負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

「海は荒海、向こうは佐渡よ」の主人公は雀たちである

2004年11月15日 | 詞花日暦
雀はまた寂しい人間の慰めです。
人間も寂しいが雀も寂しい
――北原白秋(歌人・詩人)

 鈴木三重吉の「赤い鳥」で活躍したのは、詩人の北原白秋だった。三重吉に乞われ、童謡の発表と投稿の選評を行った。生涯に書いた童謡の半数近くがこの時期の作である。大正七年、神奈川県小田原に居を構え、それまで経験した実家の破産、姦通罪での未決檻、家族を抱えた貧窮の日、妻との離別などの辛酸から抜け出した時期に重なっている。
「海は荒海、向こうは佐渡よ」の「砂山」は、同十一年、新潟の小学校の先生たちに招かれ、子供たちに新しい童謡を約束した成果である。だが、作品の主役は佐渡や荒海より、「すずめ」である。
 同九年に出した『雀の生活』で、白秋は異常なほど雀に対する想いを綴っている。雀の明るい無邪気さだけではない。首をくくった少年にあどけなくとまる雀、「人間の臨終にも、却て来るべき霊界の曙光を浴びせ」かける雀など。死を思うほどの辛さのなか、どれだけ白秋が雀に救われたか、想像にあまりある。荒涼とした海の風景、子供を雀に重ねた歌詞には、白秋の深い悲しみと慰めと祈りがこめられている。

「赤とんぼ」の歌は明治政府の押し付け唱歌に反対して生まれた

2004年11月14日 | 詞花日暦
知恵や分別だけでは詩や歌を
作ることが出来ません
――三木露風(詩人)

 大正七年、鈴木三重吉は児童向け雑誌「赤い鳥」を創刊した。それまで子供の歌といえば、明治四十四年に文部省が編纂した『尋常小学校唱歌』だけである。「忠孝の心」を養い、「歴史上の人物」をテーマに歴史を学ばせる補助教材だった。役人の「知恵や分別だけで」つくった唱歌に、三重吉の反発心は強かった。
 三木露風は、大正十年に「赤い鳥」の影響を受けた童謡集『真珠島』を出版した。「子供のほんとうの想像や感覚」「自分を歌うこと」にこだわった作品が収録されている。そのなかに有名な「赤とんぼ」が含まれる。兵庫県龍野の小さな町で育った露風は、名門に生まれた父の放蕩で離婚した母タカとともに過ごすことがなかった。夕焼けを見たのは「姐や」の背中。その子守も嫁に行き、実家に帰った母の便りもとだえる。
 美しい龍野の自然のなかで育まれた幼児の記憶は、歌のようにもの悲しい。赤とんぼも桑の実も日常から消えがちだが、子供の「ほんとうの感覚」はいまも童心に訴える。

小泉首相に爪のアカを飲ませたいライオンと呼ばれる宰相がいた

2004年11月13日 | 詞花日暦
すでに自分は一身を
国に捧げる覚悟を定めた
――浜口雄幸(政治家)

 昭和四年、のちに暗殺される井上準之助を大蔵大臣に指名し、浜口雄幸内閣が発足した。高知県の田舎に育った浜口は、その容貌から「ライオン」の異名があったが、平成のライオン首相とちがって無口で実行派だった。
 この時代、第一次大戦後のバブル崩壊、金融恐慌、就職難、倒産、リストラ、賃下げと難題が山積みだった。浜口は、就任早々、各省の反対を押し切り、陸海軍費を初め、予算の削減を行う。公債もない無借金予算を組み、抜本的な財政改革を実行した。
 同五年には、課題だった金解禁も実施したが、十一月、東京駅頭で狙撃される。病中の身を鞭打ち、国会に出席した。議会の約束は国民への約束、出るといって出ないのは国民を欺くといった。「宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったい何を信頼すればいいか」。狙撃から九か月後、満州事変の年の夏に死んだ。国民の信頼に応える信念と実行と嘘のない政治家がいまはきわめてすくない。

