負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

紅葉に燃え立つ華やぎへ向けて藪や森は死につく準備に入る

2004年09月30日 | 詞花日暦
原始のままの森は、自らの尊厳に酔って、
けものの棲むことを拒んでいる
――串田孫一(随筆家)

 山登りなどを題材にした串田のエッセイは、一般の山岳随筆にくらべて奇妙な味わいを滲ませている。奇妙なというのは、彼の感性を通して、一種独特な風景が現れるからである。いわば誰も見ない自然の姿に読者は驚かされることがおおい。
 たとえば夏の万緑や秋の紅葉を愛でる人はおおいが、夏が終わり、秋に移る端境期の森を語る人はすくない。串田は、「藪はそれほど黄ばんではいなかったが、生命の疲れ、老いの息、しめっぽい匂いがあった」と書く。つい数日まえまで、緑の生命に溢れてものが、気付かないうちに衰えを見せ始める光景である。
 原始の森や藪では、まだ若やいだ緑の生命は残っている。だが「踊るような漂いではなく、それは這いまわる死の匂いと入り交っていた。生と死の葛藤はなく、むしろ殆ど解け合った状態だった」。錦秋に燃え立つ最後の華やぎへ向け、藪や森はすでに死に至る準備に入っている。串田が書いた森の尊厳は、ふしぎな自然の姿と人の一生を重ねて見せる。

肉牛や鶏に与える抗生物質は別の耐性菌を生み出している

2004年09月27日 | 詞花日暦
今、もっとも怖いのが、食品に
付着している抗生物質の耐性菌
――小若順一(NPO日本子孫基金事務局長)

 涼しくなると、食欲の秋が話題になる。しかし、安心して口にできる食品がどれだけあるだろう。政治家や役人や企業がこぞってつくり出した危険な食品以来、一般消費者は食欲の秋などと浮かれてはいられない。牛肉がだめなら鶏肉をと思っていたが、どうやらこちらも平成十六年の鶏インフルエンザで危ない存在になった。
 多数の雛を狭い場所に閉じ込めるブロイラー飼育は、抗生物質や合成抗菌剤を餌に混ぜて使う。抗生物質の残留は改善によってほとんどなくなっているが、怖いのは抗生物質から生まれる耐性菌。この菌によって、他の抗生物質が効かなくなる弊害が起きている。平成十四年には、東京の病院で七人の死者を出した耐性菌・多剤耐性セラチア菌による院内感染が起きている。
 地鶏と銘打った鶏肉も特定JAS法の基準に則っていても、抗生物質ゼロとはいかない。インターネットで完全無投薬飼育の農家から直接購入するのが安全だろうか。消費者が変れば、生産も流通もごまかしをつづけられないはずなのだが。

顔立ちで評価される女性は心の醜さにも敏感である

2004年09月26日 | 詞花日暦
自分が……いかにこわい……ばけものか
ということに呆れることが多い
――岡部伊都子(随筆家)

 概して男は顔立ちの美醜をいわれないせいだろうか、自分の心の醜さに鈍感である。逆に女は何かにつけ目鼻立ちのありようで評価されるから、自分の心の醜さには敏感である。男が感じる以上に、心の底にある自分の恐さや卑しさを知り尽くしている。女性が同性にいじわるできびしいのもそのためのようだ。
 岡部伊都子も女性としてもの心つく頃からその事実に気付き、「そういう自分に愛想をつかして生きるのをやめてしまいたいと思う日」があった。涙も流すこともあった。その結果、見出した解決策は「自分の正体」を冷静に見つめ、少しずつでも「自分の描く理想の女性像の方へ近づけて」いくことだった。
 岡部にとって理想の女性像は、「他の人への思いやりをもてる心情が言葉や態度ににじみでる」人。それは取りも直さず、やさしさをいつも心に抱くことである。女性の美しさは目鼻立ちの美醜とは関係ない。顔立ちがさほど整っていなくても、心のやさしさが滲み出るとき、女性の美しさが輝く。

