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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

慶應義塾大学病院の天野隆弘医師(2)

2008年06月15日 12時57分43秒 | 白雲楼

私は慶應義塾大学病院の神経内科に10年近く通院したが、私の症状は最後まで隠し続けられた。Mri等の写真が隠されたばかりでなく、私の鼻の手術までも否定しており、上顎洞の手術さえなかったと書かれている。鼻の手術は上顎の前壁の骨を出来るだけ広く取り除き、上顎洞粘膜をすべて取り除くものです。医師ならば私の顔を見れば直ぐわかります。私は2回この上顎洞手術を受けております。一回目は私が17歳の昭和27年であり、この事件については本ブログで詳しく述べていますが、二十数年後に副鼻空に膿がたまり頬がはれ、慶應大学病院で受診しましたが、蓄膿症の再発と云われたが、病室が一杯で無理とのこと、田無病院を紹介されたが断り、東大病院で手術を受けた。先生は膿が副鼻空に溜まり酷い状態になっていると説明された。合計三回の手術で約一ヶ月東大病院で入院生活を送った。この時は私は本ブログでかいた西武不動産の住宅建築営業の嘱託であった。その後西武は首になったのであるが、その理由は私が桜井兵五郎の子供であると金沢家庭裁判所に申立たのであるが、裁判官が最後になってから急に私の申立を理由なしとして、却下したのである。当日は双方から証人を申請することになっていたのであるが、突然の裁判官の変身に驚かされた。丁度このころ西武では私の首をきったのである。その理由は本ブログでかいた様に黙って会社を休んで、金沢の家裁の通っていた事にあったのである。

今回の慶應大学病院の神経内科に通っていた時、堤義明がこっそり入院しており、辨谷貞造が入院していたことを本ブログでかいている。その直後堤義明の逮捕があり、マスコミは堤の行方をさがしていたがまさか慶應病院の病室に隠れていたのである。

当時の慶應の主治医は天野隆弘医師であり、私の頭の中が破壊されたことなどおくびにも出さず、私の症状を隠したのである。それが鼻の手術の形跡がないと助手に書かせていることを知った。

 平成21年11月30日 神経内科伊澤助手の治療を受けた時、鼻の手術を受けた形跡がないと2003年同じ助手の伊藤医師がカルテを書いているとして私の前で読み上げた。

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遊 支 漫 遊 (五)

