すこやか歩こう会では年に二度、春と秋に週末一泊旅行を実施しています。行き先はウォーキングに適した場所で出来れば会員さんにゆかりのある場所。須賀川はすこやか歩こう会と目黒ウォーキング協会の活動を精力的に推進してくださっている会員の故郷で、今回二度目となります。前回は2016年11月5日~6日で紅葉を楽しみましたが、今回は新緑の季節で、運が良ければ有名な須賀川牡丹園の牡丹を楽しむことができる初夏を選んでみました。
写真:矢吹駅
中目黒GTに集合し、日比谷線→上野駅→東北新幹線→新白河駅→東北本線→須賀川と移動途中矢吹駅に停車中です。この町の名誉町民についてWikipediaから引用します。
中畑 清(なかはた きよし、1954年1月6日 - )は、福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ。
現役時は1980年代の読売ジャイアンツ(巨人)の中心打者として活躍する傍ら、労働組合日本プロ野球選手会初代会長を務めた。引退後は巨人のコーチを務めた後、2004年アテネオリンピック野球日本代表ヘッドコーチ・監督代行を務め、銅メダルに導いた。その後2012年より横浜DeNAベイスターズ初代監督(大洋ホエールズからの通算では第29代)に就任し、2015年シーズン終了まで在任した。2016年から野球解説者・評論家、タレント司会者に復帰。
2015年12月25日、自身の出身地である福島県西白河郡矢吹町において「名誉町民第1号」の称号が与えられた。
写真:須賀川駅前
須賀川出身の有名人と言えばマラソンランナー「円谷幸吉」さんと特撮の神様「円谷英二」さん。円谷幸吉さんについて須賀川市のページから引用します。
昭和39年、東京オリンピックのマラソン大会。裸足のランナーとして有名なエチオピアのアベベ選手に続き、国立競技場に入って来たのは、日本国民の期待にこたえ、力走する円谷幸吉選手でした。
ラジオやテレビのアナウンサーの声が次第に大きくなり、日本中が、その放送に釘付けとなりました。後方から追い上げるイギリスのヒートリー選手との、今も語り継がれるデッドヒートの末、ついには抜かれたものの、堂々たる第 3位。陸上競技日本唯一のメダルを手にすることとなった円谷選手は、沸き起こる大きな歓声を背に、表彰台へと登ったのです。
円谷選手は、昭和15年、この須賀川市に生まれました。そして、県立須賀川高校2年生の夏、福島縦断駅伝の代走を務めた際に、区間新記録を出したことを機に、本格的な陸上競技への道を歩み始めます。高校を卒業後、陸上自衛隊郡山駐屯部隊に入隊しましたが、 円谷選手にとって、この自衛隊は、規律正しい生活のなか、十分な練習時間が取れる最高の職場だったのです。円谷幸吉 昭和 36年の青東駅伝では、3区間を走り、その3区間すべてにおいて、新記録を樹立し、特に延べ15人を追い抜いた記録は、今も破られていません。
その翌年、円谷選手は、自衛隊体育学校の開校と同時に、第1期生として入学する一方、中央大学の経済学部にも入学し、陸上と勉学に励みました。そして数々の大会で、世界記録や日本記録を塗り替えます。昭和 39年8月のオリンピック候補選手記録会では、1万メートルで世界最高記録を出した後、マラソンのオリンピック代表選手選考会に臨み、2位の成績を修め、オリンピックヘの出場を決めました。
そして迎えた本番での大活躍が、劇的なデッドヒートの場面とともに、今日まで語り継がれているのです。
しかしその後は、休む間もなく、国際試合への出場や講演会などによるハードスケジュールが続き、持病の腰痛を悪化させ、ついには、左足、そして右足と続けざまの、アキレス腱切断というけがに見舞われました。手術を受け、次のメキシコオリンピックに向けて練習に励みますが、病状は一向に良くなりませんでした。
昭和43年1月8日、幸吉は、「疲れきって、もう走れません」という家族への遺書を残し、自ら命を絶ちました。享年27歳。余りにも短く、早過ぎる生涯でした。
円谷選手の遺品の数々は、これまで生家であった「円谷幸吉記念館」で展示されてきましたが、須賀川市に寄贈され、現在、須賀川アリーナ内「円谷幸吉メモリアルホール」において公開されています。また、須賀川市が毎年10月に開催する「円谷幸吉メモリアルマラソン」には、全国から、多くのランナーが集い、その業績をしのんでいます。
須賀川市と「M78星雲 光の国」の関係も須賀川市のページから引用します。
