このコースは令和2年2月に発行されためぐろウォーキングマップの作成にあたり、健康推進課、スポーツ振興課からの依頼を受けてすこやか歩こう会が提案したものです。めぐろウォーキングマップには「コース2 目黒と富士の絆を歩く」総距離約8.4kmとして紹介されていますが、すこやか歩こう会が提案したルートとは少し異なります。
駒場東大前駅ホーム
東大駒場坂下門
集合は東大駒場教養学部正門前で、この場所を借りてストレッチをします。ウォーキングマップでは井の頭線沿いを渋谷方面へ向かいますが、お勧めは東大駒場構内を歩き北門へ抜けるルートです。
しかし坂下門同様に北門も3月27日から封鎖されており、構内を歩くことはできないので、この日のウォーキングでは駒場公園を割愛し直接駒場野公園へ向かいました。駅ホームから見える正門へのアプローチを下ることはあまりないので撮っておきました。
駒場小学校
区内最北の区立小学校で菅刈小学校の分校が昭和9年に駒場尋常小学校として開校しています。
駒場野公園
十月桜
ケルネル田圃
アオサギ
水田の碑
水田の碑
駒場農学校の跡地
近代農学研究・農業教育発祥の地
この水田は 明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国 最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした
農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ 学校が この地で発展を重ねた
その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的 協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出を見た
本校は 東京農業教育専門学校附属中学校として 昭和22年 開校以来 右の歴史の流れを継いで この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ耕作をづけて 本年創立40周年を迎えた
そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ 歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ これを永く後世に伝え たいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得て ここにこの碑を建立する
なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 感謝の意 を表する
昭和62年10月 筑波大学附属駒場中学校・高等学校
淡島通り沿いの駒場野公園
1986年開園の駒場野公園とは少し離れた淡島通り沿いにあるこちらの公園は、郵政省電気通信研修所が国分寺市へ移転した跡に整備されました。ウォーキングは淡島通りを渋谷方面へ進み右折をして、第三機動隊方面へ向かいます。
天覧台
公務員宿舎の私道沿いにあるためウォーキングマップではこの場所は紹介されていません。駒場の地には江戸時代お鷹場があり、幕末には幕府がフランス式軍隊の駐屯地にしようとして地元農民が一揆をおこしたという記録があります。明治政府が保証を提示したため一揆もなく帝国陸軍の施設が設置され、この高台からは明治天皇が11回、大正天皇が4回訪れたということでこの碑が建てられました。
お花御殿
都立駒場高校のグランドの対面に香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物が保存されています。
首都高大橋ジャンクション
オーパスブリッジ
玉川通りまで下りてくると大橋ジャンクションが見えてきます。玉川通りを横断する歩道橋はオーパスブリッジと名付けられエレベーターで昇降可能です。オーパスはジャンクションの愛称ではなく、再開発地区の名称とのこと。
目黒天空庭園
三軒茶屋方面を望む
オーパスブリッジを渡りクロスエアタワーのエレベータで9階まで行くと、目黒天空庭園の最上部に接続しています。田圃はビオトープの一部で首都高が管理しているようです。首都高のページから一部引用します。
おおはし里の杜
大橋ジャンクションの内側に位置する大橋換気所の屋上につくられた、「自然再生緑地『おおはし里の杜』」。
人と自然とのかかわりが豊かであった時代をイメージし、斜面林や草地、小川のせせらぎなどが再現されています。
おおはし里の杜が目指す自然環境 ~目黒川周辺の原風景を再現~
換気所屋上の特殊な形状(勾配約28%の斜面と上方・下方の平面部で構成)を、昭和初期のかつての目黒川の河岸段丘に見立て、斜面林、草地、湧水とせせらぎ、池、水田を設置しました。
目黒川周辺の原風景に基づく植栽景観を再生するとともに、多様な生き物の生育空間となる環境を創出することを目標として整備しました。
?
