津山事件から考える同調圧力・排除・自己責任論

2023-12-01 16:19:14 | 歴史系

 

 

なるほど津山事件ね。「丑三つの村」とか昔見たなあ・・・

 

この事件に関する重要な教訓の一つは、同調圧力と排除という、共同体にとっては一見「合理的」に見える規範や行動が、共同体の存立可能性を大きく毀損しうる、ということである(「無敵の人」と拡大自殺、あるいはローンウルフ的なテロとその影響は、もはや例を逐一挙げる必要もあるまい)。

 

私はこれまで、短絡的な自己責任論を何度となく批判してきたが、それは「自己責任」という言葉でもって、「そんなことも理解できない貴方は顧慮するに値しない存在だ」と自己や社会と無関連化しようとする行為が全く馬鹿げているからだ(おそらく勘違いされがちなことだと思うが、私はここで「同情するかしないか」を問題としているのでは、全くない)。

 

つまり、「対象と自己が、まがりなりにも同じ共同体の成員として地続きである可能性」を完全に忘却し、自分には無関係な存在と遮断することで自己や社会にどのようなリスクが生じうるのか(あるいは包摂することでどのようなメリットが生じうるのか)を等閑視している思考様式は、社会性を持っているとは言えず、しかもそのような発言が非常に多く見られるということは、そういう社会的・戦略的思考を持った大人が少ない、ということを意味している(全く同じではないが、ここに「自分が損してでも他人が得することを防ぎたい」という「スパイト行動」などを想起するのも有益だろう)。

 

かくして、日本社会はそういった社会性の欠落と閉鎖的なムラ社会的構造がそこここに残存している結果、「人が死なないと変わらない」状況になってしまっている、ということをジャニーズ問題やらマスメディアの隠蔽構造宝塚にビッグモーターと大きな問題が連続して明るみに出ている今、いい加減自覚したらどうかと思う次第である。

 

ま、とはいえ成人した人間は、これまで培ってきた経験もあって、いきなりものの考え方を変えるのは無理だから、結局「社会はどのように回っているのか」ということを学校教育でしっかり教えていくしかないんだろうなあ(=社会変化に50年は要する)・・・と予測になるわけだが。


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