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フラグメント201:神懸りて至高性を騙る者

2017-01-25 12:34:46 | フラグメント

フラグメント第三弾。ううん、いい感じにラリってんなあ・・・っていつものことか(゚∀゚)

「顔さえ少女風なら・・・」の内容は・・・我ながら完全に神懸ってますなあwにしてもモルボルを引き合いに出すとはすさまじい・・・私が天災なのか、あるいは気が狂っているのか、はたまたニホンゴと私の相性がよいのか、それはフェルマーも真っ青の難問である。それが判明するころには、汎用型AIが世を席巻しているであろう。ってなラリった導入はさておき、これは7年前くらいの草稿(至極のビブリオ頃)と思われるが、今となってはもう「人外」って一つのジャンルを構成してるくらいに(一部でw)市民権を得ている。まあ古代ローマや遊牧民、中南米など動物より人間が生まれたという始祖神話は世界に事欠かないのであって、その意味においてむしろケモナーアカシックレコードに連なる由緒正しき属性に他ならない。にもかかわらず、いまだに外国(つーか欧米だろうけど)ではfurryは見下されているんだろうか?愚かにもほどがあるというものだ。とはいえ、アメリカ映画を見てもマッチョイムズの終焉は少しづつ近づいており、少なくとも多様性の容認は進んでいる様子だ。その中でセクサロイドが登場すると、はてさてどうなるか・・・これもまた一つの楽しみである。

 「改変される昔話」はよく書いている話。「保守」じゃなくて思い出騙りでしょ、というアレ。「戦前の少年犯罪」「昔はよかったというけれど」なんかが参考になるけど、「昔は~だった」なんてそうそう簡単に信用しない方がいいよ。物事はしばしば都合よく改変されているものだからね。その意味でも、「この世界の片隅に」が描き出す世界の生々しさ・瑞々しさは特筆すべきものだろう(単なるノイズの排除されたノスタルジックな世界ではない)。 

「宗教心」は最後のセンテンスが全く前と繋がりがないので意味不明。書いた本人にさえもはやわからないレベルwただ、ここで書こうとしたことは想像できる。要するに、日本人の無宗教について語る時、その善悪を交えて論じると話が錯綜するだけということ。そして宗教的帰属意識と宗教的行為を一緒くたにしないほうが良いということである。たとえば死者を弔う際に手を合わせたからといって、「やはり仏教徒なのだ」というとおかしくなる。これは葬式仏教とかいう以前に、そもそも人を悼む方法として一般的な日本人は合掌ぐらいしか方法を知らないからである。だって、神式の葬式をやったことある人なんてほとんどいないでしょ(こういう時、自分はやったことあるとか得意げに反論してくる人がいるけど、問題はそれが一般的=マジョリティかどうかですよ)。これを広げれば、水子供養をしたからといって別に仏教徒になるわけじゃないetcetc...となる。今度の無宗教に関する分析記事は、この宗教的帰属意識と宗教的儀式の断絶が最初に来るであろう。ちなみに私は宗教が広がることが重要だとは全く思っていない。それが人によって救いになることもあるが、映画「spotlight」で出てくるようにカトリック教会は児童虐待の片棒を担いでいたし、キリスト教徒たちはネイティブアメリカンを非キリスト教徒=間として虐殺していった。そういった諸々の蛮行を総括する事なしに重要性を説かれても全く説得力を感じないわ。 

「lofe work」はおそらく単なる打ち間違いwそれにしてもエロ属性というのは不思議なもので、VRのAVが生み出された今日でさえ、私は小5の頃に興奮した「うろつき童子」で抜くことが容易であり、ワーズワースもその一つである。ちなみに私は対魔人アサギの無修正版が手に入ったら人間をやめようと思っている(©DIO様)ので、その時がきたら経歴抹消よろしく。

 

 

<顔さえ少女風なら・・・>

モルボルでもいい!避妊するから!!

みなさんこんばんわ、性のターミネーター藤田浩之です。

UMA-Holica 、LIMB LEGIONという珠玉の人外っ娘同人が世に表れた。

エロ可愛くて全然OK。最後のフェラ&授乳シーンもなかなかにエロス。

主人公のイカれた発言もなかなかにOKだが。

 悪魔っ娘、角っ娘、魔物娘、ケンタ、ウマホリ

 

<改変される昔話>

「史実」がどのように虚構化されるかに興味があると言った。グリム童話の「白雪姫」は継母いじめで有名だが、元々実母によるいじめであったらしい。少しレベルが違うように聞こえるだろうが、桃太郎が学校の紙芝居で改変されたりというのが気になっている。


伝統だから正しいとか、変えるべきではないと言いたいのではない。ただ、それを読んだときに生じる違和感が重要だと思う。それは現代との齟齬というか差異であるのだが、それを端緒に今が自明ではない世界だという気付きに繋がる。時代に合わないなら、あるいは不快なら変えてしまえばいいという短絡さを問題視している。「白雪姫」に関しても、近代家族の成立に絡む政治的側面を持っている。アリエス、バダンテール、上野など枚挙に暇がないが、働く父、家庭を守る母、教育される子供という構造。農業ではみんなが働く。そこでは子供は「小さい大人」という話。今に合わせるため昔のものを改変して良しとするのは、昔が正しくて今が間違っているという文脈を無視したナイーブな思考を引っ繰り返しただけ。

 

<宗教心って・・・>

しかし、たとえば先日触れた『現代日本の宗教社会学』に掲載されている(変動はあるが3000~6000人を対象とした)統計では、「『宗教心』は大切」だと答える人が1988年までほぼ70%を超えているのがわかる。

「」

仏教徒ではないが手を合わせる。死者を悼む気持ちの表現。信仰とは無関係だが、そのような気持ちは「宗教心」と捉えられるのではないだろうか。


不快なものの排除。無痛文明。二次創作の問題、同調圧力。

 

<lofe work>

ダルクがスタリオンにヤられている画像を入手した。

あとはサブリナが拷問されているシーンが手に入れば全てが揃うこととなり、我がライフワークも完成することになる。

その人が実に楽しみである。

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