ナスカの地上絵
一昨日のブログに田んぼアートのことを書いたら、ナスカの地上絵を思い出した。
わたしはここを3回訪れている。2回は仕事の合間に、1回は純粋の観光で。
ナスカの地上絵:コンドル
地上絵はセスナに乗って空から眺める。パイロットはサービスよろしく、右に傾けて右側の乗客に地上絵を見せると、引き返してきて左側に機を傾けるので、結構揺れて船酔いする。
写真を撮るのは難しく、3回も行っているのに、碌なのが残っていない。上に載せた写真に、コンドルが写っていると思ってもらえば幸いである。
ナスカの地上絵は、ドイツ出身の女性、マリア ライヒェさんが、アメリカの考古学者ポール・タソックとともに1938年に発見した。タソックがアメリカに去った後,マリアさんは生涯を通して独身で,私財のほぼすべてを投じて、地上絵の保全と研究に尽力された。
マリアさんの誕生日5月15日は、その功績を讃えて、ペルーでは休日になっている。
晩年のマリア・ライヒェさんが暮らしたホテルの書斎(上)と寝室。この部屋は,政府から無償でマリアさんに供与された
空からしか見られない地上絵を、ナスカ人はなぜ描いたのか。マリアさんのをはじめ諸説があるが、確かななことは分からないらしい。
また、ナスカ以外にも新しい地上絵が発見され、謎は深まっている。
なんの根拠もないが、わたしの仮説を紹介する。イースター島のモアイから連想したことだ。
モアイは前の年や他の部族のものを超えようと、だんだん大きくされ、ついには運びきれなくて,途中で捨てられたものがいくつもある。
地上絵には,ナスカよりずっと古い時代に,山の中腹に描かれたものがあちこちで見つかっている。これらの地上絵を,砂漠の道しるべだったとする説はうなずけるように思う。
ナスカの人々は,この地上絵を見て,「よし,俺たちはもっと大きくて複雑なのを描いてやろう」と,遊び心で競争し合って,自分たちには見ることができない巨大な絵を仕上げたのだろう。なお,地上絵は比較的簡単に描けることを,何人もの研究者が実証している。
マチュピチュの遺跡にも,遊び心から作られたと思われるものがいくつかあった。
わたしには,古代アンデスの人々は,ユーモアと遊び心に富んだ,豊かな文明を築いていたような気がしてならない。
ついでに2冊の本を紹介する。
楠田 枝里子 『ナスカ 砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯』 文藝春秋 1990年
アンソニー・F・アヴェニ (武井 摩利 訳) 『ナスカ 地上絵の謎 砂漠からの永遠のメッセージ』 創元社 2006年
楠田さんは,マリア・ライヒェに入れ込んでいて,かなり身びいきな記述をしているが,考古学者アヴェニは,マリアの研究結果に否定的である。(写真はいずれも2011年撮影)
ワクチン
対コロナウイルスの4回目のワクチン接種を受けた。これまですべてファイザー社製。今のところ異常はない。
STOP WAR!