「すかがわ市M78光の町」は「福島県須賀川市」と「M78星雲 光の国」が2013年5月5日に姉妹都市の提携をして誕生した仮想の町です。「すかがわ市M78光の町」は、まるで光の国のようにキラキラと輝いているのが特徴です。あのウルトラヒーローたちもこの町にいることがあるかもしれません。町長には宇宙警備隊 大隊長 ウルトラの父が就任。今後、「すかがわ市M78光の町」仮想住民登録の実施や町の名所紹介を行っていきます。須賀川市が、ウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携を行うこと。それは、本市と全国の皆さんとの交流であると考えています。
ご承知のとおり、ウルトラマンは、本市出身者であり、特撮の神様「円谷英二監督」が創造した、国民に最も愛されているキャラクターの一つです。現在も、子どもから高齢者まで、その人気・知名度は高く、キャラクターがもつ発信力や影響力も、大きなものがあります。須賀川市は、今回の姉妹都市提携をスタートとし、ウルトラヒーロー達との様々な取り組みによって、全国の皆さんへ、地元の魅力を積極的に発信していきます。そして、「須賀川」を全国の皆さんに知っていただくとともに、これを縁として、たくさんの方々との交流を行っていきたい。これこそが、「須賀川」の明るい未来を創造していくため、最も重要なことだと考えているからです。
写真:須賀川牡丹園入り口
牡丹園は牡丹に季節は有料になり、本年度は4月20日から5月下旬の予定でしたが、季節の進みが早く牡丹の見頃を終えたため、5月14日より無料開放となりました。最盛期週末は渋滞が発生し、駅からのタクシーもなかなか行きつけないようです。
写真:ボタン
写真:シャクヤク
写真:シャクナゲ
写真:須賀川牡丹園
園内にはたくさん牡丹がありますがほぼ終了といった感じでした。芍薬はこれから花をつける種類があるようで蕾もたくさん見ることができました。石楠花もきれいでした。牡丹と芍薬の違いについてNHK趣味の園芸のページから引用します。
大きくふくよかな花を咲かせるボタンとシャクヤク。「立てば芍薬、座れば牡丹」と美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを形容するように、独特の美を象徴する植物です。新潟県立植物園副園長の倉重祐二(くらしげ・ゆうじ)さんにそれぞれの違いと特徴を教えてもらいました。
* * *
ボタンとシャクヤクの違い、ご存じでした?
どちらもボタン科ボタン属の植物で、もともとは薬用植物として渡来しました。江戸初期には観賞用として改良され、明治以降は日本独自の品種に加えて、欧米から輸入された品種が加わりました。両種類は近縁なので、市販のボタンの苗は成長の早いシャクヤクの根を台木にして、つぎ木されています。これは明治中ごろに新潟県で実用化された技術です。
ボタンは落葉低木
冬に葉は落ちるが地上部に枝が残る。年々、幹が太く大きくなる。
シャクヤクは宿根草
冬季に地上部が枯れてしまう。年々、根が広がって、大株に育つ。
進化するシャクヤクの品種
ボタンの品種改良は日本や中国が中心ですが、シャクヤクはアメリカやヨーロッパで花壇用の宿根草として人気が高く、数多くの品種が作出されています。日本のシャクヤクと比べると花が大きく、八重咲きで花色も鮮やかなものが多いのが特徴です。
また、黄色のシャクヤクを作出するために日本でボタンと交配されたハイブリッドシャクヤクと呼ばれるグループがあります。
写真:牡丹稲荷神社
牡丹稲荷神社
この牡丹園は、昔この地方をおさめていた領主二階堂家の別荘庭園であったと伝えられている。明和三年(1766)には当地の薬種商伊藤祐倫が薬用を目的に牡丹を植えたが、明治に入って豪商柳沼家が譲り受け、牡丹鑑賞園として管理していた。
この人たちは牡丹講を組織し柳沼家とともに牡丹稲荷神社を崇敬し、現在もその子孫の人たちによって神社の祭りは絶えることがな。土地の人々の伝えによれば、この神社に参拝すると生まれる女の子は。牡丹のように美しく心優しく健やかに育つといわれている。
御神徳
人間生活の基となる衣、食、住の守護神と五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全、安産、厄除けなど生生発展の大神を併せてお祀りし極めて篤い崇敬進行を受けております。
写真:アヤメ?
写真:ウェイゲラ フロリダバリエガータ
写真:市民牡丹庭園
写真:ネギ坊主
写真:水田
写真:ブドウ
写真:イチジク
写真:リンゴ
写真:ジャーマンアイリス?