SFのなかの女性は依然としてハンドバッグにこだわっている

2004年11月12日 | 詞花日暦
機械文明の進歩に抵抗して、
生きながらえたのは女性のハンドバッグ
――I・アシモフ(SF作家)

 高度に発達した未来都市を描くSFは、ときとして女性たちの存在が似合わない。アシモフの『鉄鋼都市』では、女性たちは旧態依然、ハンドバッグや化粧道具を後生大事にしている。ザミャーチンの『われら』では、女性の「唇は堪え難いほどに甘く……燃えるような毒が一口、また一口と私の中に注ぎ込まれる」。
 女性蔑視と思える描写もおおい。オーウェルの『一九八四』では、「常に女性こそ、なかんずく若い女性こそ党の最も狂信的な信奉者」。くわえて「貧民の居住区には進んで身を売るような女」。
 理由は、未来都市が機械的、無機的、人工的なのに、女性のおおくが男性より有機的、生理的、非合理的な性向のせいだろう。まるで女性は技術の進歩と無縁のように思われ、妄信的な存在として扱われる。が、これこそ科学や合理主義が取りこぼしがちな、貴重な要素ではないか。ハンドバッグは軽蔑の対象ではなく、持続する人間らしさの象徴である。いかに機械文明でも、クレオパトラ以来、変えることができないものがある。

メーテルリンクは女性の偉大さと男の愚かさを書いた

2004年11月11日 | 詞花日暦
堕落した女性でも、心の底には
愛は永遠なものという信念がある
――メーテルリンク(劇作家・詩人)

 少しまえ、男女のちがいを書いた本がよく売れていた。もしまだ女性は謎だと思う男性がいれば、一度はメーテルリンクにも耳を傾けてほしい。あの『青い鳥』の劇作家が、男性の愚かさと女性の偉大さについて書いている。
 まず男の愚かさは、知性や理性、富や利権、表層的な心理にこだわること。そのために家事にかまけ、自尊心が強く、泣き笑いし、歌を口ずさむ女を「ささやかな存在」としか見ない。他方、女は「神の膝元にいて、清らかな神秘の働きにすっかり身をゆだね」、「神秘の大海」にも似た魂にもっとも近い者であるとメーテルリンクはいう。
 もし女の存在をないがしろにすれば、世界は砂漠になり、理性だけが荒涼と支配するとも書き添える。理性という衣に隠れて戦いに明け暮れる男は、女が導く愛という魂の高みから身をそらす。愚かにも心底から女に愛を告げず、繰り返し戦争を始める男は、子供を抱いて泣く女に視線を凝らそうとはしない。

母の元型に隠された聖母と悪女の極端さに驚かない人はいない

2004年11月11日 | 詞花日暦
「理性」たるや、実は偏見と
近視眼の集まり以外の何ものでもない
――C・G・ユング(心理学者)

 フロイトとともに、二十世紀の新しい心理学を樹立したユングの名は、おおくの人が知っている。フロイトが個人的無意識へ焦点をあてたのに対し、人間が持つ心の集合的無意識を理論の根底にすえて、独創的な「元型」(アーキタイプ)による人間の姿を解き明かした。
 元型は人の心にある特定の形式を指すが、「母」という元型には驚かされる。ユングのことばによると、理性とはちがう智恵と精神的高さ、慈悲深いもの、保護するもの、成長と豊饒と食物を与えるものである。と同時に、隠されたもの、暗闇、深遠、呑みこむ、誘惑、毒を盛るものといった否定的な側面もある。まさに聖母であり、悪女である。
 ユングはみごとに女性の元型を抽出し、理性という近視眼では見えない広範な人間の姿を浮かび上がらせた。が、彼と同時代人メーテルリンクが説いたのは、否定的な元型の要素から女性を救い出すのは男性の愛であり、理性だけで断定しない思いやりである。

