負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

植物には科学的に証明されない隠された知覚が存在する

2004年11月30日 | 詞花日暦
植物に知覚力があるという発見は……
後に「バックスター効果」として知られる
――P・トムキンズ(科学ライター)

 一九六○年代半ば、ニューヨークのとあるビルの一室に鉢植えのドラセナとうそ発見器があった。その場にいたバックスターは、うそ発見器検査官の第一人者だった。気紛れに機械の電極をドラセナの葉につないだ。検流計の針がときに大きく振幅することに気づく。
 植物の反応が起きるのは、たとえば葉に火をつけるような危害が加わるとき。しかも、バックスターが心のなかで炎をイメージし、マッチを取りに行こうとしただけで反応が起きる。むろん葉を焼くと、さらに大きな反応が出る。試みに葉を焼くふりだけすると、奇妙にも反応がない。
 植物との距離を離す、鉛の容器に入れて遮断するなど、数多くの実験を重ねた。結果として、「植物生命にはまだ定義が与えられていないある根源的知覚が存在している」という仮説を導いていった。科学的にはまだ証明されていない。だが、クラシック音楽に聞き入る植物など、科学が置き去りにした植物の神秘は、自分の部屋や庭で植物を育て、かわいがっている人々が日ごろから密かに語り継いでいる。

日本は世界に四つしかない花卉園芸センターの一つである

2004年11月29日 | 詞花日暦
自然の花より人工の花の方が
美しいというのが常識であろう
――中尾佐助(生物学者)

 花好きな人は、花を育てる世界の花卉園芸文化が四つの地域(センター)に分かれているのを知っていよう。第一次センターは、西アジア・地中海地域と中国。園芸はまずここから始まったとされる。第二次センターは、西ヨーロッパ・アメリカと他ならぬ日本である。
 中国の影響を受けたとはいえ、室町時代から頭角を現し、世界に肩を並べた日本の花卉園芸を自負していいだろう。出発点は椿と桜の品種改良からと中尾佐助は書いている。むろん平安・鎌倉時代にもあったが、多数の品種があふれたのはこの時代から。江戸時代になるとさらに花開き、現在までつづいている。
 一方で中尾は、「野生原種のもつ美しさは人工的雑種以上のものがある見方がはっきりと存在している」とも書きくわえている。オランダでの講演で野生原種が美しいと語ると、現地の人から即座に反論が上がったという。人の花の見方はさまざま。特に老いたり、病を得たりすると、原種に近い野の花がいとおしくなる。

浄土といわれた補陀落山は中国の舟山群島に実在した

2004年11月28日 | 詞花日暦
フダラク山は観世音菩薩のいます
洋上の島で…天竺の南の海上にある
――益田勝実(国文学者)

 すでに滅びてしまった補陀落渡海は、史実として『熊野年代記』に記録されている。平安から江戸時代中期まで、奔流する長い時のうねりのなかに、かすかな漁火のように点綴している。熊本県玉名市にも石碑が残り、永録十一年(一五六八)十一月、三人の上人が有明海を船出した記録を留めている。
 目的地は『西遊記』にも登場するインド沖の島と考えられていた。だが、九州平戸藩主松浦静山の著書や中国の『三才図会』では、すでに九世紀頃から補陀落は中国の舟山群島のひとつとしてみなされていた。『和漢三才図会』には、漁師たちが元禄六年(一六九三年)に風に漂うまま補陀落山に達し、その地にいる日本人に会ったとも伝えている。
 インドの南海にある幻の島はいつの間にか代替品の補陀落、しかも実在の島となった。何事につけ自己中心的で、国際感覚に欠けた日本人は、インド到来の仏典にある浄土を手近かな中国ですませたのかもしれない。日本人の理想とは概してその程度のものでもある。

西方浄土へ海を渡る僧侶は「救けて」とつぶやいた

2004年11月27日 | 詞花日暦
世を厭い人を厭う老人の
厭世からの行為としか解されぬ
――井上靖(作家)

