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目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 北部公園コース 約6.0km

2025-05-28 11:57:00 | 東京都目黒区
5月16日から「めぐろ健康ウォーキング塾」が始まりました。講師を招いた5回の講習、区内北部、東部、中央、南部、西部毎で毎週行われる地区ウォーク実習、すべての地区を一堂に会した地区合同ウォークで構成されています。講習はすでに二回が終了し、北部すこやか歩こう会の地区ウォーク実習は初回残念ながら雨で中止になりましたが、北部公園コースは朝方雨が上がり実施することができました。今回は説明専念で写真はほとんど撮っていません。


菅刈公園のスモークツリー
中目黒GTに集合し4名の健康ウォーキング塾生が参加してくれました。目黒川舟入場へ移動してストレッチ後出発。駒沢通りを横断して難読漢字「皀樹橋(さいかちばし)」を案内。宿山橋でこの道が鎌倉街道であり、西へ進み小川坂を上ると宿山という宿場で、東へ向かうと目切坂、八幡通り、並木橋を経由し原宿という宿場につながっていることを説明します。菅刈住区センターですこやか歩こう会の名前の由来が北部を構成する四つの住区、菅刈の「す」駒場の「こ」東山の「や」烏森の「か」からきていることを説明。菅刈公園でかつて岡藩の下屋敷であったこと、明治時代に西郷従道の屋敷になり、その後国鉄の官舎が立ち並びその奥に国鉄スワローズの合宿所があったこと。三島由紀夫の豊饒の海の冒頭で描かれる松枝侯爵邸のモデルが西郷邸であることを説明しました。
坂を上って西郷山公園から旧山手通りを西へ向かい神泉交差点を過ぎて淡島通りを西へ。松見坂で大和田道玄が松の木の上から旅人を見張り追いはぎをしていた説明はしましたが、道玄が和田合戦の残党であった説明は忘れました。駒場一丁目の細い道を歩き、駒場バラ園が現在営業している日本最古のバラ園であることを案内。東京大学駒場キャンパスに炊事門から入り、正門わきのバラの花壇のバラも駒場バラ園からきていることを説明し、正門から再入校。テニスコート脇、野球場脇を歩き北門から出てフレッシュネスバーガー富ヶ谷が一号店であることを話しました。駒場公園を東門から入りトイレ休憩を取り、駒場野公園正門前で駒場農学校の話、ケルネルというお雇い外国人の話、実習場だったケルネル田圃で東京教育大学の流れをくむ筑波大学駒場の高校生が稲を育てていることを説明しました。この日のコースはここまで、ストレッチをして解散となりました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
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箱根仙石原・小田原旅行

2025-05-14 12:53:01 | 神奈川県箱根町、小田原市
春の旅行は目黒区の契約保養施設ホテル花月園に宿泊するコースにしました。箱根攻略のカギは渋滞や混雑のストレスなく移動すること。そのための交通機関の予約は考えていたほど争奪戦はなく、手配はスムーズにすみました。次回あるとすればさらにスムーズにできるよういろいろ学びました。


海賊船クイーン芦ノ湖
新宿発9時のロマンスカーの予約のため発売開始日の10時に特急券を取りにゆきスムーズに入手できました。小田急のアプリEMOTで特急券を5%割引で買えるのでそちらの利用がおすすめです。箱根フリーパスはキャンセルがあることを見越して当日購入がいいでしょう。今回は高速バス利用者がいてそのチケットはバスタ新宿で購入できるので、新宿に行ったついでに買っておくのがよいでしょう。
本隊は9時のロマンスカーで小田原へ。小田原からは必ず座れる芦ノ湖ライナーで元箱根港へ。芦ノ湖ライナーもEMOTで事前予約。元箱根港で30分待ちの予定が10時55分の海賊船に間に合い、桃源台駅で食事の時間を取ることができました。


立ちはだかる水たまり

スミレ

湖尻水門
小田原駅では何とか雨はやんでいましたが箱根新道を上ってくると雲に入り、元箱根港では雨模様。海賊船では風景も何もなく一面霧で桃源台駅でも雨模様でしたが、ランチを終えて歩き出すころには一応雨はやんで一安心。今回は仙石原湖尻自然探勝道を仙石原から。ところどころ水たまり越えに苦労したものの雨が降り始めるまでは気持ちの良いウォーキング。