写真:水田
写真:ニセアカシア
写真:ハルジオン
写真:アザミ
写真:桃
写真:マーガレット
須賀川市民牡丹庭園は牡丹園の臨時駐車場として使われている場所です。庭園は一部でほぼ空き地状態で、思っていたイメージと違い少し戸惑いました。まぁそれは言い訳なんですけど、須賀川駅に向かうつもりが少し違う方向に歩き始めたようです。パソコンの地図なら全体像が見えるのですが、スマホの地図を見るときは全体像の把握が難しいです。
そんなわけで2キロも余計に歩かせてしまったのですが、途中フルーツ王国福島を象徴するようないい場所があり、不幸中の幸いか?それほど幸いでもなかったかな?
写真:結の辻
結の辻では芭蕉と曽良がお出迎え。奥の細道の旅路で松尾芭蕉が須賀川を訪れたのが田植えの季節でちょうど今頃だったようです。「風流の初めや奥の田植歌」という句を残しています。
写真:ウルトラマン
写真:ピクモン
写真:エレキング
写真:ギャンゴ
写真:ウルトラマンエース
松明通りの怪獣像が増えて、カネゴン、ピグモン、ウルトラの母、ウルトラマンエース、ウルトラマン太郎が設置されていました。怪獣の名前を調べながら画像検索をしていて「ダダとか怖い怪獣像はないな」と思っていたら、シルエットシリーズではダダもいるようです。
写真:釈迦堂川
遠回りをして時間が無くなってきたので、十念寺や神炊館神社などを飛ばしてまっすぐ須賀川駅へ。
写真:羽鳥湖高原の虹
エンゼルフォレスト那須白川、前回来たときには「羽鳥湖高原レジーナの森」という名前でした。経営者が変わったというよりは、東京建物の一事業部が会社となり経営しているということのようです。スタッフの方々は前回と変わらず、温かく迎えてくれました。
夕食は前回テーブルサービスの洋食だったものが、バイキングに変わり合理化というか大人数に対応できるようにしたということでしょうか。お料理はおいしかったし、お酒がすすみました。福島県なのに「苗場山」という日本酒がいち推しでした。系列のホテルが越後中里にあり、苗場山の蔵元も系列のようです。もちろん地元福島県中通りのお酒「廣戸川」もあり、美味しくいただきました。須賀川で渡ってきた「釈迦堂川」はかつて「廣戸川」と呼ばれていたそうです。
この日の晩は気温が10度を下まわり北風が強く吹いてとても寒かったのですが、床暖房が効いたハッチの中でみんなで談笑し時が過ぎてゆきました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
写真:矢吹駅
中目黒GTに集合し、日比谷線→上野駅→東北新幹線→新白河駅→東北本線→須賀川と移動途中矢吹駅に停車中です。この町の名誉町民についてWikipediaから引用します。
中畑 清(なかはた きよし、1954年1月6日 - )は、福島県西白河郡矢吹町出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ。
現役時は1980年代の読売ジャイアンツ(巨人)の中心打者として活躍する傍ら、労働組合日本プロ野球選手会初代会長を務めた。引退後は巨人のコーチを務めた後、2004年アテネオリンピック野球日本代表ヘッドコーチ・監督代行を務め、銅メダルに導いた。その後2012年より横浜DeNAベイスターズ初代監督(大洋ホエールズからの通算では第29代)に就任し、2015年シーズン終了まで在任した。2016年から野球解説者・評論家、タレント司会者に復帰。
2015年12月25日、自身の出身地である福島県西白河郡矢吹町において「名誉町民第1号」の称号が与えられた。
写真:須賀川駅前
須賀川出身の有名人と言えばマラソンランナー「円谷幸吉」さんと特撮の神様「円谷英二」さん。円谷幸吉さんについて須賀川市のページから引用します。
昭和39年、東京オリンピックのマラソン大会。裸足のランナーとして有名なエチオピアのアベベ選手に続き、国立競技場に入って来たのは、日本国民の期待にこたえ、力走する円谷幸吉選手でした。
ラジオやテレビのアナウンサーの声が次第に大きくなり、日本中が、その放送に釘付けとなりました。後方から追い上げるイギリスのヒートリー選手との、今も語り継がれるデッドヒートの末、ついには抜かれたものの、堂々たる第 3位。陸上競技日本唯一のメダルを手にすることとなった円谷選手は、沸き起こる大きな歓声を背に、表彰台へと登ったのです。