 補陀落渡海(フダラクトカイ)は、九~十八世紀まで、補陀落と呼ばれる西方浄土へ海を渡る宗教的な行為だった。和歌山県那智勝浦町にある補陀落山寺の事跡がその典型例。寺の横の小高い丘に登った。矮小な潅木を押し分けて行くと、いくつも卵塔婆が並ぶ。渡海上人たちの苔むした石塔である。
 井上靖の「補陀落渡海」は、永禄八年(一五六五)、この寺の住職、六十一歳の金光坊が秋の海に船出する心理を描いた。小舟に乗り込んだ僧侶は、あろうことか「救けてくれ」とつぶやく。井上は「老人の厭世からの行為」と見なし、「信仰とも観音とも補陀落浄土とも無縁」と書いている。
 あてどない楽園を求めて海に出る行為は、近代人にとっては愚かなこと。が、近代の心理学はわずかここ百年のことでしかない。もっと長い歴史を閲してきた人々の心の営為が、その十数倍もの間、日本人の奥底にひそかにたゆたっていた。もし古い日本人の深みに澱む幽かな心の風景を探りたいなら、表層的な近代人の心理学を捨ててかからねばならない。

情報工学と軍需産業はアメリカの双頭のワシである

2004年11月26日 | 詞花日暦
文化は継続性であるが、技術は変化を司る。
技術はいつのときも文化の危機を創り出す
――S・ブカットマン(ニューヨーク大学教授)

 今日の情報化社会は宇宙時代の幕開けから始まった。一九五七年、人工衛星スプートニクが打ち上げられ、ソ連に攻撃される脅威にさらされたアメリカは、テクノクラシーの確立に向かった。その最前線がNASAによる宇宙開発。だが、背後には、当然、軍需産業が見え隠れしている。戦後五十年間に投下した軍事予算は、実に二十兆ドルといわれる。
 やがて東西冷戦が終幕を迎えると、国防総省の軍需予算がカットされ、民間事業への技術転換が進む。以前の軍需産業は民間企業に転進し、それまで蓄積した膨大なデータを使って、民需ビジネスをつくり出す。たとえばインターネットは国防総省から、デジタル電話は軍の暗号技術からといったように。IT産業は一九九○年代に隆盛を極め、やがて不況に陥る。
 残されたアメリカの方策は、軍需産業がつくるITを組み込んだ最新兵器を消費すること。米国のハイテク兵器は、連綿とつづいてきた世界の文化を破壊し、危機を生み出していく。

コンピュータは民主主義的な価値の破壊に用いられた

2004年11月25日 | 詞花日暦
軍部と産業界の同盟は、
ハイテクの時代まで継続している
――T・ローザック(歴史学者)

 情報技術の乱用が起きるふたつの可能性を予測したのは、アメリカの高名な数学者、『人間の人間的な利用』の著者ノーバート・ウィーナーだった。情報技術の乱用とは、戦争の手段と労働者を不要にする産業利用である。このため、ウィーナーは軍からの資金援助を拒否し、労働運動の助言者として協力する二面作戦を実行している。
 彼の戦略に取りちがいがあったとすれば、予想もしなかった軍・政府と産業の密接な同盟である。第二次大戦後、政府・軍がコンピュータなどの情報理論に投資をつづけたのは、産業システムを変革する意図が大きかった。産業の自動化には、働く人を規制する労働問題の解消という政治的背景が強かった。
 ローザックによると、たとえばいまでは常識なったCAD/CAMの開発は、国防総省がスポンサーになった「集中コンピュータ利用製造」研究計画の成果だという。情報技術を人間的な用途に立ち返させるにしても、一方で「コンピュータが民主主義的な価値の破壊に容易に用いられる」事実に人は直面しなければならない。ローザックはそう指摘している。

国家に許される暴力で人々は鯨のような死に方をしてきた

2004年11月24日 | 詞花日暦
良い国家や悪い国家ではなく、
国家の存在自体を疑ってみるべき事態がきた
――安部公房(作家)