道標

水たまり

杉木立の散策路

箱根カントリー倶楽部


水たまり

耕牧舎跡の碑
耕牧舎については渋沢栄一記念財団のサイトから引用します。
 1879(明治12)年、渋沢栄一は益田孝らと耕牧舎を設立、その翌年2月に箱根の仙石原で牧場開拓が始まりました。運営を任されたのは栄一の従弟、須永伝蔵(すなが・でんぞう、1842-1904)です。須永は栄一の命を受けて仙石原に移住、耕牧舎の管理・運営にあたりました。
 当初の目的は牧羊でしたが、羊の育成には不向きな土地であったため、牛馬育成へと軌道を修正、牛乳・バター販売がその営業の中心となりました。耕牧舎の牛乳は箱根だけでなく東京にも販路を広げ、番付表「東京牛乳名家一覧」に「大関」として耕牧舎の名が記されたこともありました(稲村特寿著『波瀾に満ちた須永伝蔵の生涯』(箱根史談研究会, 1977)p.71)。
 それでも仙石原での牧場経営は必ずしも順調ではなく、1904(明治37)年に須永が他界したことを機に、耕牧舎は牧畜中止を決定します。後に栄一は益田らと仙石原地所株式会社を設立、仙石原での土地利用は牧場から別荘地開発へと方向を転換しました。
 厳しい自然条件の中、耕牧舎で酪農経営を支えた須永伝蔵の顕彰碑が仙石原に建立されるにあたり、渋沢栄一は昭和6年7月(1931年)、その題額を揮毫しています。



道標

ルート案内図

展望案内図
耕牧舎跡の碑まではサイクリングコース。ここから少し山道に入ります。晴れていれば大涌谷の噴煙が見えるのですがこの日は残念。


ふたたびサイクリングコースへ戻る

名もなき池

フジ
サイクリングコースから自然探勝路は早川沿いを歩き仙石原浄水センターに出てきます。そのまま仙石高原バス停に出る予定だったのですが、トイレが我慢できなくなり箱根湿性花園へ。コンビニでビールと氷を仕入れてバスで桃源台駅へ戻りコインロッカーに預けた荷物を取り出しふたたびバスに乗ってホテル花月園へ。池尻大橋から高速バスで来たグループと合流してチェックイン。




ホテル花月園
二日目にして富士山を見ることができました。記念写真を撮って本隊は箱根ロープウェイ、別動隊はホテル前からバスで箱根湯本、一人はホテル前からバスタ新宿行きの高速バスで帰りました。


箱根ロープウェイ

芦ノ湖海賊船




大涌谷
南温泉荘からバスで桃源台へ。ロープウェイに乗って富士山が見えなかったのですがしばらくすると思わぬ方向に富士山。昨日霧で何も見えなかった海賊船も芦ノ湖に見えます。大涌谷でロープウェイを乗り換え早雲山。



箱根登山ケーブルカー

箱根登山電車
ケーブルカー、反対方向は立っている人がいるほどの混雑ですが強羅方面は余裕で、登山電車も同じ感じ。箱根湯本で乗り換えて小田原へ。




浄永寺
小田原で当日参加のメンバーを加え西口でストレッチをして出発。コースは「ウォーキングタウンおだわら散策マップ!中央版」の「歴史と文化の香るまち散策コース」。


大久保神社
大久保神社
 大久保忠世(初代)と大久保忠真(10代)を祀る神社。
 大久保家は、下野(今の栃木県)宇都宮に勢力をもった藤原道兼の流れに宇都宮朝綱の子孫で泰藤のとき、建武の役に新田義貞に従い転戦したが、義貞が越前で討死したので、三河の上和田に土着した。その後、姓を宇都宮から宇津に改め5代目昌忠(室町期)の頃から徳川の祖、松平信光に属した。昌忠の曾孫忠員の時、姓を宇津から大久保に改めた。
 忠世はこの忠員の子で遠州二俣城主であったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻略で徳川家康に従い参戦し、戦後4万5千石で小田原城主となった。
 大久保家は2代忠隣のとき改易となり、その後大名に復活し5代忠朝のとき小田原藩主に返り咲いたのは、70年不在の後であった。石高は、11万3千石に達した。忠真は、大坂城代、京都所司代、老中を歴任し、二宮尊徳を始め多くの人材を登用し、忠臣孝子を顕彰するなどし大久保家中興の名君と知られている。以降も代々小田原城主として栄え、15代忠良の明治の大政奉還まで小田原藩主として続いていた。


