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マザッチオが描く「楽園追放」から不幸な近代が始まった

2004年11月19日 | 詞花日暦
マザッチオ風の絵画で……古典の影響が
最小限になり、自然主義が最大限になった
――パノフスキー(美術史家)

 フィレンツェに旅し、ブランカッチ礼拝堂を訪れない人でも、マザッチオの「楽園追放」はルネサンス美術書などでかならず目にしている。二十七歳の若さで早世したこの画家は、きわめて現実味の濃い筆致で、天国の門を出るアダムとイブの姿を描いた。
 礼拝堂には、対になって飾られたマゾリーノ作(伝)の「原罪」がある。こちらの中世風の平板な描法と対象的に、マザッチオの作品には近代的なリアリティが滲み出し、人間の悲惨な姿、人間の悲しさが強く漂っている。ブリュネレスキの影響による遠近法もさることながら、自画像を別の絵に描き込んだように、自己という個人の発見があったからである。
 少しのちになって、『芸術家伝』を書いた同国人ヴァザーリは、次のように彼を評価した。「あの男は生命感にあふれ、現実的で、自然のままの作品をつくりだした。……マザッチオがはじめてである」。二十世紀のパノフスキーも同じ評価をしている。近代につながる新たな世界観の発見は、幸か不幸か、「個」という人間の発見でもあった。幸か不幸かわからないが、現代のわれわれも「個」に生きることを教えられてきた。

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5 コメント

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ゲーテもスタンダールも (菅原)
2004-11-19 19:04:06
ブランカッチ礼拝堂があるアルノ川に川向こうにはボッティチェルリが住み、ミケランジェロもラファエッロも勉強に通ったマザッチオの作品。後世のゲーテもスタンダールもフィレンツェではこの絵を目指した。それだけ人々を引き付けた彼の絵だった。
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5年前に (jota)
2004-11-19 19:52:55
パックツアーで一日だけフィレンツェに滞在したことがあります。有名どころのみ二三、しかも短時間しか見ることができなかったのは今もって残念です。余裕ができたら改めてじっくり廻りたい街ですね。

翌朝丘の上から見た茶色(オレンジ?)一色に統一された屋根群は壮観でした。
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イタリアに死す (菅原)
2004-11-19 21:00:14
人が死ぬ前に行くのはインドと三島由紀夫が言っていたけど、私は死ぬ前の最後の旅はイタリア。「ベニスに死す」とは全然違うんですよ。
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Unknown (persempre)
2004-11-20 22:37:39
じゃ、イタリアにいかなきゃ、長生きできるよ。(と、書いてみたかった)



Euroになって、レートが高くなった、と最近いった知り合いがぼやいてた。
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イタリアの皆さん・・・ (菅原)
2004-11-21 07:53:48
多くの人たちがいい加減に、おおらかに生きているから? ヒダルマばあさんが、息子に死ぬ前に海が見たいと言った。息子は家からそう遠くないローマとフィレンツェの間にある大きな湖を見せた。ばあさんはこれで思い残すことがないと言って死んだ。孝行息子も満足した。これ、実話なんです。長生きできそうですね。
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