 日本でも鯨の群れが海岸に漂着(ストライディング)するニュースが、ときおり新聞やTVに登場する。ちなみに平成十五年三月から五月の短い期間でも、漂着件数一一二件、十頭を筆頭に複数頭のケースは三件にものぼる。
 昭和五十九年、安部公房は「人間だって鯨のような死に方をしないという保障はどこにもない」と、米での講演原稿に書き留めた。まだソ連崩壊前、彼の脳裏には全面核戦争があったのだろう。しかし核の脅威、細菌戦やテロはいまも人々を脅かしている。日本は憲法を変え、戦争に備えようとさえしている。
 安部が書いた「国家だけになぜ暴力が許されるのか」という問いかけは、現在も生きつづけている。日本人は古来、お上という「国家」に寛容で、政治から経済まで国に一任して済ます生活態度に狎れてきた。「想像力の不足する楽観主義」は、ひとりが駆け出せば、全員が反応して駆け出す不安定さに満ちている。アメリカに追随する政府や政治家や官僚が口にする国家や国益を疑ってみないと、鯨のように死に急ぐ恐れがある。

羽衣伝説はおとぎ話でなく、天女は実在の人間である

2004年11月23日 | 詞花日暦
余呉湖はこんな悲劇を秘め、
青い水面に白い雲を映していた
――澤田ふじ子(作家)

 琵琶湖の北にひそむ余呉湖は、冬の季節、雪に埋まってしまう。湖畔の風景は白一色におおわれ、かぎりない静寂に満ちあふれる。古代人の生活と文化を遺す『風土記』が伝えるのは、白鳥に化身してこの湖に舞い降りた天女たち。日本各地に残る羽衣伝説にもれず、里人は羽衣をかくし、彼女たちは囚われの身になった。
 天女は日本に渡来した朝鮮の娘たちだろう、と澤田ふじ子はいう。娘たちは養蚕や機織の技術を持ち、松の枝の羽衣は、日本人が見たこともない織物だった。里人は彼女たちに布を織らせ、富をえた。
 澤田は作家になるまえ、京都・西陣で織物の修業をした。女性の感性もくわわって、染色や織物に「文化の収斂」を感じ、そのなかに人間の深い思いや痛みを見る。「羽衣伝説は、一つの部族なり民族がもつ文化が、人身の略奪によって他民族に伝播することを物語っている」と彼女はいう。美しい話につくり変えられていることが、逆に略奪された娘の悲しみを感じさせるとも書いた。羽衣伝説は美しいおとぎ話だけではない。

漢字の横に振る「ルビ」は宝石のルビーに由来している

2004年11月22日 | 詞花日暦
振仮名が創り出す
ダブル・イメージは秀逸だ
――塚本邦雄(歌人)

 漢字に振るルビの由来は、イギリスで小さなサイズの活字を宝石のルビーに喩えて呼んだため。むずかしい漢字の読み方を横に小さく表示する振りがなは、江戸の木版本の頃からあった。明治以降の活字本には総ルビの本もあって、これで漢字を憶えたという人がたくさんいる。日本独特の振りがなは、漢字を読めない人に読み方を教える啓蒙の意図が強かった。
 昔、岡本かの子の小説で「吐月峰」に「はいふき」のルビが振られたのをふしぎに思った。後年、静岡市西郊の天中山吐月峰柴屋寺を訪れ、謎が解けた。連歌師・宗長が草庵を結んだ場所は竹林に囲まれる。その竹を利用して庶民の喫煙用具・灰吹きをつくり、竹筒に「吐月峰」の焼印を押した。
 ルビは教育上の啓蒙だけではない。ひとつの漢字にこめられた重層する意味や歴史の広がりを示す。現代もルビの復活を説く人がおおい。やたら漢字を平仮名に置き換えて、深みと広がりのダブル・イメージを葬りたくないからである。

若山牧水の好物はとろろ・川魚・蕎麦・芋などだった

2004年11月21日 | 詞花日暦
飯の時には炊きたてのに、
なま卵があれば結構である
――若山牧水(歌人)