古典的名著『戦争論』を日本に紹介したのは森鴎外である

2004年11月10日 | 詞花日暦
クラウゼヰィッツは兵事哲学者
とも謂うべき人なり
――森鴎外(作家)

 日本人で最初にクラウゼヴィッツの『戦争論』に着目し、のちに翻訳までしたのは、軍医としてドイツに留学していた森鴎外。著者クラウゼヴィッツは、プロイセン王国の少年兵を皮切りに職業軍人の道を歩き、ナポレオンの率いるフランス軍との戦争などを経験している。
『戦争論』を書き始めたのは、まだ三十代後半だったが、鴎外もいうように、実戦と深い哲学的思考によって、近代戦を論じた戦争論の古典を完成させた。そのなかで人道主義者たちの戦争論に触れている。
 彼らの主張は、戦う国が協定で相手の武装を解除するか、降伏させるだけでいい、「なにも敵に過大の損傷を与えるには及ばない」という。だが、クラウゼヴィッツはそれを打破すべきまちがった考え方だと断言する。戦争という「危険な事業」では、「善良な心情から生じる謬見こそ最悪のもの」だから。イラク戦争をしかけたブッシュたちは、表向き人道主義者を装いながら、内心では徹底的に相手を打ちのめす戦争の本質を知らないはずがない。一方で戦争に反対する日本人も人道主義者がおおい。

漢字には長い歴史の「呪術」が秘められている

2004年11月09日 | 詞花日暦
漢字制限は、言語によって営まれる
自由な精神の活動を制限する
――白川静(立命館大学名誉教授)

 森鴎外のような古い時代の作品が読まれない原因は、そのおおくに漢字がある。近来の文章は複雑な漢字など入らない平易な表現がいい。当用漢字による使用制限もあって、若い人々の語彙は減少し、読み書きは平易へと流れる方向をたどった。
 漢字の研究に生涯を捧げた白川静は、文字はことばを視覚化・形象化し、呪術を秘めた器であるという。中国三千数百年を生きつづけ、その文化圏の土壌として「生命の源泉」になっている。漢字を捨てる日本人は、長い生命の源と文化を断つ。
 対極にはアルファベットの表音文字がある。文字にいたるまえの素朴な絵や音がある。「いまやわれわれの言語生活は、音声言語的な世界に局限され」つつある。政治・文化の米国追従やコンピュータがさらに拍車をかけている。もしアジアの一国として自立した国家と文化を持ち、自由な精神活動を行おうとすれば、漢字を避けて通ることはできない。時代の流れにひたすら身を任せるまえに、漢字へのこだわりを少しでも残しておきたい。

明治の文豪森鴎外の小説はすっかり教科書から消えた

2004年11月08日 | 詞花日暦
殉死を許してやったのは
慈悲であったかもしれない
――森鴎外(作家)

 明治期の文豪が教科書から姿を消す。森鴎外も例にもれない。急逝した知人の遺族が蔵書を整理した。浩瀚な鴎外全集三十八巻の買値は一万円にも満たなかった。部厚い一冊がコーヒー一杯にも値しない。古い時代の作家の凋落ぶりが際立っている。
 かつて三島由紀夫は鴎外の文章を絶賛した。自分が書きたい理想の文章だといった。時とともに古びず、いつまでも新鮮でありつづけるだろうと。たしかに簡潔で雄勁な文章は深い味わいがある。時代が変っても、味わいつくすことがない。
 鴎外最初期の時代小説『阿部一族』に登場する細川忠利の臨終に、殉死を願い出る家来がおおかった。忠利には次世代を継ぐ嫡子と近習の若者がいる。「老成人らは、もういなくてもよいのである。邪魔になるものである」といって、老いた家来の自死を許した。鴎外の作品が消えていくのを見やるのは、むろん「慈悲」といった問題ではないのを知っておきたいものである。

「花いちもんめ」の歌は娘の人身売買を唄ったものである

2004年11月07日 | 詞花日暦
すぐれた「童謡」というものは、
長い人生に二度現れる
――寺山修司(劇作家・歌人)

