負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる

2006年10月29日 | Weblog
歳のせいかなあとときどき思っていた。40代の後半辺りから本好きな友人や後輩に「古い本」を読むようによく話す自分がいた。50代になって新刊本をあまり購入しなくなった。なにより手許に「古い本」がたくさんあり、それだけで読書の物理的時間がふさがってしまう。

何だか若い頃によく聞いた台詞だなあ、よくあるパターンだなあと感じながら、村上春樹や宮部みゆきなどを10ページ読んでつまらなければやめてしまった。それじゃあ時代遅れだよといわれそうだったが、現代に対する問題意識は本を読まなくても十分考えるメディアや機会はあった。

古い本とは俗にいう「古典」、堅苦しく、古めかしい本である。考えたら、古典といわれる本をきちんと熟読することが少なかった。歳のせいか、読み始めると、それぞれがいかに新しいかということも、数百年に亘って生き延びてきた理由も発見した。読書の比重を移したことに反省はなかった。

「ひとり灯のもとに文をひろげ、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」「いにしへに変わらぬなどといふ事もあれど……昔の人の詠めるは、さらに同じものにあらず……姿もきよげに、あはれも深くみゆ」。いまでは齢を重ねた功徳だと思うことが多い。

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