大久保神社へ至るルートが地図を見てもよくわからなくて苦労しました。坂が多く体力の無駄遣いになるので次回は省略かな。





城山公園
海と小田原城が見えます。景色の良い山の上で土塁も残っているのでかつてここに城があったのかと調べるとそうでもないようです。地図にはトイレのしるしがあるが廃止されたようで、観光地の公衆トイレの維持が大変だということがわかります。小田原駅との標高差が70メートル近くあり一気に登ってくるので結構きついのですが、この後の総構えの痕跡を見るためにここは外せません。公衆トイレを整備してもらえないかなぁ!






小峯御鐘ノ台大堀切東堀
現在、小峯御鐘ノ台大堀切東堀と呼んでいる堀は、本来は三の丸新堀の一部であり、もともとは小田原城の外郭の一部でもありました。その後天正15年(1587)から、総構堀とともに小峯御鐘ノ台大堀切中堀・西堀が構築されたことで、小峯の丘陵を守る一連の堀切としての役割を担うようになりました。
 現況土塁上から測った堀幅は25~30m、深さはおよそ 8~10mですが、発掘調査で確認された堀底までを含めると深さは12~15mであったことがわかっています。堀法面の角度は50~60度で、堀底に堀障子を有する障子堀であったことも確認されています。
 現在、堀は延長280mの長さで堀底が散策路となっており、途中2箇所の「横矢掛り」を確認でき、堀や土塁の規模が体感できます。


ここは必見です!


伝肇寺




居神神社

板橋口

御組長屋

大久寺
板橋口にようやく公衆トイレがあったものの、規模が小さく時間がかかります。現代の小田原攻略のカギは総構えではなくトイレです。



早川口遺構
 早川口は、「二重外張」と呼ばれる、土塁と堀を二重にして防御を固めた場所で、小田原北条氏時代には小田原城総構の虎口(お城の入り口)であったと考えられています。
 江戸時代には東海道に沿った上方口(板橋口)に虎口が移ったため、この場所には戦国時代の遺構が良好に残りました。
 明治時代遺構に別荘地などとして使われため、地形が改変されている部分がありますが、現在、低地部で見ることのできる数少ない戦国時代小田原城の土塁のひとつです。
 発掘調査により、土塁の断面を確認したところ、人頭大から一抱えもある玉石を2m以上にわって積み上げて築かれていることがわかりました。



小田原用水

東海道沿いの趣のある薬屋

小田原城
小田原城を見るほどの時間の余裕はなく小田原駅東口に引き返してきました。初日雨に降られたり、帰りのロマンスカーが人身事故で運休になったりトラブルもありましたが、箱根小田原はいい観光地だと改めて実感した旅行となりました。


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【下見】第22回めぐろウォーキングマーチ将軍お鷹狩りウォーク

2025-05-06 13:03:29 | 東京都千代田区、港区、品川区、目黒区
11月3日に行われるイベントの第一回目の下見です。



日比谷公園の展示

松本楼
ロングコースのスタートは昨年と同じ日比谷公園健康広場。公園ではアート作品の展示が行われています。日比谷公園を昨年同様に霞門から出るので今回は松本楼の前を通り、雲形池を眺めるコースにしました。


日本プレスセンタービル
公園を出て祝田通りを南西に向かいます。信号待ちは多いものの歩道が広くて休日午前中はとても歩きやすい。


虎ノ門のビル群

愛宕山出世の石段

慈恵医大
祝田通りは港区に入り愛宕下通りに変わります。


芝公園集会広場
ここまで30分。今回はこちらがショートコースのスタート会場、ロングコースはトイレ休憩。


鯉のぼりが泳ぐ東京タワー

もみじ谷

東京タワー

赤羽橋から東京タワー

慶応義塾大学

桜田通りと東京タワー
さらに南下して赤羽橋から桜田通り。慶応大学を過ぎて三田三丁目交差点で三田通りを横断して聖坂へ。


蟻鱒鳶ル
聖坂の途中、大規模再開発の一角にありこれから曳家で移動するそうです。


亀塚公園
この森が古墳だと思われていますが確証はないそうです。


三田台公園
貝塚を見ることができます。


伊皿子交差点

高輪消防署二本榎出張所
聖坂(坂の名前だと思っていましたが通りの名でもあるようです)は伊皿子の南側は二本榎通りに変わります。風情ある物見やぐらまできて西へ向かいます。