日本もついにビッグ・ブラザーズ賞を受賞してしまった

2004年09月25日 | 詞花日暦
権力は一つの手段ではない、
れっきとした一つの目的なのだ
――G・オーウェル(作家)

 平成十三年、ちっぽけなニュースが新聞に載った。ロンドンに本拠のある国際NGO「プライバシー・インターナショナル」の日本支部が、「ビッグ・ブラザー賞」大賞に住基ネットを選んだ。ビッグ・ブラザーは、オーウェルが書いた名作『1984』に登場する全体主義国家の独裁者。
 一九四六年に書き始められたこの反ユートピア小説が、独裁国家の姿を克明に描いたのは知られている。鉄鋼とコンクリート、怪物じみた機械と兵器、同じ思想を持ち、絶え間なく働く人々、昼夜なくがなりたてるテレスクリーンといった未来都市。そんな社会はありえない極論と誰も思う。が、増幅され、極大化したさまざまな戯画には、まぎれもなく現在でも通用するものが数おおくある。最たる例が国民管理の住基ネットによる監視社会。
 かつての党幹部は主人公ウインストンを拷問しながら語る。「奴等は動物みたいに無力なのだ」。ビッグ・ブラザーズ大賞を受けるのは、監視システムに歯止めをかけない人々の無力さでもある。

アメリカではインターネットの向こうには天なる都がある

2004年09月24日 | 詞花日暦
完璧な王国がわれわれを待っているのは
……電子のドアの後ろである
――M・ヴェルトハイム(科学ライター)

 「一人暮らしで寂しくしています。よければ話し相手してください」といった呼びかけが、インターネットなどの出会い系サイトに数おおくある。福岡県警に逮捕された男は女子高生になりすまし、福岡、佐賀、長崎、熊本の中高生らから百通を超す返事をもらった。出会い系サイ規制法がすでに可決成立した。
 ヴェルトハイム著『サイバースペースの真珠の門』に書かれていた。真珠の門は天国へ入る七つの門。アメリカ人がインターネットに求めるのは、かつてキリスト教徒が求めたニューイエルサレムの天なる都という。王国はドットコムなどのアドレスの向こう側にあると。
 背景には「危機を生きている」アメリカがあるという。ローマ時代末期に似て、「不公平、崩壊、断片化といった特徴を持つ時代」に、社会への信頼も社会の目的もない。出会い系を天国というには抵抗があるが、なりすましの原因に信頼や目的を失った現代社会のありようを考えてみるのも、あながち見当ちがいではないだろう。

青いバラの育種と青い花への想いはまったく別ものである

2004年09月23日 | 詞花日暦
青いバラができたとして、さて、
それが本当に美しいと思いますか
――鈴木省三(バラ育種家)

 青いバラをテーマにした本の取材で、最相葉月が会った鈴木省三は、のっけに引用のようなことばを口にしたという。鈴木は高名なバラの育種家として、巨大な足跡を残した老人だった。彼のことばには、花を愛しつづけた人の万感の思いがこめられているように思える。それに青いバラづくりで騒ぐ人々に対するさりげない揶揄も仄見える。
 長い間、青いバラは「不可能」という意味の比喩として君臨した。一方、すでにDNA操作などによって、ありえなかった青いバラの類似品が誕生している。最相の労作『青いバラ』はその両面を丁寧に跡づけて見せた。ただし、青いバラの育種と人々が青い花にこめた思いは、区別しておかねばならない。
 育種の目的の大部分はビジネスの利益追求という要素を持つ。ノヴァーリスなどの詩人たちが語る「青い花」は、あくまで心の問題だった。もし「人間とは実現不可能な一場の夢」(マラルメ)だとすれば、人は常に不可能な花を想い描き、追い求める。美しいのは、心の領域に咲く「イデー」(観念)としての青い花でしかないことを知るべきだろう。

個人の自由を抹殺する政治は自由主義社会でも行われている

2004年09月22日 | 詞花日暦
《われら》は神に、
《われ》は悪魔に由来するものだ
――ザミャーチン(作家)