 宮崎の山深い村に生まれたせいか、若山牧水は「余り眼ざましい御馳走を並べられると肝が冷えて、食欲を失う」という。好物にとろろ汁、川魚、蕎麦やそうめん、芋、大根の類、豆腐に香の物を上げる。昨今の食生活からすれば、なんとも貧しいかぎりだろうが、日本の山村の食生活は長い間そんなものだった。
 ときには「一年中に味わいうる食物中の最も美味なるもの」に出会うことがある。火縄銃を手に、数人の村人が山に入る。やがて帰村した勢子の長者は、手を洗い、口をすすぎ、呪文を唱えながら、山神に祈祷を捧げて、猪をさばく。子供たちは串刺しにした肉を焼き、塩をかけてほおばる。
 東京に来た牧水は、秋のある夜、焼肉を食べながら、子供時代の記憶を鮮やかに甦らせた。日常的でなかった肉の味はたしかにぜいたくだったろう。だからといって、他の食べ物が貧しいとはかぎらない。むしろ、自然がもたらすままの食材が口に入らない現在こそ、貧しさに満ちている。見せかけの豊かさを取りちがえないようにしたい。

好色文学の元祖は十六世紀のイタリア人である

2004年11月20日 | 詞花日暦
ルネサンス期の社会と人間を
リアルにそして辛辣に描いている
――結城豊太(イタリア文学者)

 イタリア・フィレンツェから列車で南へ小一時間、小さなアレッツォの町に一日を過ごした。陶器市が観光客を呼び寄せるようだが、春の一日はそんな観光客もいない静かなたたずまいだった。ルネサンス芸術愛好家に必読の名著『芸術家伝』を残したヴァザーリの家や詩人ペトラルカの教場が残っていた。
 筆者の目的は、この地の出身者ピエトロ・アレッチーノの痕跡を探すこと。町にとっては名誉な人物でないかもしれない。高名な歴史家ブルクハルトは、悪辣なジャーナリストの元祖として書いている。書簡集がいまも読めるが、ゆすり屋に近い辛辣な文面がおおい。きびしい批評精神をルネサンスに似つかわしい個性の発揮と評価する人もいる。
 もうひとつ彼の名を後世に残したのは、十六世紀を代表する好色文学の元祖としてである。後年、「アレッチーノ風」ということばが、その種の作品のキャッチフレーズになった。ジュリオ・ロマーノの挿画を添えた彼のソネットは裁判で有罪を宣告されたが、人間復興にふさわしく、人間のありのままを過激なまでリアルに描いた歴史的な作品である。

マザッチオが描く「楽園追放」から不幸な近代が始まった

2004年11月19日 | 詞花日暦
マザッチオ風の絵画で……古典の影響が
最小限になり、自然主義が最大限になった
――パノフスキー(美術史家)

 フィレンツェに旅し、ブランカッチ礼拝堂を訪れない人でも、マザッチオの「楽園追放」はルネサンス美術書などでかならず目にしている。二十七歳の若さで早世したこの画家は、きわめて現実味の濃い筆致で、天国の門を出るアダムとイブの姿を描いた。
 礼拝堂には、対になって飾られたマゾリーノ作(伝)の「原罪」がある。こちらの中世風の平板な描法と対象的に、マザッチオの作品には近代的なリアリティが滲み出し、人間の悲惨な姿、人間の悲しさが強く漂っている。ブリュネレスキの影響による遠近法もさることながら、自画像を別の絵に描き込んだように、自己という個人の発見があったからである。
 少しのちになって、『芸術家伝』を書いた同国人ヴァザーリは、次のように彼を評価した。「あの男は生命感にあふれ、現実的で、自然のままの作品をつくりだした。……マザッチオがはじめてである」。二十世紀のパノフスキーも同じ評価をしている。近代につながる新たな世界観の発見は、幸か不幸か、「個」という人間の発見でもあった。幸か不幸かわからないが、現代のわれわれも「個」に生きることを教えられてきた。

