いやー『日本現代怪異事典』まじおもしれーわー。怪談話の出自だけでなく、それがどのように派生していったか、という点もフォローされてるのがいいね!
・・・あ、どうもムッカーです。昔に「『神の罰』の合理性・必然性日本ついて」という記事などでも書きましたが、宗教や思想の由来っておもしろくありませんか?私はその内容そのものよりも、それがどのような事情でどのように発生し、どう変化・多様化していったのかを知るのがとても好きです。もちろん、情報化・データベース化が進んだ今日、こういうメタ視点は割とありふれたものではありますが、自分の場合いくつかの要因でこのような志向性が身に着いたように思います。
一つは宗教。就学前から宗教が身近にあってその思想に触れた一方、その思想を押し付けられることはありませんでした。ゆえに「世間一般」で言われていることと身近な宗教のズレからなんでそんな発想や教義が生まれたのか考えたり、逆にそこで「世間一般」の思考・行動に内在する非合理性や思い込みに気づいてそれを相対化するきっかけになった、ということです。これはだいぶ前に「信長は天国に行った!?」や「宗教と思索」で書いたことでもあります。
もう一つは歴史学。歴史学というのは史料や遺物を元にfactを積み重ねていくものと思われるかもしれませんし、確かにそれは間違っていません(もちろん絶対的・客観的な歴史像というのを構築するのは不可能ですが、一方でたとえばナポレオン=ボナパルトが1900年に生きていたなどということは決してなく、全ては個人の価値観や解釈次第というのもまた乱暴な話と言えるでしょう)。しかし一方、そういう作業の中で「捏造と妄想の歴史」とでも言うべきものが同時に浮かび上がってきます。しかも、下手をするとそれらは時を経て(義経伝説のように)「学説の一つ」であるかのように巷では捉えられたりするのですが、それがまた非常におもしろい。というのも、最近よく書いている「保守」を自称する人たちの妄想もそうですが、そのような妄想のあり方ですら、歴史の一部に包摂されるからです(これは無批判に肯定してるわけではないのであしからず)。
たとえば、前に書いたセルジューク朝の末子相続の系図、オスマン朝の長子相続の系図は、後世に捏造されたものです。ではこれに史料的価値がないかというとそれも違っていて、そのような捏造をしても末子相続(あるいは長子相続)にする価値があるのだから、11~12世紀のセルジューク朝では末子相続が是とされていた=遊牧民の伝統が生きていた一方で、13世紀末~20世紀初頭のオスマン朝では長子相続を是とする考え方に変化しており、遊牧民の伝統が消えていた(ないし薄れていた)と推測される・・・といった具合に、むしろ「捏造による偽史」がかえって当時の思考様式(大げさに言えば当時の人間達のエートス)を浮かび上がらせてくれることもある、というわけです(東日本大震災など近年の例でも明らかですが、人間は完全情報にアクセスできるわけでもありませんし、できる環境にあってもそれを処理するキャパシティがないのでそもそも不完全性と必謬性の中で生きているわけです。とはいえ、歪曲の仕方は完全にアトランダムというわけではなくある程度のパターンに収斂するため、そのハレーションの特徴を掴むことで時代の精神性、たとえば共同幻想のあり方などを把握することにつながります)。
長々と書きましたが、まあそのようにして怪談話やその背景を知るのに興味を持つ人間となったわけです。そういう意識を元に「日本人はなぜ無宗教なのか?」を考えているため、実際にそう言えるのかどうかという問題だけでなく、それにまつわる言説を通じて(自分も含め)その人の日本イメージや他国と比較する視点の有無(視野の広さ・狭さ)が浮き彫りとなり、現代的日本観・宗教観(その一つが内面化されたオリエンタリズム)をつかむ一つのアプローチとなりそうで今も興味を持っています(たとえばそれが一つのアイデンティティとも結びついて考えられたり語られている点では、今日の排外主義と併せてかつての簑田胸喜らを中心とする原理日本社などの活動を思い起こすこともできるでしょう)。なお、「四ツ目神」という作品をプレイしたのをきっかけに触れた「鬼子」とそれに関する研究は、単に当時の人の観念を知るだけでなく、dis-crimination(差異を罪と考える→差別)の構造を考える上で非常に参考になっており、また優生保護法などの件と併せて(=ただ古い時代の話として済ませられない)、今後この知見を深めていきたいと考えている次第です。
あー、久々に丁寧語で書いたら何か全身がむずがゆくなったわい(;´∀`)ま、たまにはこういう文体もってことで。
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