ムシトリナデシコだと思って撮ったのですが違いました。
シロバナキキョウ
ススキ
シロバナハギ
ガマズミの実
ハナカイドウの紅葉
畑
みかん
ハマナスの実
天空庭園の植物だいぶ落ち着いて、秋の風情を見せています。下部ではミカンやブドウその他野菜が栽培されて、ブドウはすでに収穫済みでワインとなります。
稲わら?
トウガラシ
収穫物のようです。ここからオーパスブリッジへ出ることも可能ですが、今回はプリズムタワーのエレベータを使って玉川通りの目黒川沿いに出ます。
目黒区みどりの散歩道 玉電
大橋ジャンクション
玉電は何となく記憶にあるような気がしていましたが、気のせいのようです。未就学児にはこのあたりは遠すぎて。。。大橋図書館を訪れるようになったのは、小学生高学年になった頃かなぁ。山手通りを走っていたトロリーバスはなぜか覚えています。
大橋ジャンクションは甲子園球場のように蔦で覆われることになっていますが、覆われるようになるまではまだまだかかりそうですね。
芸映
かつては赤坂に事務所があったのですが、1998年にこの地に移転したようです。考えてみればこのあたりにポリドールレコードがあったなぁ。
錦鯉のかのう
菅刈公園
菅刈公園のフヨウ
菅刈公園のスダチ
山手通りを横断し川沿いを避けて裏道を歩き昔からある錦鯉の店の前を通り菅刈公園へ。手が届く範囲のスダチがないのはみんな取られちゃうから?
西郷山公園
スクランブルスクエア
旧山手通り
西郷山公園の脇西郷橋からスクランブルスクエアがよく見えます。旧山手通りはお屋敷が多かったのか大きなヒマラヤスギがあったり、街路樹のエンジュも立派です。左側は都立第一商業高校。このあたりから目黒川へ下る「上村坂(かみむらざか)」があり由来は「日露戦争の日本海海戦で第2艦隊を指揮した海軍大将上村彦之丞の屋敷があった」となっているので、第一商業高校の場所に上村邸があったのかなぁと想像していました。調べてみると第一商業高校の場所には古河邸、旧山手通りを挟んだ目黒区側に上村邸があったとのこと。古河邸の場所は地元の農民に請われて西郷家が購入したとなっているので、現在の高級住宅地も農地としてはあまり利用価値がなかったのかもしれません。
エジプト大使館
デンマーク大使館
猿楽塚
旧山手通りは大使館が多く二週間前に紹介したマレーシア大使館も旧山手通り沿いにあります。猿楽塚は古墳時代後期の古墳で、渋谷区に古墳が残っているのは珍しいと思いますが、目黒区との区界であまり開発が進まなかったのかもしれません。
槍ヶ崎
槍ヶ崎からの上り坂
代官山交番から槍ヶ崎交差点までは下り、その先は上り坂と谷のようになっていますが谷ではなく切通しです。私が勝手に代官山山脈と呼んでいる目黒川と渋谷川削り残した台地の縁にあたりますが、槍ヶ崎のあたりは槍のように狭くなっていたので当初トンネルが掘られました。路面電車を通す際トンネルでは賄いきれず切通しにしたのですが、駒沢通り沿いにビルが立ち並び切通しの面影はありません。このウォーキングコースを歩いていると槍ヶ崎交差点へ向かって下り、そこからまた上り坂があるので切通しを実感することが出来ます。ちなみにこの切通しの標高差は5メートルです。
渋谷区立原町公園
目黒区立中目黒一丁目児童遊園
区境の東西に公園がありました。
目黒の新富士(別所坂公園)
別所坂公園の眺め
代官山山脈の尾根道をたどると別所坂公園に到達し、その先は自衛隊の艦艇装備研究所があるので山を下って回り道をしないと先に進むことはできません。
別所坂公園は淀橋台の縁にある眺めの良い公園で、正面に中目黒のアトラスタワー(地上45階建)、右奥に大橋ジャンクションに隣接するクロスエアタワー(地上42階建て)が見えます。ウォーキングマップでは中目黒駅まで行くことになっていますが、この日のウォーキングはこちらで終了。別所坂公園でストレッチをして解散となりました。
この日は久しぶりに6名で反省会。ライオンのビールがおいしく大いに盛り上がりました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
駒場東大前駅ホーム
東大駒場坂下門
集合は東大駒場教養学部正門前で、この場所を借りてストレッチをします。ウォーキングマップでは井の頭線沿いを渋谷方面へ向かいますが、お勧めは東大駒場構内を歩き北門へ抜けるルートです。
しかし坂下門同様に北門も3月27日から封鎖されており、構内を歩くことはできないので、この日のウォーキングでは駒場公園を割愛し直接駒場野公園へ向かいました。駅ホームから見える正門へのアプローチを下ることはあまりないので撮っておきました。