2008年05月08日 09時14分41秒 | 白雲楼
遊支漫録 (五)
日支の文化的結合ー我輩は漫遊中最も痛切に必要を感じたとは日支の文化的結合であった、教育慈善
その他社会的の結合方法は、即ち進んでは両国人の結婚をも奨励し現在二つの社会を将来は殆ど一つのものにする大方針が必要成と感じたのである、即ち日本人は現在も猶小国である。日本の現在の土地、人口.富力を持ってしては決して世界の大国と称することはできない。只我我は大国のような心持を有っているのは此処に膨張力があるからである、人口に於いて移民による勢力範囲は拡張に於いてどんどん膨張するからである。故に我我に対して此膨張的趨勢を阻害する何等か世界的の障害が起こった場合には我我は極力之に抗争しなければならぬ必然的運命を持っている。然るに支那は人口に対して土地は有り余って居る富源は沢山あるが、之を開発する幾多の要素を欠いておる、我我は進取的なるに反して支那は保守的である、有無相通ずることにより両国民の幸福を増進すべき先天的約束状態にある、この特質と事情を異にしたる国民は然も同一人種である、同一族である。之を世界の大勢より観察し現在の事実に徴すれば、民族間の生存競争は未だ免れぬ、この度の世界大戦も畢竟はジャマン及びアングロサクソンの両民族の抗争である,此勢にして免れざる限り日支の民族はその運命を一にして居る。支那人が世界の大勢に圧迫せられ其の国民が萎縮することありとすれば即ちこれ日本国民の将来の圧迫である。又日本国民が能く白人に対立して異色人種の特色を発揮する場合は、同時に異色人種たる支那人も直接間接その生存発展を容易にする道理である。故に此両国民が一層その社会関係経済関係政治関係を密にすることは両国の利益たるのみならず、先ず世界の大勢上しかあらざる運命である。我輩が日支の文化的結合関係を両国の最大経倫となすは即ち此意義に外ならぬのである。然るに遺憾千万にも両国の政治家は未だ此の点に気付かぬ。多少気付いているも之を実現する誠意と勇気をかいている。我輩は第四十国会において教育関係より前述の意義に於いて岡田文部大臣に質問したるも、此の点に関しては何等の経倫も持っておらぬ、その事実は速記録にあきらかである、独り岡田君のみならず内閣諸公中勝田君が多少経済関係において意見ある以外支那に対する百年の大策を持って居るののは居らぬ。本野子は桜井は一度支那に行ってきて支那通を振り回すと謂ったそうだが支那に対する問題は支那に行くも行かぬもないではないか、多少世界の大勢を観じ東亜に国をなす両国の事情に鑑みみたならば其の根本の問題だけは自ら解決出来る訳である。本野子と雖も元老の弱い意見に囚われず冷静に達観したならば或る程度までは分かる事であろう。又在野の政治家にも対支根本問題については種々の意見もあるが練れて居らぬ。従って難しいことばかり言っおる、我輩は憂慮に堪えぬとか日支親善とか干渉とか不干渉とか、くだらない文字の争いをするよりは先ず支那の留学生を多く引付けるとか支那に対して学者教育者を送るとか学校を建てるとか医師を送るとか、投資の道を開くとか、大資本ばかりでなく小資本も行けるように便宜の道を開くとか、両国民の往復を頻繁にすること、又政治経済関係に於いては当面事功を急がず、百年の大計を樹てて支那人をして自覚して彼より接近しくるようにするとか云うことは尤も必要と思うのである。然るにわが国の政府政治家はかかる方針で従来やっておるかどうか、口を開けば支那問題を云うが具体的に少しもこれ等の仕事をやっておらぬではないか、無論仕事をするには相当の金は掛かる、併しながら、対支問題がそれほど大切としたならば、年に千万や二千万の金を惜しむに足らぬ、朝鮮を指導するに従来幾何の金を掛けたか、五千万や一億円ではないのである。しかるに我が現在の政治家が朝鮮に十倍する大切な支那に対し二十万三十万のはした金をおしんでいる一度出兵すれば二十億や三十億雲散霧消する西比利亜出兵すら稍もすれば決しそうになるが、支那に対しては何事もせぬ、我が政府政治家の盲目にはあきれざるを得ぬ。之に比すと米国の政治家は却々えらい。彼等の支那に対する関係及び各種の方面に於ける必要はわが国の必要程度に比すると余程薄いものであるがそれにも不拘らず彼等の計画するところ百年の大計である。先ず教育関係については団匪事件の賠償金の半額即ち念五十万円づつ斗を支那に寄付しこれをもって留学生を送らして居る。又北京には四百万円の大金を投じて清華学堂という大学を建てて居る、又多くの宣教師と医師を派遣しこの両者が一致して宗教慈善の方面より支那人を教導し米支の社会的結合関係を作りつつある。故に支那人は歳月とともに米国人に親しみ米国人を尊敬し、米国の資本を仰ごうとしておる。此の間日本は何をして居るか支那の国民に反感を抱かれて居る段祺瑞一人を助け支那を統一せんとしては度々失敗して居る。米国の仕事は歳月と共に功績が現れ分量を加われが日本の仕事は歳月と共に悪評が加わり反感を増す斗りである。わが国には小なる小手先利の外交官はあるかしらぬが、百年の将来を達観する明達の士が無い、対支外交も向後は根本問題より立て直さなければ駄目である。而して方針としては第一に文化的結合方針、第二に経済的結合方針、第三に政治的結合方針である第三の目的は第一第ニの目的を達し、両国人の幸福を増進すると言う明確なる自覚を支那人に与えなければだめである功を急いで本野の手柄にしよう寺内の手柄にしようというようでは全然失敗を免れぬ。支那人は研究すればするほど寛大な国民である、平和な国民である自由を愛する国民である、独立自治の感想に富んだ国民である。幾多の欠点もあるが又却々の美点を有する国民である、我我日本人は彼を教えると共に又教えられるべき点も少なくないようである、交際すれば却々興味が多い言語だに通ずれば全く異邦人と言う観念がない、今後百年幾百年の後は言語風俗も殆ど一致してしまうかも知れぬ、其の頃ともならば大正の初頭において日本にこれこれの政治家もあったと本野寺内原敬あたりが茶飲みの噺の材料となるかも知れぬ。その際小学生に笑われぬような心掛が尤もたいせつである。何れ近き将来に外交方針否対支根本方針の確立を必要とする機会もあろうが願わくば朝野の政治家に一大猛省を促したいのである。(完)