明治学院大学
桜田通りを横断し桑原坂をのぼり八芳園の前をとおり目黒通りへ。



ゆかしの杜
こちらでトイレ休憩。


ねむの木の庭のバラ プリンセスミチコ


シャクヤク

キリ

ねむの木の庭
正田邸跡の区立公園ねむの木の庭に寄る提案をいただき、訪れてみました。道も狭くわかりずらいので参加者には喜ばれるかもしれません。


インドネシア大使館

タイ大使公邸
目黒駅まで戻りこの日の下見は終了としました。参加者を楽しませられるコースとなると思います。

目黒の日高屋で反省会。事務局の良い交流となりました。


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すこやか推奨駒場コース 約5.4km

2025-04-24 12:24:06 | 東京都目黒区、世田谷区
暑くもなく寒くもなくといってもこの日は少し気温が高く、ザックを背負った背中はびっしょりという会員も。


駒場の公園のヤエザクラ
ソメイヨシノ花吹雪が去ると新緑が街を彩り始め、春本番というより初夏を思わせる気温の中ヤエザクラがきれいなピンクを躍らせています。


騎兵山から三軒茶屋方面

騎兵山の斜面工事
駒場東大前駅で集合し、駒場野公園へ移動。ストレッチ後スタートして南へ。淡島通りを東へ向かい、大橋通りに入り南へ。第三機動隊を過ぎて東邦大橋病院の手前騎兵山の縁を西へ向かいます。


馬神碑
騎兵山の南西の縁にこの碑があります。山といっても山ではなく台地を北沢川や目黒川が削った崖の上です。騎兵山は日本騎兵の父と呼ばれた秋山好古が所属した騎兵第一連隊があった場所(のちに習志野へ移転)と聞いていますが、それを裏付ける確かな資料は見当たりません。同じ一角に秋山好古が揮毫した石碑が残されており騎兵第一連隊がここにあったものと信じています。馬神碑は日清・日露戦争や日ごろの訓練でで犠牲なった馬を鎮魂するため昭和五年に建てられたものです。
駒場の地は江戸時代徳川家の鷹狩り場として管理され、江戸末期に幕府はここを練兵場にしようとしましたが一揆に拒まれ、明治政府はある程度の保証を払い駒場農学校や陸軍の施設としました。



騎兵山の崖のハナミズキ

目黒川緑道のキハナショウブとクルメツツジ

シャクナゲ

ジャーマンアイリス?

花畑
騎兵山を下ると目黒川緑道を東へ向かいます。暗渠の上に水を流して川をイメージさせ、きれいに手入れされた花々が通行人を楽しませています。



目黒富士

上目黒氷川神社
目黒川緑道は玉川通りまで、大橋という地名の通り江戸時代目黒川の川幅が広く大きな橋が架かっていたのでしょう。玉川通りを北東へ進み大橋交番のわきにある目黒富士登山道を登ると上目黒氷川神社。目黒富士は代官山にある元富士の流れを受けています。江戸時代代官山のキングホームズが建っている場所には丸旦という名の富士講が富士山から持ち帰った溶岩などを積み上げた築山を造り江戸からの物見客でにぎわっていました。近くに択捉探検で有名になった旗本近藤重蔵が別の築山を築き観光地となったことから代官山の築山を元富士、別所の築山を新富士と呼ぶようになりました。明治時代になり丸旦組の元富士は明治政府のものとなり岩倉具視の別荘が建てられました。築山は壊されて氷川神社へ運ばれ、末社の浅間神社に祀られたことから氷川神社の崖に目黒富士登山道が設けられることになりました。現在氷川神社から富士山を拝むことはできませんが、かつては富士山が見え遥拝所となっていたそうです。



駒場バラ園のモッコウバラ
氷川神社で少し休憩した後北へ向かい淡島通りを東へ。松見坂から駒場一丁目の住宅街に入ってゆくと井の頭線の線路にあたりそこが駒場バラ園。さすがバラ園、モッコウバラも見事です。




