負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

名人の腕が見せる幻想

2004年06月30日 | 詞花日暦
身体のあらゆる部分が、抑圧から解放され、
自由になにかを歌っている
――渡辺保(演劇評論家)

 能の一部分を曲全体から切り離し、稽古場などで舞うのを「仕舞」という。能役者は面も装束も着けず、紋付袴のまま、扇一つで舞う。ごく内輪の会合で、渡辺保はすでに引退した喜多流・友枝喜久夫の仕舞を観る機会に恵まれた。
 彼はそこで奇妙な経験をすることになる。たとえば「阿漕」では、扇をかざした向こうに火に燃える車が見え、舞台の老人の顔には恐怖の表情が浮かぶ。「遊行桜」では、微動もしない舞い手の姿が朽木の柳の精に見える。「桜川」では、失った子を探す狂った母親の緩慢な動きの周りに桜の花が咲き、散っていく。
「なんの粉飾もなく、なんの装置もない」仕舞の何とふしぎなことか。扇の動き、軽く踏む足拍子、無造作な立ち姿、微細な動きが、はるか昔の人、世にないもの、未知の世界を出現させる。渡辺は「それは一つの記号であり、虚構のなかでの真実に達するもの」という。名人の腕でしか見えないものがある。日本人の芸や芸能とは、何と奥深いものだろうか。

清貧の思想のうそ

2004年06月29日 | 詞花日暦
生きているこのよろこびを……感得するには、
人は貧しくある必要がある
――中野孝次(エッセイスト)

 一時期ベストセラーになった『清貧の思想』にイタリア・アッシジの聖フランチェスコが登場する。清貧、貞潔、従順といった美徳の模範にしたかったのだろう。中野孝次にいわれなくても、アッシジを訪う人々は必ず聖者が小鳥と対話する絵に見とれ、何かを感じ取ってくる。
 しかし、あの丘から眼下に広がるウンブリアの野にも注意を払ってほしい。六月の明るい太陽に真紅のひなげしが咲き乱れ、アフリカから飛来した燕が鳴き声を響かせる。この美しい野にかつて血みどろの戦い、裏切りと暗殺が繰り広げられた。十五世紀、アッシジの丘の向こうに見えるペルージアの一族が起こした殺戮は、清貧や貞潔や従順とは似ても似つかない光景だった。
 聖フランチェスコにつづくルネサンス期の人間、むろんここに淵源を持つ近代人は、モンテ・スバシーノの丘の慈愛に満ちた聖人とは対極にあり、俗の欲望との戦いにまみれている。もし聖と俗の表裏一体になった絵巻を見なければ、清貧の厳しさを知ることはできない。

土用の日のにんにくと小豆

2004年06月28日 | 詞花日暦
俗間六月土用に入る日、蒜一二片に
赤小豆一二粒水にて飲むことがある
――林春隆(「白雲庵」主人)

 中国で当てもない旅をしたとき、小料理店でにんにくの生を食べたくなった。筆談でと思ったが、にんにくの漢字が思い出せない。絵を描いて見せると、タマネギなどが出てきた。仕方なくうろ覚えの「韮」と書いて通用せず、ついには「人肉」と書いて、店中の顰蹙を買ってしまった。漢字で「蒜」と書く。
 土用の日とうなぎは、知られている。同じ土用に蒜と小豆を食す慣習について書いた林春隆は、京都・宇治の黄檗宗・万福寺前に普茶懐石の料理店を開いた人。精進料理から見た食材や料理の本を書いている。彼によると、蒜と小豆は「暑気温熱を避ける法」であるらしい。料理法として、臭いや辛さを取るために生姜を入れてゆで、汁の実にしたり、酢味噌で食べる方法を挙げている。
 筆者がまちがえた「韮」は「にら」。「婦人の毛髪を養い、また強精、長寿の食料」という。が、これも食後の臭いが気になる。林によると、砂糖をなめると臭気が去るらしい。いずれも古人に敬意を表して、一度試してみたい。

映画のなかのハイテク

2004年06月27日 | 詞花日暦
人工衛星が車のナンバープレートを
読み取る映画を見たとき……笑ってしまった
――R・エバート(ジャーナリスト)

 映画『エネミー・オブ・アメリカ』は、NSA(国家安全保障局)が議会に通そうとする国家安全法案(盗聴法)反対の議員殺害事件から始まる。現場を偶然に撮影した自然観察家やこれもその映像を偶然手にした弁護士が、NSAの執拗な追跡を受ける。
 目まぐるしく展開する追跡シーンには、人工衛星、盗聴カメラ・マイク、デジタルビデオ、信号発信機、画像処理コンピュータ、通信ネットワークなどのハイテクが次々と登場する。どれがフィクションでどれが現実か、つい疑ってしまう。
 だが、現実はこれに近いことを知っておいた方がいい。たとえば、アメリカに住む人は家にいながら、自分の家の屋根をインターネットで見ることさえできる。大気圏外の衛星から送られた映像である。衛星から車のナンバープレートを読み取る映画のシーンを見て、まさかと笑ってしまった人は一度試していただきたい。現在のハイテクは人々の想像よりはるか先をいっているのを実感するはず。そう、盗聴法だって同じである。