遊 支 漫 遊 (四)

2008年05月07日 07時03分26秒 | 白雲楼
遊 支 漫 録 (四)
支那の社会階級ー前三回に亘って支那の経済方面の観察を述べたが、今回は社会方面の一端を述べて見たいと思う、それは支那の社会階級のことであるが、此点を少し極めて置かなければ支那に対する観察が往々にして誤りを生ずるからである、殊に政治方面に於いては此社会状態の日本なぞと異なる点を除外して観察したならばそは大なる誤りを生ずるのである、支那には社会階級が四つある上中下とそれに会匪という一階級があるのである、上は貴族中は資産家及び読書人、下は農工商人であって此の点まではわが国と同様である。然るに最後の会匪と云う一階級、之が即ち我が国なぞと異なる階級を有する点であって支那は之あるが為に、社会的疾患国家的衰弱状況に陥って居ると見えるのである、而して会匪なる者の本体は何であるかと云えば北に於いては馬賊、南に於いては可老会とか曰く何々会とか云う無職にして略奪を事とする土匪の階級である、支那に於いては此階級は却々数も多く
而も彼等の間一種の連絡があって相当の治世を見ることもあるも彼等の階級を根絶することは出来ないのである、一例を挙ぐれば南京とか安慶とか言う都会に彼等が公然甲板を出して運搬の取り扱いをなすのである、それは運搬の労務に服するの意味でなく彼等の此店に渡りを付ければ途中略奪に逢うことなく安全に物品が目的地に達すると云う意味である、彼等の立場よりすれえば途中手先を出して全部を略奪する代わりに申込者に対しては幾分の略奪を止めて後は保障し残すと云う結果になるのである、云わば国家として公然賊徒の組合を許している訳である。好んで之を許した訳ではないが如何なる時代もこれを根絶するが難しく自然に黙許せられている訳である。地方庁が中央に税金を送るにすらこの匪賊に亘りをつけて途中の安全を図るというに至って我我は唖然として謂うところを知らずと云う外はない。此匪賊のなかである者が勢力を得一地方を支配するに至れば従来中央政府は止む無く之に官職を授け之を抜擢の例が甚だ少なくない、現在の各督軍省長の中にも八九名は此会匪出身の者がある、現に奉天省兼督軍の張作霖、吉林猛恩遠、安徴の倪司仲等はそれである。馬賊会匪から督軍省長に憂国の至誠経世的抱負があろうか、尤もその土地は無学の者と雖もその人に自覚を与えることがある奉天の張作霖が始めて省長になったときに演説会に臨み、余は馬賊の出であって従来能く人の物を掠ったが省長になっ以上決して人の物はとらぬから安心して呉と誠を込めて演説をしたそうである之はその地位を得た場合に於ける一種の自覚である、会匪で必ずしも盗賊根性脱せずとは云わぬが、要するにその前身においた之等の経歴を有するものは督軍省長となるも概して自己本位である、節とか国家全般のこととか云う概念は頗る薄いようである、支那の政争を看て居ると南方か北方か分からない督軍或いは亦我我日本人の了解できない事柄が時々起こるが之は凡て国家観念の無い自己一点張りの勢力家が地方にあり中央は亦之を圧倒するの威力なく政略によって之を支配して行こうとする、即ち両者相俟って所謂戦国策で行こうとする是が我我日本人に時々了解出来ない事態の現わるる所以である、畢竟社会状態の相違より政治も亦斯くの如く奇現象を呈するのである、即ち社会を離れた政治はなく国民を離れた政治は現われ得ない、若し政治が悪ければそは一面国民の反映なりとして国民の反省すべき原理も此の間に看守し得られるのである、尤もこは社会と政治の関係を云ったものであって、経世家の任務抱負は之を独立して存在意義を有する、即ち国家乱れ社会衰えんとせば之を指導啓発すべき経世家の任務は愈々重きを加える訳であって之を社会の反映なりとして黙過するが如きは本来経世家の忍びざるところである国乱れ英雄出とは一面このことを立証するものであろう。
支那の善政ー支那人は能く善政を云う国民である善政だに得れば統治者の如き満人たり将た日本人たりとも選ばないとまで極言するものすらある、善政は彼等の唯一の目的であある併し彼等の所謂善政は比較的単純である、之を約言すれば、「第一階級が第四階級を圧迫して第二第三の階級を保護し之に幸福を与えることが善政である、第一階級の者が第四階級に対し誅求する之が即ち善政である、と云うので、現在南方孫派の如きは之を旗印としている所謂悪政である、第一階級が多く会匪出身者と結託し第二第三を圧迫する、即ち多数の領民を救済するのが我我の任務であるおと盛んに主張しておる、之は支那の現状に於いては誠に道理ある見解にして是非そうなけらばならぬが、第四階級者を全々政権外に駆逐するのは容易の業ではない、支那国内に此大業を成し遂げるもの無しとすれば,天は支那人以外の者に此大任を授けて、四億の創生を救済するの時期があるかも知れぬ。
支那人の合邦論ー支那人中日支の合邦論を唱えるものがある、其の要旨は日本と支那を合邦し亜細亜国を造り、日本の陛下を大天子と仰ぎ、支那は清朝を腹壁して清帝を小天使と仰ぎ、統治の大号令は凡て大天子より発し、小天子は支那に対して与えられたる権限内に於いて自治的に内部行政を支配すると云う議論である。この論者は宗社党に其の人ありと知られたる姚文操君である、晀君は宗社党中の時勢通で粛親王の参謀長格相当官歴もある人今は上海にありて隠然宗社党を牛耳っている、我輩は一日一行と離れ宗社党の名士を歴訪したが此姚君の議論は一寸驚いた、我輩は晀君に向ひ其の議論の当否は暫く別として支那人中貴下を除いて其の議論に賛成する人はあるまいと云うと、晀君不思議な面持にて之は驚いた言葉である、支那人中の識者でこの議論を唱える者は甚だ多い、故宣盛懐氏も持論として之を唱えた亦現支那の官吏にして公然文章を以ってこの議論を公にするものが甚だ少なくない、崋竟は之が実現せらるべき運命をもっていると答え、我輩の種々の質問に対し支那人は保守的であって能く内に盛業を楽しむが外に当たる事は不得手である、特に近世に於いて外交や戦争に勝ったことが無い、日本人は進取が特徴である故に軍事外交の事は日本人に担当してもらう方が幸福である、又漢人は自ら統治者を出した例は極めて少ない、歴史上の統治者は皆外より来たものであ現に清朝の如き長白山の麓より起こった外来のものである我我は統治者のの如何を問うよりも寧ろ善政が最後の目的である、殊に世界の大勢より察すれば亜細亜国を造って白人に蹂躙せれれざるの準備が最も必要である能く両国の運命と世界の大勢を察するところがなければならぬと、歴史を論じ世界の大勢を論じ熱心に主張して居ったのである、我輩はわが国人に之を伝える、人道の為に相提携してやろうじゃないかと云って熱き握手を交わして別れを告げたが實に支那人は面白い国民である。(未完)