東京大学構内
さらに北へ向かい炊事門から東京大学駒場キャンパスに入り構内を歩きます。


駒場公園前田邸和館

前田邸洋館
駒場キャンパスの野球場とラグビー場の間を歩いて北門から通称行幸通りへ出て西へ向かうと駒場公園。ここは昭和初期の加賀前田家の邸宅跡です。江戸時代加賀前田家の江戸上屋敷は本郷にありました。東京大学の赤門です。帝国大学拡張に伴い前田家は駒場の地に等価交換で移ってきて現在国の重要文化財に指定されている和館と洋館を建てました。


駒場野公園正門

ケルネル田圃
駒場公園が前田家から寄贈された公園なのに対し、駒場野公園は東京教育大学の敷地跡が公園になったもので、お雇い外国人ケルネルが研究に使った田んぼが残されています。手前の木で見にくいですが田んぼはまだ田植えが行われていません。五月になると東京教育大学の流れをくむ筑波大学駒場の生徒たちによりもち米の田植えが行われます。

駒場野公園でストレッチをして解散、久しぶりに渋谷のライオンでおいしいビールを飲みながらの反省会となりました。


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大倉山獅子ヶ谷市民の森コース 約5.4km

2025-04-08 15:33:34 | 横浜市港北区、鶴見区
獅子ヶ谷市民の森は横浜らしい起伏が激しい場所で、この地形が海まで続いていることを考えると江戸時代後期に横浜が国際港となった理由がわかります。集合は大倉山駅改札、港北区役所まで移動し空いたスペースをお借りしてストレッチをしてスタートします。 港北消防署 役所の隣の消防署、標高は5.7m。 環状二号線沿いのお宅 緑地保存地区 スミレ 環状二号線を東へ進み、右に折れて初めの山越え。このスミレの咲いている山は16.6m。 永昌禅寺 桃源郷 このあたりから桜や桃の花でうっとりする景色。この日は風が強いせいかウグイスの声が聞こえません。 旧横溝家住宅のソメイヨシノ レンゲ 旧横溝家住宅 オドリコソウ タツナミソウ シャガ シラユキゲシ ヒメキンポウゲ ボケ カイドウ 屋敷前の田んぼには今年もレンゲが咲いていました。屋敷内も花盛り。標高5.7m。 水路 シモクレン 神明社 光明寺 ハナニラの斜面 ボケ 会員がきついと嘆くゴルフ練習場横の坂を避け新たなルートの開拓です。光明寺前で9.7m、階段を上りきって39.5m。 ツクシ 上郷神明社 車地蔵 車地蔵  (獅子ヶ谷町164)  この地蔵は、享保3年(1718) に建立されたもので、お堂の中で道行く人達を温かく見守り、人々からは、「子授け地蔵」とか「車地蔵」として親しまれてきました。  お堂の左側の柱には、小さな木の車が取り付けられています。昔から、この峠道を通る人たちは、この車を回す習慣が在りましたので、車地蔵の名が生まれたのでしょう。  この車は、「地蔵車」または「後生車」とも呼ばれ、これを回すことによって六道の苦難から救われると信じられ、後生安楽に成仏するといわれてきました。  伝説によると、時おり、人びとの寝静まった夜半に、この車がひとりで回る音がして、これはお地蔵さんが回されるのだと、久しい間村人たちは信じてきました。  この車地蔵が建っている峠道は、江戸時代、鶴見から師岡・綱島方面に至る唯一の街道でした。 平成16年9月 鶴見区役所 神明社の急な石段は標高差15m。 灰ヶ久保広場のソメイヨシノ 歴史とみどりの散歩道 灰ヶ久保広場でトイレ休憩。広場の入り口は10.2m、その後説明板がある44.1mまで登る。 最後の下り階段 一度19.4mまで下ってから再度の登りでこの階段上は42.2m、下は35.2m。 フキに覆われてしまった屋敷の庭 ストレッチで境内をお借りした菊名神社 神社で解散となりました。何度も酒屋階段を上ったり下りたりのこのコース、いつまでも歩くことができるよう体力を維持しておきたいです。 すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。 まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。 sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。 すこやか歩こう会活動スケジュール 参加を希望される方はご一報ください。
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