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羽花山人日記

徒然なるままに

方言

2023-01-23 16:18:11 | 日記

方     言

すっかり寒くなって,朝布団から出るのが億劫である。こういう時,信州弁の「ずくが無い」を思い浮かべる。「ずくがねえ」と言った方が,もっと信州弁らしい。

「ずく」と「ずくなし」は長野県の方言として広辞苑に収録されている。「ずく」は「精を出すこと」,「ずくなし」は「役立たず,怠け者,無精者」とそれぞれ訳されている。この訳に間違いはないが,「ずく」にはもっと別のニュアンスが含まれているように思う。

例えば,何かをしたくないことを「精を出したくない(気力がない)」というのは,「ずくがない」というのと比べて大げさのような気がする。「ずくがない」には,大目に見て欲しい,あるいは分かって欲しいという仲間意識が篭められているのではないだろうか。

大学に入って,最初のドイツ語の授業で,教師に「地方から出てきた人たちは,先ず標準語を覚えなさい」と言われ,侮辱されたような気分になった。信州人には,一般に,自分たちは標準語を話していると思い込んでいるところがあり,わたしもその例外ではなかった。

しかしそんなある日,入部した陸上部の練習の後,「今日は5千メートルとんできた」と言ったところ,居合わせた人に「すごい記録を作ったね」と冷やかされた。その時のわたしにとって,「とぶ」と「走る」は同義であったのだ。

依頼された原稿に,ある人に言われたことが胸に「こずんで」いると書いたところ,編集者から,この「こずむ」というのはどういう意味かと質問が来た。「何かが沈殿している」ことと説明して検討し,「滞っている」に書き換えることにした。その後で,編集者は「しかし《こずむ》はいい言葉ですね」と言った。

広辞苑には「こずむ」が「偏む」という漢字をつけて収録されている。訳には,「偏る」,「傾く(特に馬が)」,「一箇所に偏って集まる」が採用されている。

松本では,泥鰌が池の底にかたまっているのを「こずんでいる」と表現していた。信州弁の「こずむ」はほかに当てはまる語がないような気がする。

松本に居住する姉妹や姪たちに聞いたところ,世代とともに方言はすたれているらしい。今の若い人とたちは,駆けっこのことを「とびっくら」とは言わないそうである。それを惜しんでか,地元紙の松本市民タイムスでは『おらほの言葉-松本方言辞典』という連載物を昨年の1月から始めている。

茨城に住んで36年になるが,いまだに茨城弁では話さない。ほとんど標準語で話し,話されている。たまに使うのは「どもね」くらいで,これは結構丁寧な表現らしい。「ごちゃっぺ」という語はこの辺の独特の表現で,知ってはいるが,会話の流れとして聞いたことはない。

世界には7千以上の言語があり,その約40%は消滅する運命にあるという。言語は文化と裏腹である。言語の消滅は,文化がなくなることを意味するだろう。

方言の消失・変化は,その地方の文化の消滅・変質であり,多様な文化が画一化されていく過程である。それは仕方のないことであろうか。

 

日光連山

わが家のベランダから,はるか北方に日光連山を見ることができる。

 

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コメント (5)
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