遊 支 漫 録 (三)

2008年05月06日 18時26分55秒 | 白雲楼
遊 支 漫 録 (三)
支那の鉄-前にも一寸述べたたるが如く、支那の鉄鉱は殆ど無尽蔵と謂っても差し支えない、近世文明の要素は鐵と石炭そ称せられるが石炭は之に代ゆるに電力を以ってすりことも出来る、然しどうしても近世文化の因として無ければならぬものは鐵である。然るに我が国には不幸にして此鉄鉱が殆ど無い、陸中釜石に幾分産するだけで其の他挙げるべき程のものが無い政府は越後に於いて相当金をかけた筈であるが今日まで十分の成績を見ることが出来ない、故に従来は支那及び米国等より鉱石鉄板を輸入したのであるが昨年八月米国が鉄の輸出を禁じたため、忽ちわが国は鐵の不足を如何にするかと云う重大な問題を惹起したほどである、今日の器具機械の大部分は鐵から出来ている汽船汽車も鐵は無ければ出来ぬ、殊に軍艦を始め兵器の大部分も鐵である、故に一国として単に国防の一点のみより見るも鐵の自給独立がなければ軍器の独立は得がたく鐵が無ければ国の独立も難しいと云ふも過言ではないのである、然るに此大切な鉄がわが国に産せざるは前述の通りであるが、支那には澤山ある恐らくは世界無比であらふ、近頃我我のよく効く名前でも安山站、金鐵鎮、鳳凰山、大治と云ったようなわけであるが何れも何億屯と云う大鐵山である、其の中大治は最も古く開鑿以来約三十年を経過し従来我が枝光製鐵所に運ばれておる鉱石はこの大治の鉱石である、大治は湖北省大治県と言うところに在り漢口より揚子江を汽船で下る事役八十九時間ばかりにして河岸より十七八丁の処にある、我輩は此大治の鉱山を見るに及んで全く自分の鉱山観念を一変してしまったのである其の訳は自分等の観念として従来鉱山とは鉱脈が地中にあるもの従って発見採掘は容易ならぬもの小資本ではやれぬもの危険なものと謂ったような幾多の観念があったのであるが、大治の鐵山を見るに及んでこの観念が全く一変した、即ち鉱山も其の如くであれば素人でもすぐ分かる容易なもの小資本ですぐやれるものと云ったように変わった、と云うのは大治の鐵山は山其の物が悉く鐵である鐵の山へ少し土が残り雪のように掛かり鉱石の間に所々に大理石が幾分雑ざって居る丈けで他は悉く鐵である而も平均65%の鉱石である多いのは一塊の鉱石と採れば其のうち85%迄鐵と云われて居るが先ず平均65%と云うことになっている。我輩の見たのは雄獅子雌獅子、鉄山の三山であるが何れも七八百尺の富士山形の山である而して山の七八割が鉱石で残りニ三割が土と大理石である様に思った、故に採掘といっても単に壊し取り山の麓より汽車に積み十七八丁出れば揚子江で直ぐ船に積むと云う手順である恂に平凡簡単なものである、而して日本の売買契約による値段は一屯三円四十銭で枝光までの運賃が屯三円八十銭で計七円二十銭あれば既に枝光まで運ばれるのである、而して此鉱石ニ屯十四円四十銭あれば銑鉄裕に一屯は出来る精錬費は無論要する事であるが此銑鉄一屯が三百円内外を往来すると云うにいたって如何に利益は莫大であるか分かる、因みに云うがこの大治の付近にはまだ鉄山が澤山ある五百万屯千万屯位の山は処処珍しからぬとのことである、ある時も一邦人が例の名高き石壁の賦のある勝地を訪れ高地に登らんとし中腹に人家の石垣を見れば悉く鐵鉱石なるを発見し何れより取れるかを聞けば此上は悉く此石であると答えた依って更に高所にいたれば鉱石が各所に露出しておる約千萬屯位はあろうかと思ったとの話も聞いた、近来支那政府が鐵を国有にしようとの考えをおこしておるそこで
