境界線

2010-06-09 18:07:40 | 不毛
山下=Y  水野=M



しかし時間の流れは早いもんだな。



何だよいきなり。



いや、この前沖縄の記事書いてた時ふと思ったんだけど、あれからもう一カ月以上が経過したのよねえ…



まあ年末の帰省からもうすぐ半年だしね。



そういえばちょうど去年の今頃は、車で小田原に行ったんだっけ。



正確には6月末だけどな。



そうそう、用賀で待ち合わせて、何気に無計画で。



まあ旅行でまともに計画なんて立てたことないけどなw長期旅行はさすがにある程度ルートを決めるけど、それってどうせグチャグチャになることを見越したものだし。



まあな。縛られるのはどーもダメなんよねえ…でその小田原行きの時さ、相方が「最近ショタはどうなの?」って話ふってきたじゃん。唐突に「ショタはどうなの?」って問いこそどうなのって話だよなw



まあ話のネタに困ったんでしょw去年の6月は一番精神的に病んでる時期だったからたぶん雰囲気的に絡みづらかっただろうし。そういやどんな風に返したんだっけ?



ぼくのピコ」や斎藤はじめ蒔田真記とか色々はあるけど、いちいち説明するのが面倒だったんで「ふたなりとショタは近いんだよ」と素で言っただけだな。



その返しもまた微妙だな~。で、相方は?



「そうなの?」とちょっと疑わしそうに返してきて、俺は「まあね」と流して終わり。



もったいないなあ。せっかくだしネタに走ればよかったのに。戦国無双とか共通ネタを使って「蘭丸の太ももが気になって他の女性キャラはどうでもよくなった」とかいくらでもあるじゃん。そしたら小姓や陰間茶屋に話を持っていったりすることもできたんじゃない?



話を広げるという意味では「正しい」返しだわな。ただまあそういうことをいちいち考えるのがめんどくさかったわけよ。唐突でもあったし。



なるほど。じゃあ一周年記念と言うことで(笑)、ここで改めて「本当にふたなりとショタは近いのか」について考えてみようか。女装っ娘という存在を考察に組み込めば、その境界線の曖昧さが理解してもらえるだろうし。ではこの草稿に従って…



やめた~。



ハァ?…シベ長じゃないんだからちゃんとやろうよ。



まあ俺の話を聞けって。いいか、あの草稿の目的は、女装っ娘を題材にしてふたなりとショタは地続きなんだって示すことだよな。



そうだね。前にも言ったようにふたなりというのは、猫耳のようにただ女にパーツがついただけ。一方でショタはあくまで男。だから両者には断絶があるように思うかもしれないけど、特に二次元においてはそれは間違いだって話だよね。



そうそう。確かに、あの草稿はいちいち具体例を使うことで境界線の曖昧さを説得的に語ろうとはしているよ。でもね、そういう内容にもかかわらず、形式が意図を裏切ってるんだよ。



どういうこと?



ハードルの低さを示すことが目的なのに、膨大な分量の読解と思考を要求することで、かえってハードルの高さを印象付けちまうってことさ。



コンスタティブにはともかく、パフォーマティブに意図が伝わらないと。



そゆこと。だったら、斎藤美奈子の『それってどうなの主義』に収録されてる「どっちでもいいや」を引用した方がよほど理にかなってるよ。



どんな内容だっけ。



ちょっと長いけど、
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 よくしたもので、ああいう[山下注:ビジュアル系の]格好をさせられると、土台はどうあれ、造作がどうあれ、
それなりにみな見られるようになるから不思議。(略)
 とかいうと、眉をしかめる人たちがまだまだいそうだ。「気持ち悪い」「男は外見ではない」「野郎が化粧するとは何事だ」などなど。
 最近、そういうことをいっていた頭の固い方たちと数名連れ立ち、「後学のため」と称して六本木のショーパブに行った。
女装した男性だけのダンスチームが歌って踊って演技をする六十分ほどのショーが売り物のパブである。(略)
 さて、それはともかく、ショーと同じくらいおもしろかったのが、見終わった後の頭の固い中高年男性ご一行様の反応である。
 「男性だけのチーム」という触れ込みだったのだけれど、パンフレットを読むと、じつは十数人のうち「本物の女性」が二人だけ
まじっているという。
 そこでまず「あの中でだれが本物の女か」で議論になった。女性ホルモンを投入して人工的なバストをつくったダンサーも
少なくなく、結論は出ずじまい。それほどまでに出演者たちがビジュアル系の美女(美男?)ぞろいだったともいえるのだが、
やがて一人がいいだした。
「男でも女でも、あれだけキレイだったら、おれはどっちでもいいや」
「そうだな、おれもいいや、どっちでも」
 もちろんこれはビジュアル系もビジュアル系、プロフェッショナルなニューハーフ(職業的に女装した男性)の話である。しかも
相手は非日常を売り物にするショービジネス。「男が化粧するとは何事だ」とは、いささか次元の違う話だろう。しかし彼らの口から
「男でも女でもどっちでもいいや」という発言が出てきただけでも画期的。
 ここには種の真実が含まれている。ビジュアル系を極限まで追求した存在は、女性に近づくというよりは、性を超越してしまう
のである。
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まあ「ビジュアル系」って言葉に時代を感じるけど(笑)、ここに書かれているような「見た目がきれいなら何でもいい」というあっけらかんとした感じこそ、俺が伝えたい境界線の曖昧さなのよね。



かわいければ何でもいいぞってわけね。



そうそう。



でも斎藤美奈子は境界線の曖昧さを全体に適用することに慎重だよね。おっさんの女装とか含めて、俺も一般化するのはどうかと思うけど。



それはその通りだよ。ついでに言えば、いくらショーで見て美しかった人たちだって、もっと近くで見たり日常をともにしたりしていれば、骨格や振舞いなどに違和感を覚えたりすることもあるだろう。そういった身体性がどうしても枷になる部分はある。



まあ後者はセックスというよりジェンダーが絡む部分が大きいと思うけどな。ちなみにそういった部分がかえって魅力的に感じられるってことは?



どうだろうねえ。俺はその道の達人ではないので、コメントは控えるよwただ一つだけ言えるのは、二次元はそういった身体性を簡単に滅却できるがゆえに、境界線を曖昧にしてハードルを低くすることが容易なんだよ。



あーね。二次元なら女性キャラを書いて「こいつは男だ」って言えば(設定にすれば)女装っ娘の出来上がりだしね。それをどうストーリーに絡めるかはあるにしても、差異自体は容易に抹消できるわけだ。



そゆこと。まあエロだったら性器が露出しているから、一応は男・女を理解した上で消費するわけだけど、非エロだったら設定しかないからね。だから、確かにエロの方が描写は過激ではあるけど、境界線の曖昧さをつきつけるという意味では非エロの方が断然ラディカルなんだよ。



まあもやしもんの「ゴスロリ女」を女としかみなせず葛藤した(笑)経験がなければ気付かなかったので、エラそうなことは言えないと思うけどね。



確かにwまあそれはともかく、昨今「男の娘」を扱った作品なんかも増えているけど、そういったものが境界線の曖昧さに対する認識の一助になればいいとは思うよ。もちろんそういう作品が今言ったような目的を意識しているとは思えないけど、結果として自明性の創生に役立つならそれでよし。



「空気」に流されるのが変えられないのなら、短期的にはいかに「空気」を作り出すかが焦点になる、というわけね。



そゆこと。まあ多少のバックラッシュはあるだろうけど、そのような「空気」が醸成される中で、くだらない「~らしさ」の押しつけなんかが減っていけばいいと思うよ。
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