釣られたる者の末路

2018-09-27 12:21:00 | 中部・東海旅行

縦線が入っているのは、カメラの不具合ではない。窓越しに写真を撮っているからである(クソどうでもいい)。白浜(だと思う)から移動してやってきたのは城ヶ崎海岸。聞くところによると、ここはなかなかにエキサイチングな吊り橋があるらしい。 そのためだろうか、平日月曜の昼であるにもかかわらず、人は結構いて、しかも家族連れも少なくない。これだけで人気のスポットであろうことは十分うかがえた。

 

 

ともあれ、まずはお約束的に何枚か写真を撮る。うーむ、奥石廊崎見た後だと別にそこまでインパクトねーなー(;´∀`)

 

 

とはいえ、綺麗な景色ではあることだ。さて時間もあんまねーし、吊り橋渡りに行く・・・

 

 

 と思っていたのか!左の障壁?と看板裏の工員が若干見えると思うが、まあ絶賛通行止めだったわけよ。イッタイナンノタメニオレハココニキタノカアルイハジゼンリサーチトハウゴゴゴゴゴとゲシュタルト崩壊しかけたため(まあ前日に初めて行くことを決めたぐらいの無計画っぷりだったのでこうなるのは当然なのだが)、散策コースを適当に歩いてみることにした。

 

 

 

 

ああ、この景色はすばらしい。もし雪が降っていたならばなおのことそうだったろう。そんなことを思っていたからだろうか、私にはかつて聞いた「群青」が連想された(あと雪景色は二・二六事件から「昭和維新」のことを考えさせる)。これは出征して戦死した子どもを悼んだ歌であるが、「連合艦隊」で流れたことからとりわけ太平洋戦争を思わせる。こういった時に必ず、過去の惨劇とその継承の話になるわけで、かつ記憶の風化が云々と言われたりする。まあそれはそうだろう。なぜって、1919年に第一次大戦が終結したが、死んだ人数は一千万人を超え、歴史に残る惨禍として世界の人々に反戦ムードをもたらした。しかしながら、それから15年もしない1931年には、日本が満州事変を起こし、それが一つの転換点となった。とするなら、1945年に終わった第二次大戦について、その当事者ではない人たちが記憶や危機感の継承をするのに困難が伴うのは至極当然のことだろう。それを疑問に思うのなら、まず先行世代が第一次世界大戦の時のことを顧みるのが先じゃないだろうか。

 

二つの大戦に関して言うと、要するに「戦争がダメと思ってるんじゃなくて、負けたから悪かったと思ってるだけ・言ってるだけ」という構図が浮かび上がる。実際朝鮮戦争の特需で日本経済は復興してるわけだしね。そういった現実を見ることなしにキレイゴトだけ並べ立ててもねえ。無邪気な連中を洗脳はできるかもしれんが、それって戦前と何が違うのって話ですわ。インストールするアプリが違うだけでOSが変わってないんじゃ、いつでも同じことが起こりうるわな・・・てなことこそが戦争の反省なんじゃないの??それをやらずに「若い連中は意識が低い」みたいな話をするなら聞く耳なんて持つわけないわ。もしくは聞いたら聞いたで今度はまたあらぬ方向にすっ飛んでいくって寸法さ。

 

なんてことを思いながら、景色を堪能し終えた私は車に戻るのであった。


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