ダンジョン飯8巻:ダンジョンに「心を食われない」必然性・メタ視点導入

2019-10-02 13:32:07 | 本関係

こないだはチェンジリングで身体が変わった主人公たちがおもしろすぎ&かわいすぎとしつつも、今回はキャラたちの絡みが冗長だとやや批判的に書いた。

 

ただ、発売からしばらく経ったのでもう少しネタバレ的なことも書いていいだろうと思うので、少し踏み込んだ話にも触れておきたい。

 

〇魔法による治癒=完全な可逆ではないことが強調される

P66に元に戻ったライオスの足が登場するが、ここでチェンジリングの効果が切れて身体が元に戻ったのに、レッドドラゴンとの戦いで負った傷(マルシルの魔法で治癒)はそのまま描かれている点は目を引く。同じページでわざわざ「体が元に戻ってる」というセリフもあるくらいだから、これは魔法=完全な不可逆ではないことを強調する意図があると思われる(ロマサガとかで言うと、死んでも回復魔法で生き返るが、LPは減るみたいな感じか?)。ファリンの今後や、あるいはダンジョンで蘇生した人間の扱いなどを考える上でも興味深い。

 

〇機械登場=世界観の変容(の暗示)?

P74に高感度の(?)トロッコ登場。今まで意図的に描写を封印してきたと思われる超古代文明(のようなもの)が初めて出てきた。後に述べるエルフの話と合わせて、いよいよ物語のフェーズが変わってきたことを感じさせる部分だ。P33のエルフ・ドワーフの戦争や技術秘匿と絡めて、エルフ隊の思惑(使命?)とも関係してくるんだろう。

 

〇食の意味=ライオスたちもまた変化をしている?

前の巻では、センシのエピソードと絡めて食と倫理の話が出てきた。これはダンジョン飯に限らない非常に一般的な内容であったが、今回はP84で「他の生物に消化された肉は自己を失う。それはこの生と死が曖昧な迷宮の中で唯一明確な掟なのだと思う」というセリフが出てくる。これは食という行為に作品世界特有の意味付けをしているという点で特筆に値する。ライオス(たち)が救世主=「マレビト」的な存在ではないかという話は前巻で登場しているが、それは次項で述べる彼らの精神性と同時に、彼らがモンスターたちを食してきたことで、彼ら自身もまた変化してきているのではないかとも考えられる。

 

〇繰り返されるキャラ描写の意味=迷宮に心を食われない必然性の暗示

今回は迷宮に「心を食われて」しまった人物が登場するが、ここまで奥深くに入り込んでいるライオス一行がそのような変容をしない理由は何だろうか?そう考えてみると、繰り返される「世間ずれ」・「物欲の少なさ」に関する描写は、単にキャラ立ちのためだけでなく、彼らが迷宮に「心を食われない」必然性を担保する目的もあると考えられる。8巻の最後でわざわざ堕落や不義を好むバイコーンを登場させ、主人公たち(とりわけチルチャック)に積極的に反応しない描写をすることで、彼らが「心を食われない」必然性を暗示させてまでいるところから、かなり作者はこの点に留意しているものと思われる(ちなみにライオス一行が無欲ということではなく、ライオスはモンスターへの知識欲や自身の変身願望、マルシルはファリンを助けたいという願望[と古代魔法への知識欲?]、イヅツミは自身の術を解きたいという願望、といった具合に欲望や行動原理はもちろんある。ただ、それが実際に「心を食われた」人間の発言からすると、ベクトルが違っているようだ、ということである)。

繰り返し述べるなら、ある意味ダンジョンに心を蝕まれる可能性が最も高そうなチルチャックですら、過去の嫌な思い出や照れなどで斜に構えた発言をするだけで、実は「仲間想いの良いヤツ」であることが強調されている。そこには、これからダンジョンの深奥に彼らが向かって行くにあたって、それでも彼らが「心を食われない」=これまで通りの関係性を維持できる必然性をあらかじめ暗示しておく意図があったのではないかと思われる。

 

〇エルフの登場と構図の劇変

これまでの目的はあくまでファリン救出であり、それがダンジョンの謎の解明と結果的に連動する展開になっていた。だから迷宮の主=ラスボス的描き方になっていたわけだが、エルフの隊長と迷宮の主の戦いからも暗示されるように、前者が後者より完全に格上である(もちろん、カブル―の言うように、一階に呼び込んだという作戦勝ちの部分もあるが・・・ちなみに、この作戦に繋がる話もP40でちゃんと伏線張ってるのはさすがだよな~と思う)。

強さだけではない。そもそも彼らは他の事例(ウタヤ)も知っているという意味でメタ視点に立っている。つまり世界の構造をより深く理解しているわけで、これにより迷宮の主はあらゆる意味でラスボスの台座から引きずり降ろされ、あくまでプレイヤーの一人にまで格下げされているのである。

ここから色々な可能性を想定しうるが、迷宮の主を倒す=単純なハッピーエンドという構図は成り立たなくなったのは間違いない(そうでなかったら、カブル―にあのような行動を取らせる意味がないので)。また、「真実」を教えられた迷宮の主が今後どのような行動を取るのかも気になるところだ。

しかしまあカブル―が苦労人すぎて泣ける(これまでの腹黒キャラ描写とのバランスってのもあるんだろうけど)。カブル―の名前の由来は罪や業を「被る」ってことなんだろうか(´;ω;`)

 

以上要するに、8巻は主人公(ライオス)たちはダンジョンのさらに奥に進ませながら、決定的な状況の変化はないのでキャラチェンジと背景の描写でアクセントを持たせる一方、それ以外の所でより大きな物語構造の変化を暗示するという展開になっていると言えるだろう。アニメ化もされるとのことでまさに今勢いに乗っているところだろうし、次巻にも期待したいところだ。


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