負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

京都・浄瑠璃寺の配置は平安人の抱いた桃源郷の夢である

2004年11月02日 | 詞花日暦
心を潤すような愛らしさが、
すべての物の上に一面に漂っている
――和辻哲郎(哲学者)

 和辻哲郎が友人数名と京都府の浄瑠璃寺を訪ねたのは、大正七年のことだった。堀辰雄が夫人同伴で同じ寺にいたったのは、昭和十八年。京都府といっても奈良市に近く、両者とも奈良から山越えで、探しあぐねながらたどり着いた。
 山間の小さな窪地に建つ浄瑠璃寺は、浄土を願う平安時代の遺構をとどめる。西に背を向けた国宝の本堂に、九体の阿弥陀如来坐像、池を挟んで東側にある三重塔に、薬師如来像が安置されている。宇治の平等院や加古川上流の浄土寺と同じように、太陽の光を巧妙に演出した寺の配置である。
 堀は「何という平和な気分がこの小さな廃寺をとりまいているのだろう」と、詩人らしい直感を書き留めた。和辻は「古人の抱いた桃源の夢想――それが浄土の幻想と結びついて」、寺が建立されただろうと哲学者らしい記述を残した。阿弥陀仏の国土は極楽浄土、薬師如来の国土は浄瑠璃世界。『浄土三部教』が描く浄土である。古人の桃源郷は仏に応じて分かれる。おおくの来訪者は仏教的な意味を正確に語らないが、感想文で終わっていいものではない。