フラグメント111:境界線、男の娘、「本能」

2011-03-30 17:30:00 | フラグメント

プラナスガール」などの「男の娘」本が一般紙にどんどん掲載され、エロ分野でも「えろ☆しょた」シリーズの20巻が発売されるなど、ショタや男の娘もある程度ジャンルとしての認知度を得たように思える。また男の娘ではないが、「ニーア・ゲシュタルト(レプリカント)」というコンシューマーゲームにおいては公式設定でふたなりのキャラが登場したりもしている。まあこれらが市民権を得るレベルにまでなるかどうかは、設定の奇抜さだけで押し切っているような現状を打破するような作品がどれだけ出てくるかによると思うが、でもまあキャラを前面に出した方が楽な今日、そんなものがどれくらい生みだされるのかは疑問符の付くところではある(例としてはきづきあきらの“LOVE HORIZON”的なものだが、ああいうのを長編として描く場合単なるストーリー構成力のみならず問題意識も必要であるように思える)。ところで、「えろ☆しょた20」の最初にあるインキュバスの話で気になったけど、同性を襲う魔物っていないのかしらんwそんなことを考えてたら、シューベルトのアレでムスコが魔王タンにさらわれて息絶える話が違うおもしろさを感じるようになったw

さて、境界線の曖昧さに関する問題は「境界線」という対話篇において書いたが、個人的にはかわいければ誰でもいいと思うし(「ゴスロリ女~かわいいは正義~」)、社会的にはゲイだろうがヘテロだろうが、あるいは半陰陽だろうが特に区別する必要があるようには思わない(ただ社会には、性別選択が「男・女」しかないことを含め、マジョリティの基準が当然のように満ち溢れていることに注意しなければならないが)。もちろん生産性(出産)の問題はあるが、これに関しては二つの問題を指摘しておく必要があるだろう。


一つ目。逆に言えば生産性の問題以上でもそれ以下でもないのだが、道徳や異常性の問題として抑圧しようとする動きがあること。意識的・無意識はあるにせよ、「本能」という言葉の使い方、「正常と倒錯」の二項図式、男女二元論といったものがあるが、それが嵩じるとヘイトクライムなどに繋がってくるおそれもある(アメリカや韓国などに比べると日本はゆるい方だと前に本で読んだことはあるが、この辺はまだまだ不勉強なところが多い)。二つ目。たとえばタバコについて言えば、分煙は不快な目に遭わない権利(cf.ゾーンニング)が関係しているが、禁煙については医療費(税金)の問題とセットで論じられたりする。これはフーコーの言う「生―権力」的な介入だが、このような介入の仕方をよくよく観察しておく必要がある。たとえばタバコを吸わないべきだと考えている人は、単に医療費の問題からそういう結論に到るのかと言えば、それは違うように思える。たとえば「健康に悪いから自分はタバコを吸わないできたが、個人的には他の人の喫煙をたしなめる程度だった。しかし、言われてみればタバコによって喫煙者が病気になると医療費を圧迫するわけだから、他人の喫煙は自分にも関わる問題だ。だから喫煙者は減っていくべきだ」といった意識の変化がそこにはあるのではないか。ここで重要なのは、個人的な忌避の感情が、「医療費の圧迫」という理由でお墨付きを与えられ、公的な抑圧・禁止(への賛同)に変化するという動きだ。なるほど確かにそれがプラスに作用する面はあるが、そのようにして作り出された「空気」が(極端な)社会的抑圧へとなだれこむという状況に対し意識的になる必要があると思うのだ(「いい人」問題ひぐらしと大団円)。そしてまた、言説を広める(コントロールする)側がそういった理論的なものを「口実」として利用してくるという点にも注意しなければならないだろう(これは先の「本能」という言葉がもたらす効果にも通じる)。なお、これは表現規制にも深く関わる問題で・・・

 

とちょっと話が長くなりそうなので閑話休題。あのソクラテスもパンクラチオンで闘ってる美少年にハァハァしてたわけで(笑)男でも女でも好きになったらいいじゃない、と思うわけだがwまあ世の中なかなかそう簡単にはいかないよと。ちなみに、一番最後の覚書は前掲の「境界線」で「やめた~」と書いた内容の冒頭にあたるwこのA4二枚分程度の覚書(対話篇)があるが、一部抜粋すると

△境界線のアイマイさなんて「男の娘」ブームの今日、今さらって感じもするけどなあ。〇然り。でもそれは血肉化しているんだろうか?△血肉化?〇いずれ話す「沙耶の唄」の狂気の扱い方にも繋がるんだけど、単に風景としての狂気を扱うことは誰にでもできる。「アイツらオカシーぜ」とオカシな天を挙げていけばいいんだから。しかし、森達也「」「A2」、ブッシュを支持する人たちの論理「アホでマヌケ~」。表面的な寛容さ・思考は「素」になった時にボロが出る→君が望む永遠。「男の娘」の話も「素」になったら「本能」とか言いだすんじゃね?そして自分が    と同じことを言っているのに気付き愕然とする、と。

△つまり、エロより非エロの方が境界線のアイマイさを際立たせる?〇まさにその通り。もっと言うなら、そのように入れ替え可能なものであるにもかかわらず、それを「女」と扱ったり、そのようなものとして思い入れる自分を戒めようとする時に、自らを縛るモノ(タブー)を発見するわけ。それがとてもおもしろい。△「違うのって設定だけじゃね?何狼狽してんだよw」という感じか。〇そうそう。視覚的に全く同じキャラが、ただ「男」と名指されただけでタブーとして認識される面白さ。まあ現実だと身体性が絡むから安易に適用するのはアホだけどな。

 

<利根に書類書かせる>
中間に位置する女装っ娘。こと女装っ娘に関しては、非エロの方がエロよりはるかにラディカル。確かに、エロの方がバンバンやりまくって射精もしまくるなど過激だ。しかしながら、それは予定調和なのだ。あえて言えば、カワイイ男の娘と知った上でそれを消費。非エロは違う。もちろん本当は男だなんてことは知っている。でも  記号的であるがゆえの境界線の曖昧さ

<クロウ3>
助けられるシステム。できないのは自己責任→カルタグラで身近な人の死が止められないことへの反発。ただ、キャラが薄すぎて止めようとさえ思わないがW紅緒の死は意表を突かれた。焼かれた死体の特徴で偽装に気付き、逆算して真犯人がわかった。なぜ主人公が狙われずあっちが先なのか?しかも警告までして。

<無題>
変化球しか投げれないヤツがストレートしか投げれないヤツを笑うなんてとんだお笑い草だ。

<無題>
ここには断念が存在しない。ゆえに逆説も成立せず、ベタな埋没だけが残る。

<男女の境界線>
ある「女性キャラ」を描いたとしよう。このキャラをかわいいと思うのはゲイか?ハァ?別に普通じゃん?じゃあこれが男なら?そりゃゲイなんじゃねーの?ヒジュアルが同じなのに?実は「男という設定」があるにすぎない→いやいやいや。骨格や毛。然り。現実なら生理的なもの違和感出る。記号的であるがゆえに、男女の境界線の曖昧さ、あるいは両者の入れ替え可能性を暴露する。そのキャラを可愛いと思うのは「ゲイ」だろうか?そのキャラとやりたいと思うのは?そのキャラを好きになるのは?→同性愛の嫌悪感の記事、愛って何?という問い。明確な枠はない。線引は人それ

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