駒場小学校
区内最北の区立小学校で菅刈小学校の分校が昭和9年に駒場尋常小学校として開校しています。
駒場野公園
十月桜
ケルネル田圃
アオサギ
水田の碑
水田の碑
駒場農学校の跡地
近代農学研究・農業教育発祥の地
この水田は 明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国 最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした
農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ 学校が この地で発展を重ねた
その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的 協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出を見た
本校は 東京農業教育専門学校附属中学校として 昭和22年 開校以来 右の歴史の流れを継いで この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ耕作をづけて 本年創立40周年を迎えた
そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ 歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ これを永く後世に伝え たいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得て ここにこの碑を建立する
なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 感謝の意 を表する
昭和62年10月 筑波大学附属駒場中学校・高等学校
淡島通り沿いの駒場野公園
1986年開園の駒場野公園とは少し離れた淡島通り沿いにあるこちらの公園は、郵政省電気通信研修所が国分寺市へ移転した跡に整備されました。ウォーキングは淡島通りを渋谷方面へ進み右折をして、第三機動隊方面へ向かいます。
天覧台
公務員宿舎の私道沿いにあるためウォーキングマップではこの場所は紹介されていません。駒場の地には江戸時代お鷹場があり、幕末には幕府がフランス式軍隊の駐屯地にしようとして地元農民が一揆をおこしたという記録があります。明治政府が保証を提示したため一揆もなく帝国陸軍の施設が設置され、この高台からは明治天皇が11回、大正天皇が4回訪れたということでこの碑が建てられました。
お花御殿
都立駒場高校のグランドの対面に香淳皇后(昭和天皇の皇后陛下)が御学問所として使用された建物が保存されています。
首都高大橋ジャンクション
オーパスブリッジ
玉川通りまで下りてくると大橋ジャンクションが見えてきます。玉川通りを横断する歩道橋はオーパスブリッジと名付けられエレベーターで昇降可能です。オーパスはジャンクションの愛称ではなく、再開発地区の名称とのこと。
目黒天空庭園
三軒茶屋方面を望む
オーパスブリッジを渡りクロスエアタワーのエレベータで9階まで行くと、目黒天空庭園の最上部に接続しています。田圃はビオトープの一部で首都高が管理しているようです。首都高のページから一部引用します。
おおはし里の杜
大橋ジャンクションの内側に位置する大橋換気所の屋上につくられた、「自然再生緑地『おおはし里の杜』」。
人と自然とのかかわりが豊かであった時代をイメージし、斜面林や草地、小川のせせらぎなどが再現されています。
おおはし里の杜が目指す自然環境 ~目黒川周辺の原風景を再現~
換気所屋上の特殊な形状(勾配約28%の斜面と上方・下方の平面部で構成)を、昭和初期のかつての目黒川の河岸段丘に見立て、斜面林、草地、湧水とせせらぎ、池、水田を設置しました。
目黒川周辺の原風景に基づく植栽景観を再生するとともに、多様な生き物の生育空間となる環境を創出することを目標として整備しました。
?
ムシトリナデシコだと思って撮ったのですが違いました。
シロバナキキョウ
ススキ
シロバナハギ
ガマズミの実
ハナカイドウの紅葉
畑
みかん
ハマナスの実
天空庭園の植物だいぶ落ち着いて、秋の風情を見せています。下部ではミカンやブドウその他野菜が栽培されて、ブドウはすでに収穫済みでワインとなります。
稲わら?
