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同情するかしないかはいい、構造を分析するんだ

2023-10-01 11:03:17 | 感想など

 

 

 

 

いわゆる「頂き女子」のマニュアルを作っていた(+自身も詐欺的な行為を行っていた)ということで逮捕された人に関する動画を見てみたが、「キャバクラに接客マニュアルがあるのは当然のことだ」とか「コミュニケーション戦略:友好的態度は人のためならず」などを書いた身としては、程度の問題こそあれそりゃあ当然そうでしょうなあという感じである(言ってしまえばマルチや宗教の勧誘と一緒だしね)。

 

自分の中で確実だと思っているのは、これから少子高齢化と経済衰退、さらに社会の複雑化と分断の進展の中で、自己肯定感が低く承認欲求が枯渇した状態で薄っすらとした不安を抱えたまま孤立化・浮遊化する人間が増えていくだろうから(単身世帯の急増・「ゼロリスク世代」etc...)、「後ろ向きな真実より前向きな嘘」(cf.陰謀論の訴求力)とばかりにこういう手口に引っかかる人間も、また相手をこういう手口の対象としか見れない人間も、ともに増加していくだろうと思われるし、ゆえに今回の事件が一過性の問題で終わることはないだろう(だから「Needy girl overdose」は「演じる」という点も含め、よく世相の一端を表してるなと思うわけで。なおこういうメンタリティの広がりをより構造的に見たいのであれば、中村敦彦『パパ活女子』も参考になる)。そしてそういう社会情勢が、「退化」した人間・人間関係より「進化」していくAIへの傾倒(コスパ・タイパの悪い人間関係よりbotの方がマシ!?)をますます強めるのではないか・・・というのはいつも書いていることである(なお、その状況が幸せだとは言っていない)。

 

よって、この事件については今後さらに解明が進んでいくと思われるが、重要な事は、非難したり罰したりしてスッキリしても根本原因が解決してなけりゃ同じことは何度も起こるし、「家族ガー」みたいな責任の帰属(「真の犯人」捜し)だけをやっても、一時は納得して安心はするかもしれないが、じゃあ結局どうすんの?って政策論とか社会的取り組みにつなげていかなければ、ナンノセイカモエラレマセンデシター!となる点だろう(それは疫病の恐ろしさをただ喧伝したり、疫病にかかった人間をただ忌避=自己と無関連化しても無意味なのと同じである)。

 

これがいつも言う「短絡的な自己責任論」とそれが有害無益である理由にもつながるが、今回はその一例として、「頂き女子」にまつわる問題構造を取り上げてみた。

 

以上。


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