円谷選手は、昭和15年、この須賀川市に生まれました。そして、県立須賀川高校2年生の夏、福島縦断駅伝の代走を務めた際に、区間新記録を出したことを機に、本格的な陸上競技への道を歩み始めます。高校を卒業後、陸上自衛隊郡山駐屯部隊に入隊しましたが、 円谷選手にとって、この自衛隊は、規律正しい生活のなか、十分な練習時間が取れる最高の職場だったのです。円谷幸吉 昭和 36年の青東駅伝では、3区間を走り、その3区間すべてにおいて、新記録を樹立し、特に延べ15人を追い抜いた記録は、今も破られていません。
その翌年、円谷選手は、自衛隊体育学校の開校と同時に、第1期生として入学する一方、中央大学の経済学部にも入学し、陸上と勉学に励みました。そして数々の大会で、世界記録や日本記録を塗り替えます。昭和 39年8月のオリンピック候補選手記録会では、1万メートルで世界最高記録を出した後、マラソンのオリンピック代表選手選考会に臨み、2位の成績を修め、オリンピックヘの出場を決めました。
そして迎えた本番での大活躍が、劇的なデッドヒートの場面とともに、今日まで語り継がれているのです。
しかしその後は、休む間もなく、国際試合への出場や講演会などによるハードスケジュールが続き、持病の腰痛を悪化させ、ついには、左足、そして右足と続けざまの、アキレス腱切断というけがに見舞われました。手術を受け、次のメキシコオリンピックに向けて練習に励みますが、病状は一向に良くなりませんでした。
昭和43年1月8日、幸吉は、「疲れきって、もう走れません」という家族への遺書を残し、自ら命を絶ちました。享年27歳。余りにも短く、早過ぎる生涯でした。
円谷選手の遺品の数々は、これまで生家であった「円谷幸吉記念館」で展示されてきましたが、須賀川市に寄贈され、現在、須賀川アリーナ内「円谷幸吉メモリアルホール」において公開されています。また、須賀川市が毎年10月に開催する「円谷幸吉メモリアルマラソン」には、全国から、多くのランナーが集い、その業績をしのんでいます。
須賀川市と「M78星雲 光の国」の関係も須賀川市のページから引用します。
「すかがわ市M78光の町」は「福島県須賀川市」と「M78星雲 光の国」が2013年5月5日に姉妹都市の提携をして誕生した仮想の町です。「すかがわ市M78光の町」は、まるで光の国のようにキラキラと輝いているのが特徴です。あのウルトラヒーローたちもこの町にいることがあるかもしれません。町長には宇宙警備隊 大隊長 ウルトラの父が就任。今後、「すかがわ市M78光の町」仮想住民登録の実施や町の名所紹介を行っていきます。須賀川市が、ウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携を行うこと。それは、本市と全国の皆さんとの交流であると考えています。
ご承知のとおり、ウルトラマンは、本市出身者であり、特撮の神様「円谷英二監督」が創造した、国民に最も愛されているキャラクターの一つです。現在も、子どもから高齢者まで、その人気・知名度は高く、キャラクターがもつ発信力や影響力も、大きなものがあります。須賀川市は、今回の姉妹都市提携をスタートとし、ウルトラヒーロー達との様々な取り組みによって、全国の皆さんへ、地元の魅力を積極的に発信していきます。そして、「須賀川」を全国の皆さんに知っていただくとともに、これを縁として、たくさんの方々との交流を行っていきたい。これこそが、「須賀川」の明るい未来を創造していくため、最も重要なことだと考えているからです。
写真:須賀川牡丹園入り口
牡丹園は牡丹に季節は有料になり、本年度は4月20日から5月下旬の予定でしたが、季節の進みが早く牡丹の見頃を終えたため、5月14日より無料開放となりました。最盛期週末は渋滞が発生し、駅からのタクシーもなかなか行きつけないようです。
写真:ボタン
写真:シャクヤク
写真:シャクナゲ
写真:須賀川牡丹園
園内にはたくさん牡丹がありますがほぼ終了といった感じでした。芍薬はこれから花をつける種類があるようで蕾もたくさん見ることができました。石楠花もきれいでした。牡丹と芍薬の違いについてNHK趣味の園芸のページから引用します。
大きくふくよかな花を咲かせるボタンとシャクヤク。「立てば芍薬、座れば牡丹」と美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを形容するように、独特の美を象徴する植物です。新潟県立植物園副園長の倉重祐二(くらしげ・ゆうじ)さんにそれぞれの違いと特徴を教えてもらいました。
* * *
ボタンとシャクヤクの違い、ご存じでした?