 いつの間にか、ザミャーチンの名を語る人はすくなくなった。一九○五年、二十代初めに戦艦ポチョムキンの反乱に直面、革命運動に入った彼は、作家として活動しながら、官僚化する共産主義体制に反発して投獄される。一九二四年に米国で初めて英訳が刊行された『われら』は、ソ連の単一国家を反ユートピアとして描いた代表作。
 ここで語られるテーマは、国家(われら)のために個人(われ)の自由と想像力を徹底的に抹殺すること。自由と想像力は破滅をもたらす悪魔の仕業だから、神が考える正しい世界を創るには、両者をなくしてしまえばいいという論理である。
 単純な対立項目から構成された作品だけに、またソ連崩壊のせいもあって、人々は忘れがちになったのだろう。ただ、作品の根底にある「人は本質的に悪魔であり、人がたどり着く究極点は残酷さのみ」という考えを抽出すると、一概にデストピア小説として片付けられない。作者のアイロニーはアメリカに代表される自由主義社会でさえ通用する。巧妙に「われ」の自由と想像力が制約されているからである。

仏教伝来以前の日本人の「あの世観」は沖縄とアイヌに残る

2004年09月21日 | 詞花日暦
日本人は今もなお、強いあの世の信奉者であり、
あるいは信奉者の振りをしている
――梅原猛(哲学者)

 梅原猛が柳田邦男や折口信夫と一線を画したのは、沖縄とアイヌの文化を日本文化の理解に取り入れたこと。梅原は、稲作文化が中心の柳田には「大きな誤りがある」、折口は「弥生文化の徒に留まっている」と語っている。彼の特長は縄文文化に焦点を絞り、しかも沖縄とアイヌの文化に原日本の姿を見たことである。
 仏教が伝来するまえの「あの世」観も、沖縄とアイヌは類似している。梅原によると、空間や時間の秩序がこの世と逆になり、ほぼすべての人は死後、霊になってあの世へ行き、神になって先祖の霊と一緒に暮らす。人間以外の生きものもあの世へ行き、あの世に行った魂はふたたびこの世に帰って来る。
 こうしたどこか素朴な世界観はいまも人々の記憶の奥にたゆたっている。複雑な仏教の教えより根深いのではないか。人々のおおくは、それでも饗宴に明け暮れる竜宮城、富と歓楽の世界をいつの間にかあの世に似たものとして祭り上げる。プラグマティックな近代人は、そのために地獄のような現世の生き方を余儀なくされている。

浦島太郎の物語は明治時代に大幅に書き換えられた

2004年09月20日 | 詞花日暦
竜宮行きは、お礼の接待になり、
竜宮城は楽しいだけのレジャーランド
――坂田千鶴子(国文学者)

「昔々浦島は助けた亀に連れられて」と歌われた「浦島太郎」を知らない人はいない。『万葉集』『風土記』の古い時代にさかのぼる伝承だが、実は現在の歌や物語はそうした伝承とはかなりちがったものになっている。たとえば亀をいじめる子供たちもいない、亀の恩返しもない。浦島が若い娘とたどり着くのは海の底の竜宮城ではなく、水平線を越えた常世の国。
 いったいどこから変化が起きたのか。坂田千鶴子によると、明治二十年代後半、巌谷小波の『日本昔噺』から。この「浦島太郎」に亀をいじめ、金銭で亀を取引する子供が登場する。さらに同三十七年、文部省の第一期国定教科書、巌谷が加わった同四十三年の第二期同書を経て完成され、現在までつづいてきた。
 冒頭の歌も、この物語を踏襲した同四十四年の「尋常小学唱歌」。亀を助ける道徳、金銭の報酬、ご馳走や踊りの現世主義がいかに明治時代らしいか。歌を口ずさんできたおおくの人々は、古い歴史を断ち切った明治近代教育に育てられた。