トウガラシ
収穫物のようです。ここからオーパスブリッジへ出ることも可能ですが、今回はプリズムタワーのエレベータを使って玉川通りの目黒川沿いに出ます。
目黒区みどりの散歩道 玉電
大橋ジャンクション
玉電は何となく記憶にあるような気がしていましたが、気のせいのようです。未就学児にはこのあたりは遠すぎて。。。大橋図書館を訪れるようになったのは、小学生高学年になった頃かなぁ。山手通りを走っていたトロリーバスはなぜか覚えています。
大橋ジャンクションは甲子園球場のように蔦で覆われることになっていますが、覆われるようになるまではまだまだかかりそうですね。
芸映
かつては赤坂に事務所があったのですが、1998年にこの地に移転したようです。考えてみればこのあたりにポリドールレコードがあったなぁ。
錦鯉のかのう
菅刈公園
菅刈公園のフヨウ
菅刈公園のスダチ
山手通りを横断し川沿いを避けて裏道を歩き昔からある錦鯉の店の前を通り菅刈公園へ。手が届く範囲のスダチがないのはみんな取られちゃうから?
西郷山公園
スクランブルスクエア
旧山手通り
西郷山公園の脇西郷橋からスクランブルスクエアがよく見えます。旧山手通りはお屋敷が多かったのか大きなヒマラヤスギがあったり、街路樹のエンジュも立派です。左側は都立第一商業高校。このあたりから目黒川へ下る「上村坂(かみむらざか)」があり由来は「日露戦争の日本海海戦で第2艦隊を指揮した海軍大将上村彦之丞の屋敷があった」となっているので、第一商業高校の場所に上村邸があったのかなぁと想像していました。調べてみると第一商業高校の場所には古河邸、旧山手通りを挟んだ目黒区側に上村邸があったとのこと。古河邸の場所は地元の農民に請われて西郷家が購入したとなっているので、現在の高級住宅地も農地としてはあまり利用価値がなかったのかもしれません。
エジプト大使館
デンマーク大使館
猿楽塚
旧山手通りは大使館が多く二週間前に紹介したマレーシア大使館も旧山手通り沿いにあります。猿楽塚は古墳時代後期の古墳で、渋谷区に古墳が残っているのは珍しいと思いますが、目黒区との区界であまり開発が進まなかったのかもしれません。
槍ヶ崎
槍ヶ崎からの上り坂
代官山交番から槍ヶ崎交差点までは下り、その先は上り坂と谷のようになっていますが谷ではなく切通しです。私が勝手に代官山山脈と呼んでいる目黒川と渋谷川削り残した台地の縁にあたりますが、槍ヶ崎のあたりは槍のように狭くなっていたので当初トンネルが掘られました。路面電車を通す際トンネルでは賄いきれず切通しにしたのですが、駒沢通り沿いにビルが立ち並び切通しの面影はありません。このウォーキングコースを歩いていると槍ヶ崎交差点へ向かって下り、そこからまた上り坂があるので切通しを実感することが出来ます。ちなみにこの切通しの標高差は5メートルです。
渋谷区立原町公園
目黒区立中目黒一丁目児童遊園
区境の東西に公園がありました。
目黒の新富士(別所坂公園)
別所坂公園の眺め
代官山山脈の尾根道をたどると別所坂公園に到達し、その先は自衛隊の艦艇装備研究所があるので山を下って回り道をしないと先に進むことはできません。
別所坂公園は淀橋台の縁にある眺めの良い公園で、正面に中目黒のアトラスタワー(地上45階建)、右奥に大橋ジャンクションに隣接するクロスエアタワー(地上42階建て)が見えます。ウォーキングマップでは中目黒駅まで行くことになっていますが、この日のウォーキングはこちらで終了。別所坂公園でストレッチをして解散となりました。
この日は久しぶりに6名で反省会。ライオンのビールがおいしく大いに盛り上がりました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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