暴君エピソードってのは洋の東西問わず色々あるが、「まあこいつあたおかだから、アレもコレもこいつのせいにしちゃえ☆」という風に盛られる傾向がある点は(プラマイ対照的とはいえ)英雄と同じだ。
で、今回の動画は夏の桀王や殷の紂王といった暴君の逸話がどう形成され、盛られていったかという話である。夏王朝というより古い=記録も記憶も乏しい時代ほど記述が簡潔でインパクトに欠けるが、その暴君エピソードが紂王のそれと類似したものとして肉付けされたり、あるいは春秋戦国時代の著名な暗君の愚行と似通ったものが重ねられた結果、『史記』やその後の記述・イメージが形成されたということだが、このような過程から、記録としての正確さよりも、自身の君主を諫めるための材料(まさに教材w)として活用されていった、という点は興味深い。
つまり、「あれだけ栄光を誇って最初はいいところもあった君主が、驕り高ぶって滅亡への道をひた走ってしまいました。彼の~なんてエピソードは最近の誰それとも似ていて身につまされますよね。あと女にうつつを抜かして政治を疎かにしてしまった話なんて、隣国の・・・なんかとそっくりではありませんか!どうか我が主よ、これらを教訓に、身を慎まれるようお願いいたします」というわけだ(まあ世の中には「嘘も方便」て言葉があるし、偉人の伝記を子供の教育用で使う場合にはその悪い部分やダサい部分は意図的にオミットする、といったようなことはよく行われている。で、この場合は君主を諫めるという目的に合うよう都合よく改ざんされていったわけだが、これが史料ったりするから史料批判のような操作は必須と言える)。
次の(後の)王朝が前の王朝の歴史を編纂するのが伝統になっている中華において、前政権のことは自己正当化のために悪く書くものだと言われるが、その認識で終わるとよくある手口が見えず、容易に騙されたりする(クレイGすぎるエピソードばかり集めるならともかく、もっと微妙な偏向、例えば〇〇についてはそれに批判的な記録をメインに繋ぎ合わせ、△△についてはそれに肯定的な記録を中心に構成する、といった具合である)。
その好例は江戸時代の「鎖国」で、これは教科書で習ってきたこともあってこれまで当たり前のように人口に膾炙してきたが、元々は開国した維新政府が江戸幕府を批判(=自己を正当化)するためのプロパガンダという側面があり、ゆえに江戸時代の実態を見ていくと、有名な「四つの口」などもあるように、「部分的海禁政策」と呼ぶ方が正確なものだと評価されるようになってきている(そのため今の学校教科書では、「鎖国」という言葉は使われず、「鎖国的政策」といったやや微温的な表現に変化している)。
ともあれ、こういう「盛られ方」を知っておくと、軍記物、歴史小説、都市伝説、陰謀論、宗教、イデオロギーなんかを分析・理解する上でも参考になるし(そこと正反対にありそうな科学でさえ、そういう傾向やバイアスから免れえないことは『科学革命の構造』などで記述されている)、そこに呑まれることも防ぎやすくなるだろうと述べつつ、この稿を終えたい。
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