人民が鐵が国有になれば人民の所得にならぬ鉄山を売るのは今のときであるよく日本人が欲しがるから日本人に売ろうと云うので現に日本人の処に鉄山を売りにくる、千萬屯もある鉄山ならば先ず一万円の事を云ってくるが結局千円位にまけてしまうと云うことであった現に漢治祥がニ三年前に買った獅子山のすぐ前の露出しただけで四千万屯ある象鼻山とう云う山を七百円で買ったのは事実である
四千万屯あるば屯三円四十銭と見て一億三千六百万円であるがそれを七百円で買ったとは實に驚くの他はない、只山は斯く安く買えるが採掘権と得る事がはなはだ困難である省政府も中央政府も日本人及び日支合弁の者には容易に採掘を許さない、例を挙げれば彼の鳳凰山にして前も大倉組が百万円の金を貸して後採掘権をえようとしている日本政府も確かに手伝った形跡はあるが然し今日猶解決しないようである恐らくは行き掛かりとして難しいかもしれぬ、然らば日本人が鐵山を得る事が絶望かといえば決してそうではない大いに名案があるのである政府を担ぎ出したり表玄関から日本人を名乗ってたのもうでやって行くから難しくなり出来る相談も出来なくなってしまうと云うのは従来の経過である我輩は此の点に関して其実際方法及び法律関係も相当調査を遂げて来たつもりである、我が国のため又支那経済開発のため今後幾分の努力をしたいと思っている兎に角支那の鐵は湖南、湖北、江西
、安鐵、江蘇、山東に亘りこの間の距離は三千屯級の汽船で湖南の洞庭湖以下を下るとして五昼夜を費すと云う距離であるがこの間に亘り鐵の一大脈が起伏しているかと思われる位である即ち前記の各所各各所に於いて鉱山が発見せられるのである、然るに支那今日の経済力を以ってしてはとてもこの鉄山を開発する事は出来ぬ、支那にはよく利権回収熱と言うのがある時々朝野に此熱が昂進してくることがある、資本も無く国の統一すら難しい今日において鉄の国有にしようなどの考えは此熱が大分伝わって居る、日露戦争後も此熱が発作し来たって彼の白耳義のシンジケートが持っておった山西の石炭採掘権をニ百万円で買い戻した実例があるが併しその後石炭を支那自ら採掘して居るかといえば決してそうではなく地中に死滅したままで居る之を白耳義の資本にしろ開発しておったなら支那を益すろことも亦何幾であったかもしれない、現に揚子江沿岸地方に於いても石炭は沢山あるが之を採掘し亦之を運搬する交通機関を設備する費用即ち資本がない、故に自分の近くに石炭を埋蔵しながら日本の九州炭を持って行という現状である、従って船腹の関係上石炭は非常に高いものになっている漢口あたりでは石炭が高い為動力の高価なること驚くべきものがある、即ち電力にして一キロット十八銭(撫順では五厘、日本内地では七八銭位か)と聞いた、製造工業の上に及ぼす影響思いやられるものがある、故に支那人としてはどしどし日本の資本を入れて鉄なり石炭なりを掘削することが得策である排外熱の旺なるは経済的に文化的に盲目なる証拠であるが日本は先進国として之を指導啓発するの責務も亦ある訳である。(未完)