新聞の文体の悪癖

2004年06月26日 | 詞花日暦
新聞の文体だけは
真似しない方がよいと思います
――清水幾多郎(社会学者)

 けっして清水幾太郎の熱心な読者ではなかった。学生時代に拾い読みした彼の本に「が」の使い方があった。接続助詞の「が」が、次の文章に逆接しなければ、絶対に使うなという。理由は表現や論旨をあいまいにするから。以来、できるだけ無意味な「が」を避けるようにしたが、あいまいを好む日本人としては、ついこの「が」を使ってしまう。
 新聞によく見かける「ようだ」という表現も避けよとあった。推測の頼りなさを断定の「だ」で補う「逃げ腰」の姿勢があるからという。おかげで文章を書くとき、論理的になった。それでも不用意に使ってしまう。
 中学時代の先生は、いい文章の見本に新聞の社説を上げた。簡潔でむだがないという。ところが一時期、新聞記者を経験した清水は、社説の文体を真似るなと書いた。記者は「主観の入らぬ文章、どこからも苦情の出ない文章」を書き、記者個人の文章というより企業体の文章だからという。文章を書くむずかしさから、いつになっても抜けきれないでいる。

毒を含んだ奇書

2004年06月25日 | 詞花日暦
デ・ゼッサントの眼には、人工こそ
人間の天才の標識と思われた
――J・K・ユイスマンス(作家)

 正常な生活人からすれば、奇妙としかいいようのない小説がある。貧乏学生の頃、不相応な出費で入手したユイスマンスの『さかしま』もそんな例だった。緑の革装の豪華な訳本は、告白すると、筆者に有毒な作用をもたらした。
 十九世紀末に刊行された時も、作品は奇書扱いをされ、フランスを中心にヨーロッパのデカダンスや象徴主義の運動を大きく増幅した。作品が持つ毒は、自然よりも人工こそ人間の叡知や想像力を尽くした世界という一点。甲羅に宝石を埋めた輝く亀、呪われた美の女神サロメを描く画家モローなどへの固執、偽物の花を模倣した奇妙な花々の蒐集といった数々の人工物がきらびやかに登場する。
 廃頽に満ちた世界、自然を人間に服従させる西欧流思考の極みと人はいう。しかし、もしこの人工幻想の極限を知らなければ、考え方や感じ方に振幅のない凡庸な人になったかもしれない。文学や芸術は、毒のある作品こそ読者に与えるものが大きい。

奇矯な伝統の国

2004年06月24日 | 詞花日暦
美に対して世界でもっとも……鈍感であり、
同時に世界中でもっとも……鋭敏である
――加藤周一(評論家)

 東京オリンピックの直前に日本に帰ってきた加藤周一は、建設中の高速道路が江戸以来の風情や美的調和を壊すのを見た。歴史を刻んだ風光を「侮辱し、破壊し踏みにじって平然たる国は、おそらく空前絶後だろう」と書いた。同じ国民が、一方で日常生活に使う茶碗や家具や衣類の「美的調和」に努力を傾けるのも珍しいという。
 加藤はこれを日本人特有の「二重構造」という。だが、「個」の存在がことあれば消滅してしまう、日本人特有の脆弱さに尽きるのではないか。会社や官や国といったお上の「公」が強いプレゼンスを持てば、個人は即座に組織に呑み込まれて消え、あるいは公人と化して加担する。二重構造の一方の個人は、幻の湖のように現れては消えていく。
 加藤は「精神的開国によってほろびるものは、ほんとうの伝統ではないだろう」といっている。世界でもまれな古都・京都の美観は破壊へ向かい、箱庭や盆栽に似た矮小な美意識が公と個のあわいに生き延びるだけの奇妙な伝統の国である。ほろびる伝統があまりにおおいのも日本人の「伝統」である。

ブルーノ・タウトの予言

2004年06月23日 | 詞花日暦
日本はおよそ今日の世界に欠けている
閑暇という偉大な理念を創造した
――ブルーノ・タウト(建築家)