 子供の頃、何気なく歌っていた童謡は、のちに思い出し、気付かなかった意味に驚くことがおおい。「ふるさとまとめて花いちもんめ」の花が植物の花ではなく、「女郎」の花代、「いちもんめ」は、一匁というカネの単位であると寺山修司はあとで知った。
 飢饉の貧しさから、「ふるさとをまとめて(捨てて)、たった一匁の花代で買われていった」人身売買を歌ったという。「あの子がほしい」というのは人買い、「まけてくやしい花いちもんめ」は娘の親のことば。当時、お茶ノ水女子大の学生・小高正代に聞いた。
 彼女によると、「しゃぼん玉とんだ……こわれて消えた」も女郎の歌。囚われの身を託してしゃぼん玉を飛ばすが、屋根まで飛んで壊れてしまう。脱出の願いをこめても、むなしくはじけてしまう。あどけない童歌に女郎哀史や人身売買があると思うと、「童謡もひとすじなわでいかなくなってしまう」と寺山は書いた。古くから伝わる俚言、童謡の類には隠された意味がおおい。

鶴の恩返しの古い民話には報恩の事実は見られない

2004年11月06日 | 詞花日暦
異類女房の話は、わが国とその近隣諸民族にのみ
特異的に語りつがれている
――河合速雄(臨床心理学者)

 木下順二の『夕鶴』でも知られるように、人間の女性に変身した動物が人間と結婚する昔話は、「異類女房譚」として分類される。円生の演じる「水神」のような落語の世界にまで広がっている。『夕鶴』では、助けられた鶴の女性が嫁して、恩返しのために働き、やがて正体を知られて去る。物語はなぜか女性の美しさ、悲しさに彩られている。
 しかし採集された古い民話には、報恩の事実はない。恩返しのために結婚する仏教説話の要素はなく、ただ鶴女房が押しかけるだけである。河合速雄によると、「鶴との婚姻ということが大切なテーマであったことを示している」から。
 また、去った鶴女房を探す夫は、彼女を見つけながら、一時の供応を受けるだけで連れ帰ろうともしない。腑に落ちぬこの事実も、「鶴との婚姻」だけが人々の主要テーマだから。河合は「人と自然とは不即不離のあいまいな、全体的な調和のなかに共存する」からという。自然のなかに生きる人間が、自然との関係を回復・再統合する試みとも。日本独特の自然観はすでに郷愁のなかにしかない。

ブッシュの「愛国者法」はIT業界に猛攻勢をかけていた

2004年11月05日 | 詞花日暦
テロリズムを打破する唯一の道は、
阻止、排除、育つ場所の破壊である
――G・W・ブッシュ(米大統領)

 九・一一のテロ事件を契機に、同じ年の十月二十六日、ブッシュは「パトリオット法」に署名した。この「愛国者法」は、テロリスト隠匿への罰則強化、マネーロンダリングの捜査権限強化、それにあろうことか電話・インターネットの通信内容傍受の容認が盛られている。
 最悪の法律といわれながら、影響はIT業界に及んでいる。たとえばFBIは、独自に開発した電子盗聴システムをインターネット接続業者に設置するよう強力に働きかけている。またCIAが出資するベンチャーキャピタルは、諜報活動に欠かせない技術開発を行う企業に投資している。政官からの強力な働きかけが、いやおう無しにIT産業に押し寄せているのだ。
 日本でも個人情報はすでにIT技術によって容易に収集できる。クレジットカードの利用ひとつでも、個人情報はカード会社に保存され、もし官権がその気になれば、個人の動向をいくらでも監視できる。住民基本台帳法や個人情報保護法は、その萌芽であることを忘れないでいたい。

アメリカの文化は模倣された偽物(フェイク)である

2004年11月04日 | 詞花日暦
歴史は模造するものではない、
歴史は作られるものである
――ウンベルト・エーコ(作家・学者)