十八世紀の怪奇小説作家による小さな博物館が残っている

2004年09月19日 | 詞花日暦
小さな博物館の、間口は狭くとも
奥の深い小宇宙の魅力を伝えたい
      ――清水晶子(ジャーナリスト)

 以前、イギリスを代表する作家ディッケンズの住まい跡に偶然出会った。ロンドンの住宅街、小さな建物の入り口には小さなプレートだけ、観光客の姿さえなかった。その国を知るにはひっそりとした、その国の人しか訪れない記念館がいい。
 ロンドン在住の清水晶子が紹介する「小さな博物館」に、一度訪ねてみたいストロウベリ-・ヒルの館がある。十八世紀末、「ゴシック小説」という恐怖小説の一大潮流をつくったホーレス・ウォルポールの住まいで、代表作『オトラント城奇譚』のモデル。十七世紀に建った小さな館に次々とゴシック様式の改造を加えた。
 館の主が「おもちゃの家」と呼んだのは知っている。清水は「劇的空間を創出し、芝居がかった人生を送りたかっただけ」という。ただしそれぞれの部屋には、作者と十八世紀が求めていた心の風景が、断片のように散りばめられている。そうした断片が英国人や時代を実感するミクロコスモスを構成する。歴史も神々も細部に宿り、その精髄を味わうのが楽しい。

姥捨山も田毎の月も菅江真澄の江戸時代と同じである

2004年09月18日 | 詞花日暦
真澄は旅にでた目的を日本中の古い神社を
拝んで巡りたいと記している
――内田武志(菅江真澄研究家)

 天明三年(一七八三)八月、現在でいえば九月の半ば、三十歳になった菅江真澄は親しい仲間と姨捨山の月見を行っている。春から故郷の三河(岡崎)を出た旅が、秋になって信州を北上し、長野・更埴にいたった。
 途上では、子供を残して行倒れた若い女の死骸が横たわる。そのかたわらを、月見を目指す大勢の風流人が声高に語り合いながら通り過ぎる。俳諧師たちも諸国から集まってきていた。くしくも天明三年は、与謝蕪村が死んだ年でもある。すでに姥捨山も田毎の月も人口に膾炙していた。後者はあいにく秋だけに、稲穂が実って中秋の名月は田毎に映らない。
 筆者も同じ場所から月の出を見た。真澄の書中に「山は千曲川の岸を麓にしてそびえ、けわしく高い岩がある。東に見えるのは有明山の峰、冠着山、西には一重山と名づけられている山があり」と書かれたまま。山国といっても、高みから見る空は広い。月の出は「宇宙洪々」ということばを思い出させるほど。真澄の旅の目的だった神社と姨捨の月は、どこかつながるものがある。神社は旅の名目だけではなかった。

彼岸花がきらわれるのは人間の身勝手さによる

2004年09月17日 | 詞花日暦
自然に生活をしている生物は……
惜しげもなく利用したいものに利用さしている
――今西錦司(生態学者・人類学者)

 彼岸花はなぜか不幸な花である。人々に嫌われるさまは日本中に分布するなまえに表れている。シビトバナ(死人花)、ステゴクサ(捨子草)、ハヌケグサ(歯抜草)、ヤクビョウバナ(厄病花)ときりがない。火炎草や曼珠沙花などはまだまし。理由は花期に葉を落とし、花茎を直立させて赤く咲き乱れる姿のせいだろう。
 くわえて盛んな花なのに、けっして実を結ばないこと、花茎には苦い味の汁が滲み、繁殖する球根には「リリコンという毒分」含むこともあったろう。球根は水でさらせば、食用のでんぷんになる。飢饉のときなど、人々はこれで飢えをしのいだことをすっかり忘れてしまったのだろう。
 ついでに、江戸時代の西川如見著『長崎夜話草紙』からヒントを得た「赤い花なら 曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る……」の「長崎物語」の「お春」も、ジャカルタに渡った不幸な少女。今西錦司は、自然には無駄も浪費もない、実を結ばなくても昆虫に役立つ花であればいいといっている。人間の「料簡のせまい自然観」に関係なく、彼岸花は咲き乱れている。