 ブルーノ・タウトは、ヒットラー内閣ができる直前、亡命者としてベルリンを脱出、シベリア鉄道を経由して福井県敦賀に上陸した。このとき、埠頭にある欧風建築物を見て、さっそく「怪訝の念と失意」を感じている。一九三三年からわずかな三年間の滞在で、彼が見出す日本と日本人の悪癖を予感させた。
 悪癖の典型は、いうまでもなく明治維新後の日本が欧米の技術進歩に触れ、それをまねるのに熱心なあまり、「植民地獲得の好餌」になったことである。とりわけ日本の建築が「アメリカの最も危険な感化」を受けたことに異を唱え、銀座の町並みや帝国ホテルや東京駅などを批判している。
 興味深いのは、当時のアメリカ風建築が「矮小ではあるが……すぐにでも百階建ての高いものになりたがっている」と予見したこと。最近、都市圏は異様な高層ビル建築のラッシュがつづく。明らかに「都市計画上の意図ないし設計の所産ではない」別の意図が見え隠れする。「摩天楼を持った小アメリカ」日本は、建築に対する「偉大な理念」を見失って久しい。

空虚な情報化時代

2004年06月22日 | 詞花日暦
意味を考えて接することのできる
情報量には、生物学的に限界がある
――マイケル・ハイム(哲学者)

 コンピュータ・ネットワーク、通信衛星、デジタル放送などによって、人々の手元に届く情報量が膨大になった。小さな携帯電話ひとつでも、若い世代は新聞やTVを見る時間もないほどの情報を受け取るのに忙しい。ネットワーク・サーフィンということばもよく使われる。
 マイケル・ハイムによると、これと並行して「インフォマニア」(情報狂)という現象も起きている。あふれる情報を手元に集めなければ落ち着かない、強迫観念の人を指す。彼らはできるだけおおくの情報を手にしないと、時流に遅れると思い込む。情報がビジネスの最大の武器ともいわれる時代だから、なおさらである。
 ハイムはそんな趨勢に釘を刺す。インフォマニアに欠けているのは、情報の「意味」を考えること。情報収集だけで知識や意味を持ったと錯覚し、満足するのを愚かだという。情報収集は常にその意味を考える必要がある。熟慮や沈思黙考の道具である文字を離れて、情報化時代は空虚になりつつあることも付け加える。

初代ウォークマンの誕生

2004年06月21日 | 詞花日暦
ヒット商品誕生の背景には、さまざまな
先進的プロジェクトが平行して存在する
――山口修平(アートディレクター)

 ソニーの会長・出井伸之は、連続、非連続ということばをよく使う。同社が商品開発で重視するキーワードである。一九七九年の発売以来、すでに一億台を突破しているウォークマンの開発にも、かつて同じようなことがあった。
 たとえば、発売の数年まえから、別な部署で進行していた「Mプロジェクト」。既存のマイクロカセットを多様な分野で活用しようとアイデアを積み重ねていた。別の事業部では、旧来の大きなパッド付きヘッドホンを小型化し、着装感ゼロの「ゼロフィット」プロジェクトが始まっていた。いずれもまだウォークマンなど視野にない時期だった。
 いわば不連続の状態で開発が進められ、やがていくつかの技術とニーズが合致し、最終的に初代ウォークマン「TPS-L2」に結集する。当初は録音できないという非難されることもおおかった。たが、驚異的なステレオサウンドなどで、発売三週間、三万台が売り切れた。連続と非連続の中からソニーの新商品は誕生する。

与謝野晶子の反戦歌

2004年06月20日 | 詞花日暦
「危険思想」の語は、起原を晶子の
一詩を評した桂月から発した
――佐藤春夫(作家・詩人)

 引用文中の桂月とは、明治時代に雑誌「太陽」の文芸記者・評論家だった大町桂月。「晶子の一詩」とは、「君死にたまふことなかれ」で始まる与謝野晶子の有名な詩。ついでに「君」とは晶子の弟を指す。長兄に代わって、堺の実家「駿河屋」の跡を継いだ頼みの弟だった。
 明治三十七年、明治政府は、東洋の平和や自国の正当防衛を名目に日露戦争へ突入した。栄達を謀る軍人と利を追う財閥が組んで、自国民を血祭りにする戦争だったと佐藤春夫はいう。晶子の弟はこの戦争に駆り出された。弟を心配して書いたのが、晶子の「君死にたまふことなかれ」の詩だった。
 桂月は詩の一文を「天皇自らは、危うき戦場には、臨み給わず……死ぬるが名誉なりとおだてて……人の血を流さしめ」と翻訳し、晶子を非戦論者、危険思想家と非難した。開戦と同時に、戦争反対の動きが起きるなか、桂月は時代遅れの「旧思想家」になり、晶子の詩は人々にもてはやされた。しかし、時代は一向に変らない。数年のちに起きる大逆事件の萌芽は、すでにこのとき芽生えていた。

コーヒーの効用

2004年06月19日 | 詞花日暦
コーヒーの味はコーヒーによって
呼び出される幻想曲の味
――寺田寅彦(物理学者)

