持ちがありながらも園崎家のしがらみのせいで及び腰になって結局は…というものであった。しかし、仲間同士の不和(と殺し合い)のためには消極的な魅音では物足りない(明確なディスコードでなくては他に埋没してしまう)。というわけで、圭一やレナを強く批判する魅音が描かれたのではないだろうか?こう考えれば、魅音の(原作と比較して)不可解な行動は難なく説明できる。要するに、魅音は「不完全な団結」というテーマのスケープゴートにされたのだ。それにしても、テーマのダシとして嫌な役回りさせられるあたり、つくづく不憫な子やねえ(苦笑)


結論。憑落し編の魅音の態度は他の話と比較して浮いているが、その不自然さは「不完全な団結」という同編のテーマを描き出すために作り出されたものであった。


内容は以上だが、整合性を求めるのこの考察と結論を全くの無駄と退けることも可能だし、そういう視点も重要である(同じパーソナリティを備えているというお疲れ様会の発言を念頭に置くとしても、だ)。「園崎魅音を構成するデータベースを握っているのは他でもなく製作者側なのであり、私の印象など原作の鬼隠し~ひぐらし礼に若干の追加要素を加えただけの不完全なものにすぎない。ゆえに、憑落しの魅音の「不自然」さはむしろ彼女の新たな一面の提示と見なすべきだ」といった具合に。まあこの姿勢をあまり徹底しすぎると無味乾燥になってしまうが、前に書いた「レッテル貼り」なども含め、「印象=真実」という認識には距離を取る必要がある。



と一つの題材を書き終えたところで結構な分量になってしまったので、その他については改めて書くことにする。

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