 イタリアの著名な文化人ウンベルト・エーコがアメリカ旅行後、この国の文化は「フェイク」(模造・偽造)ではないかと書いた。美術館には、「最後の晩餐」が三次元の立体として模造され、博物館では、マンハッタン島をオランダ人から買い取った契約書が偽アンティーク書体で偽造されている。金にあかした新聞王ランドルフ・ハースト(「市民ケーン」)の館は、西欧の無秩序な寄せ集めでしかない。
 サファリーパークや水族館では、動物たちは飼いならされた記号になり、ディズニーランドは、蝋人形や石や水の原寸大模型。西欧文化の発祥地イタリアのエーコから見れば、ほとんどがフェイクに見えただろう。彼はその原因をアメリカ人が深みとしての歴史現実感に欠けるせいだという。しかもハイテクを駆使して、欠如を補おうとする特質も付けくわえる。
 世界の覇権へ向けてひた走るアメリカのフロンティア精神は、世界の国々を自己流に飼いならし、それぞれの歴史や文化を先端技術で圧し潰す。日本はそれに嬉々として追随する。

明治の鹿鳴館はフランス温泉町の二級カジノそっくりだった

2004年11月03日 | 詞花日暦
わたしたちは実際、どんな過渡の時代に、
どんな幻想の国に遊んでいるのだろう?
――ピエール・ロチ(仏海軍士官)

 明治十八年十一月、ピエール・ロチは仏海軍大尉トリオンフォント号艦長の資格で、「江戸の舞踏会」に招待された。井上馨外務卿が明治天皇誕生日に開いた鹿鳴館の夜会である。鹿鳴館といえば、建坪四一○坪、レンガづくりの二階建て、ルネサンスと英国風を兼ねた華麗な文明開化の象徴であった。当時の日本文化が西欧に劣らぬことを誇示し、日本蔑視を改めさせようとした。
 しかし、ロチには奇妙な光景としか映らなかった。まず建物も内装も、フランスの温泉町にある二級の「カジノ」。出席した紳士、大臣、提督、官公吏はすでに西欧でも醜悪な燕尾服で飾り立て、手を膝に置き、身体を二つに折り曲げて奇妙なお辞儀を交わす。
 貴顕の夫人たちはパリ直輸入の衣装で着飾っているが、「つるし上がった眼の微笑、内側に曲がった足、平べったい鼻」など、異様でほんものらしさがない。「意地悪い低意を持たずに」書かれたロチの忠実な写実は、模倣される側から見た日本の近代化の姿、いまもつづく近代化として忘れないでいたい。

京都・浄瑠璃寺の配置は平安人の抱いた桃源郷の夢である

2004年11月02日 | 詞花日暦
心を潤すような愛らしさが、
すべての物の上に一面に漂っている
――和辻哲郎(哲学者)

 和辻哲郎が友人数名と京都府の浄瑠璃寺を訪ねたのは、大正七年のことだった。堀辰雄が夫人同伴で同じ寺にいたったのは、昭和十八年。京都府といっても奈良市に近く、両者とも奈良から山越えで、探しあぐねながらたどり着いた。
 山間の小さな窪地に建つ浄瑠璃寺は、浄土を願う平安時代の遺構をとどめる。西に背を向けた国宝の本堂に、九体の阿弥陀如来坐像、池を挟んで東側にある三重塔に、薬師如来像が安置されている。宇治の平等院や加古川上流の浄土寺と同じように、太陽の光を巧妙に演出した寺の配置である。
 堀は「何という平和な気分がこの小さな廃寺をとりまいているのだろう」と、詩人らしい直感を書き留めた。和辻は「古人の抱いた桃源の夢想――それが浄土の幻想と結びついて」、寺が建立されただろうと哲学者らしい記述を残した。阿弥陀仏の国土は極楽浄土、薬師如来の国土は浄瑠璃世界。『浄土三部教』が描く浄土である。古人の桃源郷は仏に応じて分かれる。おおくの来訪者は仏教的な意味を正確に語らないが、感想文で終わっていいものではない。