 寺田寅彦少年が初めてコーヒーを飲んだのは、医者が飲みにくい牛乳に少量のコーヒーを配剤してくれたため。少年は、エキゾチックな憧憬を掻き立てられた。後年、ベルリン留学中、冬の街が暗くてもの憂く、眠気を追い払うのにコーヒーが必要だった。
 年をへると、コーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではなくなった。大理石のテーブルに銀器や一輪の花がのるといった装置、その装置が醸す前奏や伴奏が「コーヒーによって呼び出される幻想曲の味」を完成するという。このため仕事に行きづまってコーヒーを飲むと、「ぱっと頭の中に一道の光が流れ」、解決の糸口が見つかる。
「官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点」で、この作用を哲学に似ていると寺田は表現した。人々の官能と理性を麻痺させる宗教に対比させている。下手な芸術、半熟な哲学、生ぬるい宗教よりずっと実践的であるとも。医者にコーヒーもタバコもおやめなさいといわれたが、衛生きわまりない生活からは、無菌状態の半端なものしか生まれないような気がしている。

五○年代に書かれた人工現実

2004年06月18日 | 詞花日暦
買い手のあるかぎり、科学がつくり
出せないものは絶対にありません
――R・シェクリイ(SF作家)

 SFは堅苦しい技術用語やたあいない架空話でつまらないという先入観があるなら、一度、ひまなときにロバート・シェクリイの短編集を立ち読みしていただきたい。一九五○年代を代表するアメリカの作家で、ユーモアや風刺や叙情にあふれた作品がおおくの読者を持っている。
「地球への巡礼の旅」は、若い男が星間行商人のパンフレットに触発され、農業を専業にしたカザンガ第四惑星から地球へ旅する短編。「戦争と恋愛はわが地球の二大生産物でね。地球創世の時代から、わたしたちはこの大量生産に従事しておるんでさ」。
 ニューヨークに降り立った青年は恋愛配給会社を訪ね、かねて夢見た月の夜、海辺で美しい女性と語り合う恋愛コースを体験する。しかしそれは、技術の力で「頭脳中枢を調整し、刺激し」てつくり出された感情でしかなかった。こんなものは恋愛ではないと叫んで、青年は地球をあとにする。アメリカのSFは、すでに五○年代、科学による人工現実世界を描いていた。

西條八十の軍歌

2004年06月17日 | 詞花日暦
絞首刑にならなかったが、戦犯追放者名簿には
最後まで残っていた
――西條八十(詩人・フランス文学者)

 戦前から戦後にかけて生きた人なら、西條八十の童謡や歌謡曲をどこかで必ず耳にしている。「東京行進曲」「侍ニッポン」「支那の夜」「青い山脈」「鞠と殿様」「肩たたき」「かなりや」など、ほんの一部でしかない。もうひとつ、軍歌も忘れてはならない。「予科練の歌」「比島決戦の歌」などこれも数おおくある。
 早稲田大学の教授だった当時の西條八十は、戦争に応召する学生たちを「意義ある死は永遠の生存である」といった激励のことばを書いて送り出した。疎開していた茨城県下館は、特攻隊の拠点が近かった。「ぼくはかれらのためになんとかしてこの戦争を勝たせねばならぬと思い、真剣に軍歌を書いて、書いて、書きまくった」。中国にも三回従軍している。
 八十は他の従軍作家や詩人とちがって、「軍歌を書いたことにごうも悔恨なんか感じていない。むしろじゅうぶん意義ある仕事をしたと信じている」とのちに書いている。歌をつくり、変動の時代を生き抜くとはそうしたものだろうか。耳障りのいい唄に酔うだけでいいのだろうか。

西條八十の人間像

2004年06月16日 | 詞花日暦
父の理想とする象徴詩は華麗に見えながら、
決して健全でも明るくもなかった
――西條嫩子(詩人)

 西條八十の娘に生まれた嫩子は、父親の死後に書いた回想記で、有名な童謡「かなりや」が好きではないと書いた。大正七年に発表された「唄を忘れた」カナリヤである。
 八十の生家は裕福な商家だったが、長兄の放蕩と奸計によって家産を失う。次男の八十が零落した家を継ぎ、「盲目の母、六人の弟妹をひたむきに支えながら生活苦に喘いでいた」。八十は「恋の楽しみ」に逃れ、遊郭遊びで嫩子の母を悲しませることもおおかった。
 唄を忘れたカナリヤは自分であると、八十は書いている。また動物愛護の歌とも。だが、山に棄てる、小藪に埋める、鞭で打つといった暗さと象牙の船や銀の櫂の空々しさから、父の生活が洩れ出ているのを娘は察知したのではないか。「歌はつらかった。あの頃の西條の家の空気がそっくり再現されてくる」という。実生活と作品は別物だが、象徴主義を取り入れた巧妙なことばの背後に、思わぬ生活や他人にわからない八十の人間像が透けて見える。美しい象徴的な詩のことばをうのみにしてはならない。