リルケはひまつぶしの芸術鑑賞を冒涜だといった

2004年11月18日 | 詞花日暦
芸術というものは……孤独な人にとって、
自分自身を全うする道だ
――リルケ(詩人)

 引用のことばは、まだ二十二歳のリルケがイタリア・フィレンツェに旅し、ルー・サロメに宛てた書簡体日記に書かれている。そのなかで民衆と芸術家との関係に触れ、大衆は芸術に昼寝や一服の煙草のような楽しみを求めるという。「何という冒涜だろう」とリルケは書き添えた。
 単なる楽しみ以外にも、おおくの人々は芸術の教育的価値を語り、気の利いた批評家になる。芸術作品が街中に息づくフィレンツェ。気ままにさまよう旅行者はサン・マルコ修道院の質素な階段の踊り場で、壁にはめ込まれたフラ・アンジェリコの美しい「受胎告知」に出会う。
 敬虔な修行僧だった彼は、「打ち震える言葉で、自分みずからの卑しさを告白する……修道院の壁だけに囲まれ、控えめな清浄さをもって枝を伸ばし、花を開き……二、三の芸術家の心の中に、五月のある朝の追想以上の跡を残さないで凋んでいくことができた」。芸術は娯楽でも教育でもなく、孤独な人が「自分自身を全うする道だ」とリルケはさらに書いた。

津軽には創世の神話に似たすぐれた無形文化財が残っている

2004年11月17日 | 詞花日暦
暗闇に藁が燃え、獅子が髪を振り乱して踊る姿が
異様な神秘さを漂わせる
――無名氏

 日本列島の西南に生まれ育った筆者にとって、東北地方一帯は見慣れぬものの宝庫である。青森県岩木町でとてつもない民俗芸能に出会った。町の無形民俗文化財「鳥井野獅子踊」は享保年号の残簡に記録が残り、津軽九代藩主寧親公の代に祝賀の宴で披露されたという。
 長い鼻毛を出した獅子面、奇妙な面貌の猿面の踊りは、滑稽さと激しさがない交ぜになって進行する。物語は四つのテーマに分かれていた。道行を表す「街道踊り」、三頭の獅子が新天地を求め、野を切り拓く「橋踊り」、三本の柳を立てた聖地としての山へ向かう厳粛な「山踊り」、男女の恋の争いと仲直りの「女獅子隠しの踊り」。
 京都伝来とも聞くが、それよりもここに表現された世界観のすごさに驚かされる。人類の出現から始まり、聖なるものの発見、典型的な人の交わりなど、まるで人類の創世と歴史を語る神話にも似ている。こんな壮大な世界観が片田舎の秋の闇夜に繰り広げられているのが、どうしてもにわかに信じがたい。

里神楽は魂を鎮める神々がいたことを思い出させる

2004年11月16日 | 詞花日暦
神社の祭のとき、神楽殿でよく
おかめやひょっとこが踊っている
――須藤功(写真家)

 田舎で秋の収穫が終わると、里神楽の音が響いた。子供心におかめやひょっとこがおかしかった。鬼面のような異形の舞い姿が恐ろしかった。高度成長の頃にはその姿が消えた。関東に住んで、太々神楽を見る機会があった。ひょうきんなふたりは健在だった。娯楽の要素を持った神楽は「興舞」。江戸里神楽系といわれる。
 関東では最古と伝えられる鷲宮神社の「催馬楽神楽」がある。平安時代の歌謡、催馬楽を取り込んでいる。曲目の大半は、古事記・日本書紀の神話を題材にした舞踏劇形式の「神事舞」。この系譜を引く里神楽も、東京二十三区内や周辺に伝わる。
 やはり室町時代からといわれる、岩手県大迫町の早池峰岳神楽も観に出かけた。式舞、神舞、座舞、祈祷舞、権現舞、狂言舞の計五十二番が伝わっている。修験者が伝えたせいか、陸奥のせいか、仮面はどこか遠い異国からきた印象さえある。いずれも無形民俗文化財として保護され、日常からは遊離した。魂を鎮めるべき神々が消えた生活をときに神楽を観て思い返してみたりする。