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皇帝ホンタイジに学ぶ戦略的コミュニケーション:あるいは織田信長の破滅と太平洋戦争の惨劇について

2025-03-20 16:19:57 | 歴史系

 

 

 

先日、織田信長の家臣団運営がブラック企業的であり、そのコミュニケーションのあり方が最終的に明智光秀の暴走を生んで本能寺の変に到った、という話を書いた。それは信長とその家臣団の政略拡大があまりに急速なものであるがゆえのキャパオーバーに本質的な原因があり、信長としては、死ぬほど忙しい中でもちゃんと恩賞も出したり実力に応じて取り立てたりもしているので、それだけ目をかけている相手が自分を恨んでいるなんて思いも寄らないものだった(ゼロだと言うつもりはないが、多忙により薄く浅くなっていた)。

 

一方で、家臣は言葉足らずなコミュニケーションの中で高いハードルを課されて激詰めされるため、明智はもちろん荒木・松永らが反旗を翻すことに繫がり、外交相手は自身の本質的利益の部分を軽んじているように見える信長に不信感を募らせていき(武田信玄で言えば徳川家康の領域と接し両属状態にあった遠山氏の扱い)、それが信玄や上杉との断絶に繫がった、という具合である。

 

信長が斃された本能寺の変も、言ってしまえばそういうありふれたコミュニケーション不足の延長戦上にあるし、ゆえにこそ凡庸で汎用性があり、我々にも反面教師たりうるわけだが、とはいえ時代の寵児がそんなよくある理由で、かつ史料的記述もはっきりしない叛乱で打倒されたとあれば、信長を「革命児」と持ち上げるのと並行してその奇矯で暴虐な振る舞いが部下たちを追い詰めたのだ、という尾ひれのついたエピソード集が捏造されていくし、そして本能寺の変はそんな暴発的犯行(cf.嘉吉の変)な訳がないと感じられるため黒幕探しが盛んになされる(要はそうしないと納得できない)、という事態になったものと思われる。

 

前回の記事を多少端折って書けば以上の通りだが、とはいえじゃあ信長はどうすれば良かったのか?という話になる。え?もっと人格者になることを意識しなさいって?さては甫庵センセーだなオメー・・・重要なのは、そういう儒教的な、あるいは徳治主義的な話じゃあない。

 

というわけで、冒頭のホンタイジ先生を取り上げた次第である。長じるまで競争相手が多く、その立場が危うかった彼は、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉よろしく、有力者に入りしながら融和的な言動を意識しつつ慎重な振る舞いを続け、一たびその地位を確立するや、徐々に敵対しうる者たちの力を削いでいったのであった(宴会を開きながら、そこで家臣にかしづかれることを愉しむのではなく、参加者たちがどのような言動をしているかじっくり観察するという彼の行動などは、その最たるものと言えよう)。そしてその冷静で慎重な振る舞いの結果が、ヌルハチに始まる皇帝位の盤石化であり、それが順治帝-康熙帝-雍正帝-乾隆帝と連なる清朝黄金期の礎を築いたのであった(なお、事によってはこの話は猜疑心の強さを肯定するように受け取られるかもしれないが、その反面教師として、ここでは名将の袁崇煥を処刑し明の滅亡を決定づけた崇禎帝を例に挙げておきたい)。

 

優しさや気配りというものは、しばしば「他人を思いやるがゆえにやること」くらいに考えられがちだが、プライベートの対人関係やムラ共同体のような同質性が高い&狭い集団内ならそれでいいとしても、拡大した組織についてその感覚でいるのは極めて愚昧であり、むしろ関係性の維持や敵を作らない(作りにくくする)ための重要な生存戦略と捉えるべきであろう。その上で、風通しの良い状態の組織間でコミュニケーションを密に取るからこそ、巨大な組織であっても方向性の齟齬を少なくし、安定的に結果を出し続けることができるのである。

 

以上述べたような情動的でナイーブな組織運営の問題点を深く理解もせず改善もできていなかったことが、巨大な占領地を抱えながら総力戦を戦った日中戦争~太平洋戦争とそこで生じた諸々の悲劇的結末(その典型は後掲したガ島を巡る惨劇)の背景であり、その代表的人物が『日本史 敗者の条件』でも紹介されている山本五十六だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、信長とホンタイジでは創業者と二代目という大きな違いがあり、組織の熟成度や地位の確立度合いといった点でも前者ができることは大きく制限されていたことは言うまでもない(その意味では、信長と比較するなら始祖ヌルハチの方がより適切ではあろう)。しかし逆に言えば、二代目皇帝という地位に胡坐をかくことなく融和的な振る舞いと慎重な行動を続けて着実に自身の地位確立を進めていったホンタイジの行動はまさしく参照されるべきであり、創業者であることを配慮不足の正当化に用いるような見解は不適当であるように思われる、と述べつつこの稿を終えたい。


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