藤の花を調べていたとき、幸田露伴が藤について書いた文章は知っていた。そのときは知らなかったが、娘の幸田文が藤を巡って父親との間で起きたことを書いた文章をあとで読んだ。露伴はあまり読まれないが、文の本はかなり読む人がいるらしく、文庫本で簡単に入手できる。
その中にまだ小さいころの子供3人に木を与えた話があった。子供とは長女、次女(文)、弟の3人である。与えられた木は不平等がないように、同じ種類の木をそれぞれに植えた。子供たちは、蜜柑、柿、桜、椿という自分の木の持ち主になったのだ。
花も実も持ち主が自由にしていいが、そのかわり条件が与えられた。害虫に注意すること、施肥をしてくれる植木屋さんにおじぎをすること。都市住まいではなかなかできないことだが、いい話である。
「植物学の父」牧野富太郎は、「草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができる」と書き、慈悲心や思いやりの心を養ったという。3人の子供の父親の思いも同じだったろう。殺伐な事件の多い現在、親にも子にも、植物を愛し、花々を愛でることが欠けているのかもしれない。
その中にまだ小さいころの子供3人に木を与えた話があった。子供とは長女、次女(文)、弟の3人である。与えられた木は不平等がないように、同じ種類の木をそれぞれに植えた。子供たちは、蜜柑、柿、桜、椿という自分の木の持ち主になったのだ。
花も実も持ち主が自由にしていいが、そのかわり条件が与えられた。害虫に注意すること、施肥をしてくれる植木屋さんにおじぎをすること。都市住まいではなかなかできないことだが、いい話である。
「植物学の父」牧野富太郎は、「草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができる」と書き、慈悲心や思いやりの心を養ったという。3人の子供の父親の思いも同じだったろう。殺伐な事件の多い現在、親にも子にも、植物を愛し、花々を愛でることが欠けているのかもしれない。
牧野博士も、さぞかし迷惑していることでしょうね。