遊 支 漫 録 (ニ)

2008年05月05日 11時12分48秒 | 白雲楼
漫 支 漫 録 (ニ)
殖民の目的より看たる支那ー明治四三年頃であったか、時の外務大臣小村候が満韓移民集中の方針を

声明したことがある。時の政府は米国移民に全々いき詰まったから満韓殖民を唱えたか、或は満韓移

民集中をもって真に得策なりと信じたかは不明であるが当時の事情を察すれば恐らくは其の前者であ

ったと疑いなき事と思わるる、如何となれば爾来十有余年政府として該移民に力を用いる事極めて薄

く且つ幾何の成績を上げていない、こらは過去の事実であるが、しかし満韓移民は可能であるか支那

に移民を送る出来るか如何と云う問題は苟も過剰人口の処分帝国膨張の方向を考えるものの頭脳には

常に往来する問題である。余輩この度の旅行に於いても特に此の点に意を払ってみたが、結局結論に

おいて朝鮮の移民は或る程度は成功するがしかし之は高がしれたもの三十年が五十年の後に於いて精

々八百萬か千万以内が極度であるように思われる。満州支那は今日の却々移民が困難である。其の理

由の第一として彼の地が非常に労銀が安いことである、撫順の炭鉱へ行ってみると鉱夫及び下級事務

員が約二万人いるが其のうち一万七千人が支那人であって残り三千人が日本人である、日本人の賃金

が五十銭以上壱円ニ三十銭くらいであるが支那人の方は十五銭以上五十銭位までである。又支那内地

の労働者の賃金を見るに各省によって高低はあるが先ず平均して二十五戦乃至三十銭とすれば大差は

あるまいと思わるる之は工業に従事する不熟練労働者のことであるが農業労働者だけについて云えば

平均率がそれ以下である事は勿論のことである、賃金が安いだけ生活程度が低いのは誠とにに止むを

得ない次第である、北京あたりに於いてすら其の郊外に接する地方を見れば豚小屋同様の家に住み衣

は寒厚を凌ぐに足らず食は殆どニ三軒毎にるかを思わるる肉パンを売店に求める事で済ましているつ

まり自分で炊事場をもたないのである。余は一日漢口に於いて農民の生活状態視察を思い立ち同地に

在留する同窓の一人の案内を受け馬車を駆って漢口より三里余りの田舎見物に出かけた、道路の傍田

畑の間に存在する支那農民の家は朝鮮の如く一様にはあらずやはり上中下区別はあるようであるが、

中流にしてもわが国の下流には及ばず其の下流の者に至っては稍々大なる鳥小屋同様所々へ運搬出来

る竹やこもで組んだようなものであった現に途中を運搬している者をを見てあれは何かしらんと云え

ばあれは下級民の家だと云うことであった、此等の小屋の中を覗いてみればやはり夫婦もいれば子供

も住んでいる。此の辺即ち漢口から三里や四里の田舎ですら斯くの如くであった生活費は先ず一人三

銭くらいで足りると云う話であり更に四川のあるところでは生活費が一日一人七厘で足りると云う話

も聞いた。兎に角下級民の生活程度は驚くべき低度のものであって我が下級民が仮に向こうに行くと

するも入るべき土地は十分あるが今日の交通状態よりして現在日本にある生活状態を低位にするに非

らざれば生存競争が出来ない有様である加えるに満蒙古の場合に於いては気候上天然の圧迫がある、

故に我我日本の移民としては現在は前述の状態にて移民は六ケ敷将来交通及び社会状況が改良せられ

生活の向上する場合あいろするもその場合支那人自身の増殖が高まる故現在将来共に日本の下級移民

