対馬巡り:車中にて徒然なるままに思ったこと

2022-06-23 17:00:00 | 離島旅行

 

さて、対馬旅行載せ忘れ第二段でごぜーます・・・ってもう最初の写真から意味不明なんだが(笑)、これは確か和多都美神社から海神神社に行く際、車中から謎の白いモスクみたいな建物が見えたんで、あれはなんぞと記録として撮影したもんだと思われる。まあ結論今も何かわかってないんですがね(゚∀゚)アヒャ

 

 

 

 

こういう撮影した意図自体が全くわからんものもあります(・∀・)

 

 

ちなみに車中では前も紹介したように相方が準備していた音楽が流れていたんだが、谷村新司の「22歳」や野口五郎の「私鉄沿線」など、世代が明らかに上だがよく聞いたことのある往年の名曲のオンパレードで懐かしい感じがしておりましたよと(てか車中で普通に歌っとりましたw)。

 

 

こういう別離の歌を聞いていると、自分にとって刺さる曲の多くが、相手に対する愛情を歌ったものより、むしろ生木を剝ぐような別離に際して抑えることのできない哀惜の情を歌詞にしたものだと再認識させられる。中島みゆきの「わかれうた」、テレサ・テンの「つぐない」、松任谷由実の「リフレインが叫んでる」、チェッカーズの「Room」、徳永英明「今はさよならだけを言うけど」、Mr.Childrenの「Distance」、B'zの「MOTEL」、スピッツの「楓」、back numberの「ハッピーエンド」などなど、上げていけばキリがない。

 

 

気楽な助手席の特権でさらに回想を進めると、例えば「リフレインが叫んでる」なら、最初の風雲急を告げる深刻さを帯びたイントロからの「どうしてどうして僕たちは出逢ってしまったんだろう こわれるほど抱きしめた」に衝撃を受けて引き込まれる曲だ(前にも触れたが、この時点で半分勝ってる、と言ってもいいぐらい冒頭のインパクトが凄まじい)。その後も「どうしてどうしてできるだけ優しくしなかったんだろう 二度と会えなくなるなら 人は忘れられぬ景色を幾度か彷徨ううちに 後悔しなくなれるの」とか、こんなフレーズどっから出てくるんやという歌詞が続く。とはいえ、強い哀惜の念を歌いながらも、曲調や情景描写もあってか、どこか「軽やかさ」を失わないところも、先の「後悔しなくなれるの」と合わせてこの曲の特徴の一つかもしれない(そこは1988年=バブル期というご時世を象徴しているとも感じられ、少なくとも情念をこぶしを入れて歌い上げる歌謡曲的なものとは違っている・・・という文脈で言うと、夏の陽気さを思わせるTUBEのデビューはやはりバブル期の1985年であった)。

 

 

また「Distance」なら、これも前に触れたことがあるが、最初の印象的なエレキギターの後は、ダウナーさを基調としながらも若干の明るさを感じさせるスローテンポな曲調が続く(それは街灯に照らされた夜の車道を巧みに表現しているだけでなく、仲睦まじい過去の回想とこれから起こる悲劇的な結末のコントラストにもなっている)。そこに重ねられる「あの時君が言ってた(二人はずっと一緒だよねという?)言葉が嘘になる」や「窓を打つ雨がやむ頃には二人 孤独な自由と向き合って」、「あの時僕が話した これからの二人の夢(はもう叶うことはない)」などのフレーズによって、聞き手の想像力を喚起して場面に引き込むだけでなく、別れなど想像もしなかった過去と、哀しい未来を対照的に歌い上げることにも成功しているように思える。

 

 

 

 

こりゃおもしろ地名やな😀調べた限りでは他にはない山の名前のようだが、由来は「悪代官」だろうか?お主も悪よのう的なヤツがなぜ山の名前になったのか気になるワイ🤔

 

 

 

 

これは韓国旅行の帰りに比田勝から厳原をバスで移動した時、似たような光景を見たので記録として撮影したんじゃないかと思う。

 

 

 

 

もう少し走ったところでミスチルの「口笛」が流れる。これまた懐かしいな・・・それでふと思い出したのが同じアルバムに収録された「Not Found」だ。この歌を最初に聞いたのは大学生だったが、当時は「なんか軽い歌だなあ」ぐらいに思いあまり印象に残らなかった。しかし、30歳になったくらいにたまたま聞いた際には歌詞が刺さりまくって悶絶したとかしなかったとか😇

 

 

これほど他者(パートナー)との関係が「永遠の微調整」だと的確に歌ったものがかつてあっただろうか(同棲するパートナーと決して目が合わないPVもよくできている)。

 

 

当たり前のことだが、交際も結婚も出産も、全ては始まりに過ぎない(ついでに毒親問題とかも絡めて言えば、家族も同様・・・というのはこの歌に絡めて以前書いた通りだ)。これを「上がり」か何かのように錯覚するから(錯覚させるから)、「いい学校に入る」や「いい会社に入る」と同じでおかしな勘違いが起こる。

 

 

それは要するに、皆婚時代だった記憶を個人やコミュニティが無批判に継承していうことに起因するのだろう。もはや見合いという名の「上げ底」はほぼ存在せず、個人の資質に依存する部分が大きくなっている。加えて非正規雇用の割合が増えて女性の働き方も相対的に多様化している以上、男を大黒柱とするような見方が通用しないケースが多々あるのは当然である(念のため言っておくと、実態として専業主婦はごく限られた「特権階級」のような存在となっており、男性が正規雇用でもっぱら家族を支えるのをモデルケースとするのは完全に実態と乖離している)。結婚においては経済的要件が大きいということはデータからわかっており、このような状況では結婚の数が減るのは必然的なことと言えよう。

 

 

しかしそれにもかかわらず、歴史を知ろうとしないし現状を分析もしないから、幻想(「空気」)だけが一人歩きして非現実的な社会的抑圧となり、それが不要な相対的剝奪感を生み出し、ルサンチマンを拡大させる(ちなみに毒親でしばしば言及されるのは虐待だが、もう一つのケースは実現不可能な「当たり前」への固執であるように思える)。これがドロップアウトした者たちへのシステム的・心情的冷酷さも含め日本の「生きづらさ」の正体ではないだろうか。

 

 

そして、結婚できた=勝者などでは全くない。それが先に述べた「永遠の微調整」である。経済観念の違い、子供を作る・作らない(何人ほしいか)、子供の教育方針、パートナーの家族との関係性etcetc...と挙げていけばキリがない。なるほどDVやモラハラといった生命・精神に危険が及ぶものや借金漬けで生活が立ち行かなくなるようなケースは離別すべきとして、それ以外では最適解なき多くのバッファーがある。これをどう帳尻を合わせていくのか、はたまた諦めるのか・・・といった具合だから、交際・結婚・育児などどれをとっても「始まり」なのである。そしてその困難さは、3組に1組は離婚するという現実を指摘すれば十分だろう(実際自分の周囲にも、離婚はもちろん結婚生活が続いていても様々な妥協や冷戦状態の中にあるケースも散見される)。

 

 

まあとりあえず、こういう答えなき多様性の中で、前時代的な同調圧力は早急にキャンセルするような状況を作っていくことが重要だ思うわけでありをりはべりいまそかり、というところで今日はここまで。


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