よく、「この世界には数多の悲劇があるのだから、神なんているはずがない」という発言を聞くが、私には不思議でしょうがない。なぜなら、神=人間を助ける存在などというのは、所詮人間による超越者の一解釈にすぎないからだ。仮に目に見えない超越的存在を措定するのであれば、たとえばその超越者が地球を始めとするものを気まぐれに「創って」、その発展や滅亡をシムシティ的に愉しんだりしていないと、どうして言えるのだろうか?あるいは人間がガチョウやアヒルを肥え太らせてからフォアグラとして食すように、人間の悲喜劇を愉悦とするために我々を創り・生かしているのではないと、どうしてわかるのだろうか(ついでに言うと、私たちのこの世界の存続に別段論理的必然性はない)?
まあおそらくは、そういう超越者像を想定する人間はそもそもそれ(ら)を必要だと思わないし(いてもいなくてもいい、というのが正確なところか)、超越者の存在を想定する人はそれに我が身を救ってほしいと思うから、そもそも今述べたような像を意識的・無意識的に排除するため、このような偏りが生じるのだろう。
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