は不可能例外ありとするも大体に於いて不可能と断定するが至当を考えられた、現に撫順の例即ち純

然たる日本人の経営に属する事業の於いてすら賃金の関係は使用人ニ萬の内一万七千人の支那人を使

用すると云う事実に徴するも此の断定は必ずしも不当でないことが分かる。
 天恵多き支那ー余は前項に於いて支那下級の生活程度のいかにも低位なることを述べたがしかし此

れは支那の土地が悪い、物産がないという結論に到達しない、土地は肥沃にして広大なる鉱物を始め

各種天産物の豊富なる蓋し支那の如きは世界に多く其の類例を見ることが出来ないであろう。現に世

界の宝庫と称せられる単に一個の市場として見ても将来又天産物も埋蔵地として見ても二十世紀の世

界競争の中心と目せられるのは真に無理がないと思った天恵の多きこと蓋し日本など遠く及ぶところ

ではない、皮相の見者は単に禿山多くして森林の見るべき無く茫漠たる荒原を見て亡国の感を起こす

かもしれないが此れは全く皮相の見である。支那の山地は成る程満州を始めとして本部に於いても湖

南雲南等を除く外は禿山亦禿山であるが之が支那人があまり天恵に慣れ政府は林政の観念がなく人民

に将来子孫のことを廬るの念が欠乏していたが為である、今後大に林政を起こすならばどの位の良林

を得られるか想像に余りあるものがある、現に青島に於ける独逸の経営が之を証明している、又土地

が猶未耕に属し且つ農業も粗放にして肥料だに録々加えざるの一事に就いては支那人には支那人の見

るところと事情がある、即ち余の一友が或る支那人に対して「君の国は亡国である此広大なる土地を

耕すこともせず且つ作物に対しては肥料を施す事無く麦の如きはヒョロヒョロした有様ではないか、

全く亡国とは之等のことではないか」と云えば彼これに答えて否々亡国とは日本のことである自分が

日本に留学した頃の見聞だが日本において耕地は山の頂まで開かれ作物として肥料の与えざる無くあ

れ以上日本の農業に対して何らの余地も余裕も無い人口が増えても食物は他に仰ぐより外に道はある

まい
恂にに気の毒次第である、之に反して我我の国では猶開くべき耕地があり施す肥料を以ってすれば収

穫を今日之幾倍にする事も出来る今日の麦がヒョロヒョロしてこそ値があれ肥料を加え十分の発育を

加えせしむれば農産物過剰となり食物の値を失って只同様のならむとも限らぬ今日は之でよい程度で

あるが若し人口が増えれば御国と違い之を増加する事多々増々便ずる之大に興国の要素を含み居るも

のである」と語った、此一事は支那の農業が大に前途あるを示すにたる次第である、又余が北京より

漢口にいたる途中河南の南より湖北の間は田といえ畑といえ将た山地における樹木といえ全く日本と

変わらぬ其れに加えうるに動物としては豚の群が居る羊の群が居る水牛が各地の農耕に試用せられて

いる鶏は戸毎に数十羽見受けざるはなくこの時余は如何に天恵おおき国なるかと驚嘆の目を見張った

のである、更に鉱物に至っては近世文明の最大要素たる鐵と石炭は支那に於いては無尽蔵である、鐵

は大治を中心として西は湖南東は江西安徽江蘇山東に連なり一大脈が起伏せるかの如き徴象を現して

おる大治の如き現に計算し得る丈でも一億屯云われておる千万二千万屯級の山は前陳に属する地方に

於いて其の数知らずと称されておる、又石炭の如きは山西一省の埋蔵量以ってするも今日世界の需要

を充たしつつ数千年を支え得と言われて居るその他雲貴の銅、金、蒙古の鐵の如き枚挙に遑あらすで

ある。(未完)