鏡と性交はただ数を増やすがゆえに忌まわしいといわれた

2004年09月16日 | 詞花日暦
二つの美学が存在する。鏡の受動的な美学と、
プリズムの能動的な美学
――ボルヘス(作家)

 アルゼンチンのノーベル賞作家ボルヘスは、少数だが、全世界に熱狂的な読者を持っている。なかでも、芸術は世界を写す鏡だといわれた古い考えをくつがえす作家であった。それだけに読み慣れない奇妙な物語がおおく、なかなか一筋縄ではいかない。
 その迷宮に似た物語群のなかに、「鏡と性交は数をふやすがゆえに忌まわしい」ということばを巡る話がある。このことばは平凡な百科辞典に載っている一文で、そのまえには「霊的認識をもつ者にとっては、可視の宇宙は幻影か(より正確にいえば)誤謬である」とも書かれている。
 芸術は鏡のように現実を映し、自然を模倣するだけではない。写実にも鏡像にも、実際のコピーとは異なる作家の見方が加味されているが、根底から写実を離れた作品が存在する。鏡ではないプリズムから投射されるような世界、作家の感性とことばが独自のプリズムになって出現する芸術である。まして鏡に映る世界は「幻影」か「誤謬」であると思えば、なおさらその存在価値は高いはず。

夏目漱石は猫たちの墓標を書いて墓に俳句を添えた

2004年09月15日 | 詞花日暦
「猫の墓」と誌してから、
「この下に稲妻起きる宵あらん」
――夏目伸六(漱石次男・随筆家)

 残暑もきびしい九月半ば、いまでも国民的文学と聞く『我輩は猫である』のモデルになった猫が死んだ。日本を代表する知識人がむずかしい意見を語るこの小説が、それほどに国民的人気を博しつづけているとしたら、文学の衰退が語られる現在、慶賀にたえない。しかし、人気の理由は「猫」の一字によるのではないか。
 夏目伸六の記憶によると、漱石も妻の鏡子も子供たちも、猫に対しては「非人情」に徹していた。誰もなまえなど付けようとさえしない。ただ「我輩」のモデルが死んだとき、漱石は夫人にいわれて墓標を書き、引用のような一句をしたため、庭の桜の下に埋めた。
 二匹目の黒猫は家中を汚す病気持ち。三匹目は夫人に踏み潰されて死んだ。やはり漱石は「秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ」の句をつくった。小説の「我輩」の猫には、ビールを飲ませて甕の水の中で死なせている。「死んでこの太平を知る。……ありがたい、ありがたい」。心情吐露を無粋とした江戸っ子漱石の表に出ない人柄が、『猫』の行間に垣間見える。

世界のほとんどの国で風には霊魂や息という意味がある

2004年09月14日 | 詞花日暦
生命と息と霊とは空気と一体のものである、
そして風こそ、そうしたものの神である
――ライアル・ワトソン(生物学者)

 秋の訪れを風の音に感じる平安時代人の感性に較べると、地球規模でまとめられたライアル・ワトソンの『風の博物誌』は、改めて風と人の深く広い関係を思い知らせる。さまざまな風の種類と歴史の関係が興味を掻き立てるなかに、風ということばの基本に触れた記述がある。
 彼によると、ラテン語の「アニマ」は「風」と「霊」の両方を表す。「アニマ」から「アニムス」(魂)が生まれ、英語の「アニマル」に達した。息をするという意味のラテン語「スピラーテ」からは「スピリット」(霊魂)、「アスパイア」(熱望する)、さらに「インスピレーション」(霊感・鼓舞)ということばが派生したという。
 ヘブライ語やアラビア語、インドや中国でも、同じような使われ方をしていると書く。まさに風と霊と息は、おおくの言語で一体のものであった。日本人は風の音に秋の訪れを感じただけだろうか。風が呼び覚ます霊魂や呼吸を聞き分け、感じ分ける自然と人間の豊かさを持っていたのではないか。