どちらもボタン科ボタン属の植物で、もともとは薬用植物として渡来しました。江戸初期には観賞用として改良され、明治以降は日本独自の品種に加えて、欧米から輸入された品種が加わりました。両種類は近縁なので、市販のボタンの苗は成長の早いシャクヤクの根を台木にして、つぎ木されています。これは明治中ごろに新潟県で実用化された技術です。
ボタンは落葉低木
冬に葉は落ちるが地上部に枝が残る。年々、幹が太く大きくなる。
シャクヤクは宿根草
冬季に地上部が枯れてしまう。年々、根が広がって、大株に育つ。
進化するシャクヤクの品種
ボタンの品種改良は日本や中国が中心ですが、シャクヤクはアメリカやヨーロッパで花壇用の宿根草として人気が高く、数多くの品種が作出されています。日本のシャクヤクと比べると花が大きく、八重咲きで花色も鮮やかなものが多いのが特徴です。
また、黄色のシャクヤクを作出するために日本でボタンと交配されたハイブリッドシャクヤクと呼ばれるグループがあります。
写真:牡丹稲荷神社
牡丹稲荷神社
この牡丹園は、昔この地方をおさめていた領主二階堂家の別荘庭園であったと伝えられている。明和三年(1766)には当地の薬種商伊藤祐倫が薬用を目的に牡丹を植えたが、明治に入って豪商柳沼家が譲り受け、牡丹鑑賞園として管理していた。
この人たちは牡丹講を組織し柳沼家とともに牡丹稲荷神社を崇敬し、現在もその子孫の人たちによって神社の祭りは絶えることがな。土地の人々の伝えによれば、この神社に参拝すると生まれる女の子は。牡丹のように美しく心優しく健やかに育つといわれている。
御神徳
人間生活の基となる衣、食、住の守護神と五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全、安産、厄除けなど生生発展の大神を併せてお祀りし極めて篤い崇敬進行を受けております。
写真:アヤメ?
写真:ウェイゲラ フロリダバリエガータ
写真:市民牡丹庭園
写真:ネギ坊主
写真:水田
写真:ブドウ
写真:イチジク
写真:リンゴ
写真:ジャーマンアイリス?
写真:水田
写真:ニセアカシア
写真:ハルジオン
写真:アザミ
写真:桃
写真:マーガレット
須賀川市民牡丹庭園は牡丹園の臨時駐車場として使われている場所です。庭園は一部でほぼ空き地状態で、思っていたイメージと違い少し戸惑いました。まぁそれは言い訳なんですけど、須賀川駅に向かうつもりが少し違う方向に歩き始めたようです。パソコンの地図なら全体像が見えるのですが、スマホの地図を見るときは全体像の把握が難しいです。
そんなわけで2キロも余計に歩かせてしまったのですが、途中フルーツ王国福島を象徴するようないい場所があり、不幸中の幸いか?それほど幸いでもなかったかな?
写真:結の辻
結の辻では芭蕉と曽良がお出迎え。奥の細道の旅路で松尾芭蕉が須賀川を訪れたのが田植えの季節でちょうど今頃だったようです。「風流の初めや奥の田植歌」という句を残しています。
写真:ウルトラマン
写真:ピクモン
写真:エレキング
写真:ギャンゴ
写真:ウルトラマンエース
松明通りの怪獣像が増えて、カネゴン、ピグモン、ウルトラの母、ウルトラマンエース、ウルトラマン太郎が設置されていました。怪獣の名前を調べながら画像検索をしていて「ダダとか怖い怪獣像はないな」と思っていたら、シルエットシリーズではダダもいるようです。
写真:釈迦堂川
遠回りをして時間が無くなってきたので、十念寺や神炊館神社などを飛ばしてまっすぐ須賀川駅へ。
写真:羽鳥湖高原の虹
エンゼルフォレスト那須白川、前回来たときには「羽鳥湖高原レジーナの森」という名前でした。経営者が変わったというよりは、東京建物の一事業部が会社となり経営しているということのようです。スタッフの方々は前回と変わらず、温かく迎えてくれました。
夕食は前回テーブルサービスの洋食だったものが、バイキングに変わり合理化というか大人数に対応できるようにしたということでしょうか。お料理はおいしかったし、お酒がすすみました。福島県なのに「苗場山」という日本酒がいち推しでした。系列のホテルが越後中里にあり、苗場山の蔵元も系列のようです。もちろん地元福島県中通りのお酒「廣戸川」もあり、美味しくいただきました。須賀川で渡ってきた「釈迦堂川」はかつて「廣戸川」と呼ばれていたそうです。
この日の晩は気温が10度を下まわり北風が強く吹いてとても寒かったのですが、床暖房が効いたハッチの中でみんなで談笑し時が過ぎてゆきました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
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